表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名前のない怪物  作者: 黒木京也
第四章 真実の深淵
71/221

67.選択の時

『捕食して殺害。という言い方は、少々穿ち過ぎかもしれないが、的は射ていると思われる。実際に、私も彼女に一度補食された後に、新人類として目覚めた。紛れもなく、人としての私は、一度死亡したのである。

 新人類という単語では、少し分かりにくいかもしれない。結論のみを簡潔に述べるならば、私自身の身体も、アモル・アラーネオーススに極めて近い別の生き物に作り替えられたのである。

 唐突な話となるが、アモル・アラーネオーススの交配及び、繁殖方法は、極めて特異である。これは彼女に聞いた話だが、アモル・アラーネオーススは、基本的にメスの誕生率が異様に高く、オスが生まれるのはごく稀なことらしい。

 更に、彼女達は、同種同士で子孫を残すことは出来ない。必ず何らかの生物の遺伝子情報を取り込み、それを自分自身に反映する。その上で、取り込んだ生物の同種別個体を捕獲し、それの遺伝子情報を自分自身に近くなるように書き換え、晴れて自分の食料兼伴侶とするのである。

 遺伝子情報を取り込む役割を担うのが、アモル・アラーネオーススが最初に補食対象とする個体。「肉体共有者」であり、伴侶として、食料として。何より、取り込んだ生物固有の社会からアモル・アラーネオーススを守る役割を担うのが、二番目にして最後の補食対象。すなわち、「欲求対象者」である。

ちなみに、「肉体共有者」と「欲求対象者」は対の存在となっている。アモル・アラーネオーススがメスの個体ならば、「肉体共有者」も人間の女性が選ばれ、「欲求対象者」は人間の男性が選ばれる。逆にアモル・アラーネオーススがオスの個体ならば、「肉体共有者」も男性。「欲求対象者」は女性の人間が選ばれる――』


 頭が、パンクしそうだった。教授のレポートを読み進めれば読み進めるほど、僕の中の絶望が色濃くなっていく。

 告げられていく真実は、まるでパズルのピースのように、記憶や知識の不透明だった部分にはまり込んでいく。

 怪物が僕に執着する理由は、補食対象としてと、子孫を残す為の雄として見ていたから。僕を逃げられなくして、徐々に、ゆっくりと、自分と同じ怪物にする。それがあいつの目的だったのだ。

 恐らく、吸血の後にそのまま注入されていたものは、ルイの言っていた『怪物の体液』だろう。あれは、『身体所有権の剥奪能力』のエネルギーとなり、僕を逃げられなくする為のものだけではなかった。僕をルイや汐里と同じ、後天的な怪物に変えていく為のものだったのだ。


 謎は、確信に代わっていく。


『アモル・アラーネオーススの習性の一つに、血と蜘蛛糸で編まれた、繭を作るというものがある。欲求対象者の血液と、アモル・アラーネオーススの体液を配合したこの繭は、食料となるだけではなく、傷や能力を急速に回復させる、滋養の薬にもなる』


 ルイの能力は、アレで回復した。怪物も、そして……僕もだ。

 あの地獄の夏。京子に腹部を刺された僕は、間違いなく致命傷だった。だが、僕は予想だにしない軽傷で済み、行き長らえた。あの時何があったか? 言うまでもない。僕だって傷付いた怪物にした行為。血の口移しだ。人間の側面が強いながらも、僅かに怪物としての要素も持ち合わせていた僕は、あれで回復したのだ。

 おかしかったことはまだある。藤堂修一郎を追い詰めた時、僕は薬物を盛られていた。だが、彼の予想に反して、僕はフラフラながらも、すぐに動けるようになった。あの時は、藤堂のミスかと思ったが、今にして思えば、あれもまた、僕に怪物の力が注がれていたから故だったのだ。

 怪物は、再生能力だけでなく、毒物にも耐性を持っている。ルイが言っていた言葉だ。


『肉体共有者は、生まれたアモル・アラーネオーススが、最初に認識した知的生命体。その同性であることが条件で選別される。彼女達は、捕捉した生命体を吸血。同時に、自身の体液を流し込むことで、対象を支配下に置く。一度こうなってしまえば、肉体共有者とされたものは逃げられない。時間をかけてゆっくりと体力を奪われ、捕食される。その血も。肉も。骨も。心すら、アモル・アラーネオーススは取り込んでしまうのである』


 米原侑子は、確か一週間ほど行方不明になっていた。彼女もまた、『身体所有権の剥奪能力』を行使されたのだろうか? 逃げることもできず、自分が捕食される死地――。路地裏へと導かれ、そして……。


『一方、欲求対象者の選別は、肉体共有者に依存する。肉体共有者が生前、特定の雄へ向けた思慕の念。それを引き金に、肉体共有者を得たアモル・アラーネオーススは欲求対象者を見つけ出し、己の支配下におくのである。こうして、長い時間をかけて、アモル・アラーネオーススは、欲求対象者を本人が認識出来ない水準で、その個体本来の性質から解離させていく。一定の距離を保ちつつ、先ずは血を。続けて身体の自由を。住居を。最後は少しの恥じらいの後に、その個体の在り方へと侵食する。あたかも蜘蛛糸を伸ばし、獲物を絡めとるように……』


 手が、冗談のように震えている。

 ようやく分かった。怪物が米原侑子の姿で、僕の元に現れた意味。

 ルイが僕と米原侑子の関係性を気にしたのも、こういった背景があったからだろう。

 問題は、僕は本当に彼女を知らないし、接点もなかったことだ。つまり……。

「彼女が……一方的に僕を知っていた?」

 そうとしか、考えられない。だとしたら、このアモル・アラーネオーススの生態は、双方に対してかなり理不尽だ。『シンジュウグモ』と呼ばれても致し方あるまい。

 片や純粋に命を散らされ、もう片方は人を止めさせられる……あたかも男と女が、運命を共にするかのような、歪な死だ。

 それだけではない。

 一定の距離を保ちながら、血と身体の自由、住居という順番に侵食する。それはまさに、あの怪物が歩んできた行動だった。

 僕の部屋に蜘蛛糸を張ったのは、単に引っ越しただけではない。僕を怪物にする準備が、着々と進行していたのだ。

 少しの恥じらい。怪物がさっき見せた、煮え切らない不可解な行動が頭に浮かぶ。あれが、恥じらいだったとしたら?

 僕が次に侵食されるのは……。


 手だけだった震えが、今や全身へと行き渡っていた。

 レポートに書かれている内容は、多くの事例を求めた教授によって、実験の経緯と、その方法へと移っていく。


『私と彼女の間に、子どもが生まれた』


 おぞましい書き出しと共に、淡々と明かされていく。

 知識を毒にたとえた著名人がいた気がする。あの言葉の意味をこんなにも身近に感じる日が来るなんて思わなかった。


『実験の準備は順調だった。私は信頼できる助手の候補や、アモル・アラーネオーススの肉体共有者と欲求対象者の候補も、着々と見つかって来ている。キャバクラ通いを欠かさなかった甲斐があった。キャバ嬢達の中でも、仕事に誇りを持っていない者。生きるのに精一杯な者。両親などの血縁関係が薄い者。要は、訳ありな者を標的に、声をかけていく。ひとまず四人だ。生まれた子ども達の為にも、美的水準が高い相手を選ぶことにする。その方が、欲求対象者も早く陥落してくれるだろう。見つからなかった場合は、パトロンとなった家に当たってみることにする。今時家柄に誇りを持っている連中だ。一族の鼻摘み者と化したお嬢様くらいはいるかもしれない』


 ルイめ……本当に然り気無いレベルで情報を開示していたらしい。確かに重要な情報だとは言っていたが、こんなの想像がつく訳ない。教授は文字通り身体が目当てだっただなんて、まともな思考回路を持っていてもたどり着けるか怪しいものだ。

 それに……。


「鼻摘み者……か」


 嫌な言葉だ。妙なシンパシーが沸いてしまうのは、僕も似たような境遇ゆえだろうか? 大輔叔父さんのような人が一人いるだけでも、僕は大分恵まれてはいるのだろうけど。

 レポートにまた目を通す。

 パトロンの家――。そういえば、米原侑子は人為的に怪物に接触させられた可能性があると言っていた。鼻摘み者のお嬢様が米原侑子だったのだろうか? 彼女も、何らかの孤独。否、寂しさを抱えながら生きていたのだろうか? その末路が、アレなのか? 死後も尚、彼女はその身を利用されている。まるで生きた屍みたいではないか。

 気がつけば、レポートは僕の手で握り潰されていた。

 まだ実験の進行とか、色々読むところはあるのに。怪物の能力だって……いや、あれはもう今更だ。数々の経験で、大体の効果は知っている。一般人なら笑い飛ばして終わる、非現実的な存在と現象。それを僕は知ってしまった。


「こんなの……あんまりだ……!」


 レポートを壁に投げつけ、力なく座り込んだまま、僕は頭を掻きむしる。もう精神の限界は越えていた。この狂気に巻き込まれ、一体何人の人が死んだのだろうか?

 知りたかった事だった。けど、真実は予想していたよりも重かった。こんなことなら、知らなければよかったと思えるくらいに。

 僕は、僕は――。


 その時だ。遥か遠くから、微かに扉を開ける低い音が聞こえた。


 ビクリと身体が跳ね上がり、思わず呼吸が乱れる。震えは止まらない。

 言い聞かせるように、わかっていたさと呟いてみても、何も変わらなかった。


 足音が聞こえてきた。コツコツコツコツと、無機質な床のタイルが、冷たい旋律を奏でていく。


 ――思えば、ルイが怪物だったと分かった時から、妙に嫌な予感はしていたのだ。汐里の正体。抱えるもの。見え隠れする教授の影。深みに行くほどに嫌な予感は次第に現実味を帯び、最後には恐怖へと変わっていく。僕はそれから目を逸らしていた。逸らすことで、平静を保っていたのだ。


 足音は徐々に大きくなり、やがて、部屋のすぐ傍でピタリと止まった。ドアの向こうから、何かの気配を感じる。確認しなくても分かる。アイツが来たのだ。


 ルイは、仲間が欲しかったのだろうか? 彼も寂しかったのだろうか? 今となっては、それも確かめる術はない。ただ一つ分かることは、あのままいけば僕も怪物になる。にもかかわらず、ルイは何も言わなかった。寧ろ、最後までその事実をひた隠しにしていたという事だけだった。

 一体、何の為に?


 ドアがゆっくりと開かれる。昔はドアなどあっても、蜘蛛に変身して僅かな隙間をすり抜けてきた癖に。随分と人間らしくなったものだ。

 僕はゆっくりと顔を上げる。現れたのは予想通り、美しい少女の姿をした、『名前のない怪物』だった。

 キョロキョロと部屋を見渡した怪物は、やがて、僕を視界に捉えると、こちらをじっと見つめてくる。

 絡み合う視線。その瞬間、僕はとうとう覚悟を決めた。


「出来るだけ……優しくしてくれると嬉しいな」


 情けない訴えだと自分でも思う。これの意図が伝わるとは思えない。けど、僕は口にすることで、恐怖を無理矢理拭う。

 いつものような、怪物が甘えて来たときに見せる、僕の苦笑い。怪物は、それをどう受け取っただろうか?

 受け入れたと、思ったのだろうか? さっきの言葉で、少しでも油断してくれただろうか?


『勿論、新人類になることを回避する方法は存在する。完全に身体が作り替えられる前ならば、身体に染み渡らせたアモル・アラーネオーススの力は除去が可能だ。

 少量なら、アモル・アラーネオーススとの接触を断っていれば、自然に消える。ある程度浸透しているならば、アモル・アラーネオーススの弱点の一つ、オリーブオイルを取り込めば、体内の力は打ち消せる。その上で、アモル・アラーネオーススを殺害すればいい』


 レポートの内容を思い出しながら、僕はそっとズボンの腰元に手を伸ばす。ごつごつした、武骨な感触。ルイからの預かりもの、オリーブオイル付きの一品。怪物殺しのサバイバルナイフが、そこにはくくりつけられている。


「幸いにも、あの化け物は、最も近くにいる存在――。つまりは、貴方の手なら比較的楽に殺せる筈なんです。ですから、あえてもう一度言います。手遅れになる前に、さっさと殺しなさい。でないと、貴方はきっと後悔する」


 いつかの汐里の言葉がリフレインする。手遅れになる前に……あの言葉は、そういう意味だったのだ。

 幸せそうに微笑みながら、怪物が近づいてくる。


 僕は、あの夜。初めて会った夜に、こいつに恐怖し、魅了され、そして捕らえられた。そこから紆余曲折の末、歩み寄ることを決めた。こいつが近づいてきた意味を知りたかったから。なぜこんな生き物がいるのか知りたかったから。

 だけど、それにはあまりにも大きすぎる代償がともなってくるなど、誰が想像できただろう?

 こいつの傍にいることが、僕が人間から遠ざかる事に繋がるなんて……。


「……ごめんよ」


 怪物に、一言だけ告げる。

 それは、謝罪の言葉。勿論、そんなもので許されるとは思わない。ここから僕は、自分の為に行動するのだから。

 僕は、兄さんを殺した。間接的ではあるが、僕を守ることで、兄さんは死んだ。

 怪物は、米原侑子を殺した。それは、僕達が生きるために命を頂くのと同じ。こいつは生きるため、生きた証を遺すために、米原侑子を殺した。

 罪を背負っているという意味では、僕達は対等だ。だから、僕は――。


 ナイフとズボンのベルトを結びつけていた紐が、僕の手で静かに解かれていく。

 ナイフの柄を握りしめると、不意に僕の頭の中で、いつかの忌まわしい記憶が去来する。

「生きろ」

 それは、兄さんが僕に遺した、最後の言葉だ。その言葉があったからこそ、僕は今日まで生きて来れた。その言葉に報いたかったから。

 ナイフの切っ先を、怪物に向ける。

 だから、僕は――、ここで君のものになるわけにはいかない。人として生きて、人として死ぬ。それすら出来なければ、兄さんが何の為に死んだのか分からないではないか。


 素早く立ち上がり、僕は怪物の腕を掴む。怪物は、驚いたかのように、目を見開くが、それも一瞬。僕はそのまま身体を反転させた。

 僕が座り込んでいた部屋の隅から、キングサイズのベットの方へと怪物を引っ張る。いきなり腕を引かれた怪物は、そのまま勢いあまってベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。

 思った通り、こいつは今、『身体所有権の剥奪』が使えない。ルイの料理で、僕の中の怪物の力が除去されたからだろう。事実、この実験棟にたどり着いてから、脳髄に響くような、バキン! という衝撃一度も受けていない。つまり……。

「今の僕なら……君を倒せる」

 怪物を仰向けにひっくり返しながら、僕は怪物の上に、覆い被さるように陣取る。怪物を引き寄せる瞬間、口にくわえていたナイフを、片手に握った。京子に刺された手が、ジクジクと痛むが、今はそこまで気にならない。

 そのままナイフの刃を、怪物の喉元に突きつける。

 怪物は、しばらくの間、戸惑ったかのような表情で、ナイフをじっと見ていた。が、そのうちその視線は、真っ直ぐ僕を捉えるようになる。

 ここ数時間で、刃物は危ないと学習したのだろうか? 僕を見つめるその漆黒の瞳は、どこか不安に揺れているようにも、哀しみに潤んでいるようにも見えた。


 私を……殺すの?


 聞こえる筈のない声が、僕の中で響く。ナイフは、バカみたいに震えていた。

 柄を握る手は、必要以上に力を入れすぎて、白くなっている。血管という血管が、すべて浮き出そうな勢いだった。

 そんな中、僕は、もう一度。知り得た真実を頭の中で反復させる。

 このままいけば、僕は死ぬ。怪物になり、そうなったら多分、もう二度と人としては生きられない。

 今、何をすべきか。そんなの、分かりきっている。分かりきっているじゃないか。

 下唇を噛む。ルイが言っていた選択は、この事だったのだろう。後戻りの効かない選択肢。それがどれだけ残酷でも、僕は選ばなければならない。

 怪物は、抵抗する素振りも見せず、相も変わらず僕を見つめ続けている。それはあたかも、僕の出す答えを待っているかのようだった。


 僕は……僕は、この手で――。

 君を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
他の物語も、覗いてみませんか?
実は世界観を……共有してます
[渡リ烏のオカルト日誌]
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ