8 お局様、自己嫌悪の淵に沈む。
にっこりと笑いながらも、身体が震えそうになるのを堪える。
自分の甘さが招いた事態だ。
どんなに屈辱感にまみれていたとしても、どんなに己の甘さを嫌悪していたとしても、そして、どんなに見え透いていたとしても、この主張を突き通さねばならない。
「ほお」
父パトリックが、軽く眉を上げる。
「じゃあ、ユーナの仕事が雑であるというのも勘違いだったのかね?」
「いいえ、それは本当です。ですが、今回の事故は、わたくしが水をこぼし、わたくしが不注意で転びました。わたくし、てっきりユーナがこぼしたせいかと思ってしまったのですが、よくよく思い出したら、わたくしがうっかりこぼしてしまったのでしたわ。ですから、ユーナのはいちがえは必要ありませんでした。ましてや役人につきだすひつようなどありません。すべてわたくしの勘違いだったのですから」
パトリックが、強いまなざしでセリーネを見てくる。
すべてを見通すような、鋭い視線。
セリーネはぐっと奥歯を噛みしめ、それを見つめ返した。
「――では、セリーネ。君は、自分の失敗を、侍女のユーナに押し付けたのだね」
パトリックの厳しい声に、身じろぎしそうになる。
「――はい、そのとおりです」
「自分に責があるものを、他人に押し付けようなど、あってはならないことだ」
「はい」
「セレーネは、侯爵家令嬢としての自覚が足りないようだね」
「……申し訳ありません」
その間、目を逸らさないようにするのに必死だった。
パトリックが、ふっと息をつく。二人の間の張りつめた空気が、緩むのがわかった。
「もういい。食事を中断して、部屋に戻りなさい。三日間、水以外の食事は抜きだ。自室から出ることも禁じる。自分がしたことを反省なさい」
「――はい、本当に申し訳ありませんでした」
セリーネは椅子から降りると、父に向かって深くお辞儀をした。そして、他の家族にも頭を下げる。
「お母様、お兄様たち、大変申し訳ありませんでした」
「セレーネ!」
母エリザベスが思わずといったように叫ぶ。
セレーネは母に向かって小さく微笑むと、もう一度深く頭を下げて、食堂を出た。
優雅さを意識して歩いていた足が、やがて速さを増す。
カツカツという響く音は、最後には駆け足に近くなっていた。
自室に入って扉を閉めた途端、嗚咽が込み上げてきた。
――いい気になってた。
前世では、仕事で認められていた。
誰もが面倒そうな顔をしたり、文句を言ってきたりしたけれど、自分が正しいことをしている自信があったから、いつだって論破できた。
でも、論破できたのは、確固たるルールがあったからだ。
会社内の内規、就業規則、労働基準法、もっと幅広く言えば社会の一般常識。
「正しい」と誰もが認めざるを得ない基準があったから、玲子は正しく在れた。
嫌味を言っても許された。
それでさえも何年も仕事をやって、実績を積んだあとのことだったのに――
転生して、四歳の女の子になって。
自分には三十五年分の知識や経験があるから、うまくやれると驕っていた。
不正をやって放逐されるような家族だから、きっとあまり頭もよくないだろう、自分なら掌で転がせるに違いないと、心のどこかで思っていた。
この世界のリアルな知識は四年分しかないのに。
なんの実績も積んでいない自分の言葉には、重みも何もないのに。
ーー自分の中の常識や理屈に当てはめて、他人の人生をゆがめかけた。
そのあげく、あんな子供でもしないような前言撤回なんかして、にっこり笑って誤魔化して……
セリーネはのたのたと歩き、ベッドにあおむけに倒れ込む。
「かっこ悪ぅ、私……」