表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
35/221

番外編.名も無き者共のとある夜

番外編です。時系列的には二章と三章の間のお話となっております。

少しコメディ色が強いですが、地味に重要な描写があったりします。

清涼剤(?)としてどうぞ。

 あれは不幸な事故だった。いや、事故というか……。災難というか。……ああ、そうだ。アレは災難だ。災難だとも。

 結局僕も一人の男だったと言われてしまえばもうそれまでだが、でも弁明するならば、アレは仕方がないことだった。


 ※


 九月一日。

 地獄と表現するに相応しいあの夏が終わり、大学の夏休み終了まであとわずかという時。その災難は起こった。

 怪物に恐怖し、魅了され、捕らわれて囚われた僕は、現在とてつもなく焦っていた。主に――。

「よ、よせ! や、やめろ! ヤバいから! さすがに一緒にお風呂は不味いから!」

 主に貞操の危機によるもので。

 怪物に歩み寄ると決めたあの夜。あれ以来、妙に怪物のスキンシップが過剰になってきていた。これは僕の気のせい……。などではない。間違いなく断言できる。

 事あるごとにくっついてきては、"色々な所"を押しあてられる。元々情熱的だったキスが、最近ますます熱を帯びつつある。寝ていると、僕の身体に蜘蛛糸を絡みつけ、自分の身体にくっつけようとする。何故か僕の服を脱がそうとする……。など。今更ながら、正直刺激が強すぎる。

「おい、頼む! 何か間違いが起きたらどうするんだ!」

 お風呂場で素っ裸のまま、ドアを抑えて叫ぶ大学生の図がそこにはあった。端から見たらさぞかし滑稽な事だろう。だが、裏を返せば、この扉の向こう側。そこには、そんな滑稽な大学生のお風呂場に突撃をかけようとしている、女子高生の構図が出来上がっていることにもなる。それはそれであんまりな絵だ。

「大体! 君、その制服のまま入る気か?洒落にならないぞ!」

 僕の部屋が! と、までは言葉が続かなかった。不意にドアにかかっていた力が消失し、僕は思わず首を傾げる。

 諦めたか? 一瞬そう思った。しかし……。

 バキン! という、僕を絶望のどん底に陥れる音が脳の奥で響く。その瞬間。身体所有権の剥奪能力により、怪物の傀儡と化した僕の身体は、躊躇もなく風呂場のドアに手をかけた。

 やめろぉ! と、せめて意識だけでも全力で制止をかけるが、そんなものは意味をなさない。気がつけばお風呂場のドアは完全に開かれ、目の前には黒衣の美しい少女が佇んでいた。

 お風呂場に侵入した怪物は、そのまま僕を上から下までマジマジと眺めだす。当然、その間僕の身体は、怪物に操られたままだ。

 現状――。見た目女子高生の怪物の前で、全裸でドアを開ける大学生。……新手の嫌がらせに思えてきた。だが、悪夢はこれだけでは終わらなかった。あろうことか、怪物は僕の目の前でストッキングを脱ぎ始めたのだ。

 待て! 待て待て待て! 心の中で、大絶叫を上げる僕。そんな僕を嘲笑うかのように、怪物はぎこちない手つきで黒いストッキングを下ろしていく。無駄にエロティックなその仕草に、目をそらしたいのは山々なのだが、生憎僕はまだ動けない。

 そうこうしているうちに、怪物はスカートを。その次は上着を脱ぎ捨てていく。

 露になる怪物の肌。今や病的なまでに白いその肌を隠すのは、妙に大人っぽい下着のみ。レースで縁取られた、黒いブラジャーと、黒のショーツ。女子高生が身に付けるには、いささか高級品にみえる。女性の下着は物によっては万単位のものがあると聞くが、これもその類いなのだろうか。そんなどうでもいいことを脳裏に過らせていると、布が引き裂かれる嫌な音が耳に入ってくる。

 紛れもなく、つい先程まで怪物の人間離れした美しさを際立たせていた、黒い下着の断末魔だった。今やただの布切れと化したそれが無造作に風呂場から外の床に打ち捨てられる。

 多分ブラジャーの外し方が分からなかったんだろうなぁ……。何て現実逃避をしているうちに、怪物は完全に風呂場に入り込み、僕の手がドアを閉める。

 その瞬間、再び脳髄の奥でバキン! という弾けるような音が響き渡った。それは、僕の解放を意味する衝撃だった。

 開放された僕には、もはや考えている時間は必要なかった。この状況下で怪物がやってきそうな行動は色々と想像できるが、今はそのどれをやられてもいろんな意味で致命的だ。故に僕がとる行動は一つ。

「だぁああらっしゃぁあああぁい!!」

 自分でも意味不明な雄叫びをあげながら、僕はとりあえず触れるには一番無難な怪物の腰を抱える。怪物は珍しく驚いたような表情で目を見開いていたが、あえて無視。僕は怪物を、そのまま浴槽へ放り込んだ。軽っ! や、柔らかっ! や、腰細っ! だとか、頭の中を駆け巡ったあらゆる感想は、お湯がはねる大きな音に掻き消された。色々と見てはいけないものも見てしまった気がするが、気にしたら負けだ。

「…………」

 一方、突然湯船に叩き込まれた怪物はというと、意外にも最初は戸惑いの表情を浮かべていた。だが、そのうちお湯の心地よさがわかったのだろうか。目を細めながら完全にリラックスした様子で湯船に浸かりはじめていた。順応性の高い奴だ。

 だが、何はともあれ、ひとまず助かったらしい。裸で抱きしめあうだとか、キスをかわすという状況にはならなくて本当によかった。

 外に追い出した所で怪物は何度でも侵入を試みようとするはずだ。だったらむしろ、浴槽に放り込んでいたほうがいいだろう。そう思って講じた策ではあったが、なかなかに効果はあったらしい。

「ともかく、そこでおとなしくしていてくれよ。僕はすぐ上がるから」

 僕そう告げると(通じているかどうかの考慮はこの際なし)、スポンジでボディーソープを泡立てていく。風呂は命の洗濯だと、誰かが言っていた気がする。考えてみれば、怪物が風呂に入っている所を見るなんて初めてのことだ。こいつは普段、身体の汚れなどはどうしているというのだろう? お風呂に入っていない割には身体は綺麗なままだし、むしろいい香りすらしてくる。そもそも僕たち人間とは身体の構造自体が違うのか。はたまた何か別の手段があるとでもいうのか。本当に今更だが、つくづく不思議な奴だ。

 僕は身体を洗いながら、何の気なしに怪物が寛いでいるであろう浴槽を見る。

「へ?」

 僕が間抜けな声を上げるのと、身体に何かが巻きつくのは、ほとんど同時だった。

 さっき見た時、浴槽に怪物の姿はなかった。ではあいつはどこへ行った?

 一瞬の混乱。そこから冷静に僕は自分に巻きついているものを確認する。ぞっとするほど白。滑らかで吸い付くような肌。見間違えようもない、怪物の腕だった。

 それを認識した瞬間。泡だらけの僕の身体を、怪物の手がまるで別の生き物のように這い回り始めた。

「お、おい、やめろ! ホントにやめろ! ボディーソープが!なんかもうこの状況は色々と……っ、ちょっ、変なところ触るな!」

 僕の抗議の声などなんのその。まとわりつく怪物は何だか楽しげに見える。人の気も知らないで何て奴。

「ああ、もう!」

 意を決した僕は、そのままシャワーノズルを引っ張ると、身体のお湯を一気に流す。頭はまだ洗ってはいないが、正直限界だ! もう出ないと本当に……。

だが、そんな僕の行動を見透かしているのか、怪物はそうやすやすと僕を逃がしてはくれなかった。バキン! という衝撃が、三度脳髄の奥で響く。

 最悪のタイミングだった。

 再び怪物の意のままとなった僕の身体は、怪物を優しく抱えると、浴槽に身を沈めてしまった。

 ……ああ、一緒に入りたかったのね。そういう訳か。納得しながらも、僕の表情はすぐれない。

 じわりと身体の隅々まで行き渡るような、お湯の暖かさ。鼻腔をくすぐる石鹸の香り。そして……。

「いやいやいや、無理無理無理!」

 さっきから僕を襲う危険な程の柔らかさ。上目遣いで何かをねだるような怪物の表情はどこまでも蠱惑的で、僕の精神をガリガリと削っていくようだ。

 た、耐えろ。僕には心に決めた人が……。

 その瞬間、脳裏をある映像が掠めていった。メスを右に。臓物を左に持ち、歪な笑みを浮かべる茶髪のショートヘアが印象的な女性。僕につかの間の天国と深い地獄を見せた人。


 ……アレ? 心に決めた人って、もう僕の元にはいないのではないか?

 それは、致命的な心の隙だった。

 怪物の身体が更に密着し、僕の唇に一際柔らかい感触がおとされた。

 差し入れられる舌。いつの間にか片手が握っていた、プリンのように柔らかな塊。濡れた髪、潤んだ漆黒の瞳。

 魔がさした。というやつだろうか。あるいは、ずっと抑えていたものが一気に解放されたという言い方が正しいかも知れない。刹那――。怪物が行使する能力とは違う音が、頭の中で響き渡り、気がつけば僕はその腕で怪物を抱きしめ返していた。

 今にして思えば、あれは理性というものが崩れ落ちた音だったんだと思う。

 そして――。



 ドライヤーの起動音が部屋に響く。お風呂に入ったというのに身体を襲っている妙な疲労感に苛まれながら、僕はげっそりとした表情で目の前の存在に温風を吹きかけていた。

 目の前の存在――。今更説明するまでもない、少女の姿をかたどった名も無き怪物は、今はバスタオル一枚という危険すぎる格好のままでドライヤーの熱に目を細めている。

 どこか幸せそうな怪物。それとは対照的に、僕の内心は、ある感情が渦巻いていた。混乱、葛藤、焦燥、絶望、哀愁、悔恨、屈辱……。どれも違う。だが、何かを一言を述べるとしたら、間違いなく僕はこう呟くだろう。


 や、やってしまった……。と。


 あの後のことは出来れば思い出したくないが、僕の身体はそうは問屋がおろしてくれなかった。手に、舌に残るあいつの感触……。本当に危なかった。あの時、浴槽の隅に置いていたボディーソープのボトル。あれが落下しなければ今頃……。

 僕は思わず身震いする。あの落下音でギリギリ踏みとどまれた。超えてはいけない一線的なものの一、二歩手前くらいだったと思う。

 慌ててお風呂場を脱出すると、当然の如く怪物もついて来た。そのまま濡れた状態で闊歩しようとしてくれたおかげで、僕はまたもや華奢な怪物の腰を掴んで引き戻す羽目になった。

 で、そんなこんなで今に至る。

「……ホント何をやっているんだ僕は?」

 思わず漏れたため息は、ドライヤーで掻き消される。本当に色々な意味で強烈なひと時だった。と、僕は思わず肩を竦めた。

「…………」

 ふと、気がつくと怪物は此方をじっと見つめていた。感情を映さない無機質な目は、僕を捉えたかと思えば温風に靡く黒髪でその光を隠す。真意は相変わらず読めない。

 でも……。

 思い出すのは浴槽での……。アレ。恐らく初めてであろう、僕からの怪物への干渉。歩み寄りとはまた違ったかかわりだった。初めてといえば、女の子と(こいつをカウントすべきかどうか微妙なところだが)とお風呂だとか、身体を拭いてあげるだとか、ドライヤーをかけてやる……。男としてはレベルアップ(?)するようなイベントであるはずなのに、何故こんなにも僕は疲弊しているというか、モヤモヤとしたものを抱えているのだろう。

 僕が首を傾げていると、怪物が温風から逃れるような仕草を見せ始めた。そっと髪に触れると、水気は既に飛んでいる。ああ、熱いのか。

 苦笑いを浮かべながらドライヤーのスイッチを一旦切る。

 何故だか分からないが、怪物のいつもの服である、セーラー服などは忽然と姿を消していた。当然、いつまでもバスタオル一枚でいさせるわけにもいくまい。それにしてもこいつ、意外と着痩せするタイプ……。ち、違う! そうじゃない! そうじゃないよ! ともかくここは僕の服でも――。

 その瞬間、怪物は自らの身体を覆う唯一の布、すなわちバスタオルを脱ぎ捨てた。

「だから待てぇぇえ!」

 僕の大絶叫が再び響く。そうか。分かった。あの疲弊とモヤモヤ。間違いなく羞恥心だ。これ以外に何があるというのだ!

 初めて女の子の前に肌を晒し、その女の子の裸体も真正面から見てしまったのだ。免疫のない僕が混乱するのも無理はない筈だ。

「待て! 今服を用意する! だから少し待て……」

 自分の感情に結論がついた僕は思わず目を背けながら必死でクローゼットの方へ歩を進める。すると、不意にシュルシュルという音が耳に響いた。

「ん?」

 僕が恐る恐るそちらに目を向けると、いつの間にか怪物は元の格好。見慣れた黒いセーラー服と黒いストッキングの格好に戻っていた。

 今一瞬見えた白……アレは――。

「蜘蛛糸……だったよな?」

 まさか、その服お手製? 何でもあり過ぎるだろ。

「君は……何回僕をびっくりさせて、何度僕の初めてを奪えば気がすむんだい?」

 もう笑うしかない。

 そんな僕に甘えるように擦りよる怪物。ああ、そうだ。こいつはこんな奴だ。僕の羞恥心も何も、こいつにはお構い無しということだろう。

「待ってくれ。せめて髪だけでも乾かさせてくれよ」

 怪物を手で制しながら、僕はドライヤーのスイッチを入れる。

 温風が僕の髪を撫で、髪の水分を弾き飛ばす。怪物はそれに驚いたように飛び退いた。

 それがなんだか面白くて、僕は思わず吹き出してしまう。

「それが嫌なら、お風呂もう入ってくるなよ」

 そう言い残し、僕は髪を乾かす作業に戻る。

 怪物に一矢報いた。そんな僅かな愉悦を噛み締め、ほくそ笑みながら。

 

 それは、確かに災難だった。でも、僕が怪物にまた少し歩み寄れた。そんな夜でもあり、探索と騒乱の秋が始まる前の、少しの安らぎの時間とも思えた。……黒歴史な側面の方があきらかに強いが、この際それには蓋をしよう。

 お風呂でのあの、語るにはかなり恥ずかしすぎるひととき。僕から怪物に触れたその時――。確かに怪物は、今までにないくらい喜んでいたようにも見えたのだ。

 ……もしかしたら、悦んでいた。という部分もあったかも知れないが。


 因みに。

 それ以来怪物がお風呂にまでついてくるようになったのは、また別のお話だ。

 ……コイツは僕にどれだけ頭痛の種を植え付ける気なのだろうか?

 本当にさ。



番外編 了



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
他の物語も、覗いてみませんか?
実は世界観を……共有してます
[渡リ烏のオカルト日誌]
― 新着の感想 ―
[気になる点] 身体のお湯を一気に流す どうなんでしょう、「身体”に”お湯を一気に流す」か「身体の”泡”を一気に流す」かのどちらかでは?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ