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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
83/221

79.死の鷲掴み

 現れた蜘蛛の群れに戦慄した後、僕らは病室の中央に固まった。怪物を除いた全員が円状に座ることで、僕達は周囲を警戒する。互いの顔が見える位置で、互いの背後を監視し合う。

「考えたくはないけど……牡の個体――この際桐原でいいか。が、まだ生きているという事かな?」

「何をやってるんですか貴方は。ちゃんと仕留めてくださいな」

「いや、唐沢。話聞く限りじゃその牡の怪物? 殺しちまったら、あんたの命も削られるんだろ?」

「あの桐原(ゴミ)が自由になったら、今度こそ私には逃げる術はありません。勿論封印もです。遅かれ早かれ、殺すつもりだったんですよ」

 手を下すのが私でないのが残念でしたが。と、付け加える汐里に、大輔叔父さんは呆れたように溜め息をつく。

「原種の怪物を殺すのって、結構大変なんだ。力節約の為にもあんな方法をとったんだけど……失敗だったかな」

「再生力を低下させるくらいに、ズタズタのメタメタな細切れにするくらい何だと言うのです」

「それが大変だって言ってるんじゃないか。見てて気持ちがいいものじゃないよ」

「最高ではありませんか。勿体ない」

 真顔でとんでもないことを言い合うルイと汐里に、大輔叔父さんは無言でチョップをお見舞いする。

 ……痛そうだ。

「あの蜘蛛の塊……動かないね」

「恐らくは、僕達を見張っているんだ」

 未だ天井に張り付く蜘蛛の群れ。それを見ながら、ポツリと僕が漏らした言葉を、ルイが拾い上げる。

「前に、汐里の襲撃を、事前に察知したことがあっただろう? アレも、僕が蜘蛛を使って、汐里を偵察していたからなんだ。彼らは複雑な状況を言語で伝える事は出来ない。けど、警告や道案内位なら出来る」

「原種の怪物が、好んで使う能力なんですけどね。後天的怪物である私達には、燃費の悪い能力です。大量の蜘蛛を使役するなんて、身体が不自由でもない限り、出来れば使いたくない力ですよ」

 蜘蛛が群がる一点を見つめながら、汐里が補足する。アレを操っているのは、紛れもない〝本物〟だという事実は、どうやら動かないらしい。

「でも……その、牡の怪物――。桐原? は、ルイの毒をまともに受けたんだよね? 汐里でも回復に時間がかかったらしいのに……どうして?」

 僕がかねてよりの疑問を述べてみると、ルイと汐里も同意するように頷く。二人とも真剣な表情で考え込むなか、叔父さんは手持ち無沙汰な様子で、窓とドアを警戒している。何が入ってくる様子は……ない。

 一方、怪物はというと、ついさっきまで大人しく椅子に座っていたというのに、またしても僕の膝上に陣取って来ていた。横向きに座った怪物は、僕の胸板に耳を当てるように身体を預けてくる。心臓の音でも聴こうというのだろうか? こんな状況の中で甘えられるのは、何だか複雑だった。

 沈黙は少しの間だけだった。汐里は少しだけ戸惑ったような顔で、自分の推論を話し始めた。

「もしかしたら。ですが……桐原の食料が、私の血だったから……かもしれません」

「血が、原因?」

 僕が首を傾げると、汐里はいいですか。と、指を鳴らす。

「肉体共有者を得たアモル・アラーネオーススの食料は、私達、欲求対象者の血液のみです。故に、欲求対象者から隔離されれば、絶命します。一方、私達欲求対象者の生命維持には、血液と、怪物の体液が必要です。前者は主に他の人間から摂取出来ますが、後者はそうはいかない。だからこそ、私達は怪物から逃げられない。その状況を打破すべく、私は教授の〝匣〟を欲した」

 黒いオルゴールのような匣。牡の怪物を封印していたペンダントを、僕は頭に浮かべる。

 汐里は、アレを永久機関と言っていた。

「封印の原理は簡単です。あの中には、怪物が活動できなくなる、ギリギリの配分で血液と、オリーブオイルが入っています。定期的に私の生命維持のため、怪物の体液を抜き取っていた関係上、生かしておく必要があったのです。入っていたのは、私の血。ルイの毒に抵抗していた頃も、変わらず与えられていた……」

「なるほど。汐里の血を通して僕の毒に対する、耐性。もしくは抗体が出来ていた……と。一日足らずで回復してきた理屈としては無理矢理だけど、確かにあり得そうだ」

 納得したように、少しだけ悔しげな表情のまま、ルイは頷く。

「気になるのは、桐原の目的です。私が瀕死になったことで、暴走してはいましたが、今私は、身体の方は回復しています。普通に考えれば……」

「単純に、汐里を取り戻しに来た……と、考えたいけど。暴走中ですら、彼は予想外な行動を繰り返して来たからね」

 呆れたようなルイの言葉に、汐里はため息をつく。

「その場合、ここにいる私以外の全員が攻撃対象になる可能性もあります。黙って私だけ手に入れて引き下がる可能性とは、丁度半々……といった所ですかね」

 指を四つ立て、汐里は指折り数えるように仮説を立てていく。遥か遠くから、コツコツ……という足音が聞こえてきた。

「一方で、まだ彼が暴走状態にある可能性もある。その場合も、全員か、汐里を除いたメンバーに、彼は牙を剥くだろう。こっちの仮説の場合は、汐里も含めた全員が襲われる可能性の方が高い……かな?」

 汐里に同調するように頷きながら、ルイは立ち上がる。

 同じく立ち上がろうとする大輔叔父さんを、汐里の手がやんわりと抑えた。

 足音は、徐々に大きくなっていく。

「ル、ルイ」

「レイ君、その子をつれて下がってて。戦いは僕がやる。汐里はもう戦えないし、君は、欲求対象者になったばかりだ。力を使える筈もないからね」

「俺はやれるぞ?」

 情けなくも不安げな声をあげる僕に、ルイは心配ないとばかりに笑う。その傍ら、拳銃を取り出す大輔叔父さんに対して、静かに首を横に振る。

「いや、大輔さん。いくら強くても、貴方は生身の人間だ。狭い室内で、下手に彼に近づくのは命取りだ。何より……巻き込むのは、忍びない」

 ルイの独白が終わるや否や、病室のドアがゆっくりと開かれた。

 すきま風が入ると同時に、長髪な男の顔が、にゅっと顔を出す。その顔に、ニタニタとした笑いを張り付けながら。

 レポートの顔写真で見た面影が、そこにあった。

 桐原康介だ。


「シィ~オ~リィィイ!!」


 地の底から沸き上がるような声がしたその瞬間――。ルイが動いた。目にも止まらぬ速さで投げつけられた丸椅子。それが桐原の顔面に直撃する。そこから流れるように肉薄したルイは、鉤爪を振るい、ドアごと桐原を殴り飛ばした。

 金属がひしゃげる、低い音と、何かが固いものにぶちあてられたかのような、鈍い音が続く。

 地響きと、立ち上る埃の中。僕が見たのは、入り口に立つルイと、丁度吹き飛ばされたドアと、向かいの病室のドアに潰される形となった、桐原の姿だった。

「生かしておく、理由はない。予想外な行動を繰り返す君の存在は、後々のレイ君達にとって、障害となるかもしれないからね。ここで……」

 血色の目を細め、ルイは鉤爪を構える。

「滅ぼす」

 白い怪物が、飛翔した。振り抜かれた爪は、甲高い音を立てて、同じ鉤爪を受け止められる。

 桐原だ。あの程度の攻撃は、彼にとってかすり傷にもならないらしい。

「シオリィ! 汐里ィ!」

 狂ったように叫びながら、桐原は片手でルイを押し戻して立ち上がる。もう片方の手から周囲に糸を吐き出し、室内は白く染まっていく。

「汐里! 窓だ!」

 ルイが叫ぶ。汐里は、それだけで意図を察したのか、素早く立ち上がり、病室の窓を全開にする。

 刹那――。白い閃光が、夜空に弧を描いた。放たれた三本の蜘蛛糸は、地上と病室の窓枠を、斜め一直線に繋げていく。

「降りますよ。ここにいても足手まといです。下で待ち伏せされていない以上、狭いここに留まる理由はありません」

 テキパキとした口調で、汐里は言うと、お先に。と言わんばかりの勢いで糸に掴まると、そのまま下へ飛び下りた。

「なっ!?」

 僕は慌てて立ち上がり、窓から外を見る。

 病棟の二階とはいえ、普通の家よりは高さがない。蜘蛛糸の粘性も加わってか、汐里は楽々と地に着地していた。

「ちっ……。レイ、行くぞ。確かにまぁ、あの戦いに加わるのはごめんだわな」

 分が悪い。そう判断したらしい叔父さんは、部屋の隅まで移動する。そのままベッドに横たわっていた男を(確か松井さん)肩に背負い、叔父さんは窓枠に足を掛け、一瞬躊躇った後、糸を掴む。

 滑るように虚空へ身を投げ出した叔父さんを見送り、僕は静かに後ろを向く。

 ルイと桐原の戦いは、まだ続いていた。

 狂ったように繰り出される爪を、ルイはフットワークでかわし、吐き出される糸を、同じように糸で相殺。徐々に床が粘性を帯びていく中、ルイは、注意深く移動しながら、ときどき手品のように宙を舞う。

 稲妻のように繰り出される素早い鉤爪の攻撃は、桐原の身体に、少しずつダメージを与えていく。あの技術は、ボクシング……だろうか?

「レイ君、君も行け! 大丈夫。桐原(かれ)は、さっきと同じだ。原種にしては……弱い!」

 ルイの腕が鞭のようにしなったかと思うと、桐原の顎が下から撃ち上げられる。

 綺麗に入った一撃に、たまらず桐原はよろめいた。

 そこに、好機。と言わんばかりにルイの体重を乗せた追撃のストレートが放たれる。が、それは、桐原が大きく飛ぶような回避を決行したことで決まらず。一呼吸おいて、再び鉤爪を構えて、二匹の怪物は対峙する。

「早く!」

「……っ! ちゃんと追いかけてきてくれよ!」

 後ろ髪を引かれるように、僕は怪物の手を引き、窓枠へ走る。僕は、何も出来ない。前も、今も。それがどうしようもなくもどかしいのと、兄さんが忌まわしい記憶を呼び起こすようで――。

 それらを振りきるように、僕は飛んだ。視界の端に映ったのは、ルイの鉤爪が、桐原に突き刺さる瞬間だった。


 数秒の浮遊感の後、僕は地面に着地する。隣の怪物も難なく着地。周りを見渡すと、そこには汐里と、彼女に銃を向けたままの叔父さんがいた。

「手錠で拘束できればいいんだがな。生憎ここにはないし、化けもんも近くにいる。山城の二の舞はごめんだからな」

「なら拳銃を下ろして下さいな」

 うんざりしたかのような視線を向ける汐里に、叔父さんは「バーカ」と答える。

「お前が後ろから襲ってこない保証はねぇだろうが。職業柄と、個人的な理由で、背後の胡散臭い気配には敏感でな」

 嫌なことを思い出したかのように、叔父さんは首を鳴らす。

「あんたはまだ、自分の目的を諦めちゃいない。隙あらば、その娘やレイを殺る。違うか?」

 剣呑な表情の叔父さんに、汐里はやれやれと肩を竦める。

「最後のチャンスも奪われましたか。頼もしすぎて憎らしくなってきますね」

「年季が違うんだよ」

 ハイハイと、適当な返事を返しながら汐里は窓枠を見つめる。僕もそれに習って、上を見上げる。

「ルイは……恐らく勝てるでしょうね。アレは、欲求対象者でありながら、原種に匹敵する力を持っています。力が枯渇しているとはいえ、それはあの桐原(ゴミ)も同じです」

「……その割りには、何だか不安そうだけど」

 僕がそう言うと、汐里はこちらに向き直る。

 視線が捉えていたのは、僕ではなく、怪物だった。

「怪物の研究をしていて、疑問に思った事があります。補食された肉体共有者。その思慕の念を原動力に、私達人間に近づく。では、肉体共有者の心は、どこへ行ったのか。食べるという行為だけで、思慕の念を読み取れるのか?」

 僕もまた、思わず怪物を見る。怪物の特性。そう言ってしまえばそれまでだが……。

「欲求対象者は、人間の心を残したまま怪物化します。怪物による補食という行為によって。ルイは、自分のつがいとなったアモル・アラーネオーススに、かつての恋人の面影を見たと聞きます。見た目が。ではありません。ふとした仕草などが、驚くほど似ている。と」

 手を握り、開きを繰り返したまま、汐里は語る。

「突飛な考えながら、私はある仮説を立てました。これはルイはおろか、教授にすら語っていない事です。補食された肉体共有者の意識は、もしかしたら、怪物の中に眠っているのでは……? とね」

 僕の反応を楽しむように、汐里は笑う。

「魂。何てものを信じる気はありませんがね。ですが、人間を別の種に作り替えることすら出来る連中です。思慕の念を読み取るのではなく、その意識を宿し、少しずつ学習しているのでは……と。その少女の怪物を見ていたら、そう思えてならないんですよ。怪物には珍しい嫉妬する様子や、貴方に語りかける様……。教授の妻は、彼の妻の面影など、皆無だったそうです」

「ま、待ってくれ。話が読めない!」

 混乱し、汐里の話を遮る僕。教授の妻は、生粋の怪物で、ルイのつがいとなった怪物は、その仕草などが本人そのもの。そして、こいつは、米原侑子の姿をした怪物は、嫉妬の感情すら覗かせている。そういえば、ルイの話を聞く限りでは、桐原もまた、汐里への所有権を主張していた。あくなき彼女への執着は、種としての本能なのか。それとも……。

「恐ろしい話ですが、アモル・アラーネオーススは、一世代を重ねるごとに、進化が進んでいる。この地球上に降り立ち。繁栄した、感情ある私達と接触することでね。もしかしたら怪物達に、本能とは別に、感情が芽生えはじめているのかもしれません。アモル・アラーネオーススの種としての意識と、取り込んだ米原侑子の意識が混同しているのでは?」

 本来は、教授の妻のように、完全な怪物であることが正しいあり方だった。補食した存在も、肉体を得るための手段。だが、そこから学べることも多い事に気がついた……?

「ま、あくまで私の想像です。そもそも、意識が眠っているのではなく、ただ単に食べることが記憶の読み取りになっているのかもしれません。真実は、誰にもわかりません」

 結局訳が分からないままか。そんな僕の非難がましい目を、汐里は涼しげに受け流す。まぁ、僕が不満を漏らすのも、お門違いかもしれない。分からないものは分からないのだ。相手は常識を越えた存在なのだから。

「……ん? なら、何でそんなに不安そうなんだ?」

 ふりだしに戻った僕の疑問。汐里の仮説と、彼女の不安が繋がらない。

「ああ、それは――」

 汐里が何かを言いかけた時、病棟二階の窓が弾け飛んだ。ガラスの破片が落下するなか、大きな二つの人影が、縺れるように落ちてくる。

 ルイと、桐原だった。

「ようやく、押さえ込めたね」

 地面に叩きつけられ、身を捩らせる桐原に対して、ルイは難なく受け身を取り、そのまま桐原に馬乗りになる。

 ルイの身体は所々裂け、血が滲んではいるが、桐原ほどではない。まさに満身創痍な桐原に、ルイは鉤爪を振り上げる。

「……汐里。構わないね?」

「ええ、今の私ではどうにもなりません。近づいて血を吸われるのも御免ですしね」

 確認を取るルイに汐里は、目をそらしたまま頷いた。桐原が、彼女を見つめている。視界に入るのもおぞましい。そう言っているように思えた。

「汐里! 俺の元に戻れ! 今なら……許してやる! 前以上に大切にする!」

 懇願するように、桐原が吠える。

「お前は賢い! どっちにつけば得かなんてわかるだろう!? 今から答えを見せてやる! このままでは、お前は惨めなままで、最後を迎えることになるんだぞ!?」

 唾を飛ばしながら、桐原は尚も叫ぶ。言葉が、流暢だ。怪物のように、少しだけたどたどしく話すのではない。その口調は、声は、人間そのものに見えた。

「ああ、私の推測。やっぱり当たっているかもしれませんね。その傲慢なもの言い、〝あの〟桐原にそっくりです」

 不快な表情を隠しもせず、汐里は吐き捨てる。それを見た桐原は、ようやく答えてくれたと言わんばかりに、歪な笑みを浮かべた。

「何を言っている……推測? 分からないのか? 汐里ィ……〝俺〟は……」

 何かを言いかけた桐原の首に、蜘蛛糸が巻き付けられる。糸は桐原の腕と脚にも同様に絡み付き、彼を完全に固定した。

 拘束した張本人は、何処か悲しげな表情を浮かべている。

「もう、黙ってくれ。苦しまないようにするから。敵ではあったけど、彼女は親友だったんだ。これ以上、顔を曇らせたくはない」

 僕が言うなって話だけどね。と、肩を竦めるレイ。それに対して、全くです。と言わんばかりに、汐里が頷く。

 桐原は、そんな二人のやり取りを、絶望した表情で見比べていた。

「ああ……汐里。残念だ。俺は……」

 震える声を絞り出す桐原。その上で、ルイの鉤爪が、振り上げられる。

「さよならだ。桐原。いや、名前のない、親友の子」

 ギロチンの刃は、落とされた。

 その瞬間、肉が引きちぎれるような音と共に、鮮血が夜空を舞った。


 ※


 終った。鉤爪を振り下ろしながら、明星ルイは、安堵とやるせなさを同時に感じていた。

 和解は、無理だと分かっていた。大分前から。だから、この結末は必然なのだろう。これで、愛する人との忘れ形見と、そのつがいの安全は守られた。

 後は、時間がアリサの元へと連れていってくれるその日まで、あの子と彼を見守ろう。どんな道へ落ち着くかは、未だに読めないが、あの二人なら、きっと……。

 細やかな未来予想図を夢想していたからだろうか? ルイは、ぬぐいされぬ違和感を、今になって感じ始めていた。


 手応えが――ない。


 それどころか、自分の手首が、誰かに捕まれ、受け止められている。

 いや、それはおかしい。ルイは、慌てて否定する。

 桐原の五体は、拘束してある。

 この期に及んで、汐里が邪魔をしてくる筈もない。

 レイや、大輔、あの娘にいたっては論外だ。

 では、誰だ? 誰がこの手を?

 

 その時。ルイは、自分に襲い来る、熱い流れを感じた。

 心臓の音が、弱々しいのに、やけにリアルに聞こえてくる。焼きごてを当てられたかのようなそれは……紛れもない激痛と、死の気配だった。



 ※


 誰もが、その光景を信じられなかった。

 だが、目の前で起きた惨劇は、やはり現実のもの。そう信じざるを得なかった。

「お、おい。明星……!」

 絶句する大輔叔父さん。

「そん……な……」

 顔面蒼白のまま、立ち尽くす汐里。

 その横で、僕はただ、ルイの身体に起きた異変を、只見ている事しか出来なかった。

 手だ。白い手が、ルイの鉤爪を有した手首を抑え、もう片方の手は、黒い怪物の鉤爪となって、ルイの左胸を貫いていた。

 徐々に赤く染まる、ルイの服。見開かれた血色の瞳。薄い唇からは、「ケフッ!」っという咳と共に鮮血が、漏れ出していた。

 徐々に横向きに崩れ落ちる、ルイの身体に合わせるように、桐原は立ち上がる。

 僕はそこでようやく、事の真実と、視界が涙で歪んでいることに気がついた。

 桐原は、抑えつけられていた。そのままだったなら、ルイの勝利は揺らがなかっただろう。

 だが、その抑えられていた両腕の肩口に、もう一対の人間の腕が生えてくるなど、誰が予想できただろうか?

「蜘蛛への可変部分まで、拘束していたのは流石だ。これまでの俺なら、殺されていただろう。これまでの俺なら。なァ」

 勝ち誇った笑みを浮かべたまま、桐原は、四本の腕を動かす。準備運動さながらなその動き。だが、そんな化け物じみた光景も、僕の目には止まらなかった。

「なぁ……おい、うそだろう?」

 震える唇から、僕は必死で言葉を紡ぐ。滲む視界も、今は気にならない。僕はただ、倒れ伏した銀色の怪物に向けて、声をかけていた。

 やられる筈がない。彼なら大丈夫。

 そんな無償の安心感を得ていた自分を、殴り飛ばしてやりたくなる。

「いつも見たいに、僕を煙にまけよ。意味分からない屁理屈……言ってみろよ。ヘタっぴなポエムでも、つまんない本の話でも、いいよ……」

 倒れたあいつは、答えない。みるみるうちに、地面が赤黒く染まっていくのだけが、月明かりでよく見えた。

 ウソだ。ウソだと言い聞かせてみても、現実は変わらなかった。


「なんか、喋れよ。なぁ……! ルイィイ!!」


 慟哭が響く。ルイを呼ぶ僕の叫びは、夜風にさらわれていくのみ。そこに……。


「泣かないでよぉ……レイくぅん」


 聞き覚えのある、ソプラノで、悪魔が囁いた。


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