64.託された選択
暗い森の中を、必死に走る。負傷していない方の手で怪物の手を引き、一直線に。
息が上がり、足が疲労を訴えつつあるが、関係ない。今の僕は、走ることでしか恐怖を掻き消す事が出来ないのだから。
倒木を避け、草花を蹴散らし、何度もつんのめりそうになりながら、夢中で走る。やがて、前方に見覚えのある建物が見えてきた。
楠木教授の、『第四実験棟』だ。
「つい……た……」
息も絶え絶えになりながら、僕はその建物を一瞥し、後方を見る。
京子やもう一匹の怪物が追って来る様子はない。それに安堵しつつも、一抹の不安が僕の胸を過る。
ルイは、大輔叔父さんは無事だろうか?
そこまで考えて、僕は慌てて頭を振る。
大丈夫だ。叔父さんが京子に遅れをとるとは思えない。
ルイだって、怪物の事を知り尽くしているし、彼自身だって、幾多の修羅場をくぐり抜けて来ている。だから、きっと大丈夫だ。
僕は自分にそう言い聞かせ、再び歩き出す。
錆び付いた階段を上りながら、僕はルイのさっきの言葉を思い出していた。
※
鉤爪を閃かせ、ルイはもう一匹の怪物と。拳銃を構え、大輔叔父さんは京子と対峙する。その最中、ルイがゆっくりと口を開いた。
「レイ君。今から君に、全ての真実を知ってもらう。本当は僕が語りたいんだけど、どうもそれは厳しくなってしまった」
何でこう、ことごとく邪魔が入るかな? と、ぼやきながら、ルイは苦笑いを浮かべる。
語りながらも、ルイは油断なくもう一匹の怪物を警戒していた。
「楠木教授の第四実験棟。あの地下室には、もう二つの隠し部屋がある。一つは教授の部屋。もう一つが、実験棟を監視するための部屋だ。これから君には、そのうちの一つ。教授の部屋に行って貰いたい――っと、危ない」
話が中断され、ルイの腕が振るわれる。蜘蛛糸が周囲に広がり、木々を繋ぐ。今まさに動こうとしたもう一匹の怪物は、目の前で障壁に阻まれ、行動を静止させる。そして、苛立ったように大顎を鳴らした。
「そこに教授の残した手記と、研究レポートがある筈だ。そこに今日へ至るまでの顛末と、地球外生命体の全てが記されている」
ルイの言葉に、僕は思わず生唾を飲み込む。真実がそこにある。だけど、それは、ルイや大輔叔父さんを残して、僕だけが安全な所へ逃げる事を意味していた。すると、そんな僕の内心を察したのか、ルイは笑いながら鉤爪の状態で指を振る。
「ここにいれば、君は十中八九、〝彼〟の餌食になってしまう。それでその子まで暴走したら、間違いなく絶望だ。それだけは、なんとしても避けたいんだよ。出来るなら大輔さんにも逃げて欲しいけど……」
ルイは僕、怪物、大輔叔父さんと、順番に視線を向ける。すると叔父さんは拳銃を構えたまま、男臭い笑みを浮かべた。
「おいおい。そしたらあの自称『血の芸術家』な痛々しい女は誰が抑える? こっちの身はこっちで守るさ。レイの身の安全も確保できるなら御の字だ」
「でも……」
僕の不安気な視線に気づいた叔父さんは、僕の頭にポンと手を乗せる。
「心配すんな。俺は刑事だぞ? あんな犯罪者に、やられると思うか?」
僕が憧れてやまなかった大きな手。無償の安心感に包まれながら、僕はゆっくりと首を横に振る。
「レイ君。ここで君が真実を知ることは、何も君の命を助けるためだけじゃない。明確な意味があるんだ。真実を知った時、君は大きな選択を迫られる」
そう言いながら、ルイはいつの間にか手にしたのか、大降りなサバイバルナイフを僕に手渡す。
「汐里が持っていたものだ。オリーブオイルがたっぷり塗り込んである。もしかしたら、必要になる……かもしれない」
一瞬だけ、悲しげな表情を見せてから、ルイはまたいつものアルカイックスマイルを浮かべる。
「どんな選択をしようと、君の自由だ。どんな結末だろうと、僕は君を尊重する。だから、レイくん。全てを知った後で、もし僕と顔を合わせてくれるのなら……また会おう」
僕は何か返答しようとした。が、声がでなかった。
ルイの真意や目的は、最後まで分からないままだ。それもこれから真実に触れるとき、分かるとでもいうのだろうか?
結局。僕に出来たことは、ただ無言で頷くことだけ。それだけだった。
それを何処と無く嬉しそうに見てとったルイは、そのまま目の前のもう一匹の怪物に視線を戻す。
「さて、〝彼〟も痺れを切らしたみたいだ。そろそろリングに上がるとするかな」
鉤爪を閉じたり開いたりしながら、ルイは一歩前に出る。
放たれた蜘蛛糸は、今やルイの前方――、至るところに張り巡らされ、即席のコロセウムを造り出していた。
「レイ、後ろは振り返るなよ。あっちの化けもんは真っ白が何とかしてくれる。俺はあの女をしょっぴく。とにかくお前は走れ。簡単だろうが?」
「……おじさんじゃなくて、あたしはレイくんとその女に用があるのにな」
拳銃を構えた叔父さんを心底嫌そうに見ながら、京子はゆらゆらとその場で身体を揺らす。こちらも臨戦態勢をとっているようだ。
刹那の静寂が到来し、そして――。
もう一匹の怪物が、奇声を上げながら跳躍した。それは、まさに開戦の狼煙となった。
「行け! レイ!」
叫びながら、叔父さんは銃を発砲する。後ろでルイがジャンプするのを感じながら、僕は怪物の手を取り、一気にスタートダッシュを切る。
京子は銃弾を避けるため、木の後ろに隠れている。今なら、追って来れない。
「そう、また……あたしから離れるのね。その女を選ぶんだぁ……」
憎しみに満ち満ちた京子の声を背中に感じながら、僕はその場を離脱した。
※
第四実験棟に再び入った僕と怪物は、リネン庫から地下へと続く長い階段を下りていた。
その道すがら、僕は心臓があり得ないくらい高鳴っているのを、否応なしに感じていた。
ルイが言っていた選択。怪物の秘密と目的。それに向かって、僕は今歩んでいる。当然の反応かと言えば、当然の反応かもしれない。
真っ暗な道を、壁づたいに慎重に進む。片手に伝わる、怪物の手の温もり。こいつは今、何を思いながら僕の鼓動を感じているのだろうか?
「どうなるんだろうね? 僕達は」
何となく、僕は怪物に語りかける。こいつには言葉は通じないのに、語らずにはいられなかった。
真実を知る。それは、僕と怪物の間に、今までにない変化をもたらす事に他ならない。
夏に出会い、歩み寄り、秋まで一緒に過ごした。そして、これからは――? 僕達は、何処を目指す?
考えが纏まらないうちに、前方にかざした手の平に、堅い感触が出現する。
地下室に到達したのだ。
心を落ち着けるべく、大きく深呼吸する。いよいよだ。
「行こう」
そう怪物に呼び掛け、地下室の扉を開ける。灯りはつけたままにしてあったため、光が徐々に溢れてくる。急な明るさの変化で、思わず顔を背けると、丁度怪物と目があった。
その時、僕の中の時間が停止した。
いつからそうしていたのかはわからない。もしかしたら、暗闇の中ですら、ずっとそうしていたのかもしれない。
怪物は、光も。広がる地下室も無視して、真っ直ぐに僕を見つめていた。
吸い込まれそうな漆黒の瞳。いつ見ても慣れない、並外れて美しい顔立ち。
僕は暫くの間、何もかも忘れて、彼女に魅入っていた。
初めて出逢い、口付けを交わしたあの夜のように。恐怖し、魅了され、そして捕らえられた夜。どうして今、それを思い出したのだろう。
暫しボーッと佇む僕。すると怪物は、行かないの? とでも言うかのように、首を傾げた。
そうだよ、何をして入るんだ僕は。行かなきゃ。
振りきるように前に出る。カビ臭くて埃っぽい地下室の床を踏み締め、僕は目的地へと歩を進めていった。
※
かくして、探索の秋は終わりを告げる。僕は遂に
、求めてやまなかった真実の深淵へと到達したのだ。
それが何を意味して、何をもたらすのか。この時の僕は、当然ながら知るよしもなかった。
だからこそ、僕は気付かない。いや、気付けなかったのだろう。
僕を見つめる怪物の目が、いつもと違うことも。チロリと小さく舌舐めずりをしていたことも。何一つとして……。
黒椋鳥です。 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました !
以前にも述べましたが、この小説は四部構成です。次回より最終章へと入らせて頂きます。
ちなみに、第一部が主人公と怪物の出会いを語るものならば、第二部は主人公と怪物の歩み寄りをテーマに。そして第三部は、怪物の正体と謎をテーマに執筆いたしました。
故に怪物の正体と、その秘密が断片的に語られる事になりましたが、謎すべては匂わす程度で明かさないという形になっております。
四部。最終章は、全ての謎の解答と、レイと怪物――その行く末をテーマに執筆して行きます。
予想していたものが当たっていたりしたら、密かにガッツポーズなどして頂ければ幸いです。
また、結局三部も予想以上に長くなってしまった事には謝罪を(汗)
四部は一部程ではないにしろ、二部三部に比べれば短くなる予定です。……多分。
最後に。改めまして、いつも読みに来ていただいている皆さん! 評価・感想をくれた皆さん! お気に入り登録やレビューを書いてくださった方々! 本当にありがとうございました! 応援して頂いている全ての皆さんに感謝を。
完結まで頑張って執筆していく所存です。今後もどうぞ宜しくお願いいたします!
ではまた……。




