7 お局様、父親の説得に苦慮する。
「お、おとうさま? いま、なんとおっしゃいました?」
セレーネは自分の顔から血の気が引いていくのを、感じていた。
ただユーナの配置換えを相談していただけのはずが、どうして役人に突き出すなんて話になってしまったのだろう。
「納得がいかないかね、セレーネ」
父パトリックが、真面目な顔で尋ねてきた。
「なっとくがいかないというか……もうしわけありません、なぜ役人に突き出すという結論におとうさまがたどりついたのか、りかいが及ばないところがありまして……わたくしが、怪我をしたからでしょうか?」
パトリックがうなずく。
「そうだね。――人間、誰しもミスはあるものだけれど、許されるミスと許されないミスがある。今回、ユーナのミスによって、おまえが怪我をすることになった。場合によっては死んでしまっていたかもしれない。しかも、これまで何度もミスを注意した状態で、これだ」
「で、でも、わたくしは無事だったのですから、なにも役人につきだすまでしなくても……」
思いもしなかった話にオタオタとしてしまう。
確かにユーナのミスに腹は立てていたが、「じゃあ、警察呼ぶよ」的なレベルで怒っていたわけではない。
前世では業務上のミスは、その会社の内部で対応していた。仕事のミスで損害を出したからといって、そこに明確な悪意がない限り、警察に突き出したりなどしない。
それと同様に、侯爵家内でのミスを、わざわざ役人に報告するなんて、おおげさではないだろうか?
「セレーネ。たとえば、我が家に王太子が来ていたとするだろう。たまたま洗面所に水が零れていて、王太子が頭を打ち、意識不明になるとする。我が家はどうなるだろうか?」
うっと言葉に詰まる。それはマズイ。
シナリオが変わってラッキーでは済まないだろう・
前世ならともかく、この世界では「使用人の問題=雇い主の問題」だ。
当然ヴィクトリア侯爵家の責任として追及され、場合によっては家族全員が処刑されるかもしれない。
だが――
セレーネは大きく息を吸った。
「それは極論というものではないでしょうか、おとうさま。たしかに、王太子さまがわが家にこられた際にそのようなことが起こったらたいへんなことになりますが、そもそも王太子さまがいらっしゃるさいに、そのようなクオリティの低い侍女をに使うわけがありません」
今度はパトリックがうっと言葉に詰まった。
「――それは、屁理屈というものではないかね?」
「だとしたら、おとうさまがおっしゃっていることもこじつけです。おとうさまがおっしゃっていることのようなことが起きないよう、わたくしはいま、はいちがえをご相談しているのですから」
その言葉に、パトリックはあからさまにムッとした顔をした。
それを見てセレーネは焦る。
――マズイ、このままだと機嫌を損ねる。
決してやりこめたいわけではないのだ。ちょっとお局様の血が暴走してしまった。
ユリーナは即座に作戦の変更をする。
「ごめんなさい、ほんとうはおとうさまが正しいって、わかっております……でも、わたくし、ユーナに、はいちがえをするといってその件は終わらせてしまっていて……いまさらそれをひるがえすなんて、侯爵令嬢としてあってはならないことだと思うのです」
いったん歩み寄って、今度は「お願い、私のわがままだってわかってるけど、こうさせて」という方向へ持っていく。
相手は、一度は論破されそうだった自分の主張が認められた状態で、「相手のわがまま」をお願いされることになる。
こういうときは、お願いが通りやすい。
なぜなら断ると、完全に自分の主張が論破されるのではないかとおびえるからだ。
案の定、パトリックも迷うような表情になる。
これはいけるか? と思った瞬間だった。
「――――いや、だが、だめだ」
通じなかった!
セレーネがショックを受ける一方で、パトリックは深くうなずいた。
「セレーネ。おまえは庇っているが、ユーナがしたことは罪だ。己の業務をおろそかにし、主に怪我を負わせた。罪は償われなければならない。今回、ユーナがしたことを許してしまったら、次に誰かが同じようなミスをしたとしても、それを許さないといけないよ? 仮におまえのお母様が同じ事故で死んだとしてもだ」
「相手が亡くなったり大けがをしたりしたら、それは別問題です!」
「別ではないよ。ただ運が良かったか悪かったか、それだけだ」
――正論だ! まごうことなき正論で、イチャモンがつけづらい!
セレーネは唇をかみしめた。
こういう「正義の人」はとにかく頑固で、扱いづらい。しかも、建前上は正しいから、非常に戦いづらい。
前世では人を刺して、相手が生きていれば傷害、死んでいれば殺人罪だ。運が良かった悪かったで左右されても、しょうがないと思うのだが……
「ユーナは、役人につきだされると、どうなってしまうのでしょうか」
「そうだね。おそらく奴隷身分に落とされるのではないかな」
――奴隷!
この世界に奴隷制度があることに、セレーネは衝撃を受ける。セレーネの記憶の中にはそのような知識はなかったので、おそらくまだまだこの世界で知らないことは多いのだろう。
もし、ユーナを役人に突き出し奴隷に落とすことになったら、セレーネは自分のせいで起こったそれを一生背負わなければならない。自分にそれができるだろうか?
唇をかみしめ、必死に考えるセレーネに、エリザベスが優しく声をかける。
「セレーネちゃん。悪いことをしたら、それを償わなくてはいけないのよ。それが決まりというものなの」
「そうだ、セレーネ。おまえはそんな些細なことで、と思うかもしれない。だが、些細だからと言って見逃していたら、この世は犯罪だらけだ」
パトリックが追い打ちをかけるように言った。
ふたりの兄もうなずいている。
――なんて、まっとうなことをいう家族だ!
家族は間違えたことを言っていないのに、セレーネはどんどん追い詰められていく。
家族の主張を、どうやったらくつがえさせられるだろう?
この際、どちらが正しい、正しくないという問題などどうでもいい。
とにかくユーナを役人に突き出すことをやめさせたい。
セレーネは考えて、考えて……最終手段に出た。
家族四人の顔をゆっくりと見回したあと、父パトリックをまっすぐに見て、にっこりと笑う。
「おとうさま、ごめんなさい。ユーナがこぼした水で転んだというのは、わたくしの勘違いでした。わたくし、自分でこぼしたお水で、転んでしまったみたい」