63.尋問と暴走
一仕事終えたかのように、ルイは額の汗を拭う。さっきまで蜘蛛でごった返していた場所には、今は何もいない。
「さて、汐里を救出した訳だが……」
「そうですね。糸でぐるぐる巻きにされた挙げ句、サンドバッグよろしく木に吊るすのを救出と言うのでしたら……そうなんでしょうね」
ルイが清々しさすら感じさせる声で一息つくと、すぐ傍で汐里が皮肉たっぷりに冷たく言い放つ。
ぐるぐる巻き。まさにその表現がぴったりな状態で、汐里は木の枝から吊るされていた。腰元に巻かれた白い糸は、汐里の両腕を完全に拘束していた。汐里が身をよじる度に、身体と、胸元の大きなペンダントが左右に揺れていた。
僕は何となく、洋館にある大きな古時計を連想した。
汐里の少し離れた所ではルイが佇み、僕と大輔叔父さんはその傍で地面に腰を下ろしている。そして怪物はというと――。
「……まだ下りないの?」
僕がうんざりしたような声を出しても、そいつはどこ吹く風。少女の姿をした美しい怪物は、僕に背を向けながら、胡座をかく僕の膝上に陣取っていた。リラックスしたように、僕に寄りかかる怪物。身長差がそこまである訳ではないので、こいつの頭が僕の頬に、顎に当たる位置に来る。こうなると黒絹のような髪が僕を擽り、何だかこそばゆい。しかも、この体勢だと怪物の柔らかなお尻が嫌でも僕の股に押し付けられる。……正直どいて欲しいが、こいつが聞き入れる訳もない。仕方なしに、僕は怪物を受け止めていた。
「……なつきすぎだろ。何やったんだ?」
「……何もしてないよ。誓ってね」
呆れたような顔をする大輔叔父さんに、僕は溜め息混じりに答える。寧ろこっちが聞きたいくらいだ。怪物が何故、僕に執着するのか。米原侑子を補食して今の姿になったらしいが、何故米原侑子だったのか。他色々。
「でもまぁ、きっとすぐわかるよ」
無意識に拳を握る。ようやく、分かる。全ての事が。
分かった後にどうするかは、まだ分からない。けど、投げやりな方法だが、分かった後に考えよう。他に思い付かないし。
僕はそう結論付け、ルイと汐里の対談に目を向ける。ルイは汐里の前を行ったり来たりしていたが、やがて芝居がかった動作で質問し始めた。
「さて、兼ねてから疑問に思っていた事がある。汐里。君はあの地球外生命体を所有していて、定期的に体液を抜き取っている。それは間違いないね?」
「……ええ。そうですね」
「ところがね。僕はあの悲劇でこの第四実験棟を抜け出してから、〝彼〟の姿は見ていないんだ。僕はどこか人のよりつかない場所に、〝動けない状態〟で隠していると踏んでいる」
ルイの目が細くなり、汐里は不快げな様子で眉をひそめる。
「私がそれを吐いたとして、貴方はどうするのです? 私を殺しますか?」
「まさか。殺して済むなら、君を助け出したりなんかしないだろう? というか、赤の他人ならともかく、おいそれと昔の友人を見捨てるなんて出来ないさ」
ルイの返答に、汐里は呆れたような溜め息をつく。
「ならどうするのですか? 言っておきますが、私は怪物の駆逐を止める気はありませんよ? アレは、この世にいてはならない存在です。私と同じ人間を出さぬ為にも、抹消すべきなのです」
汐里の冷たい視線が、僕と怪物を捉える。憎悪に満ち満ちた表情に、僕は知らず知らずのうちに身体を強張らせた。
「悲劇は、きっとまた繰り返される。ルイ、それでも貴方は……」
「ああ、それでも僕の目的は変わらない。後ろ指差されようとも、エゴイストと罵られて構わない」
真剣な表情のまま、ルイは頷く。それを見た汐里は、諦めが混じったような顔で目を閉じる。
「……このままでは埒が空きません。ルイ。アイツを殺したら、私も殺しなさいな。そうすれば、もう貴方の目的を妨げるものはいなくなる」
「……やはり、ダメなのかい?」
「貴方が私に頼もうとしている事など、だいたい想像がつきます。ですが、私は引き受ける気はありません。『身体所有権の剥奪』を使ったところで、使用するのが貴方である以上、また枯渇する」
汐里は首をあげる。黒い匣状のペンダントが風に揺れた。
「怪物は、この匣の中です。オリーブオイルで満たし、密閉してあります。いつでも処分出来るように……ね」
「……ああ、何か見覚えあると思ってたら……。そういえば、そんな箱だった。まさか〝彼〟を嫌悪していた君が、肌身離さずそれを持ってるとはね」
ルイは少しだけ哀しげな顔をした後に、ゆっくりと汐里のペンダントを外す。
ペンダントを外された汐里は、何処か安堵したように肩をおろしていた。
「最期です。それが死ねば、私は体液を得る手段が無くなる。力を使えば使うほど、死に近付くようになる」
まぁ、ここで殺されるなら同じですけどね。と、付け足しながら、汐里は歪に笑う。
「レイ君。覚えていますか? ルイは、貴方にとって、絶望の象徴だと。その意味。知りたくはありませんか?」
それは、僕にとって青天の霹靂というべき囁きだった。
「……汐里」
「貴方は黙っていてくださいな。ルイ。どのみち、教えるつもりだったのでしょう? これは避けては通れない話題の筈」
無表情のままのルイを突き放すように、汐里は言うと、改めて僕を見る。虚ろな眼窩の奥で、汐里の瞳が揺れている。まるで憐れむかのように。
「……教えてくれ。未だにアレの意味が分からない」
僕の返事に、汐里は頷く。ルイは一瞬顔を伏せてから、僕の方へと向き直った。
「……レイ君、汐里も言ったと思うけど、僕達は怪物の力は得たけど、元は人間だった」
「うん、教授の実験に組み込まれたって聞いた」
人体実験なんてものの実例を目の当たりにする日がくるなんて、夢にも思わなかった。すると、汐里は何がおかしいのか、クククと、不気味な笑いを漏らしている。
「では、問題です。その怪物の力は、どうやって埋め込まれたでしょうか?」
「え? どうって……」
どうやって? 僕の頭の中で、疑念が芽生える。怪物の力を得る。言ってしまえば簡単だが、方法が全く想像がつかない。
汐里はまだ笑っている。
「教授がほんの数年で他の個体を得て、実験を開始できたのには理由があります。怪物の子ども達が生まれ、地下に収容されていた。では、ルイ達はどこにいたのでしょうね?」
疑念が大きくなっていく。心臓が煩いくらい高鳴り、嫌な汗が身体を伝う。地下室には、あの四部屋しかなかった。なら……。
「いえ、それ以前に、その怪物の子ども達は何処から来たのか? ……これはもしかしたら、予想はつくのでは?」
「……教授と、最初の怪物の間に出来た?」
ルイと地下室で話した事を思い出しながら、僕は答える。すると、汐里は目を輝かせ、「正解です」とだけ呟いた。
「……話が全く見えん。楠木教授はマッドサイエンティストで、あんたたちみたいな人間と怪物の混種を生み出していた。そんな解釈でいいのか?」
今まで黙っていた大輔叔父さんが、困惑したように質問する。未知との遭遇という点で、今夜一番驚き、混乱しているのは叔父さんかもしれない。
そんな叔父さんの疑問を、ルイはゆっくりと首を横に振ることで否定する。
「それは微妙に違うんだ。人間と怪物が交わった所で何も生まれない。恐らくはだけど。つまり、人間と怪物の混種は有り得ないんだ」
「試した人を私は知っています。が、その人も、既にこの世には居ません。とはいえ、今までの研究を見直す限り、人間では怪物を身籠らせることは出来ない。これは確定です。怪物と子を成せるのは、〝やはり怪物〟だけなんです」
パズルのピースが組上がるように、僕の中で疑念が確信へと変わっていく。
「教授も……怪物だった? いや、怪物になった?」
「そうです。教授は実体験を元に、あの実験施設を作った。怪物と人が生活するあの場所を。あたかも研究を開始する前の教授のように、人と怪物が生活すること。それ自体が教授の実験だったんです」
不快感を隠さず、吐き捨てるように言う汐里。その瞳は、とてもさっきまで生を諦めていた者のようには見えなかった。
「自分だけが実験体では、良質なサンプルが取れない。故に、教授は怪物になる存在を欲した。始めはルイ達のような男と、素体となる女性を部屋に入れた。頃合いを見て、女性のみを怪物のいる部屋に招き入れ、そして……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
僕は思わず、汐里の話に割って入る。考えたらダメだ! そんな思いが先行する一方で、深くて暗い穴を覗きこんでいるような。そんな錯覚にも囚われる。
真実をあれほど知りたかった。なのに、今はその真実に恐怖している自分がいた。
二三回深呼吸し、僕は改めて汐里を見る。
「教授が怪物だった。それはわかったよ。けど……一体どうやって怪物になったんだい? ルイも、汐里もだ。怪物の力を手に入れた。言うのは簡単だけど、一体どうやって……」
「それは――」
ルイが口を動かした瞬間に、それは訪れた。ゆらりと煙が立ち上るように、その人物は汐里が吊るされた木の後ろから現れた。
少し乱れた茶髪のショートカット。所々、赤黒く変色した肌。怪物と全く同じ、黒いセーラー服。血走った目。
そこにいたのは、女だった。
この世の物とは思えない、憤怒の形相のまま。口にメスをくわえ、殺意のこもった眼差しで、汐里を睨んでいた。
「ふぃいいぇえええぇえ!!」
京子の身体全体が、まるで竹のようにしなる。大きく、うねるような動きと共に、横向きで口に加えられたメスは、汐里の喉笛に深々と突き刺さった。
バツン! という、風船に穴が空くような音が聞こえた。
「あ……が……」
汐里の目は驚愕で大きく見開いている。自分の今の状況が飲み込めていないかのように、汐里は目を泳がせていた。
首もとに、まるで吸血するかのようにもたれ掛かっていた京子は、そんな汐里を見ながら、凶悪な笑みを浮かべる。そして――。
間抜けなぐらい湿った音がした。京子の首が一気に振り抜かれ、その場で決壊したダムのように、血飛沫が吹き荒れる。
汐里の首から、凄まじい鮮血が、断続的に吹き出す。心臓の音に合わせるように、一定のリズムを持って。吊るされたままの汐里の身体は、その度にビクン、ビクンと痙攣し、やがて、動きを止めた。
誰もが動けなかった。大輔叔父さんですら、絶句したまま、その殺戮を見ていることしか出来なかった。
そんな中で、血のシャワーを浴びた殺人者、山城京子は、くわえていたメスを左手――。負傷していない方に持ち変える。
「口に筆やペンをくわえて、芸術を創る。新たな発想を感謝するわ、大輔叔父さん。凄いのね。血管を切る瞬間とか、獲物の痙攣とか……唇に、歯に、神経にっ、全部刻まれたわ。間近で命の灯火が消え、芸術が花開く。最高ね。私の歯がもっと鋭かったら、メスをくわえなくてもよかったのかな?」
血染めの顔はまるで能面のよう。そんな中、京子の双眸は愉悦で妖しく輝いていた。
「京……子?」
僕が何とか声を絞り出した瞬間、ルイがこちらまで一気に走ってきた。まるでスライディングをするようにルイは僕達の前に滑り込む。いつの間に下ろしたのか、片腕にはぐったりとした汐里を抱えていた。
「レイ君! 大輔さん、もっと下がって! ……いや、逃げろ!」
いつになく余裕のないルイの声色。これほど焦った様子のルイは、初めて見る。
「おい、おいおい! なんだあれ!? ペンダントから……!」
叔父さんの声につられ、僕も前を見た。その瞬間、全身を舐めるような寒気に襲われた。
ルイがさっきまで立っていた場所に、おぞましい存在がその身を置いていた。今はもう、原型をとどめない程に粉々に砕けた、匣型のペンダント。その破片の上にそいつはいた。
大きい蜘蛛だ。怪物や、汐里が変身していた蜘蛛の二倍はあろうかという巨体。大型の牛……いや、それ以上の大きさの蜘蛛は、怒り狂うようにガシャガシャと大顎を鳴らしていた。
黒い毛むくじゃらの身体が、痙攣するように震え、八本の脚が準備運動でもするかのように蠢いている。
そして何よりも目を引くのは、不気味に発光する赤い八つの目だ。
「こ、こいつは……?」
「もう一体の地球外生命体さ。汐里が瀕死になったことで、暴走状態になったんだ」
震える僕の前で、ルイは苦しげな声で答える。
「おい、真っ白。その腕……」
「ああ、ペンダントを持っていたのは、僕……だったからね。いいのを貰っちゃったよ」
見ると、ルイの肩口からおびただしい量の血が流れていた。僕や叔父さんが息を飲む中で、ルイはいつものようにアルカイックスマイルを浮かべる。
「しかも……暴走しているのは、〝彼〟だけじゃないらしい」
冷や汗をぐっしょりとかいたまま、ルイは僕達の後ろを見る。
「レ~イくん。鬼さんはここよ? さぁ、いらっしゃい……手の鳴る方に」
少し離れた木立に、死神がいた。
汐里を射した後、異変を感じた京子は、すぐにその場を離れたのだろう。そうしてまんまと僕らの後ろをとったのだ。
「どんなに逃げてもダメ。捕まえてあげるわ。調理器具は持って来てるの。一緒にその女、お料理しよ?」
血で真っ赤に汚れたまま、狂乱の京子は、汐里や僕を刺したメスを舐め、恍惚の表情を浮かべていた。
前門の怪物。後門の京子。僕達は、完全に挟まれてしまった。
「クソッタレが……!」
拳銃を構えたまま、いつの間にか立ち上がった大輔叔父さんは、悔しげに歯噛みする。
僕も何とか立ち上がろうとするが、腰に力が入らない。
真実への恐怖。
目の前で起きた殺戮の恐怖。
暴走した怪物への恐怖。
京子への恐怖。
限界だ。脳の許容範囲をとっくにオーバーしている。
もう自分のものではないかのように、身体が震えていた。
「る、ルイ……僕……」
心が折れかけたその時。不意に、僕の視界が覆われる。視界一杯の黒。
気がつけば、僕は頭を抱えられるような形で、怪物に抱きすくめられていた。
「……レイ君。そのままでいい。今から僕が話す事を、よく聞いてくれ」
何も見えない世界の中で、ルイの声が僕の耳に届く。
真剣な声色。それが何故か、今の僕にとって、酷く良くないものの予感を抱かせた。
そんな僕の不安をよそに、ルイはゆっくりとその言葉を告げた。
「今から死ぬ気で、君とその子を逃がす。その代わり、君にやって欲しいことがあるんだ」




