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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
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76.悲劇の真相≪後編≫

 とある少年の話をしよう。

 彼には、家族がいない。物心ついた時から、彼は施設を転々とし、周りからは距離を置かれながら生きていた。

 明らかに普通の人とは違う容姿。穏やかな物腰も、どこか不気味に取られてしまうことも少なくない。いつのまにか張り付くようになった、アルカイックスマイルも、それに拍車をかけてしまっていたのだろう。

 だから、少年はいつも独りだった。

 長い間、独りだった。

 自分の容姿を変えるという選択肢もあったかもしれない。金にも銀にも見える髪も、血の一滴を落としたかのような、紅の瞳も。普通の人のように塗りつぶしてしまえたなら。

 だが、少年にはそれが出来なかった。自分の容姿は、唯一持っている、家族との繋がりだ。

 この世に確かに生まれ落ち、家族がいたということ。その証明に他ならない。

 自分は目立つから、いつか両親が見つけてくれるかもしれない。気づいてくれるかもしれない。

 そんな子ども染みた幻想を抱きながら、少年は細々と生きていた。

 だが、心の何処かで、少年は気づいていたのかもしれない。自分を迎えいれてくれる両親は、どこにもいない。自分は、捨てられたのだ……と。

 月日が経ち、少年は青年へと成長した。

 上手く周りと折り合いをつけながら、飄々と。アルカイックスマイルの仮面を被りながら、彼はただ、日常を歩く。

 その最中、面白い人と知り合った。彼女は、彼の容姿に物怖じもせず(多少の好奇の視線は向けられたが)何かと彼に突っ掛かってきた。

 他者と深く関わることはおろか、口喧嘩すらしたことのなかった彼には、その悪態をつきあう妙な関係は新鮮だった。

 だが。いつしか、自分を見る彼女の視線に、今までにない熱を感じ取った時、彼は無意識のうちに、彼女から距離を取っていた。はじめて向けられる感情に、彼自身も戸惑い、恐怖に近いものを感じてしまったのだ。

 そんな彼の仮面を察した彼女もまた、静かに引き下がった。下手に踏み込みすぎたと。彼女自身も気がついたのだ。

 在り来たりな言葉。もとい、言い訳のように説明するならば、彼も彼女も不器用だった。故に、彼と彼女の進む道は分かれてしまった。

 しかし。運命の悪戯は、思わぬ所で、残酷な形で作用する。

 彼の前には、不器用な仮面を無理矢理引き剥がす、運命の女性が。

 彼女の近くには、どこか危うげな天才が。

 野心と狂気に駆られた男によってあてがわれた。結果的にその行いは、愛という希望にも絶望にもなりうるものを呼び込む事になる。人ならざるものからもたらされた、歪にも見える愛。それは、彼と彼女から、人間としての存在を奪い取り、そして――。

 別れた道は、再び交差する。但し、それは寄り添うという形ではなかった。片や怪物を守るために。片や怪物の駆逐を掲げ、敵として幾度もぶつかり合う。そんな最悪の形で、二人の縁は繋がっていた。

 皮肉にも、いつか彼女が夢みた、女としてでなくていい。何らかの形で、繋がることが出来たなら。という、願い通りに。


 ※


 芳しい香りを放つ、漆黒の液体を、僕は静かに飲み下す。暖かさが全身に行き渡り、思わず溜め息が出る。

「こんなとこに保存してあるもんだから、大丈夫か心配だったが、意外といけるな」

「僕としては、インスタントコーヒーよりは、レイ君が豆から挽いたのを飲みたかったけどね」

「豆はあるにはありましたが、瓶も割れて、明らかに劣化していましたからね。飲めるだけマシでしょう」

 大輔叔父さんやルイ、汐里が、思い思いのコメントを漏らしながら、紙コップを傾ける。

 少し休憩しよう。というルイの一言に、汐里は何処からかインスタントコーヒーを引っ張り出してきたのである。何でも、病院の給湯室に保管してあったものらしい。お湯は、これまた汐里が持ってきた、非常用持ち出し袋の保存水を、アルコールランプで暖めて作り出した。

「コーヒーサイフォンのフラスコを、ヤカンがわりに使う日が来るなんて……」

 冒涜的とまではいかないが、この面子で、インスタントコーヒーを啜っている事も含めて、僕は何だか複雑だった。

「君は……飲まないか」

 ちらりと怪物の方を見ると、彼女は紙コップを手に持ったまま、黒い揺らめきを見つめ続けていた。物を食べたり飲んだりしているのはついぞ見たことがないが、いつかのタバスコ大作戦の一件を見る限り、味覚は存在しているはずだ。飲んでみたら美味しいのにな。

「そういえばよ。聞いてもいいか?」

「私ですか?」

 叔父さんが汐里に目を向ける。コーヒーはもう飲み終わってしまったのか、手持ちぶさたそうにカップを弄んでいた。

「あんたは、自分が怪物にされて、初めてその危険性に気づいた。それで殺し尽くそうとしている。それで間違いないんだよな?」

「その通りです。トラウマに等しいエピソードを語れるのも、かつて少しは意識した相手にも殺意を向けられるのも、全ては私が間違っていたからと分かる故です。あれは……」

 冷たい視線が、怪物に向けられる。

「この世にあってはならない。今でこそ、レイ君だけが囚われていますが、いずれその子は、レイ君との間に子を成そうとする。そうすれば、また、私のような人間が出ないとも限らない 」

 汐里の言葉には、どうしようもない位の重みがあって、誰もが言葉を発することが出来なかった。

「もっとも、私はこの通り、力は殆ど残っていません。拳銃もありませんし、ルイがあの牡怪物(ゴミ)を始末した以上、回復も望めない。ルイには勝てませんし、レイ君に危害を加えようものなら、そこの怪物に秒殺されます。故に、私はもう、語ることを語って、流れに任せるしかない」

 自嘲するように、汐里は肩を竦め、ルイの方へ横目を向ける。

「ですので、さっさと、話してしまいましょうか。お父さん? 私が怪物となってからの顛末を……」

 皮肉たっぷりの汐里の一言に、ルイは静かに頷いた。

「汐里が人ではなくなってから、また少し月日が流れた。残された二人の実験者達の間にも、不穏な空気が流れ始めていたんだ。無理もない。確率が低いとはいえ、下手したら、自分達も実験台になりかねないからね」

 コーヒーで口を濡らしながら、ルイは語り始める。

「それでも、もう彼らは逃げられなかった。秘密を知った上で逃げれば、教授からの粛清は免れない。だから、実験を続けるより、他になかったんだ。一方、僕達欲求対象者は、相変わらずケージの中だった。一応、欲求対象者同士で会うことは出来たけど、現状を打破出来るものではなかったんだ」


 ルイは指折り、数えるような仕草をする。

「慎也は、怪物になることを受け入れていた。李奈さんを愛して、怪物として生きることを選んだ」

「最初に子どもが出来たのはこのペアですね。忌々しい事に。ようは、牡怪物の両親です」

 汐里の、憎しみに満ちた声が響く。

「純平は……」

「第四実験棟につれて来られて以来、本性をさらけ出しました。元々、前科持ちの性犯罪者ですしね。計画を早めて、何度殺そうとした事か」

 言いよどむルイを代弁して、汐里が吐き捨てるように言う。

 そういえば、汐里が言っていた欲求対象者の人間の中に前科持ちの人間がいると言っていた。

 己の欲望を怪物にぶつけたとも、人間と怪物の間に、子どもが出来ないという事の証明にもなった……とも。

「玲音は……真実を知らされたその日から、毎晩のようにアモル・アラーネオーススに戦いを挑んだ。僕や慎也のように、何も出来なくなった訳ではなく、彼はただ純粋に仇をとるために行動したんだ。でも……」

 溜め息をつきながら、ルイは顔を曇らせる。

「でも、誰よりも力を欲した彼は、皮肉な事に僕達の中でも、とりわけ力が弱かった。腕力ではなく、地球外生命体の力がね。結果、彼は幾度も敗北し、捩じ伏せられた……」

「意思疏通が可能になった後はもっと悲惨でしたね。彼、その声を止めろ! と、何度も訴えていましたから。で……」

 汐里の目に、嗜虐的な光が灯り、ルイを見据える。早くその先をと、急かすように。

「僕はというと、何も出来なかった。運命を決めてしまった慎也とは、よく相談こそすれど、解決までには至らなかったし、変貌した純平は、もう話を聞いてはくれなかった。玲音を助ける事も考えたけど、アモル・アラーネオースス……便宜上、沙耶香さんと呼ぼうか。彼女を殺してしまえば、今度こそ完全に、玲音は壊れてしまいそうだった。そして、僕の懸念はもう一つ。僕の中の力が、極端に大き過ぎたんだ」

 己の手を見つめながら、ルイは独白する。

「身の振り方を考えなければならなかった。アリサの姿を借りた存在も殺せない。友人となった人達も、ようやく会えた頃には、みんな揃って変わってしまった。何かを変えることが出来るのか? それが出来そうな力はあるが、一歩使い方を間違えたら? そんな思いで、悶々としていた時……僕の元に、汐里が現れた」

 静寂の中で、ルイはポツリと、呟くように言う。血色の瞳は、銀髪に隠れてよく見えない。

「怪物に関する、勝手は分かっていましたからね。その時は、既に自由に出歩けるまでになっていたんですよ」

 拳で握り、開きを繰り返しながら、汐里は語る。

「汐里は、これから教授の実験を破綻させる。その上で、生き延びる方法を探そうと、持ちかけてきた。僕はそこで初めて、汐里もこの実験に関わっていたこと、彼女もまた、人ならざるものに変えられた事を知ったんだ」

 手を組みながら「まぁ、生き延びる方法を探す。というのは、偽りだったんだけど」と、付け足した。

 汐里の目的。それを省みれば、その後に起こったのは……。

「全てのアモル・アラーネオーススを殺す。残された欲求対象者は、時間に殺される。それが、私の描いたシナリオです。もっとも、その為には、教授の妻が邪魔でした。故に、私は先ずは彼女と教授を始末しすることにしたんですよ。一部の欲求対象者の、協力を取り付けてね。」

 勿論、欲求対象者達には、怪物を全滅させるという事は伏せた上で。と、言いながら、汐里は人指し指を口に当てる。

「……その、教授の妻には、疑われなかったの?」

「表向きは、従順にしていましたからね。欲求対象者兼実験者として、活動していたんです。私にあれだけの屈辱を与えたんですよ? 教授も、アモル・アラーネオーススも、ただで殺す訳はないでしょう?」

 楽しげに笑いながら、汐里は腕組みする。肩を震わせ、愉悦に満ちた表情は、次の瞬間、一気に能面のような無表情に早変わりした。

「最終的に、協力者として得られたのは、ルイ、慎也君、余った実験者の二人となりました。他二人の欲求対象者は、片や欲望丸出しの変態。もう片方は自分のつがいを殺すことしか目がない狂人。引き入れるには、リスクが大き過ぎました。何より、その二人は後回しにしても、簡単に殺せると思いましたしね」

「……両方裏切る計画たぁ、いい肝の据わりっぷりだな」

 興奮したようにヒューヒューと、荒い息遣いになる汐里を、叔父さんは皮肉たっぷりに賞賛しながら、厳しく睨む。

 が、とうの彼女は、全く堪えた様子はない。

「……それで、どんな方法で教授達を殺すつもりだったの?」

 不気味な息遣いをこれ以上聞きたくなくて、僕は汐里に話の続きを促す。喋り続けていれば、幾分かはマシになる事だろう。すると、汐里の表情は、無表情から徐々に変化し始めた。

「手順は簡単。教授の留守を見計らい、疑われる可能性の低い実験者が、先ずは彼女に近づく。同時に、二方向からのオリーブオイルを塗布した銃弾で、彼女を無力化。そこにすかさず、私、ルイ、慎也君、怪物三匹が、一斉に襲いかかる……」

 淡々と、事後報告でもするかのように、汐里は殺害計画を説明していく。根深さを感じる虚ろな瞳に、僕は口を挟むことも出来なかった。

 話は続いていく。

「後は、最初の攻撃で役目を終えたと思わせた実験者達が、再び発砲。残りの怪物を無力化し、私と牡怪物が、皆殺しにする。最後に帰ってきた教授を処理して完遂。そんな計画だったんです……しかし……」

 語り続ける汐里の表情は、怒りと屈辱に満ち溢れ、最早般若のそれだった。

「よりにもよって、その日に邪魔が入りました。全く。醜い男の欲望に何度も翻弄されるとは……私もつくづく運がないですね」

 肩を落としながら、汐里は乾いた笑いを漏らす。それを横目で見ながら、ルイはゆっくり顔をあげる。

「きっかけは、偶然だった。酷いくらいに偶然と、悪意が幾重に折り重なり、あの悲劇……いや、惨劇が起きた」

「その日、殺し合いが起こりました。多くの命が塵のように消える事となったその日に、あの場所で、再び怪物が、生まれた」

 ルイの哀しげな視線と、汐里の殺意に満ちた視線が、怪物に向けられる。

 怪物は、相変わらずそれに反応を見せる事なく、僕の方を見ていた。

「それが、その子だ。その子が生まれた日は、僕にとって忘れがたい出来事の連続だった。起こった殺し合いによって、僕の友人達は死に、アリサも死んだ。生き残ったのは、僕と、汐里に教授。当時は死んだと聞かされた、桐原。慎也と李奈さんの、残された三体の子ども達。そして……」

 ルイの白い喉仏が、ゆっくり動く。


「僕と、アリサの間に生まれた、二人の娘だった」


 怪物が、生まれた日。

 僕が僕ではなくなる日が、過去の回想とともに近づいてきている。それが何だか、うすら寒かった。非日常な事が語られていることも、それが現実だと、僕の中で受け入れられ始めていることも。

 ごちゃごちゃしてきた思考をぬぐい捨てるように頭を振る。怪物の姉、あるいは妹も気になるし、その末路も予想できてしまうが、今聞くべきは、この悲劇の結末だ。僕は無理矢理、話の続きへと意識を向けた。

「計画は……」

「なんとも言えないですね。成功したとも、失敗したとも言えます。結果的に、子ども達を除いた怪物は殺せました。教授の妻も仕留めましたし。ですが、計画通りには全く動かなかった。私が語った事、覚えていますか?」

 僕の質問に、汐里は静かに質問で返す。

 汐里の言葉をきっかけに、必死で記憶を辿った先に、答えはあった。

「そうだ。確か、怪物が暴走して……」

 殺し合いは起こった。すると、ルイは頷きながら、目を細めた。

「そう、あの日僕達の注意は、生まれてきたその子と、教授の妻への警戒へと向けられていた。故に――」

 ルイのポケットから、白い繭が取り出される。語られていた怪物達の忘れ形見というべきそれを、ルイは黙って見つめていた。

「あの日僕達は、純平と玲音を……。ある意味で、もっとも危険な二人から、目を離してしまっていた。邪な考えを練っていたのは、僕達だけではなかったんだよ」


 悲劇の真相は、やがてその結末へと至る。

 見え始めたルイの真意もまた、すぐそばまで迫ってきていた。

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