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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第三章 白い抹消者
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53.現れし抹消者達

「弱点の発見は偶然だったそうだ。ともかく、薬物にも、毒にも耐性を見せた地球外生命体が唯一苦手としたもの――。それがオリーブオイルだった」

 ルイは扉を引っ張りながら、早口で説明する。

 地下室にあった、五つの扉。四隅は怪物の子ども達を捕らえておく牢獄だったが、ルイが今まさに開けているのは、正面にあった大きな扉だった。

「オリーブオイルに触れたりすること自体は問題ではない。少なくとも嫌悪感はあるようだけどね。オリーブオイルが彼女達に弱点として機能するのは、それが何らかの方法で体内に入り込んだ時だ」

 ルイのその言葉に、僕の中で数時間前の出来事が思い浮かぶ。

「じゃあ、君が料理した時にあいつが嫌がっていたのは、料理にオリーブオイルが使われていたから? 僕がやけにアレを美味しく感じたのは……」

「地球外生命体と関わった人間の中で、一部の感覚が極端に鈍くなる例が報告されている。原因は不明だけど、それが怪物が関わった事だからこそ、それもオリーブオイルで打ち消せたのさ」

 告げられた真実に身震いする。つまりはルイにあの料理を振る舞われなかったら、一生そのままだったのだろうか? それは……笑えないぞ?

「もちろん、感覚が鈍るのは一時的だ。僕が君にやったのは、それを元に戻す段階を少し早めたにすぎない」

 不安そうな僕の顔に気づいたのか、ルイは慌てたようにそう付け足した。何はともあれ、よかったと考えるべきだろうか? ルイと共に部屋に入りながら、僕の頭では色々な考えがぐるぐると回っていた。

 いかん、少し整理する時間がほしい。が、今の状況ではそれも叶いそうにない。

「どうして、僕の感覚を戻そうとしたんだ?」

「感覚が鈍るのは、ほんの一握りだ。もしかしたらって思ったのが、つい最近だったんだよ。だから、変に不安を煽るよりはと思って、こっそり治す事にしたんだ。直後に貧血起こされたから流石にビックリしたよ」

 ケラケラと笑うルイ。おのれ……そんな深刻な問題を黙っていたとは……。

「その子の弱点に関わる事だからね。もう少し時間がたってからって思っているうちに、こんな形で話す羽目になってしまった。これは僕のミスだな」

 そしてミスで済ませやがった。

 本当に喰えない奴というべきか、いい加減な奴というべきか。

 ともかく、それ以上追求しても心労が募りそうだったので、僕は入った部屋をぐるりと見渡した。

 どうやら書斎のようだった。室内の入り口を除いた壁には、天井まで到達するかのような大きい本棚が、所狭しと言わんばかりに並べられている。怪物達の部屋が鉄格子で出来た普通の牢屋なら、ここはまるで本で造り上げられた檻のようにも見えた。

 余りにも凄まじい本の量に、僕が思わず圧倒されていると、ルイが部屋の片隅まで走り、僕と怪物に向けて手招きする。

「こっちだ」

 壁の中に本棚が途中で切れている場所があった。怪しげな扉と一緒に、そこにただならぬ雰囲気を醸し出している。

 ここは二階のリネン庫に繋がっているんだ。そう言ってルイは扉を開け、足早に階段を上っていく。僕も怪物の手を引き、それに続いた。

「体内にってことは、さっきのあの男みたいに刃物に塗り込んで刺すのもありなの?」

「うん。そうだね。あれは単純ながらいい手だよ。……っと。それはともかくだ。オリーブオイルが彼女達の体内に入ると、彼女達にとって、色々とよくないことが起こる」

 僕の質問に、ルイは苦笑い混じりに答えていく。階段をかける足音が、やけに大きくこだました。

「まず、身体の動きが著しく悪くなり、色々あった能力も減退――場合によっては使えなくなる。彼女達は元々強力な肉体再生能力を有しているんだけど、これも軒並み弱体化する」

 肉体再生能力。そんなものがあったのは初耳だが、いつぞや怪物と一時的に決別した時の傷が、数日後には完全に回復していた事がある。再生能力があると言われても、今更驚くことはない。

「つまりは……」

「そう。再生力が落ちた所に致命傷を与えれば、その子は絶命する。故に、オリーブオイルを体内に取り込ませ、且つ致命傷を与える攻撃が、その子の弱点になる」

 階段の終わりが見えるまで、それっきり僕達は無言だった。

 階段は当たり前のようにリネン庫まで続いていた。

「入ってきた時と違って、隠し階段的な要素が皆無だね」

「この階段は、あくまでも〝何かがあった時〟用の隠し扉だったんだ」

「じゃあ、それが今、無造作に開かれているってことは……」

 少なくとも昔、何かがあったという事になる。

 それについて僕が質問しようてした瞬間、ルイはそっと人差し指を立てて、「静かに」のジェスチャーをする。

 言われるままに両手で口を塞ぐと、何処か遠くから、微かに足音が聞こえてきた。

「多分こっちに来るね。出来るならリネン庫を抜け出して別の部屋で待ち伏せしたかったけど……。そう簡単にはいかないか」

 小声でそう呟きながら、ルイはそっと出入口に視線を向ける。

「どうする?」

「取り敢えず、ねじ伏せよう。扉が開いた瞬間に、二人がかりで飛びかかるんだ。男二人なら大抵の奴は押さえられるよ」

「簡単に言ってくれる……」

 片や喧嘩の経験なんて皆無の大学生。もう片方は年齢詐欺なひょろい優男だ。意外と簡単に退けられそうな気がしなくもない。

「モタモタしてる時間はないよ。来る相手が山城京子にしろ、汐里にしろ、どちらかを封じるだけでも安心感は違うだろう? ましてや向こうは人質を取ってるんだ。変な動きをされる前に、一人でも数を減らしておくべきだ」


 それは……確かにそうだ。だけど、何だろう? この奇妙な違和感は? 何か大事な物を見落としているような気がする。何か変だ。

 その正体を把握しきる前に、ふと、足音がピタリと止んだ。

「来たね。よし。行くよ」

 四の五の考えている暇はなさそうだ。ドアノブがゆっくり回転する。そっと怪物の手を離して身構える。手を離した瞬間、怪物が一瞬不満そうな顔をしていた気もするが、今はそんなことを気にしている余裕はない。頼むから肝心な時に身体所有権の剥奪を行使しないでくれ。僕が祈るのはそればかりだ。

 ドアが開き、誰かが入ってくる。京子か汐里か。確認する暇はない。ルイがそちらに向かって一気に突進し、僕がその後に続く。


 勝敗は、一瞬のうちに決した。僕の目の前でルイの身体が不自然に浮き上がったのだ。


「……はい?」


 目の前で起きた理解不能な出来事に、僕は思わず間の抜けた声を漏らす。

 何が起こった? と、考える暇もなく、ルイの背中が僕の方へと迫ってきた。

「う、わっ!」

 前方から突然降りかかった人間一人分の重さは、僕をルイもろとも仰向けに転倒させるのには充分だった。大きな音と共に、長い間使われていなかったであろうリネン庫に大量の埃が舞う。

 思わず咳き込むような視界と、身体全体に掛かる重量を感じる中で、僕はルイが何者かに投げ飛ばされたのだということを、ぼんやりと理解した。

「イタタ……大丈夫、かい? レイくん?」

「その言葉、そっくりそのまま君に返すよ」

 ()せるように息を吐き出しながら、ルイが僕の上から話しかける。

「いやはや、驚いたよ。汐里でもなく、山城京子でもない相手が出てくるとは思わなかった。あ、一応確認するけど、君の元カノはちゃんとした女の子だよね?」

「なんだよその謎質問。僕が男と付き合ってた。とでも言う気なのか? 京子は女の子だよ。絵にかいたような普通の女の子さ。本性以外は」

「そうか。なら安心したよ。流石にアレが山城京子だったら、君がその子の誘惑に屈しない理由も分かってしまうからね。僕としては、複雑になるところだった」

 ルイがどっこいせと立ち上がり、僕もまた、ゆっくりと状態を起こす。頭を少し打ったらしい。視界が微妙にチカチカする。

「何が言いたいんだよ」

「うん。覚えているかい? 汐里には山城京子と、少なくともあと一人は協力者がいるかもしれないと。僕はね、あと一人は地下室でノビている、さっきの男だと思っていたんだ」

 いまだに開け放たれたままの入り口のドアを見ながら、「協力者はまだいたようだね」と、ルイは肩を竦める。

 僕もまた、ルイにならってそちらへ目を向けた。


「……え?」


 そこにいる人物を見た瞬間、無意識にそんな声が漏れた。

 目の前にいたのは、確かに京子でも、唐沢汐里でもなかった。ピッチリと綺麗に着込まれたスーツ姿。どうやってもしっかり纏まってくれない。と、本人が嘆いていたボサボサな髪。


「よう、お前ら。年貢の納め時だぜ」


 いつものんびりとした光を含んでいた瞳は、今は鋭く、猛禽類を思わせた。何よりも、全身から発せられている、プレッシャーが尋常ではない。


「兄殺しに、半端もんなアルビノ。おまけは死体の皮を被った化け物ときたか。ここは怪物の巣窟か? 傑作だな」


 兄殺し。冷たいその言葉が、僕に突き刺さる。あなただけは、そんな目で僕を見なかったのに。他でもない本当の僕を見てくれたのに。


「まぁ、いいか。どうせみんな殺すんだ。どれも一緒だろうさ」


 刑事の顔となった、僕の叔父。小野大輔が、黒光りする拳銃を手にして、そこに立っていた。


 ※


 地下室にたどり着いた京子は、そこに仰向けに倒れている男を見て、不快げに目を細めた。

 男のそばには、消火器が無造作に転がっていた。恐らくは、これでノックアウトされてしまったのだろう。この男がノビているということは、レイ達はさっきまでこの部屋にいたに違いない。

 京子は溜め息をつきながら、床の男を睨む。

 斥候として先に地下室へ向かわせたというのに、ロクな足止めもせずにノックアウトされるとは、使えないにも程がある。男の足を蹴飛ばしながら、京子はそんなことを思う。男と揉み合うレイの元へ颯爽と登場し、レイにさらなる絶望を与えるのが京子が即興で描いたシナリオだった。

 今度は男の腕を踏みつけながら、京子はぐるりと部屋を見渡す。

 扉が五つ。ここが何に使われていたかを、京子は大体聞いている。部屋に隠れたか、それとも奥の部屋の非常用階段から逃れたか……。

 思考を巡らせる。この男を倒した以上、この地下室に長居するとは思えないが、京子は念のため、四隅の部屋を順番に調べていく。

 扉を開いては閉じる音と、京子の足音だけが地下室に響く。四隅の部屋には、やはりレイ達の姿はなく、京子はそのまま奥の部屋へと歩み寄る。

「……あの部屋。使えそうね」

 先程目の当たりにした部屋を思い出しながら、京子はそんなことを考える。あの女。終わったら死体はこの観察ケースっぽい部屋にでも放りこんでやろうか。誰にも見られることもなく、この部屋で朽ちて腐り落ちていく女の怪物。外にレイを配置すればもう完璧だろう。

 そのためにも、早くあの二人の元へ行かなくては。京子はほくそ笑みながら、奥の部屋の扉へ手をかけた。扉はピクリとも動かない。

「……は?」

 京子は何度も扉を動かす。軋むような音だけが、むなしく地下室に木霊する。

「ちょっとぉ……ふざけないでよ!」

 恐らくは向こうから鍵がかけられているのだろう。ドアを蹴破るにも、女の京子には難しい仕事だ。こうなれば、もう引き返すより他はない。

 京子は苛立たしげにポケットをまさぐり、渡された携帯電話を取り出す。

「こちら汐里です。いましたか?」

 呼び出した相手は、すぐに電話にでた。鈴を鳴らすような女の声。唐沢汐里だ。

「地下はハズレよ。上に向かったみたい。シオリンの方が当りみたいね」

「ええ、そうみたいですね。大輔が何かと接触したようです。彼らでしょうね」

 何処か楽しげな声の汐里に、京子もまた、残忍な笑みを浮かべる。

「オッケー。真っ先に会えなかったのは癪だけど、すぐむかうわ」

「了解です。ところで、撃退された彼は、生きていますか?」

 意気揚々と来た道を引き返えそうとした京子は、不思議そうな顔をしたまま立ち止まる。

「うん、一応。なんで?」

「それはよかった。ルイの事ですから、とっくに殺したかと思いましたよ。では、彼を起こしてから来ていただけますか?」

 汐里のその言葉に、京子の口元がわかりやすくへの字に曲がる。

「大丈夫。レイ君とあの怪物は殺しはしませんよ。というか、向こうには怪物と、ルイがいますからね。私と大輔だけでは詰めきれないです。だからこそ、貴女のための〝怪物避けの盾〟も連れてきてくれ。そう言ってるんですよ」

 沈黙する京子の内心を察したのか、汐里は諭すようにそう言う。

「わかったわ。けど、レイ君を追い詰めるのはあたしよ。忘れないで」

「わかってますよ。流石に脳味噌ケーキにされるのは勘弁ですからね。では後程」

 電話が切れる。京子は無表情なまま、床に横たわる男――。〝怪物避けの盾〟を踏みつけた。

 もうすぐだ。彼はもう、目と鼻の先だ。そしたら、この姿を見せつけてやろう。

 薄暗い地下室の中で、何かを踏みつける音がしていた。音は次第に大きくなり、最後には殆ど殴打するような音へと変わっていく。それに混じって、微かに流れるのは、軽やかで楽しげな鼻歌だった。


「楽しみだね~。レ・イ・ク・ン」


 恍惚な表情のまま男を蹴り続ける京子の瞳には、既に周りは映してはいなかった。ただその先にある何かを見通すかのように、彼女はそこを見る。

 ギラギラとした獣のような眼光の行き着く先は、地下室の天井――。遠坂黎真。彼女が焦がれ、追い求める、男のいる方向だった。


 ※


 まるで、時間が止まっているかのような錯覚があった。大輔叔父さんの手にあるそれは、明確な死の臭いを孕んでいる。

 走馬灯なんてものは見えず、僕はただ、唯一の信頼できる肉親から向けられた銃口を、ぼんやりと眺めていることしか出来なかった。

 死が迫る感覚を察した時、僕の横で白い閃光が放たれた。

 その瞬間、僕の目の前の世界は劇的に変化していた。閃光は叔父さんを横凪ぎに吹き飛ばし、そのままリネン庫の壁に叩きつけられた。その口や手足は、そのまま白いそれで拘束され、一切の動きが封じられていた。

「アレは……」

 見間違えようがない。白い閃光の正体は銀色の蜘蛛糸だったのだ。

 僕は思わず後方、怪物の方を見る。

 怪物は、僕の方を見つめたまま、キョトンとした表情をしていた。

 いつかのように腕を掲げていない? 糸は全く動いていない状況でも出せるのか?


「その子がピストルの怖さなんかを知るわけもない。こうして正面から対峙されたら、どうあっても回避は間に合わなかっただろうね。汐里の奴、どこで仕入れてきたんだか。やってくれるよ」


 隣から、聞き慣れてしまった声がした。何処か疲れたような響きを持った口調のする方へ僕はゆっくりと顔を動かす。

 そうして僕は〝それ〟を見た。見てしまった。


「ル……イ?」


 彼の白くて指の長い手は、今は見る影もなかった。

 そこにあったのは、銀色の蜘蛛糸を絡めた、黒い鉤爪のついた節足。

 僕が遭遇し、恐怖した、怪物の〝脚〟だったのだ。

 

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