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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
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74.悲劇の真相≪前編≫

「娘……?」

 考えが追い付かなかった。が、妙に納得してしまう自分がいた。

 そもそも、教授の目的が、この世を己の遺伝子で埋め尽くす事。この病棟の地下で行われていた事は、その為の実験であり、その為に用意された人材が集められていた。

 何より、僕だってついさっき、自分で言っていたではないか。牡の怪物や、僕のそばにいる少女の怪物は、教授が用意した欲求対象者達と、怪物である教授の娘達の間に産まれたのではないか……と。

 つまり、ルイと、彼にあてがわれた怪物との間に子どもがいても何もおかしくはない。

「事の始まりは、大学卒業後の僕が、とある居酒屋で楠木教授と再会した時だった。僕はこの容姿のせいか、どこに行っても、気味悪がられてね。ついた職も長続きせず、しがないフリーターとして細々と暮らしていたんだ」

 肩を竦めながら、ルイは語り始めた。

「教授は、僕が弧児院の出で、天涯孤独の身であることを知っていた。今にして思えば、欲求対象者の実験台として、これほど好都合な人物はいなかっただろうね。あの居酒屋での再会も、仕組まれたものだったのかも。まぁ、それはいい。教授が持ちかけて来たのは、割りのいいアルバイトをしないか? という話だった」

 懐かしむように、ルイは目を細める。一方、隣に座る汐里は、何かしら思うことがあるのか、複雑そうな表情をしていた。

「内容は、当時の僕にとって、実に奇妙なものだったよ。ある異性と、とある場所で生活を共にして欲しいというものだった。期間は二年間。農作業などといった、制約やノルマはあれど、それでお金も貰えて、家賃も格安でいいなんて言うものだから、何かの冗談かと思ったさ。二年の期間が終わったら、その後の保証まで完備。至れり尽くせりだ。僕は、少し悩んだ後に、結局了承した。アルバイトで食い繋ぐ日々からの脱却が、魅力的に見えたんだ。それが何を意味するかなんて知らずにね」

 ルイがポツリとため息をつく。

 何となく滲み出る寂しさを、僕は感じていた。家族もいない中で、周りから気味悪がられる。方向は違えど、僕も似たような経験はしているのだ。その居心地の悪さは、分かる気がする。

 僕は怪物がそばにいたからなのか、今まで一度だって、ルイの容姿を気にしたことはない。いちいち仕草が絵になって、ムカつきと羨望が入り交じった感情になる位だ。

 だが、思い返してみれば、大学で初めてルイを見かけた時、周囲ではざわめきが起こってはいなかったか?

 あの、好奇や畏怖を含んだ視線。ルイは、それを常日頃から感じながら、今まで生きてきたのだろうか? 人間だった時ですら。

「そうして、僕達は引き合わされた。レポートにアルファベットが付けられていたろう? あれは、一緒に生活を共にする者同士で対応しているんだ。僕と共にあるようになった、彼女の名は……霜崎有紗」

 その名前には、聞き覚えがある。ついさっき、確認した名前だ。

「すでに……怪物にされていたの?」

「いや、その時点では、アリサはもちろん、他の肉体共有者候補の女性達も、人間だった。怪物が欲求対象者を選ぶ基準は知っているだろう? 好意や、情に親愛。なんでもいい。他の誰よりも感情を向け、惹かれた異性に反応する。教授が仕組んだ二年の共同生活のうち、最初の一年はそうなる為だけの布石だったんだ」

 僕の疑問に、ルイは首を横に振りながら答える。すると、大輔叔父さんが少しだけ苦い表情で口を開いた。

「……生活を共にしたからって、確実にそんな感情になるとは限らないんじゃないか?」

「教授はそれでもよかったんですよ。百パーセント四組がそうなればよし。そうならなかったとしても、ほぼ限定された状況の中ですからね。一人位いいな。と思う相手がいればいい。逆に一人に複数の怪物が群がったら、それはそれで興味深い事象になるんです。実験する側の私達からすれば……ね」

 ルイの言葉を代弁するかのように、汐里が答える。その瞬間、大輔叔父さんの眉間に、深い皺が寄った。

「……胸くそ悪いやり方だな。真実はひた隠しにしていたんだろう?」

「ええ、そうですね。まさか自分が喰われるなんて実験、進んで引き受ける人物などいませんから」

 説明をしながら、自嘲するように目を細め、汐里は天井を仰ぐ。それを見た叔父さんは、ますます不機嫌そうな表情になる。

 人体実験という時点で、叔父さんにとっては許しがたい事実なのだろう。僕もあまり、いい気持ちはしない。

「話を続けよう。人間の心理的実験だと、最終的に説明を受けた僕達は、こことは別の場所――。『第三実験棟』に案内された」

「……ここじゃなく?」

「うん。古いキャンプ場を改造したような場所でね。各ペアごとに大きめのコテージがあてがわれ、そこで僕らの生活が始まったんだ」

 そういえば、ここについたばかりの時、第三実験棟もあると、ルイが言っていたのを思い出す。まさかそんな事の為に使われていたなんて想像すら付かなかった。

「色々あったけど、皮肉にも人生でもっとも幸せな日々だったかもしれない。ずっと独りだった僕にとって、擬似的ながらも、家族というべき人が出来て、嬉しかったのを覚えている。他のペアともちょくちょく交流があってね。自然の中でのほぼ自給自足の生活は、本当に楽しいものだったよ。でも……」

 ルイは目を伏せ、ため息を漏らす。

「元々作られた幸せは、長く続かないのが道理だった。一年たったある日、僕達は新しい環境で生活して貰いたい。という教授からの要請で、この場所――。第四実験棟に連れてこられた。道中で睡眠薬を投与されてね。そうして気がついたら、僕は一人。あの、地下にあったあの部屋に収容されていたんだ」

 当時の事を思い出したのか、ルイは軽く身震いした。僕の脳裏を過る、陰鬱とした雰囲気の地下室。分断された男と女。その先に考えられそうなことは一つだけ。前に汐里が断片的に語っていた、肉体共有者候補達の末路……。

「突然そんな所に放りこまれた僕は、当然ながらパニックになったよ。ここはどこだ? アリサはどうした? 他の皆は? といった具合にね」

「君が……パニックに?」

 いまいち想像できなくて、僕は思わず首を傾げる。なんというか、違和感が凄まじい。

 そんな僕の戸惑いも気に留めないかのように、ルイは語り続ける。

「でも、事態がますます混沌を極めたのは、そこから更に何日か経った後だった。脱出の目処も立たず、ただ作業のように運ばれてくる食料を摂取しながら、僕はアリサや他の皆の身を案じ、眠れない日々を過ごしていた。運んでくる見知らぬ男――。後に実験者の一人だったと分かる男に説明を求めても、何も得られない。歯痒い思いだったよ。そんなある夜の出来事だった……」

 だが、その違和感も直ぐに払拭された。ルイが次に口にしたその言葉で。

 僕の中に未だに根付く、根源的な恐怖の引き金。


「深夜、僕はカサリという、何かが擦れるような音で、浅く短い眠りから、現実に引き戻されたんだ」


 それは、僕にとって全ての始まりを告げる音だった。


「目を覚ました僕が見たのは、この世のものとは思えないものだった。僕が収容されているガラスの向こうに、大きな。それは大きな蜘蛛がいたんだ」

 それが何か。なんて、聞くまでもないよね? と、ルイは僕に確認する。当然だ。僕だってそれとは遭遇しているのだから。

「あの時僕の前に現れたのが、アリサを既に取り込んだ後だったのか。取り込む前だったのかは分からない。まぁ、知ったところで何なんだって話だけど。ともかく、僕はその数日後、〝彼女〟に捕らえられた。アリサの姿をした、〝彼女〟に」

 ルイはそっと、自分の首筋に触れる。人より色素が薄いそこは、ゾッとするほど白い。そこから流れ出た血は、どんなものより赤く見えた事だろう。

「最初は、彼女がおかしくなってしまったのかと思ったよ。僕の言葉には耳を貸さず、ひたすら沈黙を保ち、毎晩僕の血を吸っていく。異常の範疇を通り越していた。けど、僕には彼女を突っぱねる事は出来なかった。アリサの姿で微笑み、僕が離れようとすると、アリサの姿で寂しそうにする彼女を、邪険に出来うる筈もなかった。そして……」


 ルイは自分の手を見つめながら、静かに。その結末を告げる。


「最終的に、僕は彼女に補食され、人ではないものになった。拒むことも、逃げる事も出来なかったよ。僕の身も心も、その時点で彼女に支配されていたんだ。アモル・アラーネオーススの存在や、その生態。教授の目的について、ようやく説明が入ったのは、全てが終わった後だった。そこで僕は〝本物のアリサ〟の死を知ったんだ」

 僕は、どう反応すればいいのかわからなかった。

「最初は、激情に任せて、彼女を殺そうと思ったんだ。けど、出来なかった。愛した人と同じ顔。同じ声。その想いで動いた彼女。全く別の存在なのに、僕にはどうしても手にかけることが出来なかった……」

 顔を伏せ、暫くの間ルイは沈黙する。隣の汐里は、それを無表情のまま眺めていた。

「後は、語るまでもありませんね。殺すことも、逃げる事も出来なかったルイは、本当の意味で怪物に囚われた。他の三人の欲求対象者も同様です。一人は変わらぬ愛を。もう一人は己の欲望を。そして最後の一人は、怪物に憎悪を向けました。ですが、そんな感情に教授は目を向けることなく、ただ次の世代の為の準備を進めていました。そして……」

 汐里は一旦言葉を切り、そっと、白衣のポケットに手を伸ばす。取り出されたのは、千切れたチェーンと、粉々に砕けたペンダント。もう一匹の怪物が囚われていたものだ。


「奴が……生まれた」


 憎悪を隠しもせず、汐里は歯軋りする。怪物の力を枯渇させられて尚、その表情に弱々しさは感じられない。今も息ずく汐里の迫力に、思わず僕は気圧される。


「さて……では、ルイがレイ君の元に辿り着く経緯の前に、私が怪物になった話をしましょうか」


 暴かれていく陰鬱な真実。どうやらそれは、まだほんの序章に過ぎなかったらしい。

 唾を飲む音が、やけに大きく聞こえる。僕は、少しの緊張感と共に、それを聞く体制に入っていった。


 ※


 そこは、暗闇だった。泥の臭いだけが充満する、無限地獄。『彼』は、そこに沈んでいた。

 既に身体は動かせない。食料もない以上、死は避けられないだろう。だが、心に燻るこの感情は、絶えず渦巻き、濁り、激動する。

 悪意が、広がっていく。今や肉の檻と化したこの身の中を、毒のようにゆっくりと。

 最初に見えたのは、愛した女だった。遠くからでも分かる。彼女は生きている。だからこそ『彼』の理性は戻り、こうして怒り狂っているのだ。

 どうしてここに来てくれない?

 次に浮かんだのは、自分をこんなにした、アルビノの男だ。記憶の中の彼女は、いつもあの男を見つめ、気にかけていた。そうだ。あの男が、彼女を。汐里を奪ったのだ。

「コ……ヤル」

 三番目に浮かんだのは、知らない殺意。黒い少女。自分と同じ存在。己の遺伝子を残せない以上、彼は少女に興味などなかった筈なのに。

 何故……自分は……?

「コ……シ……ヤル」

 顔が、どんどん浮かんでくる。鳶色の髪。暗い影を感じさせる、男。その瞬間、『彼』は、妙に身体が熱を帯びていくのを感じた。どうして、こんな……。

「コロ……シテ……ヤル」

 何より、さっきから頭の中で響く声が、止まらない。まるで耳鳴りのようなそれは、徐々に鮮明になっていく。

「コロシテ、ヤル……殺シてやル……引き裂いテ、八つ裂きにシテ……細切れにして……」

 その存在に気づいた時、『彼』は圧倒されると共に、あり得ないその現象に恐怖した。

 自分が取り込んだ人間という。生命体の精神は、こうまで頑強で、恐ろしいものだったというのだろうか? これではまるで……。


「喰ッテヤル」


 怪物……。そう口にしようとした時、『彼』の意識は消失した。その瞬間、毒で動けなかった筈の牡の怪物は、電流でも走ったかのように、身体を震わせる。

 沼の底で、ゆらりゆらりと、何かが蠢いた。かと思えば、それはまるで狼煙のような勢いで急速に水面へと浮上する。

 それは、巨大な蜘蛛だった。泥にまみれた大蜘蛛は、まずは頭を。次に脚の何本かを沼から出し、すがり付くように岸へと辿り着いた。

 ゆっくり。静かに、その巨身が沼から引き抜かれる。太い腹が地面を擦り、湿った音が辺りに響く。すると、蜘蛛の身体は急速に縮み始め、やがて、長髪の男へと成り変わる。

「ゲェッ! グボッ、ケフッ!」

 喉に詰まった泥を吐き出しながら、男は口角を歪に歪めた。

「シオリ……しおり。汐里……ヘヘ……」

 不気味な笑いを浮かべながら、男は地面を這う。向かう先は、自分が止めをさされた、森の古木。その根本には、見るも無惨な肉塊が安置されている。

 山城京子の亡骸だった。

 男は、それの手だったであろう場所を優しく掴むと、まるで慈しみ、感謝を捧げるかのように、そこへ唇を落とす。

「感謝する。さぁ、共に行こうか」

 一言だけそう告げると、男は地面に落ちていた、メスを握ぎりしめた。

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