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穏やかな日曜日

作者: 野良にゃお

穏やかな日曜日


 友和が玄関のドアを開けると、浴室に繋がるドアがバタンと開き、中から亜美がバスタオルを身体に巻きながら出てきた。


「おかえりなさい。遅かったですね」

 そして、廊下をパタパタと駆けてくるとピタリ、友和の進路を遮るように数歩前で立ち止り、そう投げかけながら強く見据えた。あがったばかりらしく、身体はまだビッショリと濡れている。


「お、起き……いや、その、ただいま」

 亜美の声と表情に普段の柔らかさが感じられなかった友和は、その途端に心地良い気分の源であったアルコールが身体からサーッと消えていくような感覚を味わった。それと同時に、こんな時間にシャワー? と訝しく感じた。


「あのね、トモさん」

 亜美が再び口を開く。


「はい……」

 どうやら、亜美はかなり立腹しているらしい。ならば、その理由は……と、条件反射の如く脳内で素早く判断した友和は、全身に寒気を感じながら直立した。


「遅かったですね、凄く。何処に行ってたですか?」


「え、あ、その……ゴメン。えっと、呑んでました。連絡しな」


「誰とですか?」


「えっ……」

 連絡せずにこんな夜遅くまで帰宅しなかった事を咎めるつもりだと予測していた友和は、正直に答えて謝った方が爆発を最小限に抑えられると判断したが、その一方で亜美は友和の言葉を遮るようにして更なる尋問を続けた。


「っと……職場の人とだけど」

 なんだか予測とは違う方角を向いているようだと直感した友和は、亜美がその到達点に何を見ているのかを考えながら答えた。


「じゃあ、女の人とですね」

 亜美が発したその声はたしかな怒気を帯びていたのだが、その表情は幾ばくかの悲しみを纏っているようであった。


「えっ……」

 そんな亜美に宿っている心持ちの正体が依然として掴めていなかった友和は、その複雑な眼前に逡巡してしまった。


「「………」」

 まるで、そう。亜美が友和の弁明を敢えて待っているかのように、二人の間に暫し沈黙が続く。


「だってトモさん、職場は女性ばっかなんだって言ってたでしょ?」

 次の言葉が出てこない様子の友和を見るに至って疑惑が更に増した亜美は、涙目になりながらそう口を開いた。


「うん。そう、だけど」

「何歳の人でしたか?」


 友和が答えるや、否や。

 亜美が次の詰問をした。


「なん、たしか二十三歳だったかな」

「その女と二人きりだったですか?」


 一つ、踏み出していく事で。

 亜美が友和との距離を潰す。


「え、なんで」


「だってトモさん、職場の人達じゃなくて、職場の人って言ったもん」


 また一つ、歩を進める。

   

「あ、いや、でも、それは、さ」

「二人きりで何してたですか?」


 更に、もう一歩。


「いや、だから、その、そ、相談に」

「相談ですかぁ……それは何処で?」


 そして遂に、触れ合う距離に。


「どっ、だ、だから、居酒屋さんで」

 呑んでましたってさっき言ったのにと思いながらも、友和は亜美の勢いに気圧されるまま答えた。


「じゃあその後は何処に?」

 目の前すぐの友和の胸にしがみつくように両の手の指を絡めると、亜美は友和を真っ直ぐに見上げながらそう促した。


「そ……それだけ」

「ダウトです!!」


「いや、その………」

 亜美の怒髪天ぶりに激しく気圧された友和は、生きた心地が失せていった。


「お部屋に行ったですよね?」


「え……」

 友和が固まる。


「あの女と、何してたですか?」

 亜美が踏み込む。


「いや、なな何も」

 友和が焦燥を深める。


「何してたですか?」

 亜美が問い詰める。


「相談事の、続きを……」

 友和がシラを切る。


「それだけですか?」

「うん……それだけ」


「そう、ですか……じゃあ、その後は何処に?」

 亜美は話しを進めた。


「えっ……何処ってそれは、真っ直ぐ此処に」

 追求されると思っていた話題が流されたので、友和は逡巡した。


「それにしては遅かったですね」


「それは、あっ、酔っちゃってるから、モタモタしちゃって」

 しかし友和は、それはそれで好都合だと安堵もしていた。


「じゃあ、その後は誰とも会ってないしお話しもしてないですか?」

 亜美が確認する。


「うん。真っ直ぐ帰ってきたよ」

 浮気がバレないようにチェックしていたなんて、言えるワケがない。


「………」


「ホントだって」


「………」


「あ、酔い覚ましにシャワー浴びようかなぁー」

 その後、抱いてごまかそう……と、思いながら友和は、亜美をかわすように浴室へと向かった。


「………」

 その後ろ姿を、亜美は無言で睨んでいた。


 ばたん。


「ふぅーう……」

 浴室に入ると、友和は深く長い息を吐いた。とりあえず生還といった気分だった。


「……?!」


 が、しかし。


「……!!」


 ばたんっ!


「アミ!」

 勢いよく飛び出した友和は、亜美を探した。


「………」

 亜美はバスタオル姿のままキッチンに居た。


 包丁を握りしめながら。


「アミ、やっぱり!」

 キッチンに亜美を見つけた友和は、亜美に駆け寄って手首を掴む。


「トモさん……」

 亜美の顔と声に焦燥が表れる。


「バスルームが血で汚れてたから」


「………」


「また自傷したのか? その包丁……死ぬつもりか?」


「だってトモさん、アタシを捨てるつもりなんでしょ?」


「そんなワケないだろ?!」


「……ホント?」


「どうしてこんな事を……」


「トモさん……アタシの事、愛してるですか?」


「愛してるよ!」


「捨てないですか?」


「当たり前だろ……」


「トモさぁん……愛してます」


「「………」」

 亜美がゆっくり目を閉じてせがむと、友和は唇に唇を重ね合わせた……。



 そして。



 二人が身体を離したのは、それから数時間を要した後の事だった。


「トモさん、すっかり朝になっちゃったですね……えへへ」


「ん? あ、うん。そうだね」


「昨夜のトモさんはケダモノさんでしたよ……アタシ、いっぱい食べられちゃってジンジンしてるです」


「………」


「凄く嬉しかったです……ホントに」


「………」



 ………。



 今朝未明、二十三歳の女性が東京都足立区の自宅アパートで刺殺死体となって発見されました。被害者の名前は大下真子さん。警察では他殺事件と見て捜査をしているとの事です。


「……?!」

 それは丁度、そう。お昼になるあたりの事だった。キッチンで昼食の支度をしている亜美を背にリビングでテレビを観ていた友和の目と耳に、呆然となるのも仕方ない情報が届く。


 では、また。


「………」

 テレビのニュース番組からである。


「………」

 で、ふと思い浮かぶ。


 キッチンで包丁を握っていた

 バスルームに血

 あんな時間にシャワー

 遅かったですね

 その後は何処に

 あの女と

 それにしては遅かったですね


「……ん?」

 そう言えば、真新しい傷なんてなかったよな……って、言うか包丁を持っていたのはキッチンで、その前は手にしていなかったような……。


「……!」


 あの女?


 その、ではなく。

 あの、女。


「……!!」

 繋がった。自傷や自殺なんかではなくて、あれはたぶん返り血だ。亜美が彼女の部屋に侵入したんだ。遅かったですねというのは、アタシより帰ってくるのがという意味だ。だからその後の事を訊いてきたんだ。


 その後は知らないからだ。

 殺してる最中だったから。


「……!!」

 友和は慌てて振り返ろうとした。


 すると、


「……?!」

 すぐ後ろに亜美は居た。目の前には丁度といった感じで包丁が見える。その包丁は、亜美の小さな手にしっかりと握られていた。


「………」

 ゆっくり顔を上げる。


「……!!」

 それで、亜美と目が合う。


「トモさん、どうしたですか?」

 乾いた声で亜美が訊ねる。


「アミ、が……ヤッたのか?」

 震える声で友和が訊く。


「何をですか?」

 亜美は全く動じない。


「オレも殺す気なのか?」

 友和は戦慄する。


「トモさんはアタシを愛してくれてるでしょ? 昨夜、それを再確認できましたし、幸せ感じちゃいました。だからそんな事しないですよ。トモさんが言ってた事、信じる事にしましたから」


「………」


「でも、ね」


「……?!」


「気づくのがもうちょっとでも遅かったとしたら……そうだったとしたらどっちだったと思います?」


「……!!」


「絶望して自殺していたか」

「………」


「殺そうとしていたか」

「………」


「どっちでしょう?」

「………」


「「………」」

 テレビから軽快なリズムが聴こえてきた。どうやらバラエティー番組が始まったらしい。しかし、友和には届かない。亜美の声しか届いていない。亜美の顔しか見えていない。外は雲一つない青空。爽やかな風がベランダから入ってくる。


 穏やかな日曜日の事であった。


 ………。


 ………。


 世間では。

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