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名前のない怪物  作者: 黒木京也
エピローグ 名前のない怪物
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急.本当の怪物

 それは、願いとも、執念とも取れた。

 唐沢汐里にとって、残された最後の望みだったのだ。だが、当の本人は、弁えてはいなかった。願いとは、人が神仏に対して乞うものであり、怪物である彼女のそれは、何処か歪なものであるということを。執念とは、意図も容易く現実に突き崩される、脆いものだということを。

「……どうして」

 消え入るようなか細い声で、汐里は唇を震わせた。真紅の瞳が見つめるのは、己の――否、文字通り繋ぎ止めた、想い人の右手。


 彼の肉を、臓物を喰らった。

 込み上げる背徳感に打たれながら、それでもあの女と同じになれたと、歓喜にうち震えながら。喉にはりつく血液は、生きるための糧にしていた獲物達とは比べ物にならないくらい美味しくて。肉ですら、一度は人を喰らう怪物の本能故か、そこまで不快に感じなかった。


 彼の腕を切り落とした。

 そばにいたかったが、全部は無理。そもそも、目的を考えれば要らないものではあったが、それでも汐里は、彼の一部が欲しかったから。だから、〝縫い付けた〟自身の再生力を殺して、他者の――愛しい彼の腕を。


 彼と同じ髪と瞳。

 彼が出てきたとしたら、やっぱりお揃いにしてみたくて。


 彼の娘と、彼の義息子。

 憎らしい怪物の種ではあるが、彼の大切なものは、あの二人だから。何より彼は、あの二人の行く末を案じていたから。だから、最低限は守ろう。場合によっては、彼を引き出せる鍵となるかもしれない。


 そうして汐里は、準備を整えた。

 全ては、もう一度彼に会うために。

 忌々しい桐原と同じ方法なのが癪ではあるが、出来るなら、自身の宿り木となって、命が続く限りは傍にいて貰いたくて。

 だが。彼の大切なものの傍にいても、何度か殺気をたぎらせてみても、彼は一向に出てくる気配はなかった。

 それはおかしい。彼は確かに自分に宿っている筈だ。

 そんな彼女の焦りとは裏腹に、日々は過ぎていく。

 汐里には、時間がない。力は抑えていても、いつ枯渇するかは分からない。

 だから、汐里は更なる賭けに出た。彼の大切なものに揺さぶりをかけるという方法で。

 予想通り、姿を眩ました自分を、レイは追ってきた。あとは、ルイを促すだけだった。

 このままいけば、お前の大事な人の心が。下手をすれば身体までもが傷付くぞ……と。

 嫌われるのを覚悟して、せめてあと一度、あの声だけでも……。


「……どうして、出て来てくれないのですか……ルイ」


 掠れた声は、泣き声に変わっていく。

 望みは、叶わなかった。

 そもそも、ルイが死んだ時点で、汐里の心は壊れていたのだ。

 だからこそ、こんな無茶な計画を立て、そして……。


「どうして、私じゃダメなのですか……?」


 後はただ、慟哭に沈むのみだった。


 ※


 啜り泣く汐里の声を聞きながら、小野大輔は胸に引っ掛かるものを覚えていた。

 ざわつく感覚。所謂嫌な予感と言うべきものを、大輔は感じていた。

 汐里は言っていた。山城京子の墓を荒らしたのは、自分ではない、と。ならば、犯人は誰か?

 不可能なものを除外していく。裏付けは取れてはいないが、汐里の言うことは真実だろう。刑事の勘というべきものが、そう告げている。

 レイも恐らく白だ。荒らすくらいなら、最初から墓など作らない。あの少女の怪物も、恐らくは白。そもそも興味など示さないだろう。ならば残るは?

 あの実験施設を知っていて、かつ、山城京子を埋葬した場所も知る者……。

 気がつけば、蜘蛛糸の拘束は解かれていた。レイが切り裂いてくれたらしい。

 お礼もそこそこに、大輔は〝容疑者〟の方を見る。彼は、笑っていた。

「やっと釣れましたねぇ。俺が山城京子の墓を荒らしたとなれば、遅かれ早かれ現れると思ってたが……まさか全部出てくるとは」

 拘束されていた彼――、松井英明は、いつの間にか脱出し、気だるげに首の骨を鳴らしていた。

「松井さん……あんたが、墓を暴いたのか?」

 自身の声が震えている事を自覚しながら、大輔は問いかける。すると、英明は満足気に頷いた。

「小野さん、俺はね。分からないものは調べなきゃ気がすまないんだ。地球外生命体? 密かに行われていた実験? あれを終わったこととして闇に葬るなんて、どうかしてます」

 英明の言い分に、大輔は言葉を詰まらせる。

 山城京子は怪物となり、人としての逮捕は不可能になった。そもそも死亡したので、逮捕もなにもないのだが、それは置いておこう。ともかく、関係した人物も、殆ど人外。これを公開した所で何にもならない。何より、レイとあの少女を覗けば、全てが死亡ないし、死が約束されている。

 故に、明るみに出す必要がある……と。

「掘り起こした山城京子の死体は、とある研究機関に提出しました。あの彗星の事もあいまって、面白い事になりそうですよ」

「お前……!」

 犯罪者とはいえ、死者を冒涜する英明の所業に、大輔は怒りをあらわにする。すると、近くにいたレイが、静かに大輔の前にゆっくりと進み出た。

「叔父さん、下がって」

 まるで英明から大輔を守るかのようにして、レイは英明と対峙する。その表情は、大輔からは見えなかった。

「なんです? 山城京子は貴方の天敵の筈だ。恨まれる筋合いはない」

「恨んでる訳じゃないさ。ただ、落ち着かないだけ。たとえば、貴方の懐にある、ソレとか」

 レイのその一言に、英明は苦笑いしながらポケットに手を入れる。取り出されたのは、黒光りする拳銃だった。

「おとなしくしてくれよ。今、〝特別製の拳銃〟で武装した私兵が、この事務所を取り囲んでいます。我々の研究機関に来て頂きたい」

 笑う英明に、レイは無表情のまま肩を竦める。

「えっと……僕の意思は?」

「考慮しない。と、言いたいところだが、特別に。社会的立場は、保証しよう。怪物故に隠れ潜む必要はないと言うわけだ。その変わり、君と彼女のどちらか。あるいは交互に、実験に協力してほしい」

「ち、ちょっと待て……」

「小野さん、黙って」

 口を挟もうとした大輔を、英明は手で制止する。

「君も、あの〝星の声〟は聞こえているだろう? 怪物に関しても、まだまだ謎が多い。ここは、手を結ぼう。新たな謎を解明するために!」

 あくなき好奇心。それが英明を突き動かしている。故に墓を暴くという凶行に及んだのか。人体実験を強要しようというのか。大輔は、変わってしまった長年の友人を、哀しげに見つめていた

「俺はね。アモル・アラーネオーススの存在を知った。未知のものに触れたんだよ! 最初は恐怖しましたよ。でも、魅せられた。どうしようもなく。そうして、俺の好奇心はそれの虜になった。もうね。調べなけりゃ気がすまないって奴です!」

 狂ったように笑いながら、英明は喚く。


「山城京子の死体は実に面白かった! 解剖し、隅々まで調べ尽くしましたが、素晴らしいの一言ですよ! 死して尚、細胞の一部は生きている。勿論生物としては機能しないレベルだが、実に興味深い! 唐沢汐里! 死体を食べた? 大いに結構! もしかしたら、本当に彼女の身体の中に、白い彼は生きてるかも……」


 英明の声はそこで途絶えた。気がつけば、レイが至近距離まで接近し、彼の顔面を鷲掴みにしていた。いつの間にか、拳銃は叩き落とされていた。目にも止まらぬ早業に、大輔は思わず絶句する。

「もう、黙れ。それ以上笑うな。ヘドがでる」

 冷たく低い声で、レイはそう吐き捨てた。

 どれ程の力を込めているのだろうか。英明は、呻き声をあげながらもがいている。

「いい……でしょう。交渉、決裂です!」

 英明の手が素早く動き、ポケットの中で何かを操作する。瞬間、耳をつんざくような異音がほんの数秒鳴り響いた。 

「防犯ブザーを改良したものでしてね。これで私兵が流れ込んできます。君に逃げ場は……」

 そこから約三十秒。いや、もっとだろうか。暫くの間、気の抜けた静寂が訪れた。英明曰く研究機関の私兵は現れず、玄関には何の変化もない。そもそも、窓ガラスが破壊されているというのに、外は怖いくらいに静まり返っていた。

「え……?」

 英明の顔が驚愕で青ざめた瞬間、彼はレイの手で床に叩きつけられていた。

 ぐうの音も出ぬままに、英明の意識は刈り取られた。すると、そのタイミングを示し合わせていたかのように、窓から黒い影が舞い降りる。

「……まぁ、そうだよな」

 大輔は、思わずそんな言葉を漏らしていた。

 怪物とは、人が抗えない故に。人が届かぬ場所に在る故に怪物なのだ。

 それは思想だったり、概念であったり。その存在そのものであったり。拳銃で武装したとはいえ、そうそう勝てる存在ではないのだ。


 そこに現れたのは、少女だった。

 黒いセーラー服に身を包み、ほっそりとした脚は同じく黒いタイツで覆われている。

 腰ほどまでの長く艶やかで美しい黒髪は、前髪が切り揃えられ、まるで日本人形のよう。

 深い闇の底のような漆黒の瞳。

 尽く黒を強調する風貌とは対照的な、病的なまでに白い肌。それはとてもきめ細かで、陶磁器を思わせる冷たい美貌をいっそう際立たせていた。


 美しい少女だった。

 背筋が凍りつくかと思える程、美しい、少女の怪物だった。


「……レイ!」


 大人びた雰囲気を持ちながらも、少女らしい年相応の笑みを浮かべながら、少女の怪物はレイの方へ駆けていく。

 少女の白い手は、血塗られていた。だが、近付かれたレイは、嫌悪な顔を見せることなく、どこかはにかみつつも、首元にかじりつく少女をしっかりと抱き止めた。

 長い間うつむいていた甥っ子が、ようやく見つけた居場所がそこにある。人とは少し違うかもしれないけど、それでも大輔は嬉しかった。それと同時に少しの淋しさが込み上げる。自分は彼に何かをしてあげられただろうか? と。


 ※


「さて……と」

 ほっとくと何度も首筋に啄むようなキスをしてくる怪物をひっぺがし、僕は英明さんを拘束する。

 汐里を追ってくる過程で、京子の墓を暴いた犯人も偶然ながら突き止められた。中々の収穫だ。何やら武装した私兵を用意していたようだが、武器の脅威を知った怪物の前では、赤子も同然だったらしい。残る問題は……。

「……殺してないよね?」

「爪でさしただけ」

 ……それ殺したって言うんじゃないかな? いや、手を見る限りでは血がべっとりという程ではないけど。

 大丈夫だろうか?

「まぁ、いいや。取り敢えずは」

 僕は騒動の主である、お師匠様に歩み寄る。あの手袋の下がそうなっていたことは衝撃だったが、彼女がルイを捕食していたのは、更なる驚愕となって僕を襲っていた。

 ……ただ、不思議なことに、汐里がそれをやったという事実に、少なからず僕はやっぱりか。とも思ってしまった。

 あのとき彼女は壊れてしまった。それに気づくことが出来ていれば、また違っていたのだろうか。

 汐里はうつむいたまま、時折鼻をすんとすすり上げていた。

 たどり着いた手段が、よりにもよって桐原と一緒なのは、何という皮肉だろうか。そう思いながらも、僕は彼女に話し掛ける。

「ルイはね。僕に、後は任せた。と言ったんだ。そんな彼が、今更ここに留まる訳がない。仮に、君の肉体に囚われていたのだとしても……出てくるわけないよ」

 そういう奴だ。

「仮に彼が出て来るとしたら……そうだな。僕が彼女を泣かせてしまった時とか。それくらいなんじゃないかな」

「……殺してください」

 苦笑いしながら見解を述べると、汐里はボソリと、そう呟いた。予想通り過ぎる希望だった。額に皺が寄るのが分かる。

「もう、殺してください。なんの未練もないですし、疲れてしまいました」

「……それは、ダメだよ」

 答えを告げると、汐里は絶望したように僕を見た。

「何故……」

「うん、そりゃあ、僕が君に怒ってるからさ」

 ポカンとする汐里。理解していないなら教えてやろう。

「だって君、自分の欲望の為に僕のお義父さん食べちゃったんでしょ? その上で失敗したら殺せだなんて、ちょっと酷いと思わないかい?」

 死なせないし、殺さない。もう見知った人が死んでいくのは見たくないのだ。たとえそれが、友の死を冒涜した者でもだ。そもそも、仮に。万が一ルイが彼女の肉体に宿っているとしたら、僕が娘の前で父を殺す事になる。そんなの冗談じゃない。

「君の知恵は、まだまだ僕に必要なんだ。僕は君を許さない。だから君には生きてもらう。ルイの魂には、もう傷をつける訳にはいかない。生きて。生きれるだけ生きて。安らかに眠ってもらう。ルイの為に」

「……ルイの、為?」

 僅かながら彼女の目に光が戻る。想いの強さに心が痛む。言うなれば、これは人質をとっているようなものだから。心の中でルイと汐里に謝罪しながら、僕は続ける。

「君が物理的に傷付いたとして。ルイが君の中で眠っていたとして。それは、ルイも傷ついているということだ。そんなの僕は許すわけにはいかない。彼にはこれ以上傷付くことなく、送ってあげたいんだ」

 僕の説得に、汐里の目から止めどなく涙が流れる。ルイを二度殺すか。肉体に宿っていないと賭けて自らを殺すか。迷いはしないだろう。彼女はそういう女性だから。

「……血は繋がっていないのに、ルイに似てきましたね。そうやって私を精神的にズタボロにするところとか。特に」

 涙声の悪態に、僕は苦笑いを返すしかない。

 やがて、少しの沈黙の後で、「ああ、ままなりませんね。本当に」と、汐里は小さく呟いた。

 取り敢えず、これで当面は大丈夫……と、思いたい。また何か企てる可能性がなきにしもあらずだから、気は抜けないけど。

 首に白い手が伸びてきて、ギリギリと閉められる。

 怪物の仕業だ。多分必要なんだの下りが気に食わなかったのだろう。

 降参の意を示すように、ポンポンと彼女の手を叩いて宥めていると、少し離れた所から視線を感じた。

 大輔叔父さんだ。


「……叔父さん、僕は」

「いい。分かってるよもう」

 見透かしたように言う叔父さん。僕は何故か緊張しながらも、意を決したように叔父さんの目を見る。すると、僕が何かをいう前に、叔父さんが先に口を開いた。

「行くんだろう?」

「うん。行く。父さんや母さんは、多分何も言わないだろうけど、もし聞かれたら、僕はもういないって伝えて欲しい」

 少しだけ迷いながら、そう答える。最後の最後まで、僕は叔父さんに迷惑ばかりかけてるような気がした。僕が叔父さんに何かしてあげられることといえば……。


「ありがとう、大輔叔父さん。僕をずっと〝人間〟として見てくれて。僕、それが救いだった。すごく嬉しかったんだ」


 こうやって、精一杯の笑顔で礼を言うくらいしか。思い付かなかった。

 叔父さんは少しだけ驚いたように目を見開いていたが、やがて、ニッと僕の大好きな気のいい笑顔で。

「レイ。名前を忘れるな。怪物だからどうした。誰にも名前が呼ばれないなんて思うな。少なくともここと、お前の隣には、お前の名前を知る奴がいる。だから――」

 力強く頷きながら、叔父さんはグッと親指を立てる。


「お前が周りから見たら名前のない怪物だったとしても。俺はずっと、レイの叔父だからな」


 その言葉は、とても暖かくて、僕の心にじわりと響いた。静かに頷いた僕は、慌てて後ろを向くと、こっそり目元を拭う。……最近涙脆くてダメだな。


「レイ、なんか聞こえる」

 その時だ。僕の感慨に水を差すかのように、遠くからパトカーのサイレンが聞こえて来た。怪物が不思議そうに耳を傾けているのを見て、僕は頬をひきつらせる。

 外には人が沢山倒れている。出血してる人多数。恐らく。いや、絶対に騒ぎになっているに違いない。

「レイ? どうしたの? 顔があおい」

 首をかしげながら僕にまとわりつく怪物。元凶はコイツなんだが、助けられたのも事実な訳で。何とも言えず、僕はため息混じりに周りを見渡す。

 叔父さんも、汐里も、妙に微妙な表情のまま、小さく頷いた。

 みんな考えることは同じらしい。


「取り敢えず……逃げよう」


 再び彗星が煌めく夜空の下を、僕らは飛んでいく。ちなみに英明さんは放置した。うん、多分問題ないだろう。

 そんな訳で、一騒動の後に決行された、僕らの戦術的撤退は何とか成功した。

 そして――。

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