クリスマス前日
夜、冬のしんしんとした寒さがピークを迎える深夜帯。
せり上がった大地に二人の男の姿があった。コンクリの壁で設置された城塞型の野営地がある丘の上だ。軍服をまとった指揮官風の初老の男と同じ軍服の青年だった。二人は眼下の町を見下ろしていた。
町には色が広がっていた。炎の赤と硝煙の黒。戦場の色だ。
色は町が出す焦げた戦場の匂いを従えながら、町から程遠いこの野営地にまで届いていた。
ここは戦場。指揮官である初老の男は双眼鏡を片手に眼下の町に視線を向けた。一つ、指揮官である彼がため息を吐く。
一歩分後ろで青年はそれを聞いていた。自分の上役がため息を吐いた。それがどういうことか、判断するのは自分の仕事だ。あの大佐がため息を吐く、それは何かしら状況に不備が生まれていて落胆することが起きたということ。自分の役職は指揮官である大佐の補佐役だ。大佐が現場に対して状況判断を下すために必要な情報の統制や案内などが常の仕事だ。そして、軍曹である自分と大佐には年月が積み重ねてきた主従関係が存在し、それは今も稼動中であり、相手の考えていることがわかっているとも思っている。だから、ため息の理由は簡単に知れた。
だいたい今この状況で考えていることなどいっしょだろう、と確信もあったりする。軍曹は言った。
「状況、芳しくないですね。流れが滞ってる」
双眼鏡を下げ、また一つため息を吐いて、大佐は言った。
「……そうだな。やはり、神楽野に回した数が響いているか。厳しいかな、これは。はぁ」
「よろしくないですよ。ため息は、みんなのためにも自分のためにも」
「仕方がなかろう、予想していた以上に那須国の出現率が高かったがために、諸々の仕事は増え弾と人が動いているのだ。目立った成果もなくな……しかし、出現率で言えば神楽野より低いのだがな、ここは。出現予報が外れて現場はてんやわんやだ」
「放送部に抗議のメールでも出しときます?嫌がらせ付録付きで」
少年のような口調で軍曹は言った。
「……いやいい。そこまでのことではないだろ、時には外れもする」
軍曹は驚いた。
「……どうしたんです?大佐らしくない」
「時には、穏便に、目の前で起こっていることだけに対応して、静かに終わらせることも大切だということだ」
それに、明日はクリスマスだ。大佐はそう言った。
また軍曹は驚いた。
失敗にはガキが泣くほどのしっぺを与え、戦場の大将として時には冷徹に指示を出し、必要ならば自分の身も危険な戦場に投げ出す。そんな大佐が状況が間違えば隊の者達を危険にさらすかもしれない誤報を別にいいと切り捨てた。なにかあるな、と軍曹は思った。思い当たったのは明日のことだった。
「何か、ご予定でも?」
ああ、まあな。そう小さく言って大佐は町に視線を向けた。
「……勝てると思うか?軍曹」
「……ええ、みんな奮戦してくれてますから、負けはしないでしょうけど」
「早めに終わればいいがな」
「……」
「明日。クリスマスだよな?」
「……ええ」
「軍曹は予定あるか?」
また、軍曹は本当に驚いたが部下として冷静に答えた。
「ええ、まあ」
といっても、無意識に明日のことを思って口から笑いがこぼれてしまった。それを見逃さない大佐ではなかった。
「彼女か?」
頷く軍曹。
「若いな、で、だれなんだ?」
「別隊のこなんですけど。かわいいんすよこれが」
なんとなく軍曹は答えてしまった。気付いたころには大佐の顔が目の前にあった。
「暇つぶしだ軍曹。聞かせろ」
「……なら、大佐も教えてくださいよ。明日なんかあるんでしょ?」
「お前が言ったらな」
「いや、先に大佐から」
「軍曹も言うようになったな」
「大佐の元で働いてますからね。二年も」
得意気に軍曹は言った。大佐から学んだこと、戦闘面が主だが他にも世渡りの術や出世のために必要なことなど様々だった。
大佐は一つ溜め息を吐いて軍曹に向き直った。軍曹を見て、そして戦場の町を見て、
「明日、娘に呼ばれててな。一緒にクリスマスを過ごしたいんだとさ」
「ははっ、それはまた、娘ってあのミミズクの雪姫ですか?」
「いや、もう一人の方だよ」
「へぇーそれって」
軍曹は思案した。大佐には有名な三人の娘と奥さんがいる。四人とも美人であることで有名であるが、それ以外で四人とも軍人として有名だった。奥さんは東方司令部の指揮官として、三人の娘は大佐の担当地域で活躍する特派のサムライだった。
そして、軍曹は四人ともを知っていて、大佐の部下としてだけでなく個人として熱烈にはまっていた。軍部の広報部では彼女たちのグッズが売られている。先月は大枚をはたいてしまった。
おかげで今月は余計な残業を増やして、今日もまた残業に手当てを求めて仕事に身を費やしている。すべては明日のためだ。
「まさか、京極姫ですか?」
軍曹は次の選択肢を言った。
「残念」
「ははっ、じゃあもしかして京姫ですか?」
「……ああ、めずらしいだろ?あの京姫が、だ」
軍曹は驚いた。周りの状況など忘れてしまって、大佐の言った事実にのみ意識を向けた。
京姫。大佐の三姉妹の中では特にその華麗で苛烈な戦いのやり方で有名だった。
「またどうして?」
「さあな思春期の娘の考えてることなど中年の親父に分かるものか」
ただ、
「あいつの中でなにかが変わったのかもしれん」
「いいことじゃないですか。娘の成長に立ち会えるって、世の親父はそんなこともままならないんですから」
「そうか。真剣に明日の事を考えねばな」
「本当ですよなんのために男は頑張るんだか」
「そういうお前はどうなんだ?軍曹。頑張らねばならんだろ」
「そうっすね。本当どれだけ頑張るんだか」
実際、軍曹の頭を占めているのは明日の事ばかりであった。
「彼女にカッコ悪い姿は見せられんだろ」
中年らしい笑いで大佐は言った。
「彼女こわいですから、下手なまねは出来ないです」
「若いな軍曹。どれぐらいこわいんだ?彼女」
「えっとですね。単純なことなんですけど、あいつ、約束にうるさくてものの数分遅れただけで、殺されかけました。プロレス技で」
「アグレッシブだな。おまえの彼女」
「だから、失敗出来ないんですよ」
「……楽しいか軍曹?」
「楽しいというより悩んでます」
「若い証拠だ。おおいに悩め。今おまえにできるのはそれだけだ。彼女のために死ぬほど悩め」
「大佐。なんか助言ください」
そうだな、と大佐は腕を組んで考えた。
「彼女の事だけを考えろ。どうすれば楽しんでくれるか、喜んでくれるか。好きなんだろ彼女」
頷く軍曹。
「なら悩め。いまは、今日はそれで良い。ちゃんと下準備をして明日に備えろ。なにもしなければあっけないものだぞ。彼女をがっかりさせないためにも、軍曹らしい事を考えろ」
「そのためには戦場をどうにかしないといけません」
「ああ、そうだな。よし、詰め所に戻るぞ」
そう言って大佐は詰所へと向かった。軍曹はその後を追う。追いながら考えることはもちろん、本日の戦場の事などではなく明日の事だ。
大佐に言われた。彼女のために大いに悩め。
幸い夜は深いが幸いにも明日のプランなど決まっていない。明日までには時間がある。それまでに考えろ、と。彼女はどう思うだろうか。
考えなければ多分しぬ。
「…………がんばろ」
軍曹も大佐の後を追った。
「明日のプレゼントはなにが良いか」