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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第三章 白い抹消者
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38.夕其ノニ――思いがけぬ言葉

 カフェ『モチモチの木』。自家製のパンと、品質にこだわったコーヒー豆をうりとした、僕が行きつけの喫茶店だ。

 落ち着いた内装。流れるジャズミュージック。そしてコーヒーの上品な香りと、パンの芳ばしい匂いは、いつ来店しても僕の心を穏やかなものにしてくれる。……普段ならば、そうなる筈だった。

「ああ、いい雰囲気の喫茶店ですねぇ。でも、出来るなら私の部屋に来ていただくのが一番望ましかったのですが」

 テーブルの相席に座る女は、初めて都会に出た若者のように喫茶店をキョロキョロと見渡していた。

 ざんばらんに乱れた茶髪と血走った目。古めかしいデザインの車椅子。大学帰りから僕を追跡してきた異様な出で立ちの女は、相変わらず喘息のような呼吸音を漏らしながら、歪な笑みを浮かべていた。

「生憎だけど、最近人の部屋を訪れると、ロクなことがなくてね。それは丁重にお断りさせて頂くよ」

 僕の返答にも、車椅子の女は「そうですか〜」と気のない返事をしながら、ニヤニヤ笑いを絶やさない。もしかしたらこの目と表情は普段からなのだろうか。

「それで? 改めて聞くけど、君は何者だ? どうして僕の名前を知っている?」

「さっきはあんた。なんて乱暴な口調でしたのに」

「茶化さないでくれ」

 イライラしたような僕の口調に、女は誤魔化すように手を前で振る。

「まぁまぁ。そうですね……斉賀友梨(さいが ゆり)。とでも名乗りましょうか」

「そうだとしたら僕は真っ先に警察に通報するけど?」

「あ〜。それは面倒ですね。じゃあどうしましょうか?」

 女は値踏みでもするかのようにこちらを見る。まるで遊んでいるかのような態度だった。

「名乗りたくない?」

「そりゃあ。そうですよ。ある事情もありましてね」

「……警察呼べば身分とか証明しなきゃならないですよね?」

「そんなことの為に国家権力使っちゃ駄目ですよ〜。そしたら私は一目散に逃げさせてもらいます」

「……その車椅子で? 僕が取り押さえるとは思わないわけ?」

「その時は……そうですね。痴漢〜! とでも叫びましょうか」

 クックックと口元に手を当てながら、女は肩を震わせる。ダメだ。この女、まともに名乗る気はないらしい。

 見た目はアレだが、応対は意外としっかりしている。そのアンバランスなギャップが、本心は何処にあるのか分からない不気味さを醸し出していた。

 ……どうしてくれようか。

 僕がこめかみに手を当てながら思案していると、カウンターの方からウエイトレスが歩みよってきた。

「お待たせいたしました。ブレンドコーヒーとアイスティーです」

 鈴を鳴らすような綺麗な声と共に、僕と女の前に注文の品々が置かれた。僕がブレンドコーヒー。車椅子の女がアイスティーだ。

 僕と女は謀らずも同時に「どうも」と、口にする。するとウエイトレスは微笑みながら一礼し、静かにカウンターへ戻っていった。

 怪物のせいでここへ来るのも久しぶりになってしまったが、彼女の事は覚えている。確かこの喫茶店でアルバイトをしている、女子大生だった筈だ。訪れる客のほんの一部は、彼女が目当てなのよ。と、マスターが冗談まじりに話していたのを聞いたことがある。

 濡れ羽色の長い髪がふわりと靡いている。その後ろ姿は、僕にとって日常の一部になりつつある存在によく似ていて……。

 今更だが、怪物(あいつ)は部屋で大人しくしてくれているのだろうか?

「おや、あんな感じの女性がタイプですか? 確かに美人さんですよねぇ……」

 気がつくと、車椅子の女が冷やかすように僕を見ていた。その嘲笑を含んだ視線を無視し、僕は話を再開させる。

「だから茶化さないでくれよ。僕はどうして君が僕を追いかけてきたのか全くわからない。こうして内心ビクビクしながらも話すことに応じたんだ。名乗るつもりがないならせめてその理由を教えてくれ」

「そりゃあ、お話がしたかったからです。あそこにいたのは、人探しの途中でしてね。そしたら該当しそうな人が、偶然にも歩いてきてくれたので」

 女はアイスティーにミルクとガムシロップを入れながらしれっと答える。

 飲み物に何かを入れるのは喫茶店では当たり前に見られる光景だが、以前その行動で陥れられた僕は、思わず顔をしかめてしまう。

「……だったらなんであんな狂人みたいな行動をしたんだよ?」

「ああ、ごめんなさい、私、興奮するといつもあんな感じになっちゃいますので」

「まぎらわしい」

「よく言われます。でもあんなに怯えて逃げられちゃうなんて、女として少し複雑です」

 アイスティーを飲みながら女は悪びれた様子もなく返答する。

 繰り返すようだが、恐ろしい形相と、この丁寧な応対。それがまるで底の見えない穴を覗いているようで、どうにも落ち着かない。

 せっかくのコーヒーも何だか味が分からなくなっている。……そもそも最近はこんなことばっかりな気もするが。

「いや、こう言ったら失礼だけど、君見た目と行動、どれも怪しすぎるんだよ。どうして僕の名前……というか、渾名を知っている?」

「おや。やっぱり貴方がレイ君で間違いないんですね」

 女の目が一際輝きを増す。その爛々とした輝きに、僕は思わず舌打ちする。今のは……余計な情報だったかもしれない。これでこの女の中で、僕が「レイ君」だということが、不確かな事実から確定情報に昇華されてしまった。

 大袈裟な反応かもしれないが、この女が得体の知れないという事実は変わらないのだ。つくづく己の迂闊さが嫌になり、僕は苦々しげに女を見る。

「わからないよ? たまたま同じ渾名か、あるいは君のいう『レイ』という名前が本名かもしれない」

「いえいえ。レイという渾名と、今は黒髪のロングヘアーな女性がタイプ。それと、貴方の身体に付着している〝ソレ〟。これだけの条件と、私の持つ情報を照らし合わせれば、おのずと貴方が『レイ君』であるのは間違いない筈」

 僕の精一杯の抵抗も虚しく、女は満足気に頷いている。どこかしてやったりな顔にも見えるのは気のせいではない。どうやら言葉巧みに誘導されていたらしい。

 こちらの情報だけ引き出し、自分の情報は明かさない。こんなの詐欺だ。いや、単純に僕がバカだったから。という見方もあるかもしれない。ここ最近の出来事を振り返ると、情けないことに十中八九そんな気もしてきた。が、今関心を向けるのは別の事柄だ。今この女が言った言葉の中に、聞き捨てならないものがあった。

「待ってくれ。僕に何が付着してるって?」

 僕がその疑問を口にすると、「おっと、喋りすぎましたね」と女は慌てたように再びアイスティーを口にする。

「まぁ、ともかく。思いの外、あっさり目的を達成出来てよかったです。あの大学に突撃する手間も省けましたし。贅沢を言うなら、貴方の部屋にも行って見たかったですが……まだ何の準備も出来ていませんし。脚もこんな状態ですからね。またの機会とします」

 女は言いたいことは全て言い切ったかのような清々しい顔で、財布から百円玉を二枚取り出す。それをそっとテーブルの上に置くと、脱いでいた白衣をそそくさと着込み始めた。どう見ても帰る気満々だ。

「待て、こっちの質問に……」

「おや。私は〝時間あるかな?〟と聞いただけでして。レイ君の質問に答えるなんて一言も言ってないですよ?」

 歪な笑顔は不気味だが、それと同時に憎らしくもある。しかも全くの正論なのが腹立たしい。

 そんな僕の心情などいざ知らず、車椅子の女は座ったまま優雅に一礼する。

「必ずまた会うことになるでしょう。せいぜいお元気で」

 女は嘲笑うかのような表情を浮かべながら、車椅子を操作する。あり得ない速さで百八十度回転した女は、止めようとする僕の声も聞かずに、悠々と走り出した。

「ああ、でも。流石に貴方に何も残らないのは可哀想ですね。忠告だけ残しましょうか」

 が、不意に女は車椅子の動きを止め、いつかのように首だけを此方に向ける。

 ギラギラと血走った目が僕を捉え、口元が裂けるように左右に広がった。

「悪いことはいいません。貴方に取り憑いている女の化け物……。命が惜しいなら、今のうちに殺しておきなさいな」

「…………え?」

 それは、僕の予想の斜め上を行く、思いがけない言葉だった。

「幸いにも、あの化け物は、最も近くにいる存在――。つまり、貴方の手なら比較的楽に殺せる筈なんです。ですから、もう一度言います。手遅れになる前に、さっさと殺しなさい。でないと、貴方はきっと後悔する」


 驚愕に目を見開く僕を一瞥し、車椅子の女は肩を竦める。

 僕の頭の中で、あらゆる情報が駆け巡る。化け物……まさか。

 僕の脳裏を今は見慣れてしまった、美しい少女の姿が掠めていった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! あんた……何を知ってる? あいつの正体も分かるのか?」

 慌てて問い詰める僕。女はそれを心底愉快そうに眺めながら、僕の言葉を手で遮る。

「質問は受け付けません。でも、貴方の反応が面白いので、もう一つサービスしちゃいます。もう遭遇したかどうかはわかりませんが、アルビノの少年には気をつけて」

「アル……ビノ?」

 一瞬理解が追い付かなくて、ポカンとした僕を置き去りに、女は話を続ける。

()っていないならば、それに越したことはありません。でも、もし出遭ってしまったのでしたら……」

 気味の悪いものを思い出したかのように、女は両肩を抱えて身震いする。

「御愁傷様。とだけ告げておきます。アレは貴方にとって絶望の象徴ですから」

 女はクスクスと笑いながら車椅子を動かす。行き先は喫茶店の出口……ではなく、畳み掛けるような情報に頭を抱える、僕のすぐ傍だった。

「最後に。これは忠告でもなく報告です。貴方には教えた方がいいかと思いまして」

 車椅子の女は、そっと僕の耳元に口を寄せ、囁くようにその言葉を告げた。


「山城京子――。まだ生きていますよ。レイ君、どうか夜道にはお気をつけて」


 それは、僕の背筋を再び凍りつかせるのに、充分すぎる重さを持っていた。

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