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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第三章 白い抹消者
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52.斥候と弱点

 静寂に満ちた地下室の中。僕も、ルイも話すことなく、ただ部屋の中に安置された意味不明の石像に背中を預け、ひたすら目の前の光景を見つめていた。ルイが勝手に持ち出したショルダーバックを撫でながら、僕は思わず質問した。

「何してるんだアイツは?」

「うん、多分友達を作ってるんだよ」

 のんびりとした口調で答えるルイ。その返答に釈然としないものを感じながら、僕は再び前を見る。そこには床に座り込んだまま、指揮者のように手を動かす怪物の姿があった。

「友達……ねぇ」

 自分でも凄くひきつった顔になっているのが分かる。いや、そうなって当然だろう。なぜなら、その友達らしき者共は脚が八本あり、大きさも様々。そんなやつらが怪物の手に合わせて、右へ左へと気味悪く動くのだ。虫に耐性がない人なら、泣いて逃げ出すに違いない。

「アイツらも、やっぱり怪物に操られているの?」

 蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛……。二十匹位はいるだろうか? それらが怪物の膝元に終結しているのを見ながら、僕はルイに質問する。

「そうだね。あれで周りの様子を探ったり、場合によっては兵隊のように使役する能力。君の言う身体所有権の剥奪能力と違う点は、あの子がその土地を離れない限りは、それが永続する点さ」

「永続する……?」

「そう。彼女に支配下に置かれた蜘蛛達は、蜘蛛としての生活をおくりながらも、一部不可解な行動を起こす」

 怪物がいつぞやのように指を静かに回す。すると、床の蜘蛛達もそれに合わせて、思い思いに動き出す。回り、飛び跳ねるその様は、ダンスのように見えなくもない。

「蜘蛛には巣を作り、その領域に留まるタイプ。常に獲物を求めて放浪するタイプ。大雑把に言えば、この二種類に分けられるんだ。だが、彼女に支配された蜘蛛達はその枠に囚われない。本来巣を作る蜘蛛が、広い範囲を歩き回ったり、巣を作らない蜘蛛が巣を作ったり。甚だしいときは、種類の違う蜘蛛同士が群れで行動したり……」

 いつかの京子が怪物から味わった、残酷な仕打ちを思い出す。今更ながらだが、あれほど混沌とした状況もないだろう。

「ただ、この蜘蛛の兵隊達は、この子にとっては頼もしい味方でありながら、ちょっとした弱点にもなりうるんだ。何故だか分かるかい?」

「分かるわけないだろう? 蜘蛛が変な動きしたからって、それがどうやったら弱点になるのさ」

「そう、変な動きをするんだ。一般人から見たら気にもとめない、寧ろ十中八九知らない事柄。だけど、〝そのことを知っている人達〟からしたらどうだろう?」

 意味ありげな笑みを浮かべるルイ。その表情に少しだけうすら寒い物を感じながら、僕は頭を捻る。

 答えに近づいてはいるが、まとまらない。そんなモヤモヤした感覚が襲ってくる。

「おかしいとは、ずっと思っていたんだ」

 喋りながら考えることにした僕は、とりあえず今感じた事を話す。

「君も、唐沢汐里も、どうやって怪物が僕のそばにいることを知ったのか? そもそも、どうして怪物を知っている数少ない二人が、こうも簡単に怪物がいる町にたどり着いたのか……」

「そうだね。僕は当然ながらレイ君とは初対面だったし、あの町に行くのも初めてだったさ。ただ、一つだけ否定させて頂くと、その子を見つけるのは中々難儀だったよ。米原侑子の死に方が報道されていなかったら、僕も汐里もあの町にたどり着くには更に時間がかかっただろうね」

 ルイはわざとらしく身震いする。

「本来ならばあの報道がされた後に、僕や汐里は真っ先に君を探している筈だったんだ。だけど、君がその子や猟奇殺人事件に振り回されている間、僕や汐里もちょっとゴタゴタしていてね。とても君やその子の捜索どころではなかったんだよ」

 嘆息を漏らしながら、ルイは静かに目を細める。

「ようやく町にたどり着いて、この子を、もしくはこの子が選んだ人を探していたんだ。餌食となった女の子は女子高生だったから、近くの高校とかを回ってたんだけどね。まさかお相手が大学生だとは思わなかったよ」

「話が全然読めないよ! それに、何か言い方がおじさん臭い!」

「そりゃ、僕はレイ君より年上だしねぇ」

「……は?」

 待て。待て待て待て。今こいつなんと言った? 年上? こいつが?

「あ、ありえない。大体同じくらいかと思ってたのに……!」

「僕、二十四歳」

「何……だと?」

 頭を抱える僕を、ルイは楽しそうに見ている。少年なのは見た目だけで、実際は青年だったなんて。しかも知り合ってから大分経ってからそれを知るなんて……!

「いかん、話がそれた。で、町に着いて、君に会った。米原侑子の通う学院から一番近い大学だ。学院の女学生達もボランティアの補助などで出入りしていたそうだから、もしかしたらと思ってね」

 さらりと先の話題を流し、ルイは話を続ける。

「そうしたら案の定だった。僕はあの学食の中で、糸をつけられた君を見つけたんだ」

「……糸が、なんだって?」

 またしても聞き捨てならない告白に、僕は先程の衝撃も忘れて問いかける。「気づいてなかったのかい?」と、心底驚いた様子を見せながら、ルイはおもむろに僕の左肩に手を伸ばす。

「ほら、これだよこれ」

 ルイの指が僕の肩を軽くなぞり、ゆっくりと離す。その指には見覚えのある白い糸。

「……これって」

「あの子の糸さ。よく君に絡み付けていただろう?」

「い、いや、確かにそうだけど……」

 まさかこんなにしっかりとつけられていたとは思わなかった。

「一般の人から見たら、この糸を〝見る〟ことは難しい。けど、僕や汐里のように知っている人ならば、話は簡単だ。近くまでくれば、それを感じとれる」

 唐沢汐里とカフェで対談した時の事を思い出す。『僕に付着しているもの』つまりは、そういう事だったのだ。ルイと汐里は、怪物に襲われたと思われる事件を嗅ぎ付け、僕の住む町に来た。そして、蜘蛛達の様子と、何よりも僕に会った事で確信したのだ。怪物がここにいることを。

「なんで……唐沢汐里は僕の大学に向かってたんだろう? やっぱり糸を感じ取ったから?」

「いや、感じ取れるのは、あくまでも互いに認識できるくらい近くに来た時だけだ。これは僕の予想だけど、山城京子が関係しているんだと思う」

「京子が……教えた?」

 あり得る話ではある。現にどういった因果か、京子と汐里は手を携えているのだから。

「だろうね。部屋に襲撃して来なかったのは、汐里が万全ではなかった事と、山城京子の事情があるからだろう。山城京子は現在、警察が捜索中だ。外を出歩くには、第三者の協力がいる」

 ルイは口元に手を当てながら小首を傾げる。探偵ものの主人公みたいな仕草だった。こうして見ると、本当に絵になるような整った顔立ちだ。張り付いたような彫像(アルカイック)(スマイル)みもあいまって、外見だけ見ると、何だか人間味を感じさせない雰囲気を醸し出していた。

「……何をしている」

 ルイの方を見ていたら、いつのまにか怪物が僕のすぐそばまで近寄ってきていた。漆黒の瞳が、僕をじっと見つめている。ついでに、周りの蜘蛛達も、制止したまま一様にこちらを見つめている。――ように見えた。

「かまって欲しいんじゃないかい? 愛でてあげなよ」

「時間がないんだ。話を中断させようとしないでくれ。まだ聞きたいことはいっぱいあるんだよ」

 ルイと汐里が絡んでいたゴタゴタのこと。もしかしたらそれは唐沢汐里が車椅子に乗っていたことと、何か関係があるのではないか。

 唐沢汐里のかつての仕事はわかった。ならば君は? 明星ルイは、怪物と関わり、何をしていたのか?

 それに、今怪物に甘えられたら、嫌な予感しかしない。具体的に説明するのは無理だが、脳裏を何故か京子とか京子とか京子が過ってはまた戻り、過ってはまた戻る。

「ハハハ……。もしかして山城京子が乗り込んで来るのを心配しているのかい? 大丈夫。まだ来られる訳がないさ。レイくんの部屋からここは結構離れているんだよ? 向こうが僕のアヴェンタドールみたいなスーパーカーにでも乗らない限り、こんな短時間でこの場所に着く訳は……」


 その瞬間、地下室の扉が、重苦しい音を立てて開かれた。

 降りてきた階段には、電灯がなかった。故に、開かれた扉の向こう側――。そこにいる人物の全体像は、何だかぼんやりとしている。

「だ、誰だ?」

 精一杯声を絞り出す。ここにくる人間が誰かだなんて、分かりきってはいるのだ。だけど、こうして声を出さねば、僕は身体の震えが。怪物のお蔭で抑え込んだ恐怖が、再燃してくるような気がしてならなかった。

 ゆっくりと、暗闇からその人物が姿を現す。地下室の小さな明かりが照らしたのは――。

「え?」

 僕は思わず間の抜けた声をあげてしまう。そこにいたのは、京子ではなかった。唐沢汐里でもなかった。

「……誰だ? あんた?」

 そこにいたのは、見知らぬ中年の男だった。見る限りどこにでもいそうな、とくに特徴の見当たらない顔立ち。普通。そういった言葉がよく似合う男。だが、その男は唯一目を引く要素を持ち合わせていた。より正確に言うならば、他者の視線を釘付けにしうるものが、右手に握られていた。

 研ぎたてなのか、それとも何かを調理したあとのものを持ってきたのか、それはヌラヌラとした鈍い光を放っている。


 刃渡り三十センチ程の、大きな包丁だった。


「アァ……ウゥウァ……」

 男の口から、呻き声が漏れる。焦点の合わない瞳が、左右に泳ぎ、揺らいでいた。

 錯乱した人間を見たことはない。だけど、そういった人はきっとこの男のような状態を指すに違いない。

 何故なら――。


「アァアァアアアアァア!!」


 男は、どう見ても正気じゃなかったのだから。

 包丁を振りかざし、男は一気に此方へ肉薄し……。


「君に用はないよ」

 鈍い音と共に、後方へ撥ね飛ばされた。

 顔面に赤い物体が直撃し、そのまま床をスライドしていく。

「……オイ」

「ふぅ、危なかったね」

 僕の生暖かい視線を一身に浴びて尚、ルイはいい仕事したと言わんばかりに、額の汗をぬぐう。

「……消火器ぶつけるのはやり過ぎじゃないかい?」

 現に男は、ピクリとも動かない。その横では何を思ったのか、怪物がしゃがみこみ、もの珍しそうに男を観察していた。

「像のそばに消火器があってよかったよ。何せこの男、そうとう厄介なものを持っていたからね」

 僕の批難を無視して、ルイは携帯電話を操作する片手で、床に落ちた包丁を拾い上げる。

「全く、汐里のやつ。着いたら連絡しろと言ったのにね」

 呆れたような溜め息をつきながら、ルイは僕の方に携帯電話を放って寄越す。

 なんとかそれをキャッチした僕の目に、ディスプレイに表示された一通のメールが飛び込んできた。


『ごめんなさい。少し前に到着したのですが、メールするの忘れてました。今から殺しにいきます』


「そこでのびている彼は、都合のいい斥候の役割を果たしていた訳か。しかも、ただの使い捨ての駒じゃない」

 くるくると包丁を回しながら、ルイは深紅の双眸を細める。

「塗り込まれてるね。全く、(たち)の悪い武器を用意したものだ。この分だと、山城京子にも弱点を教えたな」

「……どういう意味?」

「あの子を見なよ」

 意味不明な事を言い出すルイ。僕は言われるままに怪物を見て……。

「ん?」

 そこで、僕はますます首を傾げる事になった。いつも無表情。そんな怪物が、明らかに不快そうな顔で、ルイが持つ包丁を睨んでいた。

 こいつが嫌悪の表情を浮かべるなんて珍しい。ひょっとしたら、これが唐沢汐里が知っている、怪物の弱点だと言うのだろうか?

「包丁が苦手……いや、違うね。何か、怪物が苦手なものが塗り込まれてる?」

 僕の推測に、ルイは静かに頷く。

「ご名答だ。レイ君。吸血鬼にニンニクや日光。猫に水入りペットボトル。鬼に豆や鰯の頭……。実在する生き物にも、架空の生き物にすら、弱点というものが存在する。地球外生命体たるその子にもね。そして、これがこの子達の弱点……」

 ルイはそっと包丁の側面を指でなぞる。触れた部位が光沢をおび、それと同時に、ほのかに香るさっぱりとした匂い。


「オリーブオイルさ」


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