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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第三章 白い抹消者
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51.寂れた病棟

 ボロボロな二階建ての病棟。

 ルイの車が辿り着いた場所から、獣道を進むこと、二十分あまり。その終わりに見えてきた建物を、一言で表すなら、それが一番しっくりきた。

 周辺の敷地は雑草が生え放題。塀や門は崩れかけている。外観だけではなく、内部も酷いものだった。床や壁にはヒビが入り、カビ臭い澱んだ空気が充満している。

 高速道路を走り、都心部から離れた山奥に、こんな寂れた建物があって、そこで知人を人質に取った殺人犯やら謎の女と待ち合わせ。だなんて、まるで出来の悪い三流のお芝居みたいだ。

「元々は診療所だったそうだ。廃村の煽りで忘れ去られた土地故に、表沙汰に出来ない研究をするにはうってつけだったのだろうね」

 廃墟も同然となった建物を進みながら、ルイは鼻歌交じりにそんなことを言う。懐中電灯を片手に先導するルイの後ろに、僕と怪物が続く。怪物が姿を現したままというこということは、人の気配はないのだろう。こんなところに人がいたら、それはそれで恐ろしいが。

「第四実験場ってことは、第一、第二、第三もあるの?」

「あるにはある。けど、その子に関係あるのはここを含めて三ヵ所さ。一つは教授の部屋。最後は『第三実験場』だ。一とニはダミーっていうか、教授の表向きの専門だね」

 僕の質問に、ルイは前方を向いたまま答える。

待ち合い室のような場所を過ぎて、ルイはひたすら進んで行く。途中に階段もあったが、それも無視して病棟の奥へと潜り込む。

「生物学?」

「おや、よくわかったね」

「蜘蛛を研究する学問なんて、それくらいしか思い付かなかったんだよ」

 蜘蛛を喜んで持ち帰り、観察や研究をするなんて、そういったものの専門家や、よっぽどの変人かマニア位だろう。

「楠木教授は、生物学の分野において優秀な研究者でもあり、相当な野心家でもあった。後は……そうだね。女好きでもあった。しょっちゅうキャバクラに通っていたよ」

「……最後の情報は要らなくない?」

 僕がつっけんどんに答えると、ルイは「意外と重要な情報なのになぁ……」とぼやきながら肩を竦めた。

「まぁ、とにかくだ。教授は地球外生命体の存在を知っても、すぐには公表せず、その後の研究でアドバンテージを得るために、先ずは出来る限りその生物を調べたんだ」

 いくつもの部屋を素通りし、やがて前方に大きな扉が見えてきた。扉のすぐ上には割れた電灯のようなものが取り付けられている。

 どうやらここは、手術室らしい。

「だが、とある理由から一人でやるにも限界がある事を悟った教授は、協力者を集める事にした。研究のためにある程度の知識を持ち、かつ自分が動かしやすい人材を」

 軋むような音を立てて、扉が開かれる。中は思いの外広く、スッキリと片付いていた。

 というか、手術台以外は物が全く置かれていない。

 僕が拍子抜けしたように突っ立っていると、ルイはおもむろに手術台に手をかける。「ふん!」という掛け声と共に、台がスライドされ、そこに思わぬ物が出現した。

「床に……隠し扉?」

「ご名答。正直な話、ここ以外の部屋は全く意味をなしていない。この第四実験場は、ある目的の為だけに造られたんだ」

「目的?」

「そう。さっきも言っただろう? 表沙汰に出来ない研究にはうってつけだとね。ここは地球外生命体の秘匿と、その観察や研究のために用意されたのさ」

 ルイが隠し扉を開く。一際すえた臭いが鼻を突き、思わず眉間に皺がよる。涙目になった僕の視界に飛び込んで来たのは、下へ続く階段だった。

 薄暗い手術室の中で、電灯の光に照らされたそれは、言い様のない不気味さを放っており、まるで別世界への入口のようにも見えた。

 ルイはそんな階段を、臆することなく降りていく。慌てそれについていく僕の耳に、三人分の足音が響いた。

 階段を降りはじめて、一分か二分は経っただろうか? 長い……と、ぼやきそうになった頃、唯一の光源である電灯の明かりに、鉄製の重厚な扉が照らし出された。

「ここは……?」

 僕が漏らした疑問には答えず、ルイは静かにズボンのポケットをまさぐる。取り出されたのは、古ぼけた鍵だった。ルイはそれを手にしたまま、怪物、僕へと順番に視線を向けた。

「今から行く場所が、第四実験場の核だ。狂気の渦巻く忌まわしい場所であり……その子が生まれた場所でもある」

 扉が解錠され、ルイに促されるままに、その先へ足を踏み入れる。たどり着いた場所は、ますます奇妙な空間だった。

 簡単に言うならば、そこは正方形の大部屋だ。正面の壁と、部屋の四隅にはそれぞれ扉があり、中央にはみょうちきりんな銅像が置かれていた。よくよく見ると、銅像には消火器が取り付けられており、なんともいえないアンバランスな雰囲気を醸し出している。 

 こんな所が実験場?

 僕が小首を傾げていると、その横を黒い影――。怪物が通り抜けた。

「あ、おい」

 僕の制止も聞かず、怪物は辺りを見渡しながら落ち着きなく右往左往している。いつも何事にも無関心なこいつが、こんなによく動くのは珍しい。

「何となく、分かるのかもね。かつて自分と同じ存在が、そこにいたことが」

「楠木教授の奥さん――、の姿をした怪物は、ここに住んでいたってこと?」

 怪物の行動を観察したまま僕が問うと、ルイは曖昧な笑顔を浮かべる。


「いや、〝彼女〟じゃない。ここにいたのは、〝彼女〟の子ども達だよ」


 ルイの言葉に、暫く思考が追い付かなかった。多分、今の僕は過去最大の驚いた顔をしているに違いない。


「子ども……〝達〟だって?」

 何よりも見逃せないのはそこだ。その口ぶりでは、まるで……。

「そう。奥さんが地球外生命体に成り代わり、その後の事を教授は頑なに話そうとはしなかった。だから子ども達がどうやって生まれたのかも、誰が父親なのかもわかりはしない。全ては推測上の話だ」

 喉奥が乾く感覚に襲われた。全ては推測上。けど、怪物の性質を省みるに、事実は一つしか思い浮かばない。

 沈黙する僕たちの横で、扉が開くような音がした。見ると、怪物が四隅のドアの一つを開け、丁度中へ入っていく所だった。

 一瞬迷ったが、僕はゆっくりと怪物の入って行った部屋に向けて歩き出す。

 これから見る光景は、何となく予想できる。だが、それでも僕は確かめずにはいられなかった。

 入って左側の壁。入口側の部屋。開かれた鉄製の扉の横を通り抜けて、僕はそこで歪な世界を目の当たりにした。

 部屋の内部は簡単なホテルのようになっていた。ベッド、テレビ、本棚、洗面台。この家具の設置具合からして、奥のに見える扉はバスルームだろうか? 確かめる術はない。なぜなら、扉を開けて見える生活感溢れる部屋は、曇り、血のついた強化ガラス一枚隔てた先に存在していたのだ。

「なんだ……これは?」

 思わずそんな言葉が漏れる。そんな感想を抱く程に、目の前に広がる世界は異質だった。

 外界から隔離されたかのような。いや、あるいは何かを閉じ込めるために作られたようにも見えるその部屋は、強化ガラスの壁さえなければ普通の部屋に見えるだろう。だが、圧倒的な異彩を放っていたのは、その床と天井だ。

 天井には糸状のものが縦横無尽に張り巡らされており、そのシミ一つすら覆い隠す勢いだ。雑じり気のない純白であったであろうそれは、今は埃や塵をかき集め、灰色に染まっていた。粘性があることは明白だ。しかも所々に取りついている、赤黒い染み付きの繭から見ても、それが僕の部屋の天井に張り巡らされているものと同じだという事は疑いようがない。

 そして、床。ボロボロで傷みが目立つ床に、赤黒い大きな染みがべっとりとこびりついていた。床を大規模に覆い隠すそれの横には、何かが引き摺られたかのような跡が残っている。確認するまでもなく、血液の痕跡だった。

「この実験場の部屋の四隅に、それぞれ〝彼女〟の子ども達がいた」

 無表情でガラスを見つめる怪物と、唖然と立ち竦む僕の間に、ルイが静かに入り込んでくる。

 何処か懐かしむような、それでいて憂いを含んだ。そんな複雑な面持ちのルイを、僕はただ見つめることしか出来なかった。

「天井に、見えづらいかもしれないが、監視カメラが取り付けられている。あれで、各部屋の様子を観察、監視していたんだ。そして……」

 ルイは溜め息をつきながら自分の携帯電話をクルリと回す。ここにたどり着いてどれくらいの時間が流れただろうか? 着信が鳴る気配は、まだない。


「唐沢汐里。当時の彼女は教授に選ばれた人間の一人だった。彼女は、ここで子ども達らを監視する役割を担っていたんだ」



 ※


「つまんない事聞いてもいい?」

「つまらない事なら出来れば遠慮して欲しいですが……。まぁ、暇といえば暇なので、いいでしょう」

 高速道路を走る一台の車。その車内で二人の女の声が響く。一人は山城京子。もう一人は唐沢汐里だ。ハンドルを握ったまま、汐里はバックミラー越しに後部座席に座る京子を一瞥する。脚を組み、席のど真ん中で堂々と座る殺人鬼に、思わず苦笑いを漏らした。会った時から感じてはいたが、肝っ玉の太い女性だ。汐里はそんな素直な感想を抱いた。

「シオリンって、あの怪物の弱点とか知っているってことは、以前もあの女以外の怪物と関わったことがあるんでしょ? いったいどんな仕事してたの?」

「本当につまらない事を聞いてきましたね」

 京子の質問に、汐里は憂鬱そうに息を吐く。

「しがない研究者でしたよ。一応博士課程を目指していた時期もありましたが、昔の話です。前に話した、怪物を発見した教授の事を覚えていますか?」

「栃ノ(とちのき)教授?」

「楠木教授です。彼の元で、名目上は助手の一人として。……いえ」

 汐里は車を走らせたまま、気だるげな、遠い瞳を前に向ける。

「生け贄か……駒。そっちの方がしっくりきますね。そんな立場でした」

「てことは、怪物の研究? 凄い非日常ね! 羨ましいわ」

「やめてください。正直嫌な思い出しかないんですよ」

 はしゃぐ京子に対して、汐里は苦々しげな表情になるが、京子はますます興味を惹かれたような視線で汐里を見る。

「他の怪物ってどんな姿だったの?」

「前にも話しましたが、怪物達は人一人を捕食し、その姿そっくりに成り代わります。ここで面白いのは、多くの怪物は、肉の衣に女性を使用します。何故だかわかりますか?」

「考えるの面倒だわ。さっさと教えて」

 にべもない京子の返事に、汐里は肩を竦めた。

「答えは簡単。怪物は生殖の仕方が独特といいますか、異質でしてね。基本的に牝が生まれるそうなんです。故に衣は自分達と同じ性別。女性のものを使う必要がある」

 汐里の説明は続く。

「あの実験場でも、怪物の子ども達が生まれました。おぞましいものです。そこにいるのは、美女や美少女の皮を被った、人間ではない存在なんですからね」

 状況を想像したのか、京子の表情が微妙なものになる。それを見た汐里は初めて満足そうな笑みを浮かべた。

「気味が悪いでしょう? 怪物の存在自体は大発見ものですが、あの実験場で仕事をしていたことを、後悔しなかった日はありません。ましてや、あんなイレギュラーが起こるくらいなら、初めから殺しておくべきでした」

「イレギュラー?」

 憎しみをたぎらせた表情で、汐里は白衣のポケットから何かを取り出した。

 それは、厳重に密閉された、頑丈そうな小さな箱だった。

 黒い無骨なフォルム。だが、何処か洗練されたようなデザインに、京子は何故か「オルゴール?」といったコメントを漏らした。

「いたんですよ。あの中に」

 首を傾げる京子を余所に、黒い箱を睨み付けながら汐里は答える。


「怪物の子ども達の中に。生まれる確立が極端に低い、雄の個体がね」


 車はやがて、高速道路を降りていく。

 曲がりくねった道を越え、レイやルイが待つ実験場へ向けて、深い森のを迷うことなく突き進む。

 対峙の時は、目前に迫っていた。

  

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