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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
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72.閑話六・血の芸術家の末路

 山城京子が襲われる、数分前の事だった。

 予想外だ。

 そう呟きながら、明星ルイは何処か拍子抜けした様子で肩を竦めた。

 目の前で金切り声を上げる地球外生命体は、未だに暴走を続けている。汐里が瀕死に。あるいはもう既に死亡してしまったからか。ともかく、それが原因でだ。

 だが、その身体は、もはや満身創痍といっても過言ではなかった。

 頭、腹、脚。その至るところには大きな裂傷が見られ、赤黒い血が止めどなく流れている。身体が何度か痙攣し、赤々と不気味な光を帯びていた八つの目も、今は随分と弱々しい輝きとなっていた。

 幾度にも渡る、鉤爪と大顎の応酬。それにより切り裂かれ、痛々しい傷を負った木立が、吹きすさぶ風で軋みをあげている。天地を白く染め、絡み合う糸は、それらを包囲するかのように張り巡らされていた。それはまさに、人外同士の戦いの壮絶さを物語る世界。その縮図だった。

 勝利の女神が微笑んだのは、ルイの方だ。だが、当の本人は釈然としない様子で、その場に佇んでいた。

 原種の地球外生命体にしては、弱い。

 それがルイの抱いた感想だった。少なくとも、回復した自分の力を全て動員して、ほぼ互角か、ほんの少しだけ上回れる。そうルイは踏んでいた故に、この幕切れは妙に不気味ささえ感じてしまう程だ。

 だが、実際に原種の地球外生命体は地に伏し、ルイはこうして生きている。変な理屈をこねたところで、それは不変だ。ならばもう、深く考える必要はないだろうか?

 これから自分がやらねばならない行為に陰鬱としながら、ルイはため息をつきつつそう結論付け、頭を切り替える。

 あと一撃。それで『彼』は死ぬだろう。ルイは、少しの躊躇を振り切り、ゆっくりと鉤爪を振り上げた。

 暴走した地球外生命体は、完全な人喰いの怪物となってしまう。地球外生命体と欲求対象者は、互いの存在がなければ生きてはいけないのだ。片方が死亡した場合、欲求対象者には約束された死が。地球外生命体の場合は、理性を失った怪物に成り果てるという結末が残されている。

 怪物に身を落とした地球外生命体に、元に戻る術はない。ルイが『彼』にしてあげられる事と言ったら、ただ速やかに、引導を渡してやるだけだった。

「……ごめんよ。なるべく苦しまないようにするよ」

 欲求対象者が死亡し、地球外生命体が暴走する。この事の運びを、ルイは以前にも体験したことがあった。苦々しく、辛い記憶の想起に、ルイは無意識のうちに唇を噛み締める。

 惨劇は繰り返された。いや、繰り返されようとしている。それを止めるために、自分が再び戦うことになろうとは、なんという廻り合わせだろうか。運命という言葉を通り越して、ルイはある種の呪いの存在を感じていた。

 だが、その呪縛もこれで断ち切られる。あとは、自分の目的の為に動くのみだ。

「……ん?」

 意を決したその瞬間、ルイは妙な違和感を抱いた。

 生暖かく、ねっとりとした気配が、ルイの全身を舐め回すかのように立ち上ったのだ。

 悪寒。殺気。その言葉がしっくりくるそれは、否応なしにルイの動きを止めた。

 怨念を込めたかのような、低いうなり声がする。それと共に、弱々しかった地球外生命体の目が、再び輝きを取り戻した。


 その瞬間。ルイの中で、次々と仮説が組上がっていく。

 明らかに弱い地球外生命体。それは、汐里のオリーブオイル漬けによる弊害だろう。暴走し、肉体におけるある種のリミッターが外れたからこそ動けただけで、本来ならばこうして戦えたのが奇跡に近いものだったのだ。

 弱った怪物。それが次に取る行動は? 生存戦略。自身の安全確保。尚且つ、自分の体力等も回復できれば望ましい。

 幸いにも、この場には〝餌〟は三人いるのだから。

「ぎぃ……ぎぃいいぃいっ!」

 怪物は断末魔にも似た奇声をあげながら、身体を震わせる。火事場の馬鹿力による反撃を危惧したルイは、すぐさま鉤爪を降り下ろした。

 が、時すでに遅し。一瞬の硬直は、怪物に充分なまでの隙を与えてしまっていた。

 傷付いたその身の何処にそんな力があるのか、怪物は驚異的な跳躍力をもって宙を舞う。

 空に張り巡らされた巣に取り付いた怪物は、そのまま全身を揺さぶっていく。蜘蛛糸が上下し、まるでトランポリンのようにうねる。それを見た瞬間、ルイは怪物の意図を察した。

 怪物の狙いはルイではない。いや、元々ルイは、眼中になかったのだが、目の前に立ち塞がってきたので戦っただけだったのだろう。〝冷静さを取り戻した怪物は、今のままでは分が悪いと判断し、本能が告げていた標的へと狙いを変えた。弱った自分でも勝てる相手に。それを自身の糧にするべく。

 すなわち……。

「狙いは……大輔さんか、山城京子か!」

 ルイが舌鳴らしするのと、怪物が動いたのは、同時だった。

「逃げろ! 大輔さん!」

 反射的にルイは叫び、即座に駆け出した。だが、怪物の方が早い。既に大輔と京子の真上まで跳んだ怪物は、そのまま彼らにのし掛かる。

 大輔は、何とか難を逃れた。だが、もう一人――。山城京子は捕らえられた。

 八本の脚を駆使して、京子に取り付く怪物。狂った殺人思考を持つとはいえ、京子は生身の人間だ。身を締め付ける黒い脚は、彼女にとって、死神の抱擁だった。

 そして――。


 ※


 捕らえた女を運びながら、『彼』は高速で森の中を移動していた。

 呻くような声を上げる女が煩いので、時折休憩がてら女を食んできたが、あくまでつまむ程度。それが『彼』には不満だった。

 どれ程進んだだろうか。丁度よさげな大木を見つけた『彼』は、その近くに降り立つと、感覚を研ぎ澄ませる。

 気配は……ない。あの銀髪の男からは、だいぶ距離を稼げたようだ。暫くは大丈夫だろう。『彼』はそう結論つげると、女を地面に横たわらせる。

 最初は喚いたり呻いたり、「お腹破らないで……!」と懇願してきたが、今は随分と大人しくなった。

 女はもう死んでいる。物言わぬ骸と化してしまった。温かいうちに一気に食したかったが、それは贅沢だろうか。『彼』はそんなことを思いながら、舌舐めずりする。〝人間の身体〟になったのも、随分と久しぶりだ。と、感じながら。

 『彼』は、大方喰い尽くした女の腹部に顔を埋めた。血を啜り、肋骨を掻き分け、その奥の肉を、内臓を味わう。甘美な味がする。以前は汐里の血しか受け付けなかったのに、今は違う。その不思議な気分に身を委ねながら、『彼』は顎を動かし、徐々に上の方へと口を付けていく。

 女の死体は、見るに絶えない様となっていた。まず、片腕がない。腕の骨や肉を貪り食ったため、皮一枚で繋がっていたそれは、何処かに落として来てしまったようだ。

 同じように、太ももの肉もごっそりと削ぎ落とされ、白い骨が覗いている。腹は破られ、顔は恐怖と絶望に歪んでいる。それが『彼』には堪らなく嬉しかった。

 死に体と分かっていながら、『彼』は女の首を絞める。急速に血を失ったからか、その細首は酷く冷たい。ギリ……ギリ……と、掌に覚える、何かを壊す感触。興奮しきった『彼』は、身体の一部が急速にそそり立っていくのを感じながら、息も荒く、女に口づけする。

 支配する感触にその身を委ねながら、『彼』は女の首から手を放すと、頭部に鉤爪を叩きつけた。頭蓋がいとも簡単に割られ、その下からグロテスクなそれが剥き出しになる。『彼』は、止めどなく溢れ出る涎をぬぐいもせず、それにむしゃぶりついた。

 森の中に、粘性を含んだ咀嚼の音が響く。女を喰らう度に、身体に力がみなぎってくるのを感じながら、『彼』は夢中で啜り、貪る。

 故に、『彼』は気が付かなかった。背後から高速で飛来する、銀色の閃光に。

 まさに電光石火。『彼』が気が付いた時には、灼けつくような四ヶ所の痛みと共に、身体が宙を待っていた。

「ギ……ガァアアァア!」

 悲鳴をあげながら、『彼』は無様に地面に墜ちる。何が起きたかも分からぬままに、『彼』が顔を上げると、そこには……白い抹消者がいた。

「……懐かしい顔だ」

 アルカイックスマイルを浮かべたまま、その男――、明星ルイは鉤爪を振るう。『彼』の身体は、あっという間に拘束された。

「人間の姿……ということは、やっぱりある程度の理性は戻っている? けど、本来は暴走時にしかあり得ない捕食行動……」

 血色の双眸を細めながら、ルイは一歩前に出る。

「クル……な……」

 『彼』は何とか声を絞り出す。ルイはその様子と、変わり果てた女――、山城京子の死体を交互に見据えた。

「君が理性と本能の間で揺らいでいるのは、今の汐里の状態と関係があるのかな? 彼女もまた、狭間をさ迷っている。生と死の境界を……ね」

「汐……里……!」

 その名前に、『彼』は過剰に反応する。京子の血や体液で濡れた口元を歪め、彼はルイを睨み付ける。

「彼女なら今、大輔さんが処置しているよ。助かる可能性は……何とも言えないけどね。」

 知らない男が、汐里に触れる。汐里が。汐里が……。彼の中で鎌首をもたげたのは、強烈な嫉妬だった。力が戻ったなら、真っ先に駆け寄る筈だったのに。支配から逃れ、自分が彼女を支配するつもりだったのに……!

「アァ……アアアアァア! あの、女ハ! 俺の! 〝俺達〟のモノだ! フザケルナ! ふざけるな! お前らが手を触れてイイ女じゃナイ!」

 狂ったようにもがく『彼』を、ルイは冷たく見下ろした。

「取り込んだ人間も問題だったね。思えば、悲劇の引き金は君の。いや、君達の欲望が、全ての発端だった。……欲望で動いているって点だけでいえば、僕も人の事は言えないけどね」

 苦笑いを浮かべた後に、ルイはため息をつく。

「さて、汐里の説得に失敗した上、君は今、危険な状態にある。僕の力も、汐里や君との連戦で、随分と消耗した。これ以上浪費は出来ない。何より、僕の計画に今の君の存在は最大の障害になりうる。だから……」

 言葉が告げられる。残酷な宣告。そんな時ですら、ルイの顔には、彫像の笑みが張り付いていた。


「殺すよ? 僕とは似て非なる、〝牡の怪物〟」


 その時。『彼』の心を支配したのは、混じりけのない、純粋な恐怖心だった。


「ひ……ギィイイィッ!」

 奇声を発しながら、『彼』は糸の拘束から逃れようとする。しかし、本来ならば簡単に引きちぎれそうな糸は、ビクともしなかった。それどころか、彼は身体に謎の痺れを感じ、当惑する。

「なんだ……身体ガ……動かナイ……?」

 当惑した様子の『彼』。そこに、ルイは静かに近づいていく。

「汐里が前に喋ってたけどね。僕達、欲求対象者は、体内で地球外生命体の体液を生成出来ないかわりに、地球外生命体の能力に加えて、固有の能力を二つ持っている」

 ルイの手が振るわれ、鉤爪が飛び出す。『彼』は、未だに地面に伏したまま、それを見守る事しか出来ない。ルイはそのまま話を続けていく。

「一つは、地球外生命体が本来持つ能力。そのうち一つを強化したもの。そしてもう一つは、蜘蛛に由来する能力だ」

 ルイの鉤爪の手が、何度か開閉され、その度にネチャネチャという湿った異音がする。鉤爪は、しっとりと濡れていた。

「汐里は、『蜘蛛の跳躍力』そして僕は……」

 風を切るような音と共に、ルイの鉤爪が、『彼』に突き刺さる。その瞬間、『彼』は身体に、今までに無いほどの圧迫感を覚えた。

「僕の力は、『蜘蛛の毒』だ。それも、ただの毒じゃあない。地球上に存在しないもの。当然ながら、血清なんて存在しない」

 『彼』は、血の気が引いていくのを感じた。今打ち込まれた腰と、さっきの両肩、両脚への攻撃。身体に走る、計五ヶ所の痛みと痺れ。原因はまさしく、つい先程、毒を打ち込まれたからに他ならない。

 毒蜘蛛というレッテルは、あくまで人間にとってのラベル付けであり、実際にはこの世に存在する殆どの蜘蛛は、毒を有している。相手を絶命させる為ではなく、痺れさせ、動けなくするための毒。自分の獲物にだけ効けばいいというそれは、人間にとっては無害でも、蜘蛛が食す生物にとっては、恐怖の対象以外の何物でもない。

 『彼』は今まさに、喰う側から喰われる側へと貶められたのだ。

「この毒は、強力だけど消耗が半端なくてね。けど、ここで使うだけの価値はある。現に君はこうして動けずにいる」

 ルイは静かに、『彼』の襟首を掴むと、森の暗がりを見据えた。

「君がこっちへ。西側の森に逃げ込んでくれたのは幸いだった。この辺は大きくて深い沼がいくつもある、危険地帯だからね」

「よ、ヨセ……」

 『彼』が、怯えたような声を漏らす。が、ルイは構わず話し続ける。

「地球外生命体を殺す方法は三つ。一つは、オリーブオイルを付加した武器で致命傷を与える。二つ目は、同じ地球外生命体の力をもって殺す。……もっとも、本来は原種と欲求対象者では力の差が歴然だから、好まれる方法ではない。そして最後は……」

 ルイの腕が振るわれた。『彼』の身体が放物線を描きながら飛んでいき、やがて、大きな水音と同時に、彼は泥濘に捕らえられた。

「最後は、欲求対象者からの隔離。それに伴う餓死だ」

「オノレ……おのれぇ……!」

 『彼』の恨みの声も、ルイには届かない。身体が動くならば、今すぐにでもここを脱出したいが、それも叶わない。自分の重さで、『彼』の身体はみるみるうちに沈んでいく。「毒が自然に抜けるのは……あまり期待しない方がいい。脚に少しだけ受けた汐里ですら、完全に回復するまで一ヶ月はかかった。君が受けたのは五ヶ所。とうに動ける身体ではない。……もう聞こえないか」

 その時既に『彼』の身体は、沼底へと消えていた。それを見届けたルイは、鉤爪を人間の手に戻すと、京子の死体に視線を向ける。既に人としての原形を留めていないそれを眺め、ルイは目を細めた。

 他者の内臓を抜き取り、芸術を創造した表現者。その末路がそこにあった。因果応報という言葉を体現したかのような壮絶な死に様。血の芸術家の内臓は、全て抜き取られていた。

「さて、と……レイ君に何て言ったらいいかな」

 ここにはいない青年の顔が思い浮かび、ルイは静かに溜め息をついた。

 彼の複雑になるであろう心境を思えば、ルイは鬱々とした気分を拭えない。そこにこれから、自分の真意も告げることになるだろう。勿論、あの子とレイがうまく行ったらの話だが。

「〝アリサ〟見守っていておくれ。僕はこれから……己の願いを叶える。叶えてみせるよ」

 誰もいない夜空に、ルイは静かに呟いた。

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