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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第三章 白い抹消者
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60.反撃と殺意の塊

 目の前の光景は、まさに混沌と言うべきものだった。

 銃弾で手を貫かれた京子は、呆然としたまま自分の右手を見つめている。

「手……あたしの……手……」

 京子の顔が、目に見えて歪んでいく。そして……。

「ひ……ぎゃあぁああ! いだい! いだいぃ……あああ!!」

 携帯電話とメスを取り落とし、京子は狂ったようにその場でのたうち回る。

 その様子を大輔叔父さんは、無表情に見つめていた。

「痛い……か。あんたに殺された人間は、その程度じゃ済まなかっただろうな」

 叔父さんのその言葉に、思わず僕の身体が強張る。親友の無惨な最期が思い起こされ、知らず知らずのうちに握り拳が固くなっていく。

「痛い……痛いぃ……こんな……これじゃ絵が描けないよ。レイ君を抱き締めてあげられないよ」

 啜り泣く京子の胸ぐらを乱暴に掴み、大輔叔父さんは一瞬のうちに組伏せた。襟元から自分のネクタイを抜くと、手際よく京子を後ろ手に拘束していく。

「口に筆をくわえて絵や小説を書いた芸術家もいる。そんなことを気にするより、あんたは罪を償う方を優先するんだな」

「……冷たい男。女の子になんて仕打ちよ」

「犯罪者に男も女も、老いも若いもない。自分の罪すら認められない奴に、平穏なんてあり得ない。逃亡生活は楽しかったか? 酷い顔じゃないか。捜査資料に乗ってたあんたは、見てくれはよかった筈だがな」

 泣き落としを狙う京子の言葉をバッサリ切り捨て、叔父さんは拘束した京子を地面に転がした。

 その瞬間、僕の背中にあった重圧が、途端に軽くなった。

 僕を取り押さえていたあの男が、包丁片手に叔父さんに踊りかかっていく。

「叔父さ……!」

 身を案じた僕の叫びは、杞憂であったと言うより他はない。素早く男の方に振り向いた大輔叔父さんは、易々と男の両腕を捕まえると、ニヤリと笑みを浮かべた。

「おいおい、〝松井さん〟、あんた鑑識だろう? 頭脳戦ならともかく、肉弾戦じゃあ……」

 何が起きたか、僕には分からなかった。松井さんという名前だったらしい男の身体が、叔父さんの体に引き寄せられたかと思うと、叔父さんの片足が、凄まじい勢いで男の足に外側から絡み付き……。気がつくと、男は地面に仰向けで倒されていた。

「俺には勝てないな」

 完全に男を制圧した叔父さんは、腰からサバイバルナイフを抜き、男の右肩に突き刺した。

「って、叔父さん!?」

 何やってるの? と、驚きおののく僕を、叔父さんはポカンとした顔で見る。

「ん? オリーブオイル付きの武器で傷を与えるか、直接飲ませれば正気に戻るんだろ?」

 刺されて動きが止まった男の口に、オリーブオイルをドバドバ注ぎ込みながら、叔父さんは言った。

 知っている?

 信じられないという僕の表情を見て、叔父さんは肩を竦めた。

「正直混乱してるよ。後でちゃんと説明頼むぜ」

 叔父さんはそう言いながら、完全に沈黙した男からそっと離れると、足早に僕の方へ歩みよる。少しボロボロのYシャツを脱いだ叔父さんは、あれよという間に袖口が切り裂かれた。

「ともかく止血だ。こんなオッサンの汚ねぇシャツで悪いが、そこは我慢してくれ。ここを出たら、すぐ病院だぞ?」

 刺された手に、布が巻かれていく。ジクジクと痛みを発するそこが圧迫され、僕の口から情けない声が漏れた。 

 「叔父さん……僕より、あいつの手当をしてくれない?」

 痛みを堪えながら、僕は大木の根元で横たわる怪物を指差す。

 京子の凶刃から辛うじて逃れたとはいえ、依然予断を許さない状態にあることは間違いない。僕の血を取り込み、幾ばくか回復したとはいえ、止血をしておくに越した事はない。

「この子は、やはり……」

 大輔叔父さんの顔が、渋い顔になる。

 無理もない。怪物の姿は、死んだはずの米原侑子だ。人外の存在を認識したとはいえ、驚きは隠せないだろう。

 だが、考えるのは後と決めたのか、叔父さんは手早くTシャツ(もはや原型をとどめていないが)を更に切り裂き、怪物に手を――。

「どれ、失礼――お?」

 払われた。

 ペシンという間抜けな音がしたかと思うと、大輔叔父さんの手が虚空の何もない所を掴む。

「……えっと」

 困惑した表情で、大輔叔父さんは再び怪物に手を伸ばす。怪物の白い手が、それを弱々しくも、確かにはね除ける。

「……触るなって目で訴えてくるんだが?」

 叔父さんが肩を竦める。怪物は不安そうに僕の方を見つめていた。

「ほら、手当てするだけだよ。大丈夫だから」

 僕が怪物に言い聞かせ、叔父さんが再三手を伸ばすが、怪物はイヤイヤとするように身をよじり、叔父さんの手を拒絶する。そのうち血だらけの身体を引きずりながら僕のそばに寄り添うと、僕の服の裾を軽く握り締めた。

「逮捕してもいいか?」

「やめてよ!」

 真顔でとんでもないことを言う叔父さんに、僕は慌てて首を振る。「いや、だってお前、女子高生に手を出したら……」何て事を叔父さんが口にしたので、僕は慌ててYシャツの切れ端を引ったくる。

「やり方教えて! 僕が……」

「その必要はありませんよ」

 僕が最後まで言い終わる前に、鈴を鳴らすような声がその場で割り込んだ。

 ぎょっとして振り返ると、少し離れた木立に、誰かが立っていた。

 セミロングに、ウェーブのかかった金髪。パンツスーツ姿に白衣。右手に拳銃。顔には不気味な笑みを浮かべた女。唐沢汐里だ。

「おっと、下手に動かないでくださいな。さもないと……」

「撃つってか? 俺相手に言えるのか?」

 汐里の声に素早く反応した大輔叔父さんは、既に拳銃を構えていた。

「反応が鋭いこと」

「背後から胡散臭い気配を感じたもんでな」

「私に……それが通用するとでも?」

「あんたも化け物なら、このくっさい拳銃が弱点なんだろう? 俺とあんたの射撃。どっちが上手か試してみるか?」

 互いに銃口を向けあったまま、大輔叔父さんと汐里の間に沈黙が訪れる。

 一発触発の空気の中、汐里はヒュー、ヒューと興奮したように息を吐く。

「貴方……刑事さんでしょう? 人に拳銃を発砲するのはマズイのでは?」

「人間だと……言うのか、お前は?」

 大輔叔父さんの言葉に、汐里の表情が醜く歪む。

「……人間ですよ。こんな――」

 汐里の瞳が見開き、その瞬間、僕らの周囲が一瞬で様変わりした。


「気持ちの悪い力を、植え付けられていなければね!」

 銀色の糸だ。それがまるでイルミネーションのように、汐里の左右の木に巻き付いていた。それだけではない。

「おい。それ全部横流しの品か何かか? しょっぴくぞコラ」

 呆れたように叔父さんが笑う。木に絡み付く糸には、まるでクリスマスツリーの飾りのごとく、拳銃が取り付けられていた。

 数十丁はあるそれらの銃口は、すべからくこちらを向いていた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、シオリン……」 僕らのすぐ脇に転がされていた京子が、かすれ声をあげる。

「このまま行くと……それ、あたしにも当たらない?」

 頬をひきつらせる京子を、汐里はニコニコと笑いながら、眺めていた。昆虫のような無機質な目。それは笑っているのに酷く不吉な光を放っていて、僕は思わず身震いする。

 京子ごと、僕達を撃つつもりだ。

「下手な鉄砲数撃ちゃあたる。さて、私と大輔。どっちが射撃が上手でしょうかね?」

 その瞬間、僕はとっさに怪物を抱き寄せる。叔父さんの手が僕の後ろ襟をむんずと掴み、そのまま大木の後ろへと回り込む。

 連続する銃声と、弾けるような音。すべての拳銃から掃射される銃弾は、まさに死の風だった。

「相手が素人で助かったな」

 僕と怪物。気絶した松井さんを引っ付かみ、そのまま離脱した大輔叔父さんが溜め息まじりに言う。

「素人?」

 今一ピンと来ないもの言いに僕が首をかしげると、叔父さんはニヤリと意地の悪い笑みを見せた。

「拳銃の弾ってのは真っ直ぐ進むんだ。たとえ数撃ちゃ当たるって言っても、ああやって真正面からガンガン撃つなら、それ相応の場所でやるべきだったな」

 さっきまで怪物が身を預けていた大木を叔父さんは静かに撫でる。僕達の反対側の面では、何発もの銃弾にその身を晒しているにもかかわらず、木はびくともしない。

 そのうち、銃撃の嵐は止み、木立の向こうから汐里が歩いてくる。

「おや、奇跡的にも、銃弾は、逸れましたか」

 僕達がさっきまでいた場所には、縛られた状態で地面に転がされた京子の姿があった。

 汐里の冷たい視線が京子を捉える。

「シオ……リン?」

 京子が首だけをもたげ、懇願するように汐里を見る。動けぬ京子に汐里の細い腕が伸びていく。

「この拳銃の大量展開。結構疲れるんですよね……。一応、補充しておきましょうか」

 引き寄せられた京子の首筋に、汐里の唇が触れる。痙攣し始めた京子を、汐里は暫くの間抱き締めていた。

「あ……ぎぃ……」

 か細い呻き声をあげていた京子の身体から、ガクリと力が抜ける。意識を失った京子を打ち捨て、汐里はそっと 口元を拭う。紅色に染まった唇が、ゾッとするほど妖艶だった。

「さて、狩りの時間と行きましょうか」

 汐里の腕の一振りで、木々に絡み付いた拳銃が回収される。手の中で団子状に固定された拳銃達が、月明かりに照されていた。不吉な黒光りを放つそれは、まさに殺意の塊だった。

 ルイが来るまで……。あるいは、怪物が回復するまで、僕達は生き延びれるのだろうか? そんな不安が胸を過る。


「ああ、そうだ。ルイの助けは、もう期待しない方がいいですよ」

 喘息のように荒い呼吸を繰り返しながら、汐里が笑う。嘲笑の張り付いた笑みには、どこか余裕のようなものが現れていた。

「どうしてそんなことが言える?」

「ああ、教わっていなかったのですね」

 僕の疑問に、汐里は拳銃を再び構える。

「せっかくですし、教えましょうか。私とルイの事を。なぜルイは弱体化をしているのかを、ね」

 蜘蛛糸を紡ぎながら、汐里は口を三日月型に歪めていた。

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