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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
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85.宿命の対決

 桐原康介は、理解が追い付かなかった。

 止めの一撃を踏み出した自分達の前に立ち塞がったのは、あろうことか、何の力も発揮出来ない青年だったのだ。

 無謀だ。死ぬ気か? そんな嘲りの感情が浮かんだのは、ほんの一瞬だった。

 刹那、青年の――レイの腕が振り抜かれた時、桐原の右肩口に激痛が走る。

「は? ぎぃいぃいい!?」

 気づいた時には、もう遅かった。吹き出す鮮血に、桐原の顔が苦痛で歪む。桐原の右腕は、肩から先が完全に切断されていた。

「ぐ、ああ?」

 反射的に後方へ跳ぶ。二、三回の跳躍で距離を取った桐原は、その場に座り込む。

「ひぐぅ……痛っ……ち、ちょっとキリィ、あれ、どういうことよぉ……」

 ジクジクと痛む肩を押さえていると、身体を共有する相方、山城京子が、涙声で悪態をついた。

 切られたのは桐原の腕だが、痛みの一部は彼女にも届いているらしい。若干の罪悪感を感じつつも、彼女が言う〝あれ〟を確認すべく顔を上げた桐原は、思わず目を見開いた。

「……バカな」

 桐原が見たのは、両手をアモル・アラーネオーススの鉤爪に変化させた、レイの姿だった。

「ありえん。こんな短時間で、どうやって……?」

 桐原の疑問に答える事なく、レイは一歩前に踏み出す。

 まだやるのか? そう目が語っていた。

「キリィ、あたしがやるわ。腕再生させるのに集中して」

 冷たい声で言い放ち、京子は舌で唇を濡らすと、たちまち桐原から肉体の所有権を奪い取った。

 残忍な視線をレイに向けながら、京子は淫靡な光を目に灯し、静かに笑う。

「そんな目しないで。あたしが引き下がる気がないことくらい、レイ君だって分かるでしょう?」

 レイの顔が、少しの哀しみに染まる。が、すぐに元に戻り、負けじと鋭い眼光を京子に叩きつける。

 それを受けた京子は、ゾクゾクするかのように両肩を抱き、恍惚な表情を浮かべた。

「あたし、今凄く凄く興奮してるわ。かつて愛を育んだ男と女がこうして殺し合う……非日常だわぁ!」

 月夜に吠えるように叫ぶと、京子は地を蹴った。鉤爪をぎらつかせながら突進する京子は、突き進む矢の如し。さっきは油断したが、今度の攻撃は違う。一撃必殺を確信した京子の思惑は……。

「……え?」

 レイの思いもよらぬ行動に、たちまち瓦解した。

 猪突猛進する京子に臆する事なく、レイは身構えている。

 人体の急所である顔面と顎の前に、握りこんだ鉤爪を置く。脇を締め、敵の一挙動も見逃さんとばかりに、その眼は真正面を見据えていた。

 ボクシングのファインティングポーズ。おおよそ(レイ)に似つかわしくないその姿に、思わず京子の思考は混乱する。

「――フッ!」

 突撃の中に生まれた、僅かな心の虚を、レイは見逃さなかった。

 次の瞬間、上体を屈めるようにして、レイは一気に間合いを詰めた。槍のように突き出された京子の鉤爪を、潜り込むようにしてかわす。ボクシングの防御テクニックの一つ、ダッキングである。あまりにも大胆な回避行動に、京子の顔が凍りついた。

 同時に、鉛の塊を直接叩き込まれたかのような衝撃が、京子に襲いかかる。

「か……ふ……」

 レイの拳が、京子に打ち込まれていた。相手の突進を利用した、カウンターのボディーブロー。動きを止めた京子から数歩下がり、今度はワンツーパンチからのストレート。まさに神速の連撃が、次は桐原の顔面に叩き込まれる。

「らぁぁああ!」

 レイの猛攻は、止まることを知らず。呻き声をあげる桐原と、未だ悶絶する京子に追い討ちをかけるかのように、再び肉薄する。桐原の後頭部を左手で掴み、右拳で掬い上げるように顎を打ち込んだ。

「ご、ぎゃお!?」

 その場で膝を着き、崩れ落ちる桐原と京子。超接近状態から放たれた、クリンチアッパー。総合格闘技などで使われるこの技は、従来のボクシングで使用されるアッパーカットの威力を、遥かに凌駕する。まさに必殺の一撃は、桐原を昏倒させるには充分すぎた。

 薄れゆく意識の中、桐原はそういうことか。と、歯噛みする。

 何度も受けたからこそ分かる。身のこなしが妙に違う気もするが、あの拳撃は、間違いなく明星ルイのものだ。

 よもやこのような裏技で、レイの能力を無理矢理発現させるとは……。

 〝ぎこちないフットワーク〟を絡めながら数歩。レイは軽やかに後退した。ファインティングポーズを解かないレイの背後に、桐原は視線を向ける。少し離れた場所で、ルイは木を背もたれにしながら、こちらに顔を向けていた。いつのまにか回収したのか、少女の怪物の頭に膝を貸している。苦しげに荒い息をつく、白い怪物。その顔には弱々しくも、してやったりな笑みが浮かんでいた。


 ※


「最後の方法が、僕とルイが一緒に戦うって言ってたけど、具体的にはどうするのさ?」

 遡ること、少し前。

 〝打ち合わせ〟を終えて、僕達は四人はそれぞれの行動へ移った。

 ルイを背負ったまま、森を行く僕はそろそろ説明が欲しくて、おもむろに口を開く。

 正直な話、ルイと一緒に僕が参戦したところで、僕は間違いなく足手まといになるだろう。

 あれから何度か、鉤爪や糸を出すイメージを繰り返してみたが、糸は少しも出やしないし、鉤爪に至っては、一瞬ちらつく程度に出てきたと思えば、すぐに引っ込んでしまう。

 とてもではないが、ルイや汐里、桐原のような、人外の戦いを繰り広げる事など夢のまた夢。思い付く限りでは、肉壁になる位しか役に立てないのではないだろうか?

「勿論、君を肉壁なんかにする気は更々ないよ。そんなことをしたら、ただでさえあの子に警戒されてるのに、ますます溝が深まってしまうよ」

 自分で言った事だけど、堪えるねコレ。と、漏らしながら、ルイはカラカラと笑う。

 一通り笑った後、ルイは再び語り始める。

「さて、現状をおさらいしよう。桐原と山城京子は、人でありながら原種として目覚めた。欲求対象者たる汐里を取り戻し、まさに万全と言えるだろう。唯一の救いは、原種にしては力が強大ではない事だ。アモル・アラーネオーススの遺伝子上、劣性といえる牡の個体だから。というのが、大きく関係してるのかもね」

 出生率が極端に低い牡の怪物。確かに、遺伝子の面でいえば弱いという推測は納得出来なくもない。

「一方、僕らの陣営は、あの子は今、力が不安定。レイ君は生まれたて。僕はこの通り力が残り少ない。普通に立ち向かっても、僕らは勝てない。だから……」

 ルイの指が、そっと僕の首に触れる。


「レイ君。君が桐原と、山城京子を倒すんだ」


 思いもよらぬ提案に、僕は思わずその場で立ち止まる。

「……は、話が読めない」

 さっき僕は生まれたてと言っていたではないか。そんな僕がどう戦えと言うのか。

「勿論、闇雲に戦う訳じゃないよ。ちゃんと手段もある。僕は能力をうまく使えるが、残る力が少ない。一方、君は気づいていないだろうけど、レイ君は今、制御しきれない力が有り余っている状態だ。ただ、その使い方が分からない。なら、僕ら二人の力を合わせればいい」

 ますます混乱してきた。というか、二人で一つだなんて、そんなのまるで……。

「ま、まさか、僕を食べる気なのか?」

 親子揃っては、流石に洒落にならないぞ。

 僕が思わず身震いすると、ルイは慌てたように違う違う。と、僕の想像を否定する。

「もっとちゃんとした方法があるんだ。僕の残された力と、レイ君の力。どちらも有効に使える方法。即ち……身体所有権の剥奪能力だ」

 ここ最近の僕には、身近過ぎるその言葉に、僕は思わず、自分の喉元に触れる。怪物が僕の意思を無視して、思い通りに操る能力。成る程。確かにそれなら、僕でも戦えるかもしれない。

「僕が君の身体を借りて、桐原達と戦う。勿論、君の挙動をすべて支配するとなると、いくら燃費がいいこの能力でも、力の消耗が激しい。だから、基本は君に動いて貰って、攻撃や防御の際に僕が力を使う。これならば、桐原が相手でも互角以上に戦える筈だ」

 彼、多分ガチの戦闘はしたことないだろうしね。と、ルイは付け足す。

「燃費がいいなら、最初からそれやった方がいいんじゃないか?」

「うん、でも、出来るならこの方法はあまり使いたくなかったんだ。何せ、能力に慣れていない君の身体を、無理矢理使うわけだからね。当事者じゃない僕が言うのも難だけど、かなりの痛みが伴うと思う。ついでに、前線で戦う以上、君にも危険がつきまとう。首チョンパされたり、怪物の力で心臓でも貫かれたら、流石にまずい」

 それはまずいというより、普通に死ぬんじゃないのか? なんて一言は余計だろう。

「あと、この方法はあくまで理論上だ。試したことなんかない。いざやってみたら出来ませんでした。も、充分有り得てしまう。まさに賭けなんだ。失敗したら、僕らは仲良く山城京子の作品だね」

「それは……笑えないなぁ」

 おどけたように話すルイに同調して、僕も肩を竦める。

 再び歩き出した途端、パキンという音がした。歩く途中で小枝を踏み折ってしまったらしい。後ろに引き返す気は毛頭ない。賭けでも何でも、僕達には他に方法は無さそうだから。


「ところでさ。君の力って、あとどれくらい残ってるの?」

「……そうだね。多分、この戦いが終わる頃には……僕は死ぬだろう」


 時間が、凍りついた。

 何の気なしに聞いた質問だったのに、とんでもない答えが返ってきたから。

 再び歩みを止めてしまった僕。背中越しだが、ルイがクスクスと笑っているのを感じる。どうして笑えるんだよ。という文句の言葉は、ついに出ては来なかった。

「何も、そんな驚くことじゃないよ。アモル・アラーネオーススは、つがいでなければ生きられない。アリサが死んだ今、能力を使い続けた僕が死ぬのは自然な事だ。だから君が気にする必要は……」

「あるよ! 無いわけ……ない……!」

 反射的に、僕は叫んでいた。聞き捨てならない。そんなのまるで、僕がルイが死ぬことに、何の感慨も沸かないみたいじゃないか。

「ルイ、ダメだ。今からでもいいよ。僕に能力の使い方を……」

「無理だ。さっきも言っただろう? 君の身体が、能力に慣れていない。使えるようになって、かつ桐原達と互角に戦えるようになるには、かなりの時間を要する。その間に、あの子がどうなってもいいと、君は言うの?」

 思わず口ごもる。桐原に敗北した怪物。僕が弱いから。僕をつがいにしたからアイツも弱くなった。一刻を争うのは明白だ。

「……そうだ! 繭! まだないのかい? あれがあれば……」

「うん、僕もそう思ったよ。だけど、それもダメなんだ。一応あと二つ残ってたんだけどね。一つは地下の。もう一つはあの子のだ。森に捨てられていたのを回収した」

 僕の目の前に差し出された、白い繭。欲求対象者の血液と、怪物の体液を混ぜた、非常食のようなものが、月明かりに照らされて、鈍い銀色に光っていた。

「二つとも食べてみたけど、どうも、他の怪物の繭で回復できる量には、限界があるみたいなんだ。やっぱり、僕は……アリサじゃなきゃダメらしい」

 自嘲するように呟きながら、ルイは繭を引っ込める。つまり、それは、切り札に思えた怪物の繭では、もうルイは回復できないという事。

「そん……な」

 漏れた僕のか細い呟き。あの時と同じ。やっぱり僕が弱いから。そのせいで……。

 思わずぐらついた僕に活を入れるように、ルイは僕の背中をポンポンと叩く。

「僕が弱いから、ルイが死ぬ……なんて言ったら、たとえレイ君でも許さないよ? 君が戦えないのは、本来仕方のない事なんだ」

 少しだけ硬い声で、ルイが言う。思っていた事を言い当てられ、僕は思わず「うっ……」と、呻きを漏らす。

「レイ君。僕はね。アリサが生きた証を残したかった。僕は遅かれ早かれ死ぬ。誰かに覚えていて欲しかったんだ。君は、君から見たら怪物といえるあの子を受け入れてくれた。夢物語で、ただの悪あがきでしかなかった僕の危うい幻想を、現実のものにしてくれたんだ」

 一転して、ルイはとても嬉しそうな声で語る。

「それを守れるなら、この壊れかけた命は惜しくない。あの子と君は、僕にとっての希望なんだよ。本当に大事なものだから、何がなんでも守りたいんだ。……君のお兄さんも、そうだったんじゃないかな?」

 何も、返せなかった。今でも兄さんの真意は分からない。輝かしい未来を捨ててまで、僕を守る価値なんてあったのか。でも……。

「最期の頼みだ。あの子を受け入れてくれたように、僕も受け入れて欲しい。散々君を振り回し続けておいて、虫のいい話かもしれないけど、もし少しでも僕を想ってくれるなら……」

 沈黙が訪れた。

 酸っぱくなる口の中と、今にも溢れそうになる涙が、僕の身体を震えさせる。

 僕は、僕は……。

 何時間にも思える沈黙を打ち破り、僕は再び、歩みを進めた。

 それが答えだった。


「ありがとう」


 きっと振り向けば、ルイは彫像のものではない、本当の笑みを浮かべているのだろう。見たら泣きそうだから見ないことにして、僕はルイの言葉に返事をすることなく、暗い森を行く。

「レイ君、今更だけど、言わせておくれ。君は……」


 ※


 崩れるように倒れる桐原達を、僕は気を緩めずに見据えていた。

「あ……ぐぅうう……」

 昏倒した桐原の横で、京子が苦しげな声を出す。桐原は完全にノックアウトだ。後は京子を……。

「ナメんじゃ……ないわよぉおお!!」

 倒せばいい。何て思っていた時期が、僕にもありました。だが、相手は〝あの〟京子だ。僕の予想もつかない方法で反撃して来ることなど、今までの出来事で痛いほど思い知っていて。だからこれで終わるはずがないと僕が直感したのも、至極当然の事だった。


 そうして、それは起こる。京子の両手が、自分の首の生え際に押しあてられて……。

 グチャリ。ブチブチと。肉が弾ける、気味の悪い音がした。


 構えていた僕の目の前で、彼女はとんでもない行動に出る。なんと、桐原を文字通り〝脱ぎ捨てた〟のだ。

 京子の出てきた場所から、噴水のように血が迸る。痙攣する桐原に一別もくれず、一糸纏わぬ姿となった京子は、血や色々な物で穢れた身体のまま、僕の方へ向けて疾走する。

 もう何が出てきても驚くまいとは思っていたが、本人がこうして出てくる事になろうとは思わなかった。


「レェエエェイィクゥウン!」


 雄叫びを上げながら、鉤爪を打ち鳴らす京子。以前の僕なら、震えて縮こまっていたことだろう。だけど、今は違う。

 ルイとのやりとりを思い出しながら、僕は再び拳を握る。


『僕は、君といれて楽しかった。親友なんてもう出来ないと思ってたよ』

『……それは、僕もだよ』

 我ながらそっけない返事だが、今の僕にはそれが精一杯だった。

 うまく、言えてるだろうか? 涙声になってはいないだろうか? なってても、コイツならいつもみたいに飄々としてるのだろうけど。

 そんな僕の細やかな照れ隠しに気づいているのか、いないのか。ルイはカラカラ笑う。



『さて、急ごうか。大丈夫。きっと上手くいく。何せ、僕とレイ君が組むんだよ? 負ける筈がないさ』



「京子ぉおお!!」

 負けじと吠えながら、僕も一歩前に出る。今の京子は、素人目で見ても隙だらけだ。これなら、ルイの力を借りるまでもない。

 彼女には悪いが、ここは通せないし、殺られる訳にも行かない。

 僕の後ろには、傷つけてはいけない人達がいるのだ。


 交差する拳と鉤爪。格闘技をかじったルイから見たら、僕の拳は落第点だろう。

 でも、今僕が出来るのは、これくらい。〝今は〟こんなもんだと思う。

「あ……げぇ……」

 僕のへっぴり腰なストレート。弱くても、意地だけは込めた拳は、京子の顎を真っ直ぐに打ち抜いていた。




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