41.夜其ノ三――交渉
心臓が張り裂けんばかりに鼓動を刻んでいた。待ち望んでいた怪物を知る者。それが目の前にいるのだ。僕が興奮するのも無理はない話だろう。
「教えてくれ。アイツは……一体何なんだ?」
僕がそう問いかけると、ルイは首を横に振りながら、僕に落ち着けとでも言うようなジェスチャーを送る。
「聞きたい気持ちはとてもよくわかるよ。でもその前に教えて欲しい。君はこの子についてどこまで知っているんだい?」
ルイはそう言いながら、ゆっくりその場に腰を下ろす。本棚を背もたれに座っている。ただそれだけの事をやっているだけなのに、その姿は本当に絵に書いたように様になっていた。
今更ながらルイの顔立ちは異様だ。髪や瞳、肌の色は勿論のこと、 各種のパーツが怖いくらいに整い過ぎているのだ。
僕はそれに謎の寒気を覚えながらも、こいつと――、怪物と出会ってからの事を、かい摘まみながら説明した。
奇妙な回想録。それは恐ろしくも、無慈悲な、怪物と僕が歩んできた物語でもあった。
すべてを語り終えると、ルイは何かを考えこむかのように難しい顔のまま、物思いに耽るかのように宙を見つめだす。が、再びゆっくりと怪物の方を見ると、やがて、先程のように優しく顔を綻ばせた。
「どうしたのさ?」
思わず僕は問いかける。常時浮かべていた、彫像のような笑みとは違う、人間味のある表情だった。
すると、ルイは何でもないと頭を振りながら、再び彫像のような笑みを張り付けて、僕を見上げた。
「レイ君。もう一度確認するけど、君はその子に歩み寄ると決めた。それは間違いないね?」
ルイの突然の問いかけに、僕は少し戸惑いながらもゆっくり頷く。
「その子の秘密を知りたい。それは本心?」
「何を……そんなの当たり前だよ」
こいつが僕につきまとう理由も、瀕死だった僕に何をしたのかも。米原侑子との関係や、そもそも、こいつはどこからきたのかも。全部知りたいに決まっている。
「こいつとしばらく関わって思ったんだ。こいつは人間では想像も、太刀打ちも出来ない力を持っている。これだけの力をわからないままにしておくなんて、余りにも危険だ」
こいつが僕の傍で生きていこうとするならば、尚更に。あの車椅子の女曰く、僕ならば比較的楽にこいつを殺せるらしい。
だが、何度も繰り返すが、それは出来ない。少なくともそんな割りきった感情を持てなくなるほどに、僕はこいつと関わってしまった。
「つまりレイ君は、可能ならば、この子と共存すると?」
「状況にもよるけどね。少なからずこいつは、今のところ、人的な被害は出していないし」
主に僕の生活とかには被害が出ているが、そこは気にすまい。それを今更……と思ってしまうあたり、僕も少しだけズレているのかもしれないが。
ともかく、あの夏の一件で、こいつはよほどのことがない限り、僕以外の人間を襲うことはないとわかっている。だからこそ、僕はこいつに歩み寄れたのだ。
すると、ルイは少しだけ憂いを含んだ顔つきのまま、ゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう。君の気持ちはわかったよ。では話そう。その子の秘密を。ただし……」
ルイは片目を閉じたまま、ひとさし指を立てる。
今こそ語られるであろう真実。期待と不安で僕の喉がゴクリと音を鳴らし――。
「それは、今じゃない。まだ語るわけにはいかないんだ」
その場に沈黙が訪れた。
「…………理由は?」
出鼻を挫かれたような気分にもめげず、僕が問いかけると、ルイは肩を竦めながら横目で怪物を見る。
「君が言ったように、あの子の力はとても危険だ。〝今の〟あの子は基本的に人間に危害を加えようとはしない。けど、ある要因次第では、人を喰らう存在にもなりえてしまうんだ」
「ある……要因?」
ルイの意味ありげな言葉に、僕は思わず首をかしげた。
その瞬間。唐突に、僕の頭の中である情景がフラッシュバックする。
閉ざされた狂気のアトリエ。内臓が粉砕される嫌な音。血の芸術家を自称する、怪物になりそこねた殺人者の片割れ。僕が好きになった女性、その人のあまりにも悲惨な末路――。
「……まさか」
「理解が早くて助かるよ。ある要因とは、レイ君。君の事さ。だから、君の身の振り方次第で、その子は人喰いの怪物に堕ちてしまうかもしれない」
突然の宣告に、僕は思わず背後の怪物を見る。
服の裾は、未だに掴まれており、怪物は無表情のまま、僕をじっと見つめている。
自惚れと言われればそれまでだが、あの時確かに、こいつは僕のために京子に攻撃をしかけていた。それが、他の人に向けられる?
寒気がするような話だ。
「君の考えは正しいよ。君はこの子を知らないままにしてはいけないんだ。けど、真実を知ることは大きなリスクも含んでいる。だから僕は今迷っているんだ。君はこの子の力を悪用するような人間か、否か。僕にはそれが分からない」
少しだけ申し訳なさそうな顔で、ルイは目を伏せる。
つまりは真実を告げるのはいいが、その告げる相手が信用出来るか分からない。要はそういうことか。
「もしかしなくても、僕と話すためだけに、ここに侵入したのかい?」
「うん」
あっけらかんと答えるルイに、僕は思わず肩を落とす。他にやり方があるだろうに。僕の人間性とかを吟味したいのに、自分の信用を失墜させてどうするというのか。
そんな僕の内心を知ってか知らずか、ルイはストレッチでもするかのように腕を交差させ、ぐっと身体を伸ばす。
「納得……は、してくれないよね」
「正直ね。でも、こいつの秘密はそう易々と教えられないものだというのは、なんとなく分かるよ」
なにせ存在が非常識だ。それが人一人の身の振り方で危険な存在にもなり得るというのだ。慎重にならない方がおかしい。
「でも、いずれは教えてくれるんだろう?」
「うん。君が信用できるとわかったら、時期を見てね」
静かに頷くルイ。よし。言質は取ったぞ。内心では興奮にうち震えながら、僕もまた、確認するように頷いた。怪物の謎に大きく近づけたのだ。紛れもない収穫といえるだろう。
「じゃあ、それまで待つよ。どうせ何にも分からない身だしね。教えてもいいと思ったら、また来てくれよ」
正直、部屋に再び入れるのは気が進まないが、拒んだ所でまた不法侵入してくるのだろう。怪物の件がなかったら、間違いなく警察に引き渡している状況だが、そうしてしまうと、怪物の秘密も分からなくなる。不本意ながらも、ここは目を瞑ろう。
後は大学でなり、道端でなりで精々僕を観察すればいいさ。多分得られるのは、なんの変哲もない一般人という感想だろうけど。
僕がそんなことを考えていると、ルイは遠慮がちに右手をあげる。
「……あ~。そのことなんだけどね」
迷いを含ませた声色で、ルイは目を泳がせる。
「何だよ? まだ何か目的があるの?」
すると、ルイはご名答と言わんばかりの綺麗な笑みを浮かべる。
怪物を見つけ出すこと。怪物の傍の人間と話をすること。そしてまだ見ぬ三つ目――。僕の部屋に来ただけでこれだ。ルイは一体幾つの目的を抱えているのだろうか。
「やらなきゃいけないこと多くてね。八つくらいかな。まぁ、それはいい。君に交渉したいことがあるんだ」
疑問が顔に出ていたらしく、ルイは律儀にそれに答えながら、僕の方へ改めて向き直る。
「交渉って?」
なんとなく嫌な予感しかしないのは気のせいだろうか?
怪物が、いつの間にか僕の背後から抱きつく形で纏わりついていた。肩に顎を乗せ、時折頬を擦り寄せてくるその姿は、とてもではないが、凶悪な力を有した存在には見えない。
いや、違うな。ある意味では凶悪だ。真面目な話をしているこんな時にすら、我が道を行くのは、中々の大物だろう。怪物と呼ぶにふさわしい……かもしれない。
「えっと……話の続き、いいかな?」
ひきつった表情で断りを入れてくるルイに、先を話すように促す。すると、ルイはコホンと、咳払いしてから、血色の双眸をしばたかせた。
「ものは相談なんだけどね。僕をしばらく、この部屋に置いてはくれまいか?」
「…………え?」
それは、僕の予想斜め上を行くどころか、斜め下から不意討ちを決められたかのような。そんなとんでもない提案だった。




