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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
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77.結末と幕開け

 再び、とある少年。否、青年の話をしよう。

 彼は、運命の女性と出会った。

 出会い頭に彼女が放った一言は、彼の後々の人生においても、上位を争う衝撃だった。


「初めまして。霜崎有紗です。趣味は、ゲームです。えっと……君、コスプレイヤーさんなの? それ何のキャラ?」


 ……衝撃の主は、少し天然も入っていたのかもしれない。

 確かに彼は、容姿が人と比べて、異質なものだった。それは認めよう。

 だが、後にも先にも、初対面でいきなりコスプレイヤーなるものに分類してきたのは、彼女の他にはいなかった。

 霜崎有紗。

 彼にとって、生涯忘れ得ぬ存在になった女性との、ファーストコンタクトがそれだった。


 霜崎有紗もまた、いつかの女性と同じく、彼の容姿に物怖じする事はなかった。それでいて、気がつけば彼の傍にいた。本人曰く、その彫像のような笑みが嫌で、何とか笑って欲しかったのだという。

 以前とある女性から向けられた視線。それとはまた、別の意味で熱を帯びた視線。

 再び戸惑いの渦中へと投げ出された彼は、またしても距離を置こうとした。だが、今度はそれだけではすまなかった。

 あろうことか、彼女は距離を取られたら、迷わず距離を詰めてきたのである。

 逃げる彼と、追う彼女。奇妙な精神的追いかけっこは、ある日あっさり終焉を迎えた。

 彼は、彼女に尋ねたのだ。どうしてそんなに、自分に関わろうとするのか? と。

「……逆に聞きたい。君はどうして、私から逃げるの?」

「……逃げてないよ」

「ごめん、逃げてるは言い過ぎた。でも、距離を取ろうとはしてる……よね?」

 すぐに謝ってから、少しだけ悲しげな表情で、彼女は問う。

「それは……」

 彼は口ごもった。どうして? どうしてだろう? 怖いから? だから彫像の笑みの仮面を被るのか? 自問自答する彼の手を、彼女は両手で優しく包み込んだ。

「自分勝手かもしれないけど、私は、君に心から笑って欲しい。えと……なんでか分かんないけど……ほっとけない? 親近感? う、うまく説明できないけど……気になって、しょうがない……の」

 出会って間もない頃、自分は頭の中の考えを整理してからでないと、上手く話せない。お陰でノンビリ屋なんてレッテルを貼られる……。少しだけふくれながら、彼女はそう言っていた。

 そんな彼女が、上手く考えも纏まらないうちに、必死に言葉を紡ぐ様を、彼は失礼を承知で、こう思った。可愛らしい……と。

 今にして思えば、この時点で彼は、彼女に幾らか心を開きかけていたのかもしれない。

 自分に深く関わろうとする存在。不器用な仮面を、壊すような存在。それを認識した時、彼――明星ルイは気づいたのだ。

 ああ、そうか。僕は寂しかった。誰か家族と言える人と、寄り添いたかったのだ……と。


「あ、それと、もう一個理由……あったよ?」

 不意に、彼女――霜月アリサは、語る。まっすぐルイの瞳を見ながら。

「その、明星君。私的にドストライクだし。だから、一目惚れもある……のかも」

「…………へ?」

 台無しだよ。という叫びやら、色々言いたいこともあった。だが、一番驚いたのは、それを彼女があっさり言ってしまった事。そして……。

「あ……やべ」

 言ってしまった本人もそれはほぼ告白だ。と、気づいて慌てるという、謎の展開だった。

 覆水盆に返らず。言った事はなかった事に出来ず。

 それから半月後、ルイはアリサに、色々な意味で押し切られる事となる。

 煮え切らないルイに、アリサが業を煮やした結果だった。ぼんやり大人しそうな彼女が、そういうことでは意外と肉食だった事に彼が気付くのには、時間はかからなかった。

 明星ルイ。意外と押しに弱かったりしたのである。


 こうして、二人は手を取り合い、生活を共にする。

 ルイは不器用ながらにも、アリサを愛し、アリサもまた、ズレた感覚を披露しながらも、それに応えた。

 互いに勝手のわからぬまま、恋人としての時間を重ねて行く。思い返せば、短く、それでいて熱い、末期の恋だった。

 勿論、その時の二人は、待ち受ける残酷な運命を知るよしもなかったのだが。



 そして――。運命は、とある青年に止めを刺す。揺れていた背中を蹴飛ばすように……。


 事が起きたのは、汐里の計画が遂行される日の夕方だった。

 ルイは、冷たいシャワーで寝汗を流し、自分の中で燻るものを沈めていた。今日自分は、人外同士の戦いに駆り出される。アリサの為。それは分かる。だが、その為にアリサの母に当たる存在を殺すのか……? 汐里が聞いたら、鼻で笑いそうな事を、彼は今になっても、葛藤していた。

 頭がぐちゃぐちゃだった。アリサはもういないのに、〝そこにいる〟。

 目の前の存在は、その皮を被っていたものだとしても、ふとした仕草が、ハッとするほどよく似ているのだ。故に、今もルイは、怪物をアリサと呼んでしまっていた。

 とうの昔に、自分も彼女も、目の前にいる怪物に喰われた後でさえ、ルイは未だに、彼女の陰に縛られていたのである。

 もしかしたら、アリサが死んだと分かった時点で、彼の中で、何かが壊れてしまっていたのかもしれない。

 シャワーを止め、脱衣室へと移る。乾いたバスタオルで水気を切り、ドライヤーで髪を乾かしたルイは、いつものラフな服装に着替える。

「……そういえば」

 いつもはお風呂についてくるアリサが、今日は着いて来なかった。それどころか、なんだかいつもより覇気がなかった気がする。どうしたのだろうか?

 今日は、下手すれば死と隣り合わせだ。もし調子が悪いなら、彼女には部屋で休んでいて貰えおうか。

 いかに怪物とはいえ、元々彼女を戦闘に参加させたくなかったルイは、そんなことを考えつつも、部屋へと戻る。

 怪物二人を閉じ込める部屋。そこでルイは、思わぬものを目撃した。

「アリ……サ?」

 か細い声が、ルイの口から漏れる。

 ベットの上に、彼女はいた。白い繭のようなものを大事そうに抱えながら、どこか達成感に満ち溢れた顔で。

「おや、帰って来ましたか? 惜しかったですね~。貴方も私も、もう少し早ければ、世紀の瞬間と言うべきものが見れましたのに」

 ガラス張りの壁に開けられた小さな穴の向こう側から、鈴を鳴らしたかのような声がする。唐沢汐里が、その場に座っていた。

「世紀の瞬間……?」

 震える声で、ルイが尋ねると、汐里は皮肉げに、口角を曲げる。視線は、アリサが持つ繭に注がれていた。繭は、アモル・アラーネオーススが作る、血染めの繭とは、まるで違っていた。まず、色が純白。大きさは、バスケットボール位だろうか? 

「あれは……一体?」

「卵ですよ。糸で幾重にもくるんであるので、中に何匹いるかはわかりませんがね。自分の恋人が産卵する所なんて、なかなか見れるものではないでしょうに……」

 汐里の言葉に、ルイはその場で、ガクリと膝をつく。卵。僕達の子ども。確かに、家族を欲した。ここに来る前、彼女と二人で、いつか、本当にそうなれたらいいね。等と話しもした。よもや、こんな形になろうとは思わなかったが。

「てか、驚きましたよ。やることはやっていたんですね。死んだあの人と同じ顔、同じ声……どんな感じでした? 背徳感とか、凄かったですか?」

「……ほぼ逆レイプだったよ」

 力ない声で呟くルイ。それを見た汐里は、「あー。でしょうね。結局こいつらはそうですよね……」と、自嘲気味に笑いながら、暫し天井をあおぐ。

 沈黙が、部屋を支配する。すると、ベットの上にいたアリサが、いつの間にか、ルイの傍へと近づいていた。

「ルイ……見て。頑張ったよ?」

 顔を綻ばせながら、それを見せるアリサ。ルイはそれを、複雑そうな表情で見つめる。

 だから、一緒にいて。そう語るような眼差しだった。

「……戦線から、彼女は外しましょう。産卵直後は、欲求対象者を新生させるのと同様に、力が不安定になるらしいですから」

「助かるよ……」

 礼を述べるルイに、汐里は面白くもなさげにため息をつく。

「貴方は……大丈夫ですか? 随分参っているようですが」

「そう、なのかな? そう、見えるかい?」

「ええ、結構痛々しいです。元々ぶん殴りたくなる顔が、益々殴りがいのありそうな顔になってますよ」

 辛辣な言葉を口にする汐里に、「何かその罵倒っぷり懐かしいな……」等と苦笑しながら、ルイは肩を竦める。

 恐る恐る手を伸ばし、そっと卵に手を触れる。暖かな感触が、ルイの手に行き渡る。

「正直に言えば、怖くてたまらないよ。地球外生命体の父になろうとしているから、かな? けど、ね」

 ルイは、そのまま、今度はアリサの髪に手を伸ばす。柔らかな感触を楽しみながら、ルイは愛しい人と瓜二つ――否、そのものな顔を見つめる。

「やっぱり、ほっとけないんだ。アリサの心を元に、僕を追いかけ続けるこの子が。憎い仇である筈なのに、どうしても。だから――。答えを得られるその日まで、僕はアリサと、共に在り、守りたいと思う。生まれてくる子と、一緒にね」

「……では」

 ルイは静かに頷いた。

「戦うよ。君が言うように、生き方を探す為にね」

 ルイの返事に、汐里はため息をつきながら、「変わりましたね……」と、呟いた。

「前の貴方なら、誰かをほっとけない何て言う人間ではなかったでしょうに」

「やっぱり、僕らしくない?」

「いいえ、今の貴方は、いわば亡霊です。愛した人に心憑かれて、その生きた証を守ろうとする。誰も寄せ付けない辺り、ある意味では、貴方らしいです。壊れているとは思いますけどね」

 笑うルイに対して、汐里は吐き捨てるように言い放つ。その横顔には、寂しさのようなものが垣間見えた。

 アモル・アラーネオーススに、本来愛情はない。あくまで取り込んだ人間の感情を元に、その人間への愛を育む。当然ながら、生まれてくる我が子に、家族愛などある筈もない。母親の方にも、それは期待できない。子孫を残すのは、彼女達の本能なのだ。

 それでも、家族として守るというルイは、確かに異端かもしれなかった。

「それでも、いい。アリサが生きてきた。確かに存在していたというものを守れるなら。だって、僕までこの子達を見捨てたら、アリサは本当に消えてしまうじゃないか」


 そう言いながら、ルイはアルカイックスマイルを浮かべる。これからの決意を固めた故の微笑みだった。人としての自分に止めを刺し、本当の意味で怪物として生きる決意を。

 実験棟を激震が襲ったのは、その直後だった。

 この世の物とは思えない、おぞましい咆哮が響き渡る。

「な、何が!?」

「わかりません……ですが、この声……は、原種のもの?」

 耳を塞ぎながら、ルイと汐里は、身を強張らせる。ただ事で無いことは確かだ。

 すると、不意にその場に、人間が出現した。小さな蜘蛛から、人間に。その逆にも変身を可能とする、アモル・アラーネオースス固有の能力、『瞬間変身能力』だ。

 現れたのは、欲求対象者の一人、立花(たちばな)慎也(しんや)だった。彼は、息を切らせながら、困惑を隠しきれない表情で、声を張り上げる。

「おい! どうなってやがる!? 上で教授の妻と、バカでかい蜘蛛二匹がやりあっているぞ!?」

 それは、混沌の狼煙となった。人外同士による、殺し合いの開幕を告げる、血生臭い狼煙に……。


 ※


「起きたことは、至極単純でした。自分の怪物だけでは満足出来なくなった、個体Cの欲求対象者、高月(こうづき)純平(じゅんぺい)が、他の怪物を手にしようとした」

 顛末を語りながら、汐里は歯軋りする。桐原の一件もあり、そういう考えのやからには、自然とそういった態度になるらしかった。

「ここで、彼の視点から邪魔になるのは、他の欲求対象者です。ルイは強い力を有していましたし、慎也君も、怪物の力を持つと同時に、様々な格闘技を会得していましたからね。必然的に、力の弱い、黒土(くろつち)玲音(れお)が標的になった。バカですよね。欲求対象者に手を出す事の意味も知らずに」

「それじゃあ、まさか……」

 起こった出来事に、想像がつき、僕は青ざめる。

「ああ、そうだね。玲音を殺害した純平は、暴走した沙耶香さんに、文字通り瞬殺された。そして―― 」

「それが引き金となり、個体C、城塚(しろつか)由紀(ゆき)も暴走した。後は、混沌の殺し合いへとまっしぐらですよ」

 乾いた笑みを浮かべながら、汐里は首を振る。

「暴走する二匹の怪物。作戦など忘れて、怯え、銃を乱射する実験者達。力の塊といえる教授の妻と、虫の知らせってやつでしょうか? 戻ってきた教授に、私達、教授の失脚を狙う陣営による、四つ巴の戦いとなりました」

 正確には、私が裏切るつもりだったので、五つかもしれませんが。と、汐里は補足しつつ、少しだけ歪に笑う。

「その後は、乱戦だったから、詳しくは語れない。ともかく、前に告げたメンバーだけが生き残った」

「誰もが虫の息でした。だからこそ私は全てを駆逐しようとした。残るは、慎也君達の子どもと、乱戦の後に生まれた、ルイ達の子である怪物の姉妹のみ。殺害は容易の筈でした。生きた人間がいない以上、彼女達は怪物である私達には、姿を見せる。ので、そこを殺せばよかった。ですが……」

 汐里が言葉を切る。ルイは、悪夢を思い出すかのような表情で、両肩を抱いた。

「教授は、妻を殺され、深手を負ってなお、実験をやり直すつもりだったんだ。彼は、その子を含む全ての怪物の子どもを持ち去り、実験棟から姿を消した……。僕の目の前で、その子を匣に押し込み、連れ去ったんだ……」

 匣という単語に、僕は汐里がしていたペンダントを思い出す。そんな僕を見透かしたかのように、汐里は頷いた。

「レイ君の想像通りです。あの匣は教授が作ったものです。教授と私が最初に合いまみえた時に奪い取ったものです。〝中身を取り出してね〟」

 場の空気が、大分下がった気がした。

「その場で刻み殺した後はもう、私の意識から、怪物の子どもは消し去られていました。どうでもよかったんです。私の一先ずの最優先は、教授からこの匣を奪うことでしたから。正直、桐原(ゴミ)の毎晩のようにしてくる吸血行為やら、諸々の変態行為にはうんざりしていたんですよ。ともあれ、私は手っ取り早く補給できる、永久機関を手に入れた」

 首を鳴らしながら、汐里は気だるげに言う。

「一方、僕はひたすら教授を追っていた。汐里の事も気掛かりだったけど、彼女なら上手く生きていけると思った。だから、最優先すべきは、子ども達だった。この時点ではまだ、僕は汐里の真意を知らなかったんだけどね」

 どのみち優先順位は変わらなかっただろうけど。と付け足すルイを、汐里は横目で睨んでいた。……女の人怖いと、僕は再認識しながらも、僕はルイの話に意識を向ける。

「だけど、ようやく教授を見つけ出した時には、既に子ども達は、ばら蒔かれた後だった。教授曰く、かねがね下見していた候補達の元に置いてきた。と言っていたよ」

 目を伏せながら、ルイはため息をつく。紅い瞳は、相も変わらず哀愁で揺れていた。


「そうしてそこから……僕と汐里の長い戦いが始まったんだ」

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