10 お局様、最強の武器を手に入れる。
翌朝、アンナに髪を整えてもらっていると、セレーネの部屋のドアがノックされた。
アンナが対応をしに行く。が、すぐに扉が大きく開けられた。
「セレーネ、僕のお姫さま。本当に大変だったね。大丈夫かい? 気分は悪くない?」
「アレク兄さま! どうなさったの?」
入ってくるなりセレーネの前に跪き、顔をのぞきこんでくるアレク。その瞳は『心配でたまらない』と言っている。
「もちろん、君と一緒に朝食に行こうと思って。ああ、やっぱり顔色が悪いね」
アレクがセレーネの頬を撫でる。そして黙ったまま、じっとセレーネを見つめた。
「……アレク兄さま?」
首を傾げて名を呼ぶと、次の瞬間、ぎゅっと抱きしめられた。
「――父上を止められなくて、ごめん」
重い声だった。深い後悔と自己嫌悪に塗れた……
「セレーネ。君につらい思いをさせてしまった。本当にごめん」
突然謝られてポカンとしていたセレーネだが、やがてじわじわと込み上げてくるものがあった。
――ああ、愛されているんだ。
急に実感が込み上げてきた。
昨日訪れた母エリザベスも、兄のアレクもセレーネを愛してくれている。
乙女ゲームの世界に転生したから、なんとかフラグを折らないと、と思っていた。
家族が悪事を行うのならば、それを阻止しないといけないと思っていた。
けれど、それは家族のためじゃない。自分の人生のためだった。
だが、今、わかった。
ここにいる人たちは、セレーネの家族なのだ。
セレーネを誰よりも愛してくれている。
だとしたら、自分一人で何もかも考えなくてもいいのかもしれない。
王太子との婚約も、実家の没落も、一人でなんとかしなくてもいいのかもしれない。今回のユーナの件だってそうだった。
相談したり、場合によっては泣きついてもいいのかもしれない。
その代わり、セレーネ自身も家族の相談にのったり、泣きついてもらったりすればいいのだ。
まあ、年齢的にそういうことはないだろうけれど。ただ、まあ、癒しぐらいにはなれるかもしれない。
――だって、家族なんだから。
そう思ったら、なんだかじわじわと笑いが込み上げてきた。
急にくすくす笑い出したセレーネを、アレクは驚いたような顔で見ている。
「セレーネ?」
お局様時代の悪いクセが出ていた。
誰も味方がいないと思っていた。だから、自分の能力を誇示して、理論武装して、隙を見せないようにして。
でも、ここは会社じゃない。セレーネの「家」なのだ。
――そんなに気張るような場所じゃないじゃない。
「あのね、アレク兄さま」
くすくす笑いながら話しかけるセレーネに、アレクは怪訝そうな顔をしながらも、「なんだい?」と尋ねてくる。
「わたくし、いろいろわからないことがあるの。しっぱいもたくさんすると思うし、ときにはまちがえたりもすると思う。それでも、アレク兄さま、わたくしのことを好きでいてくれる?」
にっこり微笑みかけると、アレクは息を呑み、顔を真っ赤にした。が、次の瞬間、勢い込んで口を開く。
「っ! 当たり前だろ! セレーネは僕の可愛い妹だ。他の誰が敵にまわっても、セレーネは僕が守るよ。――っいて!」
アレクガ前のめりになる。驚いて顔を上げると、次兄のイクスが、アレクの背中をけりつけていた。
「兄貴ばっかり、カッコいいこと言うなよ」
イクスもまたセレーネの前に跪き、ニヤリと笑って言う。
いつのまにか部屋に入ってきていたようだ。扉の近くでは、アンナが微笑んで三人を見ている。
「セレーネ、おまえはまだ幼い。だから無理に理屈をつけなくていいんだよ。ユーナのことだって『嫌いだから、遠ざけた』で通るんだぜ? 理屈で通そうとしたら、父上だって間違いを正さないといけない。だけど、好き嫌い、で言われたら、父上だって了承してたさ。なんて言ったって、うちの家族はセレーネに首ったけだからな」
――目から鱗だった。
そうか、会社じゃないから、理屈に通らないわがままを言ってもいいのか。実行したら問題だろうけれど、要望として家族に伝えるぐらいのならば、「子供のわがまま」で通る。それが、受け入れられようと、スルーされようと。
――そうか、無理しなくてもいい。今の自分の長所を活かせばいいんだ。
セレーネはにっこり笑い、目の前に跪いているアレクとイクスに一歩ちかづく。
そして、ふたりの頬にそれぞれ、ちゅっとキスをした。
目を見開く二人。
セレーネはちょっとうつむき、頬を染めて、兄たちを上目づかいで見つめる。
両手はスカートをぎゅっと握って、ちょっぴりモジッとして――
「ありがとう、アレク兄さま、イクス兄さま。……だいすきよ」
二人が息を呑み、次の瞬間、デレッと顔を崩す。
「セレーネ! なんて可愛いんだ!」
「くうぅ、俺が嫁にしたい!」
見よ、この幼児パワー!
セレーネは背中の後ろで、小さくガッツポーズをした。