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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
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81.弱者の刃

 それは、その場にいた、誰もの目を釘付けにした。

 目も眩むような銀は、月明かりに反射して、輝く奔流となる。それの正体が蜘蛛糸と分かったのは、全てが終わった後だった。

「は? ちょ、何よコレぇ!?」

 驚愕し、目を見開く京子。あの汐里でさえ、今起こった出来事に絶句していた。

「おい、お嬢さん……こりゃどんな冗談だ?」

 流石の桐原も、引きつったかのような表情を隠せないようだった。勿論、僕だって驚いている。何故なら……。


「……繭?」


 率直な感想を述べるなら、その一言に尽きる。

 桐原がさっきまで抱えていた怪物が、大きな繭に変貌していた。丁度、人一人をすっぽり覆い隠すそれは、何処と無く寝袋を連想させた。

「ちょ、ふざけないでよ! 何なのよコレ! 何だってこんなもんに引きこもってるのよ!」

 ヒステリックな叫びを上げながら、京子は繭に、二三度鉤爪を叩きつける。が、それらはことごとく、鈍い音を立てて弾き返された。

 繭には、傷ひとつ付くことはなく、相変わらずそこに顕在している。

 見ようによっては、銀色の宝石にも見える事だろう。

「俺と同じように、能力……なのか? いや、糸の硬質化か? それにしたって、ここまで大規模に展開できる程に力を残していたのなら、何故俺達に反撃してこない……?」

 ぶつぶつと呟きながら、桐原は怪物……否、怪物だったものを観察する。

「貴方達の手に落ちるのが嫌で仕方がない……とかですかねぇ?」

 皮肉をたっぷりと込めて言う汐里を、京子は睨む。勘にさわったのか、苛ついた表情が、ますます恐ろしげで、残酷なものに変わっていく。

「キリィ……シオリンの血……今度あたしにも飲ませてよ」

「キリィって俺かよ。本来なら断るとこだが、お前は女だ。まぁ、許してやらん事もない」

 ギリギリと歯を鳴らす京子。そんな彼女の様子を呆れたように見ながら、桐原は怪物の繭を抱え直す。

「何はともあれ、ずらかるぞ。汐里と俺の愛の巣にする場所は……もう決めてあるからな」

 そう言った後、桐原は此方を――僕の方へ視線を向ける。虫か何かを見るような、冷徹な瞳だった。

「この繭も、言うなれば怪物の力だ。お前と引き離されれば、いつかは崩壊するだろうな。俺はこの娘に執着はないが……半身がご覧の通りだからな」

「インスピレーションが半端ないわぁ……あーんなことや、こーんなこと、ぜぇんぶ試してやるわ」

 ハァハァ……と、息を荒げる京子を横目に桐原は溜め息をつく。

「追ってくるなら、急いだ方がいい。そっちの方が、俺の半身も喜ぶ。まぁ、お前が足掻いた所で、結果は変わらんだろうがな。それでもいいならかかってこい。この娘が辱しめられる様を、お前の目の前で見せてやる」

 ゲスな笑みを浮かべながら、桐原は空中で身体を揺らす。すると、張りつめていた糸が、粘着質な音を立てながらしなり始めた。「え? 飛ぶの? 飛ぶの?」と、京子が楽しげに、キャッキャと騒ぎだす。桐原はニヤリと笑いながら、僕に見せつけるように揺れを激しくしていく。

「お前は、蜘蛛糸も出せん。鉤爪も自由に制御できない。こんな風に応用を利かせることもままならないだろうな。欲求対象者としての能力など、もっての他だ」

「ま、て……」

 痛む四肢を無視して、僕は声を絞り出す。見下したような桐原の視線など、今はどうでもいい。


「大丈夫よキリィ。レイくんは、それでも絶対くるよ。だって……お兄さんに、純也くん。その上でこの女まで奪われたら、レイくんにはもう、な~んにも残らないもの! 嫌だよね? レイくんは。また一人になるのは……嫌だもんね?」


「待ってくれ……!」

 悪意と慈しみがぐちゃぐちゃに混ざったかのような表情で、京子は笑う。嫌らしく怪物の繭に舌を這わせながら、僕を挑発するように。全身を刺し貫かれながら、未だに手を伸ばす無力な僕を嘲るように。

 連れていくな……。そんな僕の望みを打ち砕くかのように、桐原の動きが、いっそう早くなる。飛んで去っていくつもりだ。何処に行くかなんて、僕には知りようがないのに。

「待てぇええぇえ!」

 怪物の――。彼女の名は叫びようもなく、ただ漏れるのは、懇願の声を上げるのみ。情けなくても、僕にはそれしか出来ない。

 あいつらを止める蜘蛛糸を! そう願い、欲しても、僕の手は代わらず、人のままだった。

 やがて、桐原が飛び立とうとした、その時――。


「〝牛〟のそばに、〝馬〟は繋ぎました。レイ君。〝シルバーブレット〟は、その鞍の中に……!」


 汐里の切羽詰まったような、謎めいた言葉が放たれた。


 それが合図であり、最後だった。

 当惑したかのような表情のまま、桐原と京子は飛び去って行く。眠り姫となった怪物と、してやったりな顔で目を閉じた汐里を抱えたまま。月が輝く夜空の彼方へと。


「ああ……っ! あ、ああ……あ」

 残されたのは、声にならない慟哭を漏らす僕。そして――。


「レイ……君」

「……っ! ルイ!? ルイ! 生きて……!」

 息も絶え絶えの、手負いの白い怪物だけだった。

 慌てて駆け寄る僕の手を、ルイの手が弱々しく掴む。

 互いに血と泥にまみれた、酷い有り様だった。


 ※


 ズタボロにされたルイに、静かに水を飲ませる。コーヒーを作った時の余った水だ。人間的な介抱がこいつに有効なのかは分からないが、少なくとも、何もしないよりはマシだろう。膝枕をコイツにする日が来るなんて、思わなかった。

 怪物と汐里が連れ去られて、はや半刻。大輔叔父さんも、僕達のすぐそばでこんこんと眠り続けている。心臓は動いてるし、呼吸も止まっていないから、恐らくは大丈夫だろうが……やっぱり心配だ。出来るなら病院にでも連れていきたいが、生憎、僕はここ周辺の土地勘など、持ち合わせている筈もない。実験棟の毛布をかけてあげるくらいしか、僕には出来なかった。

「ごめん……よ。油断はしていなかった。でも……読めなかったんだ。予想外すぎたよ……まさか原種の怪物の肉体を得ながら、肉体共有者そのものになっているなんて……」

 不意に、ルイが口を開いた。ケフッ、と血べとを吐きながら、ルイは荒々しく胸を上下させる。

 傷付き、ボロボロとなったその姿。そんなルイを見ていると、僕は胸が締め付けられるような痛みを感じた。

「ルイ……僕は……!」

 震えながら、衝動のままに僕は声を絞り出す。唇から血が出てきた。いつのまにか、噛み締めていてしまったらしい。そんな僕を、ルイは驚いたように見ながら、やがてニッコリと微笑んだ。

「行くのかい?」

 その問いに、僕は無言で頷いた。

 勝ち目はない。多分、いや、絶対に絶望的な状況だ。それでも……。

「僕は……怪物(あいつ)を……彼女を死なせたくない……!」

 何にも出来なかった僕が、何を偉そうに。と言われるかもしれない。けど、この心だけは本当だから――!

「君の本気で悔しそうな顔、初めて見たよ。そんな顔見せられたら……」

 生まれたての小鹿のように震えながら、ルイは地べたに四肢を食い込ませる。全身に力を入れながら。死に体に近い身体を鞭打ちながら。


「お義父さんも、頑張らなきゃね」


 ルイは弱々しく立ち上がった。それに続いて、僕もゆっくり立ち上がる。

「……誰がお義父さんだ」

「……素直じゃないなぁ、君も」

 軽口を叩き合いながら、僕らは笑い合う。そのまま互いに真面目な顔で見つめ合っていると、ルイはおもむろに口を開いた。

「レイ君。君に今一度聞きたい。危険があっても、あの子を助けたい。そうだね?」

「うん」

 迷いなく答えた僕に、ルイは嬉しそうに頷いた。

「分かった。じゃあ、僕の賭けに乗って欲しい。時間がないから、行動しながら説明するよ。これから僕が話すのは……」

 一瞬だけ目を伏せてから、ルイは再び、まっすぐ此方を見る。


「桐原と山城京子を倒す、最後の方法だ」

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