チョコミントが溶ける頃に 上
「世尾くん、今から私とデートして下さい」
今まで小音のBGMだった生徒たちの喋り声が、大きい音となって聞こえた気がした。
下駄箱から靴を出そうと上げた手がだらんと落ちる。
「…………え、えっ?」
ぼくは突然のことに頭が追いつかず、そんな意味のない声をあげてしまった。
でも、無理もないと思う。
だってぼくの目の前には、恥ずかしそうに赤くなった顔を右下に傾けた、可愛らしい女の子が立っているのだから。
いや、女の子と呼ぶのはちょっと幼い呼び方かもしれない。何しろもう高校生なのだ。
彼女は白っぽい、というか少し青白い肌に、大きな目にかかった長い睫毛。ちょっぴり青みのかかった艶のある黒髪は、左耳の上でシュシュに飾られ結ばれている。
制服は文句無しに似合っていて、首に巻かれた赤と緑のタータンチェックのマフラーがとても可愛い。
女子が触角と称している二つの細い髪の束が、顔の横でたびたび冷たい風に流れるように揺れた。
「だから、あの、私とで、デート……してほしいの……」
うるうると濡れた瞳を上目遣いでぼくに向けた後、地面に視線を落とす。そして、長い制服の袖をきゅっと握った。
うるうると濡れた瞳って……。やばい、もしかして泣きそう?
帰りのHRが終わり、生徒たちが部活へ、家へ、あるいは他の場所へと動く時間帯。このぼくがいる昇降口にも、人がたくさんいるから泣かれても困る。
はっとして周りを見ると、まるで告白をしているような場面に何だ何だと人が集まってきていた。
なんで今まで気が付かなかったのだろう。
ぼくは慌てて靴を履くと、彼女に言いながら白く細い腕を掴んだ。
「生嶋さん、一旦ここを離れよう」
言った時にはもう、走り出していた。
「えー」「行っちゃうのかよー」などと、野次馬たちの声が耳に入るが、無視。
その声とは違うころころとした鈴の音のような、え、とあげられた小さな声が後ろから聞こえる。
悪いけど、生嶋さんに理解の時間を与える余裕は無かった。
ぼくも恥ずかしいし、生嶋さんも恥ずかしいだろう。
門を出ると、男女二人で走るぼくたちを生徒や通行人がちらりと見た。
少しの距離しか走らなかったと思う。
なのにも関わらず後ろからハァハァと荒い息遣いが聞こえてくると、ぼくは走りをだんだんと遅めた。運動が苦手なのだろうか。
走っている時に冷たい冬の風が肌を刺し、体の中は熱いけど、体の表面は冷たい。
ぼくは後ろを振り返った。
「大丈夫?」
生嶋さんは乱れた息を整えながら、笑って返す。
「……大丈夫。いきなり走りだして、ちょっと……びっくりしたけど」
「そっか……ごめん。見てた人がいっぱいいたから」
ぼくがそう言うと、生嶋さんはそれに気付いていなかったようで、驚いた顔をし頬を赤く染めた。
「そ、そうだったんだ……。あ、あの、ありがと」
ううん、と微笑むと、取り敢えずどこへ行って話を聞こうかと考えた。
ぼくたちが通っている高校は駅の近くで、少し歩くと商店街やゲームセンター、大きなお店が見えてくる。
ここは商店街に行くまでのちょっと長い道だ。
普通に住宅やお店、塾があり、道を通ると自然に目に入ってくる。
いつもは緑が多い通りも、今は葉を落としていて寂しい木ばかりだ。
うーん、確か近くに公園があったはずなんだけど……。
ぼくが一人うーんうーんと悩んでいると、生嶋さんが恥ずかしそうに、言いづらそうに呟いた。
「……あの、世尾くん……」
見ると、さっきよりも紅い顔になっていて。
それが真っ赤な林檎のようで、不意に胸が高鳴った。
ぼくはその感情を押し殺しながら、冷静を装って尋ねる。
「どうしたの?」
すると、何があったのか、本当にこれ以上無いってくらい生嶋さんの顔が火照った。
俯きがちになり、前髪が少し顔を隠す。
え、どうしたんだろう。
「……手…………」
て……て……手?
一文字だと瞬時の理解が遅くなりがちだ。
ていうか、手?
手といえば、さっきから右手に温かくて柔らかいものが――――――。
ふっと自分の右手を見ると、ぎゅっと握られた誰かと繋がれた手。
その手の主は、もちろん生嶋さんだ。
「わわっ!」
ぼくは慌ててしっかりと握られていた手を解くと、彼女に謝った。
もしかしたら迷惑していたかもしれないし、嫌だったかも、しれない。
こればかりは冷静なんて言ってられない。
恥ずかしすぎて普通には謝れず、腕で顔を隠して言った。
「ごっ……ごめん、生嶋さん」
「ううん、大丈夫……」
大丈夫とか言う割には、最後の方が小さい声になってしぼんでいた。
恥ずかしそうに、赤くなった顔をタータンチェックのマフラーに埋める。
ちょっとしたことで真っ赤な林檎みたいになって、可愛いな……ってダメダメダメ! 意識しちゃダメだ。
ぼくは一度大きく息を吸い、生嶋さんに提案した。
「ここから少し先に休める所があるから、そこで少し話する?」
よし、冷静に言えた。
言葉を言うごとに緊張してしまいそうになる。
けれど、生嶋さんは首を振った。
「ここで十分だよ。ここでちょっと、話そっか」
ぼくもうん、と頷くと少し微妙な間を空けて、生嶋さんの隣に立った。漏らした息が白く見える。
隣に立つことでさえちょっと恥ずかしくなってくるよ。これは意識している証拠だ……。
というか、ここは男のぼくから話を切り出したほうがいいのかな?
そう思っていたら、生嶋さんに先手を打たれてしまった。
「あの、世尾くんさ……私のこと覚えてる……よね?」
心配そうに、実に不安そうに目を伏せて聞いてくる。
去年はクラスメイトだったのだから忘れているはずがない。
「もちろん、覚えてるよ」
笑って言うと、生嶋さんもだよね、と恥ずかしそうに笑った。
彼女はぼくと同級生の生嶋幾羽、高校二年生。
クラスでは静かなグループで過ごしているけど、恋愛の噂では度々その名前を聞いた。
正直言うと、け、結構可愛いし……ってダメダメだってば!
よく見れば、生嶋さんは薄い化粧をしていた。
そういえば腕細かったな……。
骨なんじゃ、というくらいで、掴むと腕の骨に当たる。
隣で深呼吸するのが聞こえた後、生嶋さんが三度目のあの言葉を言い出した。
「さっきも言ったけど、私と、デート……してほしいんだ……」
何度も何度も言わないで欲しい。
恥ずかしくなってくるし、勘違いが進んでしまう。
「今から? 二人で?」
まさか、とは思うが二人きりじゃないだろう。
ぼくにこんな出来事があるはずがない。
きっと友達のWデートの人数合わせとか、何かの買い出しに一緒に行って欲しいとかいう類のものだと思う。
自分に言い聞かせながらも、心のどこかでは少し期待を寄せてしまっていた。
生嶋さんは恥ずかしそうに、なんとこくりと頷いた。
「今から、二人で。……どこか行きたいところってある?」
えええええっ!?
女子と二人でデートだなんて、生まれてこのかたしたことがない。
こんな時どうすればいいんだろう!?
混乱とドキドキでいっぱいのぼくは、生嶋さんの問いかけに気が付かなった。
ずっと答えずに筋肉を固くしているぼくの顔を、生嶋さんは不思議そうに首を傾げて覗き込む。
「どうしたの? 世尾くん」
彼女の声にはっとしたぼくは、紡ぐ言葉を考えながらしどろもどろに言った。
「え、えっと……うーん……」
ここは男のぼくが言ったほうがいいのだろうか。男は女性をリードしなくちゃいけないんだよね。
でも、デートにおすすめの場所なんて分からない。
こんな頼りないはずのぼくを見、生嶋さんは柔らかく微笑んだ。
「特にないなら私から言ってもいい?」
「うん」と若干気を落とし微笑みながら頷いた。
生嶋さん、考えてきてたんだ。
だったら、生嶋さんの考えてくれた所に行ったほうがいいのかな。彼女のための、で、デートだし……。
生嶋さんは顔の角度を上げ、懐かしむような目で宙を見つめてその場所を呟く。
「――――――……アニモンランドは、どうかな?」
* * *
ガタンゴトン、と大勢の人々が電車に揺られる中、ぼくたちはつり革に手を掛けながらアニモンランドへと向かっていた。
アニモンランドとは世界にも進出している、国民的な人気を持つアニマルモンスターの遊園地だ。
元はRPGのゲームでぼくも小学生の時によくやっていた。
それが、ぼくたちの通っている高校の駅から二〇分程度で行けるのだ。
というか、生嶋さんがアニモンに興味があったなんて意外だな……。まぁ可愛いキャラクターも多いし、女性にも人気らしいけど。
駅に止まり、聞き慣れたアナウンスが耳を通り抜けてく。
ドアが開いて人が外に出、中に入ってくる様子はいつもと変わらない。
なのに、なんだかいつもと違う感じがした。
前に座っていたサラリーマンの男の人が降りたため、席がぽっかり空く。
割と混んでいるこの車両だけど、周りを見てみるとこの一席と斜め後ろの二人分の席が開いていた。
「生嶋さん座りなよ。疲れてない?」
ぼくが席をすすめた時、大きなお腹のラインがくっきりと見えるワンピースの女の人がこちらに大変そうに歩いてきた。
生嶋さんは女の人のふくらんだ腹部を見てからふわりと微笑む。
「お席どうぞ」
そして開いた席に手を向けながら、小さく会釈した。
ぼくは吊革に手を掛け、ぼーっと親切心の塊のような生嶋さんを見つめる。
席を譲ってもらった女の人はありがとうございますと嬉しそうに頭を下げ、自分のお腹を優しく撫でていた。
女の人が席につくと、生嶋さんは少し疲れを見せて吊革を握った。
手すりに掴まればいいのに、と思ったが、見るともう既に人がいて掴まることはできない。
あぁ、生嶋さんは優しいんだなぁ。
自分を犠牲にして、他人の事を考えてあげられるほどに。
感心して彼女の綺麗な整っている顔を見ると、酔っているのか顔色が悪かった。
一瞬、「大丈夫?」という言葉が口から出かけたけれど、慌ててしまい込んだ。
生嶋さんにそんなことを言ったって、いつだってきっと、帰ってくる言葉は「大丈夫」。
だからぼくは、銀色の手すりを掴んだ彼女の横に並んだ。
さっき道端で横に立った時よりもずっと近い距離に、生嶋さんが目を見開いて朱くなった顔をこちらに向ける。
分り易すぎる反応を示す青めの黒髪の少女へ、ぼくはふっと微笑んで言った。
「生嶋さん、ぼくに寄り掛かっていいよ」
後から思うとなんて恥ずかしい台詞だったんだと、羞恥に頭を抱えて転げまわりたくなる。
だけど、そんな頼りなさ気な細い身体が電車の揺れにされるがままにふらふらしているのを見るほうが、つらい。
なんで体調が悪いのに今日、デートに誘ったんだろう。
今からでも家に送っていくべきかな。それとも、単なる電車酔い?
最初こそは赤くなってあたふた目を回しながら「えっ!? そ、そんな悪いし…………恥ずかしいし……っ」。
最後にぼそっと言っていたのは聞こえなかったけど、やっぱり遠慮をしているようだった。
でも、ぼくの「ぼくのことも頼ってよ」の一言で恥ずかしそうに頷いた。
それから、でもやっぱり少し遠慮がちにぼくの肩に頭を預けてきた。それが、ちょっぴり嬉しかった。
……ぼくたちってひょっとして、はたから見たらカップルに見えるのかな……。
し、しかもいっぱいの座席の前で、『彼女が彼氏に頭を寄せてる』というカップルのような真似をしてしまっては勘違いは絶対にされるはず。
……というか、生嶋さんって、自分で言うのも何だけど……ぼくのこと好きなのかな? い、いや、本当にナルシストではないけど。
顔を赤くしてデートして下さいなんて言われちゃったら、誰だってそう思っちゃうよね!?
うわぁぁぁ、なんで生嶋さんはぼくなんかをデートの相手に誘ったんだ!?
顔も整っていて可愛い女子とデートしたい男子はいくらでもいるはず。そんな、大勢の中からなんでぼくが……。
そう思ってちらっ、と生嶋さんを見ると、ぼくに寄り掛かったまま目を伏せて、ぼーっと大きな窓の外を眺めていた。
その表情が、……なんだか色っぽくて。
……ダメだ、ぼくはなんて単純なんだよ。
「なに勘違いしちゃってんのww」「キモいんですけどー」とか言われたくない……。女子って怖い時は本当に怖いからなぁ。
もう一度、生嶋さんの色っぽい、けど可愛いような綺麗な顔を盗み見る。
そんなことを言うようには見えないけどな……。
うぅぅ、一体ぼくはどう動けばいいんだ――――――――!?
* * *
ぼくたちはあの後いくつか電車を乗りつぎ、電車を降りると真っ直ぐアニモンランドへと向かった。
これが休日のデートだったらもっとゆっくりできたかもしれないけど、今日は平日。残されている時間も多くない。
アニモンランドまでの道は生嶋さんが分かると言うので、ぼくはただ彼女についていくことしか出来なかった。
その生嶋さんも、歩いているうちに顔色もだんだん回復してきたから単なる乗り物酔いだったのだろう。
イルミネーションが綺麗だね、とか。アニモンランドは何年ぶりだよ、とか。
そんな他愛のない話もすることができ、初デートにしては良い出だしなんじゃないかと思った。
「世尾くんっ、最初どこ行こっか!」
どうする、と生嶋さんはわくわくしたように笑った顔をぼくに見せた。
いきなりの不意打ちの笑顔に一瞬、ドキッとする。
「う、う〜ん、どこ行こっか」
ぼくは慌てて考え中と言葉を紡ぎ、目の前に広がる何年ぶりかのアニモンランドを見つめた。
やっぱり観覧車はどこにいても目立つもので、暗くなってきた紺色の空にクリスマスのイルミネーションが光っている。
他にも空中に大きな線路を描くジェットコースターやぶんぶん飛ぶ小さな飛行機たち、ゆっくりと走るゴーカート……。
平日の、しかも冬の夕方というものはすぐ暗くなってしまうので、そこまで人は多くなく、丁度良いくらいの混み具合だ。土日祝日に比べればスッカスカ。
だからきっと、いつもはすごく待つアトラクションでもすぐに乗れそうだ。平日の遊園地っていいなぁ。
入場した時にもらったパンフレットを広げて、二人で園内のマップを見る。
「わぁ、つい最近完成したアトラクションだ!」
「あ、ほんとだ。楽しそうだね」
「あのさ、あと、いつでもいいからお土産屋さんにも行きたいかな」
「うん、いいよ」
……………………ううううううう。緊張してたまらないよ﹏﹏。
心臓がどくんどくんと脈打ってる。
二人で何かを見るとかいつぶりなんだろう。小学校の時に忘れ物しちゃって見せてもらったっきり?
ぼくは一度小さく息を吸い、
「生嶋さんって絶叫系平気?」
遊園地では、絶叫系が乗れるか乗れないかでアトラクションの幅が変わるから、これ大事だよね。
もし無理だったらお化け屋敷とか、コーヒーカップもいいかな。わ、全部カップルにピッタリのアトラクション。
二人でお化け屋敷に入ったり、コーヒーカップに乗っている姿を思い浮かべてしまい、独りでに朱くなってしまった。
生嶋さんは少し考える素振りを見せた後、
「……大丈夫だよ!」
にっこり笑った。
その考えてたみたいな間は、何だったんだ? もしかして、本当は無理なんじゃ……。
「あ、いや、無理なら無理で全然構わないよ?」
そんな、乗れないアトラクションに乗っても楽しくないし、逆に最悪だし。
せっかくなんだから後に楽しかった、と言ってもらえるようなデートにしたい。
それでも、くすくすとちょっぴり上品に笑う。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ〜。昔、ここのジェットコースター三回連続で乗ったことあるし」
「えっ!? すごいな……。さすがに気持ち悪くなりそう」
「ふふふっ。すごいでしょ」
なら、さっきの間はなんの意味もないものだったんだろう。
丁度ここ、入園口のゲートから近い位置にあるので、しょっぱなからジェットコースターっていうのも悪くない。
「じゃあ、ジェットコースター行く?」
そうぼくが提案すると、彼女は微笑みながらうん、と頷いた。
投稿するのがものすごく遅くなってしまいました……(汗)
なんて久しぶりな“なろう"。
今回は私水原琴葉初投稿の切ない系のラブストーリーでございます。
そして、題名の通り上と下に分かれています。
なんか遅すぎて見放されそうだったから……_:(´ `」∠):_
既に何人かに見放されてますけどね(笑)
では、長くなってしまいましたがいつになるかわからない下巻も待っていて頂けたらとっても嬉しいです(≧∇≦)
ここまで読んで下さり、本当にありがとうございました!