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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第一章 魅惑の檻
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5.襲撃

「結局何だったんだ……アレ?」

 僕は狐にでもつままれたかのような微妙な気分を抱えながら、ドライヤーで髪を乾かしていた。

 頭に浮かぶのは、やはり先程、風呂場で起こった出来事だ。

 気配と髪の毛。あれは何だったのだろうか。

 あの後、風呂場から出た僕は部屋中の隠れられそうな場所を、くまなく捜索した。

 が、結局。部屋には誰かがいた痕跡は皆無。さっきの長い髪の一本すら残されてはいなかった。

 玄関から出ていった様子は無い。となると、やはりあの時感じた気配は気のせい。ということになる。

 ドアが空いたのは立て付けが悪かったから。

 髪の毛は街中でたまたま付着したものが、そのままお風呂場まで来てしまったから……。

 いやいや、それは苦しすぎる。髪を乾かし終わった僕は、歯磨きをしながら首を振る。いくらなんでも、それは偶然が重なりすぎだ。しかし、部屋に誰もいなかった以上、もう他にこれといった原因は思い浮かばない。

 口を濯ぎ、歯ブラシを元の位置に戻すと、僕は欠伸混じりにリビングへ戻る。そこには、やはり誰もいなかった。

「……寝よ」

 分からないことを考えても仕方がない。結局誰も居なかったし、きっと気のせいだったのだろう。僕はそう結論付けると、部屋の電気を消し、ベッドへと潜り込む。

 何処か釈然としない感情を抱えながらも、結構遅くまで活動していたこともあるのか、疲れと眠気があっという間に押し寄せてきた。

 僕は微睡みの中、今日の恋人の笑顔と、抱きしめた感触を思い出す。思わず顔が綻ぶのが自分でもわかった。

 今日は、いい夢が見れそうだ。


 僕が幸福感に包まれたまま、眠りの世界へ旅立とうとした瞬間、ソイツは訪れた。

 気配が生えてきた。それが最も適切な表現ではないだろうか。

 僕が眠っているベッドのすぐ傍。何もなかったその空間に、まるで幽霊が現れたかの如く唐突に黒い影が出現した。

 突然の出来事に僕が身体を硬直させていた次の瞬間、部屋にギシリという低い音が響き渡る。

 真っ暗でそこに在るものはよく見えないが、僕は直感とも言うべきもので、何が起こっているかを察した。


 誰かが、僕のベッドに座っているのだ。

 この部屋には、僕以外に誰もいない筈なのに。

「だ、誰だ……」

 僕は震える身体を必死で抑え、精一杯の野太い声を絞り出す。が、影は答えない。

 僕は意を決して、ベッドの横に 安置されているフロアスタンドライトに手を伸ばす。

 錠前を外すような音と共に、白熱電球の黄色い柔らかな光が部屋をぼんやりと照らしだす。突然の灯りに目がついていかず、僕は何度かまだたきをした。やがて目が慣れてくるとともに、その影の全貌が明らかになる。

 ……それと視線があった時、僕は声が出なかった。否、出せなかった。

 どうしてここにいるのか?

 なぜ僕のベッドに座っているのか?

 そもそもどうやって部屋に入ってきたのか?

 色々と疑問は浮かぶが、そんなものすら僕の中では置いてきぼりにされていた。僕はまるで金縛りにでもあったかのように、その場から動けなかったのだから。


 そこに座っていたのは少女だった。

 黒いセーラー服に身を包み、ほっそりとした脚は同じく黒いタイツで覆われている。

 腰ほどまでの長く艶やかで美しい黒髪は、前髪が切り揃えられ、まるで日本人形のよう。

 深い闇の底のような漆黒の瞳。

 尽く黒を強調する風貌とは対照的な、病的なまでに白い肌。それはとてもきめ細かで、陶磁器を思わせる冷たい美貌をいっそう際立たせていた。

 どこか大人びた雰囲気を漂わせながら、少女は柔かく微笑んだ。


 美しい少女だった。

 背筋が凍りつくかと思える程、美しい少女だった。


 そのとき僕は、当惑や混乱。恐怖心などを一切忘れていた。暫くの間、その少女にただ見とれていたのだ。

 一体、どれ程の間、そうしていたことだろう。一分にも三十分にも思える睨めっこは、唐突に少女が動き出したことで終わりを告げた。

 スルリと少女の腕が、まるで蛇のように僕の首元に巻き付いてくる。僕はあれよという間に物凄い力で引き寄せられ、少女に抱き締められてしまった。

「な? え? ……お?」

 突然の出来事に、目を白黒させる僕。そんな僕にはお構い無しに、少女は僕を抱き締めたまま、僕の首筋に顔を埋めた。

 女性特有の甘い香りと共に、首筋に擽ったい感触が走る。僕の頭はますます混乱し、唇を当てられていると気がつくのに数秒かかってしまった。少女が唇を当てている部位をチロチロと冷たい何かが蠢いている。僕は背中を氷塊が伝い落ちたかのような戦慄が走った。これ……し、舌?

「ちょっ、何する……!」

 僕が抗議の声をあげようとした瞬間、異変は起こった。

 ゾブリ。という、首筋に何かが突き刺さるような音が僕の脳髄に直接響き、僕の思考は停止する。


「…………え?」


 気づいた時にはもう遅かった。

 認識しようとしても、脳が拒絶しようと躍起になっているようだ。頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されているような、妙な浮遊感に似た錯覚に陥る。

 加えて、首筋には痺れるような痛みが生まれ、僕は顔をしかめる。

 少女が、僕の首筋に噛みついていた。ただ噛みつくだけならまだよかった。歯とは違う何かが、僕の首筋に二本、突き刺さっているのがわかる。明らかに人間ではあり得ない器官が、僕に突き刺さっているのだ。声にならない音が口から漏れる。そんな僕を、少女は逃がすまいとしているかのように、益々きつく抱きしめていく。

 少女に拘束されている最中、補食される立場故か、僕は自分でも冷静に今の状況を分析していた。

 今僕は、血を……吸われてる。突然現れた、名も知らぬ少女に。


 その瞬間、全身の力がゆっくりと抜けていくのを感じた。

 ぼんやりとした表情のまま、ただ自分の血が少女に飲み込まれていく……。そんな生々しい音だけを、僕はまるで他人事のようにいつまでも聞いていた。


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