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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
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86.鉄槌

 骨と骨がぶつかり合う嫌な音が響く。

 確かな手応え。脳を揺さぶる一撃は、京子の意識を奪うまでには至らなかったが、彼女を戦闘不能に追い込むには、充分すぎた。

「あっ……」

 短い声を漏らしながら、京子はその場に崩れ落ちる。身体がガクガクと震えていた。どう見てもただ事ではない。

「何……コレ。身体、重っ……」

 弱々しい声で、京子が呻くのと同時に、少し離れた所で、何かが起き上がった。桐原だ。

「お前は、元々俺の身体に宿り、復活を遂げた身だ。宿り木が木から離れて……生きれる筈がないだろうに……」

 どこか哀愁すら感じさせる声で、桐原はポツリと呟く。京子が出てきた傷口は、既にふさがり始め、白い骨の腕が生え始めていた。

「……でも、ちょうどいいんじゃない? あたしが出れば……キリィ、全力で戦えるじゃん。いや、あたしが仕留められたら、大団円だったんだけど、なぁ……」

 息も絶え絶えになりながら、京子は尚も笑う。

 それを見た桐原は、黙祷を捧げるように目を閉じた。

「……改めて、感謝する。京子。ほんの一時だが、お前の執念や一途な情熱。俺は嫌いではなかったぞ」

「……あんたに好かれてもなぁ」

「見も蓋もない女だ」

 軽口を叩きながら、桐原はこちらを睨む。

 目には、未だ燃える殺意が沸いていた。

「レイとか言ったか。本来ならば、俺はお前に執着など抱かない筈だったんだが……これも京子を取り込んでいた影響なのかもしれんな」

 片手を鉤爪に変える桐原。それに呼応するように僕も鉤爪を構える。

「やるんだね」

「ああ。こればかりはどうしようもない。お前を殺せ。喰らえと……耳元で四六時中何かが騒ぐんだ。自分で分析するのもおかしな話だが、どうも俺は異種交雑種(ハイブリット)というよりは、突然変異種(ミュータント)に近いらしい」

 苦笑いしながら、桐原はジリジリと距離を詰める。ピリピリとした空気の中、僕の背筋に、予感めいたものが走った。

 ――来る!

 そう直感した瞬間、僕の身体は動いていた。迫り来る桐原の鉤爪をかわし、後ろへ回り込んだ。

 反撃の蜘蛛糸を発射する。動きを制限出来ればこっちのものだ。が、敵もさるもの。桐原は驚くべき事に、それを異様な跳躍力で飛び越えて、空中に張ってある蜘蛛の巣に張り付いた。

「どうした? 来ないのか?」

 挑発するように笑う桐原を、僕は思わず舌打ちしたくなるのをこらえて、睨み付ける。

「君こそ、降りて来ないの?」

「ああ、降りん。お前が能力を使えるのは、明星の〝操りの力〟だろう? それも、力の無駄な放出を避ける為に、攻撃する時のみ、明星がお前を操る」

 僕の挑発に動じる事なく、桐原は僕らの武器を推測していく。悔しいけど、当たりだ。

 桐原と京子が、最後まで二人で一つだったのならば、押しきる事は出来たかもしれない。だが、京子は意図せず桐原から離れ、単身僕に攻撃してきた。結果的にそれは、桐原に分析と、頭を冷やす時間を与えてしまったのだ。

 僕らの戦い方を検分し、対策を立てる時間を。

 僅か数分の時でも、汐里をして天才と言わしめる桐原には、充分すぎた。

「ならば、空中からの襲撃ならばどうだ? お前は避けるのも、俺を追うにも、明星の力を借りねばならない。即ち――」

 桐原の両手から、蜘蛛糸が発射される。僕を絡めとり、かつ動きを制限する、銀色の包囲網。それを僕は、すんでの所で安全圏まで逃れる。

 それを見た桐原は、ますます確信めいた笑みを浮かべた。

「持久戦に持ち込めば、お前達になす術はない」

 嫌な手。それでいてよく効く手打ってきた桐原に、僕は思わず下唇を噛み締めた。

 どうする? いったんルイに力を切って貰うか? でも、それをやれば僕は力が使えないただの人間だ。桐原の攻撃をいつまでも避けられるとは……。

『避けろ!』

 そこまで考えた所で、僕は背筋の冷えを明確に感じ取った。虫の知らせという奴だろうか? 咄嗟に飛び退いた先で見たのは、僕がついさっきまで立っていた場所に、蜘蛛糸が殺到している光景だった。

「よく避けた……なっ!」

 ヒヤリとした感覚は、まだ収まる事はなく、僕は半ばその直感に身を委ね、ひたすら走り、跳ぶ。

 左側から。次は右斜め三十メートル。そこで二歩後退。また右へ。今度は斜め後ろ。

 立て続けに回避しつづける僕を、桐原は流石に困惑の表情で見る。ルイの力は……少しだけ感じる。さっきの〝声〟も、ルイのものだった。けど……これは……。

「……どうなってる。その動き、明星のものではないな」

 糸を連続射出する手を止めて、桐原は怪訝な表情のまま、僕へ、そしてルイへと目を向ける。

 一方のルイは、おどけたように肩を竦めるだけだった。


 ※


 戸惑う桐原を見ながら、明星ルイは楽しげに息を吐いた。桐原は今、決めあぐねている。さっきの回避が、ルイによる操りか、レイだけによるものかを。答えは、半々だ。

 レイの中に力を浸透させたルイは、中に眠るアモル・アラーネオーススの力を引き出すにあたって、思わぬ副産物を見つけていた。


 レイが欲求対象者として持つ、能力である。


 最初にレイの動きを担った時、ルイは妙な違和感に陥っていた。あまりにも、桐原や京子の動きがよく見える事に。

 次に驚いたのは、レイが京子を沈めた時だ。鉤爪を掻い潜った、レイの動き。パンチのフォームはともかくとして、あの動きは、京子の動きを捉えていたとしか思えなかった。充分に高速に見えた、京子の動きを。

 そこでルイの中に、ある種の確信めいたものが芽生えた。

 よもやと思い、自分が毒を使う時と同じ要領で、再びレイの感覚に潜って見た結果が、あの連続回避だ。予感を確信に変えるには、充分すぎた。

 基本的な動きはレイに委ね、危ないと感じた時だけ、ルイが介入する。この形で作戦を、進めて正解だった。事実、これで以降の回避行動は格段に楽になる。


「蜘蛛に限らず、生物の殆どが持つ、危機的察知。言うなれば、〝超感覚〟といったところかな?」


 レイの能力を推測しながら、ルイは自分の膝元を見る。

 さっきまであった温もりが消えた事に寂しさを覚えつつも、もう動けるようになったという安堵が勝った。

 徐々に軋みを上げ始めた自身の身体を自覚しながらも、ルイは微笑んでいた。

 もう大丈夫かな?

 そんな気持ちが広がっていくのを感じながらも、ルイはもう一踏ん張りとばかりに力を解放する。


「夫婦最初の共同作業だ。僕が見届けないでどうするのさ」


 未だに神がかり的な回避を見せるレイ。その姿を眼に焼き付けながらも、ルイはもう一人の方を見る。

 決着は目前だった。


 ※


「鬱陶しいぞ! ちょこまかするな!」

 怒号を飛ばし、蜘蛛糸の弾丸を乱射する桐原。

 それを僕は、ひたすら必死で避けていた。

 次から次へと襲い来る恐怖。頭の中で常に危険信号が鳴り続けるのは、正直気持ちのいいものではないが、避けねば僕に未来はない。

 ついさっき、ルイとしたやり取りが思い出される。

 身体所有権の剥奪の応用で、ルイは僕の脳内に直接話しかけてきたのだ。ちなみに出された指示は「感じるままに逃げろ」

 曖昧すぎるよ! と、文句の一つでも言いたくなったが、事実どうにか出来てしまっているのだから仕方がない。

 いつぞや思った、虫の類いは危険予知能力がずば抜けているという理論を、僕自身が体現していた。

 考えてみたら、僕が蜘蛛だった。今更ながら恐ろしい話である。

「いいのか? そんな悠長で。明星が力尽きれば、それで終わりだぞ?」

 焦れたように挑発する桐原に、僕は無視を決め込む。

 それでいい。痺れを切らして、地上に降りてくるならよし。そのまま上にいてくれるならば、それはそれで好都合だ。

 だんだん足場が無くなってきたが、今は避け続ける。それが最善。

 流星のように降り注ぐ礫を、僕は避ける。途中何発かは被弾し、身体のあらゆるところが切り裂かれる。

 血が滲むのを感じたが、致命傷ではない。まだまだ動けるし、スピードも上げられる。

 吹き出す血潮を置き去りに、僕は駆け抜ける。勝ちを確信した桐原の顔。

 そんな顔が出来るのも今のうちだ。というか、多分もう数秒とたたないうちに、その余裕は瓦解するだろう。

 つい先程、桐原の背後に、黒い少女が現れたのだ。

「……は?」

 一瞬の出来事だった。降り下ろすようにして振るわれた怪物の鉤爪は、空中に陣取っていた桐原を、その巣ごと巻き込んで、叩き落とした。

 信じられないといった表情のまま、桐原は落ちてくる。叩きつけられ、土埃が舞うその横で、怪物が音もなく着地した。

 背後から飛んできた、こいつの気配が分かるようになってしまったあたり、僕もいよいよ毒されてきたように思う。

「あ……が……」

 桐原が何とか立ち上がろうとした正面に僕が。後方に怪物が立つ。ちらりと怪物の方を見ると、痛々しかった腕は再生し、どこか潤んだ瞳で僕を見つめてくる。微笑みすら浮かべるその姿は、月明かりの下というのも相まって、蠱惑的な妖しさを醸し出していて……。

 何か恥ずかしいので桐原に視線を戻す。すると、桐原はふらつきながら、今まさに立ち上がろうとしていた。

「再生は……繭を使ったか。二対一とは……中々に絶望的だな」

「二は、間違ってるよ」

 僕が訂正すると、桐原は肩を竦める。

 追い詰められたからなのか、どこか疲れたようにため息をついた。

「……殺せ。お前達の勝ちだ。潔く、男として散ろう」

 襲ってこないと約束するなら、見逃す。そんな選択肢が一瞬浮かぶが、即座に否定する。さっき彼は言っていた。京子の影響で、僕にも執着がわいている、と。逃がして……また襲われたら? 笑えない。

 ルイの力が身体を循環し、僕は再び鉤爪を構える。拳による殴打ではない。爪を使い、心臓を貫く。それで、全てが……。

 瞬間、桐原の目に、残虐な光が灯った。


「なぁんて……なぁ!」


 反応できたのは、殆ど奇跡だった。

 咄嗟に交差させた腕に、桐原が発射した糸が絡み付く。元は目潰しがわりに使おうとしたであろう糸は、僕を僅かな間怯ませるには充分だった。

「お前とは、戦わん。狙うべき標的は、別にある」

 ねっとりと絡み付くような声で、桐原は宣う。両手を塞がれ、隙が出来た僕を見もせずに、邪悪な笑みを浮かべて。

 狙いは……僕じゃない? そんな直感と共に、沸き上がるように嫌な予感が、僕の背中へと立ち上る。

「――っ! 止めて! 足止めを!」

 ぞわぞわとしたそれを振り払うように僕は合図する。それに応えるかのように、怪物が動いた。

 静かな怒りを乗せるように振るわれた、怪物の鉤爪。が、それが切り裂いたのは、何もない空間だった。凶爪を横っ飛びに避け、桐原は風のように僕の横を通り抜ける。

「しまっ――」

 糸を引きちぎりながら、僕は桐原の思惑を察した。嫌な予感は当たってしまう。僕の能力を使う大本。無防備な状態の、ルイを狙うつもりなのだ。

 我ながら、なんて様だ。桐原は元々、怪物の力――その悪用を企てた男だ。こんなに潔い筈がないだろうに。

「くそっ、逃がす……うっ!」

 幾ばくか遅れて、僕もまた、走り出す。が、既に結構な差が出来てしまっている。

 そこへ更に――。

「ひ、ひひっ、レェイくぅんレイくぅん」

 僕の行く手を阻むように、割り込んでくる影。京子だ。

 今やなんの力も残されていない彼女は、身一つで僕にすがり付く。

 虚ろな眼窩で、うわ言のように僕の名を呼びながら、僕を絞め殺さんと、喉元へ手を伸ばす。

「キリィイイッやっちゃってぇ! 奪って! 殺して! レイ君の世界は、ぜぇんぶ壊すんだからぁ!」

「く、京子、離せ! ルイが……」

 強引に引き剥がそうとする僕の手を、京子は握り潰さんばかりに鷲掴みにする。

 焦る僕とは対照的に、京子はますます楽しげな顔でケタケタと笑い……。


「レイに、さわらないで」


 再び、怪物の手で地面に叩きつけられた。冷たく刺すような怪物の視線。それを京子は、涼しげな顔で受け流す。

「充分……時間は稼いだわ。もう、遅い」

 満足気な京子の声。

 それを耳にしながら、僕は尚も走る。間に合わないと分かってはいても、止まる訳にはいかなかった。


「お前さえ潰せば、俺の勝ちだ……!」


 勝利宣言をする桐原は、今まさにルイの元へたどり着いた所だった。

 木を背もたれに、荒い息をつくルイには、桐原から逃れる術はない。

 振り上げられた鉤爪。高笑いする桐原。

 恐ろしい光景だった。

 いままさに、ルイが殺されようとしている……からではない。

 僕が恐れたのは……。


「桐ィ原ァアクゥウン!」


 嬉々とした雄叫びが、ルイのすぐ後ろから響く。

 ショットガンを構えた、大輔叔父さんがそこにいた。

「……は?」

 恐らく、一ミリたりとも予想していなかっであろう人物の登場に、桐原の顔面が凍り付く。

「倍返しだコラァ!」

 おおよそ刑事らしくない獰猛な表情で、叔父さんは引き金を引く。

 たちまち爆音のような銃声が響き、桐原の身体が吹き飛ばされる。至近距離からのそれは、桐原の身体を粉砕し、肉という肉を破壊した。

「あ、ぎ、ぉおおぉおおぉ!?」

 が、おぞましいことに桐原はまだ生きている。上半身がグチャグチャに潰れて尚も、桐原は地面に這いつくばり、朽ち行く肉体を蠢かしていた。

「……本当に効きやしねぇなぁ」

 化け物か。と、今更な事を呟きながら、叔父さんはショットガンから空薬莢を射出。

 油断なく構えたまま、ルイを守るように立ちふさがる。

 僕が怪物を伴い、追い付いた時には、桐原の再生は七割がた終了していた。

「最初から……この男を配置していたのか?」

「うん、君は頭いいからね。僕がレイ君に施した小細工は見破ると思ってたよ。その後に、僕へ標的を絞ることもね。出来れば僕とレイ君だけで仕留めたかったんだけど。このショットガンには対アモル・アラーネオースス用の銃弾が用意されていなかったし、大輔さんは生身の人間だからね」

 肩を竦めるルイ。本当に、味方でよかったと思う。ここまでルイの筋書き通りに事が進んだのは、ある意味で怖い。


「おや、ほぼ決着が着いてしまいましたか?」


 その時、背後から鈴をならしたかのような声がした。徐々に近づいてくるその女は、僕らが見知った顔だった。

「オイ、待て。お前は拘束していた筈だ……!」

 桐原が、幽霊でも見たかのように、震えるた声を絞り出す。

 気だるそうな表情で、唐沢汐里が立っていた。

「……覚悟は決まりましたか? 言い残すことはありますか? もっとも……耳を傾ける気はありませんけどね」

 ただしその目は、まるで氷のよう。ゴミを見るような眼差しは、嗜虐と憎悪で煌々と燃えていた。



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