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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
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82.牛と馬

 まだ少しは息づく虫のさざめきを耳にしながら、僕は夜の森を進んでいた。

「まさか、君におぶられる日が来るなんてね」

 すぐ耳元で苦しげに。だけど何処か楽しそうに、ルイは呟いた。

 その言葉は、そっくり返してやりたい気分だった。僕だって、ルイをこうして背負って運ぶ日が来るなんて思わなかったのだ。

「〝お義父さん〟なんだろう? 君は。フラフラだった上に、出血も酷かったからね。ここは僕が背負うべきだろ?」

 わざとその単語を口にすると、僕の背中で、ルイは雷でも受けたかのように硬直した。

「ああ……、僕なんか今、嬉しくて悔いなく死ねそう」

「……っ、馬鹿言うなよ……! あいつを取り戻すんだろ? そんな不吉なこと……!」

 たまらず、息詰まったかのような声を出す僕に、ルイは「ごめんごめん」と、力なく笑う。

 ついさっきの、洒落にならない重傷と、今も本調子には見えない様子が。何より、普段飄々としているルイらしくない、弱々しい言動と声が、僕の不安を加速させていた。

 それっきり、会話が途絶える。目的の場所は、もう少し先だ。


「君は……昔の僕に似てるよ」


 不意に、ルイが静かに口を開く。

「見た目とかじゃなく、境遇や、性質がね。話した通り、かつては僕も、君とは違う意味で孤独だった。正真正銘、僕には家族がいなかったからね。一方で君は、家族から疎まれながら生きてきた」

 ルイの話に耳を傾けながら、木の枝を踏まないように、注意深く進む。あまり揺らしたら、ルイの身体も辛いだろう。

「誰にも心を開かず生きてきて。けど、ある日、それを無理矢理抉じ開ける存在が、僕と君の元に現れた。僕にはアリサが。君には、あの子がね。山城京子も……一時期は一役買ったのかな」

 あと、純也もだ。二人の存在や、その後の軌跡は、僕に良くも悪くも、多大な影響をもたらした。もっとも、一番影響が大きかったのは、文句なしに怪物(アイツ)だろうけど。

「君とあの子のやり取りを見ているとね。僕もアリサと過ごしていた時を思い出す。〝両方〟のね。でも今は、切なくも感じているんだ。桐原は、言っていたんだろう? 怪物に取り込まれた後も、肉体共有者には暫くの間、意識があると。アリサは……」

 ルイの手が、少しだけ震えているのを僕は感じた。

「アモル・アラーネオーススの中で、何を思っていたんだろう? あの子はね。僕を庇って、重傷を負ったんだ。そして、暴走したアモル・アラーネオーススと刺し違えて、命を落としたんだ」

 怪物が弱った時等に、肉体共有者の意識が僅かながら戻る。桐原の言っていた事は、その可能性を示唆するものだ。ルイのつがいとなった怪物が瀕死になった時、アリサさんの意識が少しだけ戻りかけていた可能性も、否定できない。

 僕が初めて怪物を傷付けてしまった時の、怪物の涙。あれももしかしたら……。

「死ぬ間際に、彼女は言っていた。〝人間は、侮れない〟と。あの時は、彼女に致命傷を与えた、教授の執念の事を指していたのかとも思ったよ。だけど……もしかしたら、あの子の中で意識を表出させかけて、所有権を乗っ取ろうとした、アリサに対する言葉だったのかもしれない。僕は結局、本当のアリサには、気づいてあげられなかった……もしかしたら、彼女の方はずっと苦しんでいたのかもしれないのにね……」

 悔いるようなルイの声。虫の音はいつしかなりを潜め、森は静寂に満ち満ちていた。

 怪物の中で、アリサさんが苦しんでいた。果たして、本当にそうなのだろうか?

 最初に怪物の真実を知った時、ルイもまた、怪物を殺そうとした。でも、出来なかった。自分が怪物にされても尚、彼はアリサさんを愛していて、その気持ちを元に動いた怪物を、殺せなかったのだ。葛藤し、アリサさんが確かにいたという真実を守ろうとした。なら……。

「瀕死だったアリサさんは、暴走していた他の怪物を打ち倒したんだよね? 普通、意識が戻ったら、いきなりそんな動きは出来ないよ」

「……どういうことだい?」

 言葉を選ぶように、僕が言うと、ルイは不思議そうに聞き返す。

「〝人間は侮れない〟これって、死んでも尚、ルイを守ろうとしたアリサさんの想いに対して言ったんじゃないかな? 僕はアリサさんの事はよく知らないけど、彼女は、ずっと、どうにかして君を助けようと思っていたんじゃない? だって、瀕死だった状態で、怪物を倒しちゃうなんて、多分凄いことなんだろ?」

 想いなんて青臭い言葉に、僕らしくないと感じながら、僕は思った事をルイに告げる。

「……最後の最期に再び人の心に触れたアモル・アラーネオーススが、人と共闘したと? そうして、暴走した個体を打ち破った……そう言うのかい?」

 僕の推測を改めて言葉にするルイ。こうして聞くと、随分なご都合主義にも思えてしまうな。

 僕がそう言いながら笑うと、ルイもつられるように肩を揺らす。

「そうだね。根拠も何もない幻想だ。だけど……その幻想は、何だか心に響いたよ」

 安堵したかのような溜め息が、背後から漏れた。ついでに、小さく「ありがとう。レイ君」という声が聞こえた気がしたが、僕は取り敢えず聞こえないフリをしておいた。

「……あっ」

 そうこうしているうちに、目的の場所に辿り着いた。第四実験棟へと続く、獣道の終点。

 そこに……。

「〝牛〟の近くに〝馬〟を繋いだ……か。汐里らしい言い回しだよ」

「じゃあ、これが……?」

 驚愕する僕の後ろで、ルイが静かに頷いた。

「そうさ。言っただろう? 地下で襲撃を受ける前にさ」

「僕達みたいに〝スーパーカー〟にでも乗らないと、こんなに早くたどり着くのは無理……」

 確かにそう言っていた。

 成る程、確かに牛と馬だ。

「僕のランボルギーニ・アヴェンタドールに対して、これをぶつけて来るとは……汐里の奴め。分かってるじゃないか」

 興奮した様子のルイの横で、僕もまた、そこにあるもの……『二台の車』を見比べる。

 洗練されたデザインと、滲み出す普通の車からかけ離れた、エキゾチックなオーラ。ルイの車を初めて見た時も思ったが、僕みたいな庶民では、到底てが届かなそうな、高級感あふれる車が、そこにはあった。

「フェラーリFF(フォー)。汐里、どこで手にいれたんだろう?」

 汐里の車を眺めながら、ルイは口笛を鳴らす。

 生憎、車の事はそんなに詳しくないので、何が凄いのかは分からない。が、取り敢えず、汐里がこの二台を牛と馬に喩えた事には、何となく納得できた。

「見なよ。方や猛牛を象徴(シンボル)とするランボルギーニ。もう片方は、荒馬を紋章(エンブレム)に刻む、フェラーリ。長年凌ぎを削り合ってきた二台がこうして並ぶなんて、なんて壮観なんだろう! マニアなら泣いて喜ぶだろうね! 僕はモグリだけど」

 モグリなのか。という発言はしたら負けなんだろうな。なんて事を思いながら、僕は車に近づく。

 鞍にシルバーブレット。これが意味するのは……。

「って、鍵がないんじゃ、開けようがないじゃないか」

 僕が当たり前の事に気づいた瞬間、背中にあった重みが消失する。僕が驚いて振り返った時には、全てが終わっていた。

「ふぅ……汐里も鍵くらい残してくれればよかったのにな」

 ぶつぶつ言いながらも、ルイは〝車の中から〟 ドアを開け、僕を手招きする。

 どうやって中に入ったのか? なんて今更だ。

「便利な能力だ」

「だろう? 大きさにもよるけど、蜘蛛に変身するのは、エネルギーをそれほど消費しないんだ。動きにくいのが難点だけどね」

 手負いのこの身には、なかなかキツかったよ……などと苦笑いしながら、ルイは僕を手招きする。

 車内は思っていたより広かった。ルイの車が座席が二つなのに比べて、こっちは四つ。

 フェラーリなどといった凄い車は、座席が少ない……なんて勝手なイメージを持っていたが、全てがそれに当てはまる訳ではないのだろうか?


「〝鞍〟は、車の中を指しているんだとして、〝シルバーブレット〟って何だろう?」

 車内を見渡しながら、僕は首を傾げる。

「カクテルで同じ名前のものはあるけど、そっちは多分違うだろうね。そのまま訳すなら、銀の弾丸。創作上では、狼男や悪魔を打ち倒す方法として使われるが……銀の弾丸じゃあ、アモル・アラーネオーススは倒せない」

 車内を探索するのを僕に任せ、ルイはゆったりと座席に身を委ねる。

「だから多分、汐里は桐原を倒しうる手段が、車の中に隠されている。それを比喩する言葉として、銀の弾丸を選んだんだと思う。汐里にとって桐原は、まさに狼男だろうしね」

 桐原を……アモル・アラーネオーススを倒す手段。怪物の力と、もう一つは……。

「で、どうだい? めぼしいものはあったかい?」

「ああ……一つだけ。正直驚いてるよ」

 車の後ろ座席に安置されていたそれ。そのあまりの存在感に、僕は畏怖を隠し得なかった。

 銀の〝弾丸〟なんて生易しいものではない。そこにあったのは、まさに〝武装〟だったのだ。

 どっしりとした重量感をもつそれは、映画でしか見たことのない、僕には馴染みない代物。所謂ショットガンだった。

「成る程。それなら、桐原を打倒しえるね。当然ながらオリーブオイル必須だけど。レミントンM1100……汐里の奴、こんなものまで隠し持っていたのか」

 寧ろ、汐里はどうしてこれを使わなかったのだろうか? 疑問が顔に浮かんでいたのか、ルイは少しだけ困ったような表情になる。

「そうだね。多分、手に入れたはいいけど、女である汐里には、扱いかねるものになってしまったんだろうね。僕としては、インドアな汐里が拳銃で武装してきたのに未だに驚きが隠せないし」

 そう言いながら、ルイはショットガンを指でなぞる。

「ただ、問題は、僕もレイ君も、これの扱いが分からない事だ。使いなれていないものは、極力あてにしない方がいい。下手したら大惨事だしね」

 もしかしたら、双方に甚大な被害を出すのが、汐里の目的なのではないだろうか? ルイの話を聞いていると、僕はそんな気がしてならない。

「ま、どのみち、無駄足ではなかったと思うよ。牽制には利用できそうだ。たとえ使いにくいカードでも、持っていることでフェイクにはなる。後は……そこで怖い顔をこっちに向けている人の、目的を問わなきゃね」

 弱々しかったルイの血色の双眸が、一転して警戒を帯びたものになり、車の外に向けられる。そこに――。


「探したぜ」


 作業員が着るようなつなぎを着込んだ、大輔叔父さんの姿があった。



 ※


 何度かの跳躍の後、ようやく目的地に着いた桐原は、懐かしいものでもみるかのように、辺りをぐるりと見渡した。

 ぐるりと森に囲まれた、開けた土地に、ポツンと建つ、一軒の家がある。小さな別荘といえるそここそ、桐原にとっては何かと馴染みある場所だった。

「帰ってきた……帰ってきたぞ! 第四実験棟別館! 俺達が隔離されていた、始まりの地だ! なつかしいよなぁ? 汐里ぃ?」

 話し掛ける桐原に、汐里は徹底して無視を決め込む。その様子すら、微笑ましいとでも言うかのように、桐原は汐里の髪を手で掬い、そっと口付けた。

「意外と近くに落ち着いたね。こんなとこでいいの?」

 桐原の真横で、京子の首が口を開く。たどり着いた実験棟別館は、第四実験棟からは、五百メートル以上は離れた位置にある。彼女本人としては、もっと遠くに行くものだと思っていたらしい。

「ここが隠れ家として適任だ。長い間アモル・アラーネオーススの秘密を守っていた地だからな。ここを拠点にしつつ、他にも隠れられる場所を探すとしよう。幸いにして、今の俺達は自由だ。本能に縛られる必要はない。家も住人も、乗っとるのは思いのままだ」

 下卑た笑いを漏らしながら、桐原は抱えていた繭を、そっと家の庭に安置する。繭は相変わらずピクリとも動かない。

「……後はこいつを引きずり出せればなぁ~。そしたら当面は退屈しないのに」

「なに。この蜘蛛糸の守りは、そうそう長くは持たんだろう。時間の問題だ」

 悔しげに歯噛みする京子を横目に、桐原は怪物が出てきた時の為に、繭を何重もの糸で縛り付けると、小さな蜘蛛達をそれに取り付けた。

「妙な動きをすれば、コイツらが俺に知らせてくれる。その時は京子。今度こそお前の番だ。好きに料理すればいい」

「そうね! ああ! レイ君……早く来ないかなぁ……」

 恍惚な表情のまま、月を見上げる京子。桐原のでない腕二本が、自由に蠢くのを感じながら、桐原は汐里を抱え直し、別館の中へと足を入れていく。

「そういえば汐里。さっき、訳の分からんことをほざいていたが……あれはなんだ?」

「……貴方には関係ないでしょう」

 おもむろに問いを投げ掛ける桐原に、汐里はつっけんどんに返答する。

 その相変わらずの様子に苦笑いしながら、桐原はまぁ、いいか。とほくそえむ。

 何をしてこようと、桐原は負けない自信があった。

 例えば、拳銃などの強力な武器を持ってきたとしても、当たらなければどうという事はない。

 怪物の力は、原種と欲求対象者という格差に加え、自分の方がレイより上だ。これも押し負ける事はない。

 ルイも死んだ。運よく生き残ったとしても、もう戦う力は残されてはいまい。原種と同等の力を持ち、格闘戦にも秀でたルイは、桐原にとって驚異となる要因の一つだった。

 そして、もう一つの驚異……。この世に残された、アモル・アラーネオースス最後の原種。少女の姿をした怪物は、自分の手の中にある。

 繭の中に引きこもってしまったのは予想外だったが、力が不安定なのは変わりない。レイを怪物にして、まだ間もないからだ。その状態であれだけの蜘蛛糸を硬質化させたのは驚嘆に値する。が、所詮は殻に籠ることで精一杯だったと言うことだ。


 運は……自分に向いてきている。


 狂喜を隠そうともせず、桐原は実験棟別館のリビングに入る。小さなテーブルを囲む二対のソファー。今は何も映すことのない、監視用のモニターとコンピュータ。狭いながらも、機能性を重視したキッチン。

 ドアは入り口のドアを除けば二つ。寝室へと続くものと、洗面所、バスルームなどへと続くもの。多少埃被ってはいるが、全ては昔のままだ。

「汐里……何か飲むか? 紅茶はどうだ?」

「……いりません」

「食べるのは?」

「結構です」

「何か欲しいものはないか? ものによってはすぐにでも……」

「何も。……いえ、一つだけありましたね。自由をくださいな」

 話題を作ろうとする桐原を、汐里はことごとく挫いていく。柔和だった桐原の表情が、徐々に強ばっていく。

「せっかく、俺とお前の古巣に戻ったんだ。遠慮するなよ……なぁ?」

 腕が一閃され、汐里の身体は、再び蜘蛛糸に拘束される。それを満足気に眺めながら、桐原はニタニタと嫌らしい笑みを浮かべた。


「時間はまだたくさんある。夜は長いぞ? とことん楽しませてやるから、期待してくれ」

「……滑稽といいますか、独りよがりといいますか……色々な意味で尊敬しますよ。貴方は」

 皮肉をたっぷり含んだ汐里の台詞にも耳を傾ける事なく、桐原はゆっくりと汐里に近づいていく。

「京子、少しの間中で眠っていてくれ。ここからは、夫婦の時間だ」

 桐原の急かすような声を、果たして京子は聞いていたのか。ただ、今の京子は無表情のまま、入り口のドアを見つめていた。

「京子……? どうし……」

「ねぇ、この家、誰か先客がいる……なんてオチじゃないよね?」

 低い声で、京子は問う。桐原は知るよしもないが、その様子は、殺人をする時の京子の顔だった。

「何を言ってる? こんな所に人が入り込む訳ないだろうが」

 桐原が呆けたような顔で答えると、京子はますます目を細くする。

「じゃあ、今入ってきたのねぇ……!」

 舌で唇を濡らしながら、京子は感極まったかのように、息を荒らげ、すぐ隣の桐原に流し目を送る。ゾッとするような眼差しに、桐原が息を飲む中、京子はゆっくりと口を開く。


「キリィ、シオリンとイチャイチャするのもいいけどさ、それとおんなじ位楽しい事が出来そうよ」

 京子の腕が、服のポケットに伸びる。取り出された銀色のメスをクルリと指で回し、握りしめられた。

「ネズミ狩り……いいえ、蜘蛛狩りの方がいいかな? 玄関で物音がしたわ。ついでに、ついさっき、ほんの少しだけ入り口のドアが勝手に開いてたの。多分だけど……」


 京子の目が、爛々とした肉食獣のそれに変わる。鋭い狩人の視線は、ただ一点を睨んでいた。


「あのドアの向こう、誰かがいるわ」



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