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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第三章 白い抹消者
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番外編2.名も無き者共の休日

番外編です。

時系列的には、三章の、『42.深夜――見えない真意』と『45.秘密の断片』の間の話です。

本編とは違ったユルいお話となっております。

骨休めにどうぞ。

 休日。それは、日々の生活に追われる人々の清涼剤。子ども、学生、労働者……。殆どの人間に休日は好きかと問いかければ、大半の者はイエスと答えることだろう。僕も例外ではない。休日が憂鬱だとか大した感慨もわかないと宣う人は、よっぽどの仕事中毒な人か、あるいは年中休日も同然の生活を送る、Nで始まりTで終わる単語に属する人々位だろう。

 おっと、話がそれた。休日。特に一年に数える程しかない連休というべきものがある。この日の過ごし方は、人それぞれという他ない。家族サービス。帰省。友人や恋人と遊ぶ。趣味に費やす。だらける。等が主な例だろうか?

 だが、かくいう僕は、友人も恋人もおらず、サービスする家庭もない。帰省した所で、ほぼ勘当も同然の立場ゆえ、肩身も狭い。よって、僕が取る選択肢は、挙げた例の中でも、精々最後の二つ位だろう。

 故に、〝今年は色々と状況が違う〟ものの、僕のスタンスは変わらない。

 起きて、トーストを食べて、コーヒーを楽しむ。その後は、読み終わってない本を読破したり、軽く大学の授業の復習でもしていよう。連休特有の浮かれたニュースを見ながら、他人事のように一喜一憂するのもいいかもしれない。

 要するに、いつも通りのスタイルだ。そこに一部特殊な事情が絡んだりするものの、取りあえずは当たり障りのない休日になる筈だ。

 その時僕は、そう思っていた。いや、実際には、目を背けていた。が、より正確かもしれない。

 僕にとって地獄のような夏が終わり、休み明けの少し気の抜けた感じが否めない大学にようやく慣れ始めた頃。探索の秋を迎えたばかりの僕の環境は、以前の灰色な生活が見る影もないほど激変していた。

 といっても、それが薔薇色の生活かと聞かれてしまえば、疑問が残るのも事実だ。

 何故なら、現在僕の部屋には美しい怪物と、謎のプー太郎――(本人曰くフリーターらしいが、全く働いている気配がない)が住み着いているのだ。平穏な休みなんて高尚なものが、手に入る筈もないということは分かりきっていたのだから。


 これは、僕が怪物に歩み寄った夜からまたしばらく経った時の話。

 僕の元に、アルカイックスマイルを浮かべた、アルビノの少年が舞い降りた。……否、転がり込んできてから、まもなくの頃。秋の連休に起きた、ちょっとした一騒動の話だ。


 ※


 連休で一番メジャーなものと言われたら、誰もがゴールデンウィークを思い浮かべると思う。その中に『こどもの日』と呼ばれる日がある。連休に然り気無く含まれているイベントの一つだ。今ではめっきり減ってしまったが、昔は色々な家庭で鯉のぼりを上げていたのだとか。

 さて、その鯉のぼり。家にある。あるいは、学校やら幼稚園等の、行事で触れたことがあるという子ども達、誰もが通る道がある。……誰もがは大げさかもしれないが、ともかく、子どもならついやってみたくなることがある。それは……。


「鯉のぼりの口に体をつっこんで、人魚~とか。やらなかった?」

「レイ君。現実逃避はやめよう。僕だって今混乱してるんだ」

 乾いた声を絞り出して、精一杯のジョークを言う。ジョークでも言わなきゃやってられなかった。すると、隣にいた少年は僕の肩に手を置きながら首を横に振り、静かに溜め息をついた。

「というかね。大事なことだから、二回言うけど、僕も今とても混乱しているんだ。どうしてこうなったんだ? とね。この子の事は殆ど知っている……つもりだったんだけどなぁ」

 整った顔立ちと、銀色にも、金色にも見える髪。真っ赤な瞳と、いつものアルカイックスマイル(今は若干ひきつってはいるが)。僕の部屋に居候する、自称しがないフリーター。明星ルイは、マジマジと目の前のそいつを見ていた。

 状況自体を説明するのは、物凄く簡単だ。

 怪物が人魚になっていた。ただそれだけ。

 だが、どうしてそうなったかというのは、僕は勿論、怪物を、知るルイですら説明不能らしい。

「朝起きたらこうなってたんだ。目が覚めると、すぐ横に女の子がいて、彼女の下半身は魚でした――と。二度寝しようかと思ったよ」

「朝起きたら女の子が横で寝てるのは毎日だろう?」

「やめろその言い方。捉えようによっては僕最低な男じゃないか」

 おどけた顔のルイを無視して、僕は改めてベッドに横たわるそいつを眺める。

 大人びた印象を受ける、美しい少女の姿。腰ほどまで伸びた、艶やかな黒髪。闇の深淵を覗くかのような漆黒の瞳は、今は心なしか、当惑に揺らいでいるかのように見えた。

 黒いセーラー服に身を包み、そのほっそりとした脚はいつもなら黒いストッキングで覆われている筈なのだが、今日は違う。スカートとストッキングが消失したそこには、人間の下半身はなかった。淡いブルーの鱗と、しっかりとした尾びれ。ファンタジー世界の住人、人魚(マーメイド)の姿がそこにあった。

 僕を恐怖させ、魅了し、捕らえた怪物。それがより怪物っぽい外見になっている。何だか不思議な感覚だった。

「セーラー服な人魚って新しいと思うんだ」

「ルイ、楽しんでは……ないよね。しかし、どうすればいいんだ? これ」

 そう、問題はそれだ。朝起きてこれ。これでは移動もままなるまい。僕としては大学へ行くのを妨害されたり、お風呂に突撃してくるのを未然に防げるので、願ったりかったりなわけだが……。

「……レイ君」

「ああ、君も気づいたかい?」

 気のせいではない。朝から怪物が、なんだか苦しそうなのだ。

 病的なまでに白い肌は紅潮し、呼吸も乱れている。

「……ルイ。人魚ってエラ呼吸なの?」

「い、いや、エラ呼吸だったら、君が起きた時から今の今まで持ちすぎだよ」

「だよね。じゃあこれは……」

「単純に、環境の問題かもしれない。湿り気というか、水っ気が足りないとか?」

 そんな議論を交わす僕らの前で、怪物はみるみる弱っていく。ぐったりとベッドに横たわる怪物には、いつもの覇気はない。

「ル、ルイ! お風呂だ。お風呂に水を!」

「合点!」

 僕が慌て怪物を抱き抱えるのと、ルイがお風呂場に走るのは同時だった。

 蛇口から物凄い勢いで水が噴射される音がする中、僕はお風呂場に駆け込んだ。

「水が溜まるまでの時間が惜しい。レイ君! もう浴槽に入れた方がいい!」

 言われるままに怪物をバスタブに横たわらせる。蛇口から吹き出る水が、怪物の身体を濡らしていく。

 その様子を、僕とルイは固唾を飲んで見守っていた。

「大丈夫かな?」

「分からない。でも、効果はてきめんらしいね。見なよ。呼吸が安定してきた」

 ルイの言う通りだった。怪物はゆっくり目を開き、いつものようにキョトンとしたような表情で僕を見つめててきた。ついさっきの自分の様子を覚えていないのだろうか? 相も変わらず能天気な奴だ。

「文字どおり水を得た魚って奴か。しかしまぁ、なんとかなったみたいでよかったよ」

 ホッと安堵の息を漏らすルイ。僕も何だか全身の力が抜けて行くようで、お風呂場にもかかわらず、その場に座りこむ。

「結局、こいつの身体に何が起きたんだろ?」

「ごめんよ。流石に僕もわからないな。こんなの初めてだ」

「だよね」

 僕が肩を竦めると、ルイは少しだけ考える素振りを見せる。

「もしかしたら、人間で言う、風邪のような症状なのかもね」

「風邪ぇ!?」

 ルイの推測に、僕は思わず裏返った声をあげてしまう。いくらなんでも、それはメルヘン過ぎやしないだろうか?

「推測だよ。この子の引き起こす現象は、正直解明されていないものや、説明がつかないものが多いんだ。僕が君に語る事だって、あくまで研究の段階で起きた事を観察し、理屈っぽく説明した人の言葉を借りただけなんだからね」

「いや、それは……何となくわかるけど、風邪は……」

 僕が困惑しているのを見て取ったのか、ルイはクスクスと笑いながら両手を広げる。

「じゃあ、あれだよ。今日は連休だろう? だから、五月病的な? 休日終わるなよ~っていうアレ」

「余計ややこしくなったよ!」

 僕の突っ込みも、ルイにかかれば余裕で受け流される。そもそも、こいつが連休何てものを理解しているかどうかすら怪しいのだ。

「ま。そこまで悲観することも無さそうだ。この通り元気になったし。時間が立てばもどるんじゃないかい?」

「そういうもんなのかな……」

「そういうもんさ。そもそもこの子は、強い再生力も持っている。そんな心配しなくても大丈夫さ」

 そう言いながら、ルイは少しだけ水の勢いを弱める。

 怪物は、自分の状況が理解できていないのだろうか? 何処と無くすがるような目をこちらに向けてきていた。

 お風呂場で人魚を飼うなんて、三流の小説みたいだな。何て思っていたら、僕はふと、ある事実に気づいた。

「今日……お風呂どうしよう」

 それは、わりとどうでもいい問題だった。


 結局。一日水に浸していても、怪物の身体は元には戻らなかった。


 ※


 深夜。物凄く久し振りな気がする、一人きりのベッドの中で、僕は目覚めた。

 闇の中で、小さな物音がする。遠慮がちにドアを叩くような音は、お風呂場の方からしていた。

 誰がやっているかなんて、もう明白だ。

 僕は溜め息をつきながら、ゆっくりと起き上がる。

「行ってあげなよ。きっと寂しいんだよ」

 暗がりの向こう側から、ルイの声がする。こいつはいつから起きていたのだろうか? からかうような口調が、何だかムカついた。

「せっかく、久し振りにベッドを満喫してたのにな」

「そう言いながら立ち上がる君は優しいね」

 うるさいな。ちょっと様子見に行くだけだよ。

 電気を点けるのも億劫で、暗闇の中を慎重に歩く。散らかしてはいないので、楽にたどり着くことだろう。

「人魚姫」

「へ?」

 不意にルイがそう呟いたので、僕は思わず立ち止まる。

 人魚姫って……あれだよな?

「知ってるかい? 助けた王子様に恋した人魚姫は、人間の脚を貰うのと引き換えに、美しい声を失い、痛みを背負うんだ」

「アンデルセンだっけ? 王子様が誰か別の人と結婚するような事になれば、海の泡となって消えてしまうって枷もあったね」

「そう。まさに全てを投げうった恋だったんだ。でも、声も出せず、歩く度に激痛が走る身体だ。人魚姫は気持ちを伝えることも、王子様に歩み寄る事も出来なかった」

 部屋が暗いので、ルイの表情は見えない。だというのに、声は真剣だというのだけは分かった。分かってしまう。

「結局、王子様は他の娘と結婚してしまう。王子様を殺せば、元の人魚に戻れると聞いても、人魚姫は結局、王子様を殺すことはせず、己の死を――。泡となる事を選んだ」

「……ルイ、君が何を言いたいのか分からないよ」

 暗闇の中でクスリと笑う声が聞こえた。

「ただの独り言さ。あの子があんな姿になって、色々考えてしまったんだよ。声が出せず、歩けない。まさに今のあの子だ」

「脚は人間じゃないけどね」

「ああ、そうだった。しかしまぁ、思い返してみると切ないね。愛していても近づけない。話しかけられない。だというのに、愛した人は他の娘を抱き締める。切ないね」

 僕はゆっくり、お風呂場に向かう。

「知ってるかい? お姫様を救うのは、王子様のキス。ハッピーエンドな物語の相場では、そう決められているのさ」

 ルイの言葉が後ろから聞こえる。

 ふざけた奴だ。どうして真剣に語ったり、真面目な話をする時、こいつはいつも暗闇の中を選ぶのだろう。

 まるで表情を悟らせまいとしているようなルイの行動に、彼の孤独や寂しさを感じながら、僕はお風呂場の電気を点ける。

 中に入ると、浴槽一杯の水に身体を浸からせた、怪物の姿があった。

 相変わらず下半身は人魚のままだ。

「うるさいな。君は僕を寝かせないつもりか?」

 身体所有権の剥奪を使ってこないあたり、この身体ではあまり調子が出ないのだろうか? ルイの怪物風邪をひいた説は、あながち間違いではないのかもしれない。

 僕の顔を見た怪物は、そっと服の裾を掴んでくる。濡れちゃうなぁ、という懸念もあったが、すっかりしおらしくなった怪物の手を振り払うのは、何だか躊躇われた。

「……調子狂うな」

 その場に座り込み、怪物と目線を合わせる。潤んだ瞳が僕を捕らえ、濡れた冷たい指が、僕の唇をゆっくりなぞる。這うような指先は、僕の唇から頬を撫で、包み込むように僕の頭を捕らえて――。

 ……アレ?

 なんだろう。凄く嫌な予感がする。

 思わず怪物の方を見ると、まるでねだるような視線が僕に絡み付く。

「い、いや、しないよ? 僕の方からするわけないじゃん」

 だからそんな目で見られても困るんだよ。そう告げようとした時、僕の耳にピッ! という微かな電子音が響く。ああ、今ちょうど、深夜の十二時になったのか。

 そう認識した瞬間。僕の身体が物凄い力で引き寄せられた。

「へ? むぐっ! んむっ」

 何だか久し振りな気がする、深くて濃いキス。舌が絡められ、口の中が蹂躙される。

「ぷはっ! お、お前! 何するんだ!」

 何とか引き剥がし、怪物に抗議する僕。今更なんて気にはなれない。慣れないものは仕方がない。

 そんな僕の目の前で、怪物はとんでもない行動に出た。〝立ち上がり、浴槽から出てきた〟のである。

 ここで僕は思い出した。ついさっきまで下半身は人魚。ストッキングもスカートも消えていた。それがどういうわけか、立ち上がる。つまり、脚が元に戻ったらしい。

 ということは……。

「す、ストップ! 待て! 止まれ! その絵面はヤバイ! 色々な意味でヤバイから!」

 何も穿いていなかった。

 犯罪的なとか、僕の脳内容量的な意味で危険な状況だった。

 水に滴る白い脚は確かに綺麗なんだけど……って違う! 現実逃避してる場合じゃ……!

「おい! 跨がるな! 抱きつくな! 頼むから僕の初めてこれ以上奪うなぁ!」

 お風呂場に、僕の絶叫がこだました。

 連休ってなんだっけ? とりあえず、もう色々な意味で後戻り出来ない僕が、平穏な休日を過ごすことなど、無理な話だったらしい。

 なんてこった。



 お風呂場からは家主の悲鳴と、淫らな口づけの音だけが響いていた。

「そういえば、夜十二時に魔法が解けるなんて物語もあったね。ガラスの靴に南瓜の馬車。久し振りに今度読みなおしてみようかな」

 笑いを噛み殺しながら、明星ルイはそっと目を閉じる。あれは暫く終わりそうもないし、レイをからかうのはまた明日にしよう。そんな事を考えながら。

「ああ、僕らって、風邪ひくんだね」

 人の感覚を忘れかけていたルイにとって、その事実はなんだか嬉しいものだった。風邪のひきかたが人のそれではないのは、彼にとっては問題ではないらしい。


「こうして、魔法が解けてフルパワーになった人魚姫は、王子様の唇やら貞操やら……色々なものを奪いつつ、二人で幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし……なんてね」



番外編2 了

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