45.秘密の断片
自己評価になるが、私という存在は、どうしようもない位に中途半端だ。
これといった長所もない。才能も特技もない。物覚えも悪ければ、学習能力もない。
そんな人間が、そこそこ裕福で、エリートだとか官僚。そういった肩書きに固執する、由緒ある家系に生まれたらどうなるだろうか?
答えは簡単。一族の恥さらし。鼻つまみもの。出来損ないの出来上がりだ。
「ああ嘆かわしい。こんな見かけ倒しがうちの家系に名をつらねているだなんて」
親戚の人達が、何の成果も上げない凡庸な私を見ながら、溜め息や皮肉の言葉を浴びせるのは、もはや恒例のようなものだった。
「あんたさ。顔とスタイルだけはいいんだから、脱ぐなりなんなりして、身体で稼げば?」
私より才能がある従姉妹達は、会うたびに嘲笑を浮かべながら、私にそんな提案を持ち掛けてくる。
これといった能力がない私だが、どうやら容姿だけには恵まれているらしい。最も、そのせいで見かけ倒しと罵られてはいるのだけど。
極めつけは私の弟だ。多領域において、その才覚を遺憾なく発揮する弟。上がダメだと下がしっかりする。だなんて話はよく耳にするが、それにしたってやり過ぎなのではないかと思える位、弟は完璧な人間だった。
当然。親の関心は、弟の方へと注がれた。
ただ、せめてもの親心なのかはわからないが、両親は私を、地元でも有名な通称――、『良妻賢母製造学院』に放り込んでもくれたりした。勿論そこには、コネとか色々なものを下地にしているのだろうけど、気にしない方が幸せかもしれない。
ともかく。その時私は、これは両親と、神様がくれたチャンスだと感じた。
仮にも有名な学院だ。ここで自分が打ち込める何かを見つけられれば、きっと周りや両親の評価も変わることだろう。
学院に入学した私は、心機一転。死に物狂いで努力と探索を重ねていった。
だが。今までがそうであったように、現実は言いようもなく残酷だった。
入学してから最初の学期末。恐らく最後なのであろう、両親の橋渡しも。必死の研鑽も。全ては無意味な事だったと、私は思い知らされた。
結果は全てを物語る。結局、私はその学院でも、落ちこぼれで半端者だったのだ。そもそも、凡庸な私がどんなに頑張った所で、いかにもハイレベルそうな学院の授業についていける筈もなかったのである。
落第寸前な通知票を持っていった時の、両親の心底失望した顔。私が両親の部屋を後にした直後に聞こえてきた、「あれでは政略結婚の道具にもならん」と、吐き捨てるように放たれた言葉。
それらを聞き、目の当たりにした時、私は頬を伝う涙と共にそれを悟った。
ああ、私はいらない子だったのだ……。と。
この世に生まれ落ちてから、私が経験したことは、侮蔑と嘲笑。そして何よりも、誰にも見向きもされない寂しさだった。
空気を噛んでいるかの如し、むなしくも作業的な灰色の日々。そんな中でぼんやりと生きている私に、一体どんな意味があるのだろう。
機械的に目が覚めて、反復動作のように食事を取り、敷かれたレールの上を走るように学校へ向かう。これではまるで、人形かロボットではないか。
私は静かな絶望を感じながらも、何も出来なかった。
そんな代わり映えのない日常に埋没していたある日のこと。
私は、〝あの青年〟と出会った。
「出会った」は、少し齟齬が有るかもしれない。正確には、見つけたが適切だ。
でも、ここは、少しの見栄や意地で、出会った。にしておこう。
そう、私は出会ったのだ。どこまでも暗い瞳で、何処か諦めたかのように歩く。そんな寂しげな雰囲気を纏った、あの青年に――。
※
本日の大学での授業を終え、僕は足早に帰宅した。
玄関での怪物による、熱烈なハグとディープキスに足止めを食らいながらも、僕は何とかリビングまで辿り着いた。
「やぁ、おかえり。早かったね。今日は四限目までではなかったかい?」
「教授が食あたりになったらしくてね。今日は休講になったんだ」
部屋の本棚に寄り掛かったまま、読んでいた文庫本から視線を外し、ルイは彫像のような微笑みで僕を出迎える。それに肩を竦めて返答しながら、僕はルイの前を横切り、ベッドの前に腰掛けた。
一方、玄関から僕の背後についてきた怪物は、そのままベッドに寝転ぶ。
ルイが僕の部屋に上がり込んで、早くも二週間。それぞれの寛ぎの場所が決まりつつあるこの状況に、僕は苦笑いを禁じ得なかった。
ふと、ルイが座る床に、五、六冊の本が積み上げられているのを発見する。どれも見慣れない本だ。少なくとも僕の物ではない。
「また買ってきたのかい? 僕の部屋は君の本棚ではないんだけど?」
「そんなことわかってるさ。でも、すまないね。どうしても一日数冊読まなきゃ気が済まないんだ」
出ていく時に全部持って行くから、許しておくれ。と、両手を合わせるルイ。こいつが出ていく時は怪物の秘密を話した時だ。果たして僕は、彼の中で秘密を話すに値する人間ではあったのだろうか? 確かめる術はないし、急かして変にヘソを曲げられても困る。
ただ、話してくれるその時を待つしかないというのが、何とも悲しい話だ。でも、僕にはもうこいつに頼る意外に他は無いと思う。たとえ多少胡散臭くてもだ。
複雑内心を誤魔化すように、僕はルイが買ってきた本を数冊手に取る。
『ジーキル博士とハイド氏』
『狼王ロボ』
『女には向かない職業』
『分身』
『ラヴクラフト全集2』
『フランケンシュタイン』
『狼と香辛料』
「……ライトノベルも読むんだね」
「ああ。なかなかどうして面白いんだ」
取り上げた本の最後にあった一冊。それを見た僕の率直な一言に、ルイは微笑みながら頷く。
こいつが色々な本棚を抱えてレジに並ぶのを想像する。……本とルイのセットはとても絵になることだろう。だが、普通に会計をしているところが全く頭に浮かんでこない。そもそもなんの荷物も持たずに身一つで僕の部屋に乗り込んできた訳だが、こいつは今までどうやって生きてきたのだろう?
「ちなみに今読んでたのは?」
僕の問いかけに、ルイはそっと本の表紙を僕に見せる。
『女吸血鬼カーミラ』
そのタイトルを見た瞬間、僕は首筋に甘やかな痺れが走るのを感じた。慌て背後を振り返ると、怪物は寝転んだまま、ベッドの毛布をいじくり回して遊んでいる。どうも錯覚だったようだ。「吸血」という単語を名に冠する鬼。その女性型を題材にした小説なのだろう。
するとルイは僕の反応に目敏く気づいたらしく、ちょっと苦笑しながら肩を竦めた。
「その子の行動は吸血鬼を連想させるものが多いからね。この小説もタイトルの通り、女性の吸血鬼の話なんだ。当時は吸血鬼といえば、伯爵といった貴族の風格を匂わせたイメージだったからね。女性の吸血鬼というキャラクターは珍しかったらしい」
今は色々なメディアで登場してるけど。と、ルイは付け足した。
「吸血鬼……そういえば考えたこともなかった。まさかとは思うけど、こいつの正体は吸血鬼っていうんじゃ……?」
恐る恐る訪ねる僕に、ルイは残念。と、言うように首を横に振る。
「確かに、吸血鬼と言ってもいいかもしれない。でも、あくまでも吸血鬼は、想像上の生き物だ。その子とは違う」
ルイの一言に僕は首を傾げる。
「こいつは現実にいる生き物だっていうのかい? こんなにも非常識な存在なのに? そりゃあ目の前にいる以上現実なんだろうけど……」
「そう、非常識な存在なのに、そこに存在している。空想上の生き物――。例えば、ドラゴンや吸血鬼といった類いのモノではない。なら、その子は何処で産まれ、何処から来たのだろう?」
心底楽しそうに語るルイ。僕は高鳴り始めた鼓動を必死で抑え、無い頭を絞って考える。
怪物の正体。ルイが少なからず、それのヒントになる事を口にしようとしている事は明らかだ。会話の流れからも、その核心に迫る内容に近づきつつあることがわかる。手の届く位置まで、答えは近づいているのだ。
この世にはいない生き物。
創作の中にいた妖怪や妖精が、実は現実に存在していた。そういう話ではない。勿論、そういう類いのモノがいないと証明出来ない以上、もしかしたら本当はいるのかもしれない。現に僕はこうして怪物と遭遇しているのだ。可能性としては大いにありうるだろう。だが、こいつに限って言えばそうではないらしい。
現実にはいなくて、想像の世界にもいない存在。……なんだ?
「難しく考える必要はない。君の言う〝現実〟とは、一体どこまでが〝現実〟なんだろうね?」
まるで謎かけか哲学の話をしているようだ。頭が痛くなりそうな状況の中で、僕は思わずこめかみを抑えながら怪物を見る。
考え過ぎによって難しい顔になっているであろう僕を、怪物は静かに見守っていた。
見たこともない位、大きな蜘蛛の姿。それがこいつの真の姿。この世に確かに存在した、少女の姿を象る怪物。
怪物の事を知っている人間で、〝生存〟しているのは、ルイと、車椅子の女――、唐沢汐里のみ。〝生存〟ということは、以前は他にもいたということだろうか? こいつの、怪物の存在を知る人間が。
だとしたら、こんなのをどこで、どうやって知ったというのだろう?
終わらない負のスパイラルに僕が囚われていると、耳にテレビの音が流れ込んできた。頭を抱える僕を放置して、ルイがテレビを点けたようだ。
「丁度君がいつも見てる、ニュースの時間だろう?」
ああ、その通りだ。確かにそうなんだけどさ……。
言い様のない脱力感を感じながら、僕は半ばやけくそ気味にテレビに意識を向ける。
まるで霞か、波を捕らえようとしているかのようだ。近づいては離れ、遠ざかっては再び引き寄せられる。もう少しで何か閃きそう……な、気がしたのに。
ふと、指先にくすぐったい触感を覚え、僕は思わず「うひゃぁ!」なんて情けない声をあげてしまう。見ると、怪物が僕の指を甘噛みし、指先に舌を這わせていた。
冷たく濡れたそれは、僕の背筋を否応なしに寒くする。
「……知らない人が見たら、凄く危ない光景に見えるだろうね」
「やめてくれよ」
茶化すように笑うルイ。本当に笑えないから勘弁して欲しい。
しっとりと湿り気を帯びた指を怪物から引き剥がすと、怪物はどこか切なそうな表情になる。が、無視。ここで僕が変に戸惑いを見せると、たちまち怪物の腕に絡め取られる事はわかっているし、学んでいる。……まれにどうにもならない時もあるが。
「ニュース何やってるかな?」
「願わくば、とある女性が見つかってくれると嬉しいんだけどね」
頭に浮かぶのは、茶髪のショートヘアーな女性。ニュースを見る限り、捕まった様子はなさそうだ。京子は存外、上手く隠れているようだ。
しかし、それにしたってこんなにも見つからないものなのだろうか? あの事件からもう半月と少しは経とうとしている。もしかしなくても、京子は安全な逃亡先を見つけたか、下手したら日本にはもういないのではないだろうか?
そして、いずれまた……忘れた頃に。
背中に冷たい汗を感じながら、僕は身震いする。大輔叔父さんには是非とも頑張って欲しいところだ。というのは他力本願というものだが、一般市民たる僕に出来ることなど、こうやって祈ること位しか……。
「む、この子がいながら、他の女の子を気にかけるとは……。レイ君って意外と残酷なのかい? ほら、ごらんよ。君がそうだから、何だか寂しそうな顔してるじゃないか」
またしても少しズレた発言をするルイ。だが、今はそれを否定したり、そいつが寂しそうなのは僕がテレビの方に意識を向けているからだ。といった弁明も、全て飲み込まれた。
僕が凝視しているのは、ニュースが終わった後の、コラムのようなコーナー。
特定の題材について、詳しく説明したりするというものだ。今日はどうやら、宇宙開発について取り上げているらしい。
別段、それが珍しいとか、その分野に関心があるだとか、そういう話ではない。ただ、僕の興味を惹いたのは、アナウンサーの「地球の外へ目を向ける」この言葉だった。
心臓を鷲掴みにされたかのような。そんな衝撃が僕を襲う。
吸血鬼のような、幻想の住人ではない。
現実にはあり得ないはずなのに、そこにいる。
謎めいた行動や、その目的。
人間には、理解出来ないもの。
納得……出来た訳ではない。だけど、怪物が現実に――、すなわち〝地球上〟においているはずもない存在だと言うならば、〝地球の外〟から来た。そう考えれば、その非常識さにはある程度なら説明をこじつけることも、出来なくはないだろう。
「ルイ、つかぬことを伺ってもいいかい?」
「なんだい?」
僕の問いかけに、ルイは再び読みはじめていた『女吸血鬼カーミラ』を閉じ、こちらへ視線を向ける。ゴクリと、唾を飲む音がした。早鐘を刻む心臓と、興奮で荒くなりそうになる呼吸を何とか整える。汗ばむ手を握り締め、僕は質問する。
「こいつは……怪物は、宇宙から来たのかい?」
沈黙が流れる。テレビの音も、今はBGMはおろか、雑音にもならないだろう。それほど真剣に、僕達は互いを見つめていた。
やがて、永遠に続くかと思われた静寂に終止符を打ったのは、ルイの方だった。
「宇宙から来た。というのは、あくまでも関係者の推測なんだ。でもまぁ、間違ってはいない。地球外生命体なんて、宇宙以外のどこから来るんだって話だからね」
そういいながら、ルイはいつものアルカイックスマイルを浮かべた。
「概ね正解だよ。レイ君。より正確に言うならば、その子は〝地球生まれ〟の地球外生命体だ」




