表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
28/221

27.安らぎと痛み

「もう、一時はどうなるかと思ったんだから!」

 怒ってます。というように腰に手を当て、京子はむくれた顔になる。

 殺人鬼、藤堂修一郎が逮捕されてからはや三日。僕は京子からの誘いで彼女の部屋を訪れていた。

 藤堂が逮捕された日。事情聴取の果てに大輔おじさんからの痛烈なラリアット――本人曰く、何故自分に一言相談しなかったのか! とのこと。――を受け、僕はフラフラのまま帰宅。そこから崩れ落ちるようにベッドに潜り込み、死んだように眠りについた。

 その翌朝。珍しく寝坊して朝の九時に起床したら、京子からのメールと不在着信が物凄いことになっていた。

 考えてみれば事情聴取から顔を合わせることなく帰宅したので、心配させてしまうのも無理はない。

 妙な薬まで盛られたのだから尚更だ。

 何だかんだ検査などがあり、それらをすべて終えて、ようやく今日会うことが出来たという訳だ。

 彼女の目元にくっきりと浮かぶ隈を見れば、どれだけ心配をかけてしまったのかが分かるようで、胸が痛くなる。

「身体は……平気なの?」

「うん、病院で検査してもらったんだけど、健康体そのものだってさ」

 腕を回しながら答えると、京子はホッとしたようにため息をつく。

「よかった……本当に。もしもの事があったらどうしようかと思ったよ……」

 再び涙ぐみそうになった京子の頭を撫でて落ち着かせる。

 ようやく得た安らぎである。湿っぽくするのは忍びない。

 殺人犯は捕まった。これで純也も少しは浮かばれるだろうか?

『女神よ……黒衣の女神よ……何故だ。ボクは供物を捧げたというのに。何故ボクの元へ来てくれない……』

 藤堂が最後に残したあの言葉。あれだけが僕は気掛かりだった。

 黒衣の女神、供物……。僕が真っ先に思い浮かべたのは、つい二日前、僕を捕らえ、部屋に居座っていた怪物の姿だ。

 アイツはもしかすると、藤堂修一郎とも接点があったのかもしれない。

 供物は……推測するまでもない。僕の脳裏に、いつかのビデオカメラの映像がフラッシュバックするかのように浮かんでくる。何かを咀嚼し、赤く染まった怪物の口。怪物の白い肌が、その赤をいっそう際立たせて……。

「レイ君? レイ君ってば!」

 覗きこむかのようにこちらを見つめてくる京子。その表情はどことなく心配そうだ。

「あ、ごめん、何?」

「もう……そろそろお昼御飯作るけど、何かリクエストとかある?」

「京子……作れるの?」

 その途端、京子の顔が能面のように無表情になった。

「ねぇ、あたし怒っていいかな? 怒っていいよね?」

「ごめんごめん! なんでもいいよ」

 慌て僕が取り繕うと、京子は「なんでもいいが一番困るんだってば〜」とぼやきつつも笑顔で台所に立つ。おお、エプロン似合うなぁ……なんて感想を僕が抱いていると、京子はこちらを悪戯っぽく振り向く。

「……裸エプロンの方がよかった?」

「ま、またの機会で」

 僕は何とか返事を絞り出す。ヘタレと笑うなら笑え。僕にだって心の準備というか、覚悟的なものがあるのだ。


 ※


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

 手を合わせる僕に京子が微笑みながら答える。

 昼食は煮込みハンバーグだった。事件に遭遇してからというもの、肉類は何となく避けていたのだが、せっかく作ってくれた京子にそんなこと言うのはアレなので食べた。まぁ、当然だ。

 因みに味は……お察しください。てか何でハンバーグなのに味が無いんだろう? 逆に怖い。

「凄い! 嬉しいな。全部食べてくれるなんて」

 でもまぁ、そんなことは些末な事だ。彼女の嬉しそうな表情が見れたのだ。味がないから何だというのか。

 僕がそんなことを考えていると、テレビからニュースのアナウンスが流れてくる。

 小学校教師による不祥事。

 四十年間寄り添い続けた夫婦の心中事件。

 食い逃げをした小学生。

 そして……。

『昨夜、連続猟奇殺人事件の実行犯として逮捕されました、藤堂修一郎容疑者が、留置場内で死亡しているのが発見されました』

「……な!?」

「嘘……!」

 猟奇殺人事件の結末。そしてその犯人の末路が報道された。

『警察の調べに対して藤堂修一郎容疑者は一連の犯行を認めており、持ち出した被害者達の臓器は遺棄したと供述しておりました。警察では自殺の線で関係者に聞き込みを……』

 もうそれ以上は聞こえなかった。追い詰められての自殺か、またしても僕の想像もつかないような行動理念の元で自らの命を断ったのかは分からない。

 一つだけ分かるのは、これで、猟奇殺人事件の謎は永遠に分からなくなってしまったという事だ。「これもアイツは……芸術だっていうのかな? 最期は自分自身が芸術に……理解出来ないよ」

「人の共感を得られる世界で生きる芸術家もいれば、人の理解の範疇を越えた世界で生きる芸術家もいるわ。どっちが正しくてどっちが美しいかは分からないけど、この分だと藤堂君は幸せだったのかもね。自分の世界の中で死ねたんだし」

 凄く腹立たしいけど。と付け加える京子。

 京子の言葉を聞きながら、僕はテレビの画面に映る藤堂を見る。

 ……本当に幸せだったのだろうか? 僕は思わず首を傾げる。

 連行される直前に見せたあの表情。あれは正に絶望に叩き落とされたかのような顔だった。

 悔いもなく自分の世界で死ぬような奴が、あんな顔をするだろうか?

 ニュースが切り替わり、またどうでもいいくだらないニュースが流れはじめる。藤堂修一郎の話題は、いとも簡単に次のニュースに押し潰された。

「純也のお葬式……京子はどうする?」

 今となっては藤堂の真意など分かるべくもない。いや、出来るなら分かりたくもない。〝黒衣の女神〟は気になるが、恐らくはもう関わることもないだろう。怪物だって僕の前から姿を消したのだ。

「レイ君は行くんでしょう?」

「うん、そのつもり」

 だから今は、この安らぎと痛みに浸っていよう。殺人犯が逮捕され、ようやく純也の遺骨が親元に返されたらしい。

 週末には葬儀があげられるとの事だ。

 友に別れを告げ、僕は今度こそ日常に帰る。怪物も、殺人も無い平穏な日常へと、まるで沈んでいくかのように。

 失ったものはたった一つ。でもそれは余りにも大きくて、すぐには立ち直れないだろう。

 でも、僕はまだ生きている。隣にいてくれる人がいる。だから後ろ向きかもしれないが、精一杯生きよう。それが純也に出来るもう一つの弔いだ。

「レイ君?」

 京子が不安げな声を出した。

 僕の肩が震え、胸に張り裂けそうな痛みが走っている。

 ああ、今なら。ようやく純也の死に涙できそうだ。

 溢れ出す感情の波が決壊する寸前――。京子の手がそっと僕の頭を撫でる。その手はとても暖かくて、無償の安心感を僕に与えてくれた。

「レイ君……」

 安らぎと痛みの中で、京子の言葉が静かに僕の耳に届いた。

「あたしは、純也君のお葬式には行かないよ」

 僕は思わず顔を上げる。京子は慈愛に満ちた表情で僕を見つめていた。

 どうしてだろう? 京子は純也とも少しは交流があったと思っていたが……。

「だってさ。純也君、きっと嫌がるもん」

「嫌がるって……まだ藤堂の事を気にしてるの? アレは君のせいじゃ……」

「それもない訳じゃないけど、違うの。根本的な問題よ」

 そう言って京子は僕の頭を撫でていた手を下ろし、僕の頬に触れ、今まで見たこともないような笑みを浮かべた。


「だって嫌だと思うよ? 〝自分の内臓を引きずり出しただけじゃ飽きたらず、その友達まで手にかけた女〟が葬式にくるなんてさ」


「…………え?」

 彼女が何を言っているのか、理解が追い付かなかった。

 イマカノジョハ、ナントイッタ?

 ナイゾウ?ヒキズリダシタ?

 頭の中で、不気味なパズルが組上がっていくような錯覚を覚えた。

 自分の内臓……純也の内臓を引きずり出した?

 その友達を手にかけた? それって……。



 僕を……殺す?



 ふと、胸元に固い何かが押しあてられているような感触を覚えた。

 視線を下に向けると、黒い髭そりのような物体が見え、僕は短く息を飲む。

「それにこれから、忙しくなるもん。純也君のお葬式になんて出てられないよ。あたしも、〝レイ君も〟ね」

 爪で引っ掻くようなスイッチを入れる音がした。

 その瞬間、僕の身体を衝撃が駆け抜ける。

 怪物が僕の肉体所有権を剥奪する時とは違う、純粋な暴力としての電流が、僕の身体を蹂躙した。

 痺れ、思うように動かない身体。僕が何とか京子を見上げると、僕と目があった京子は笑みを浮かべていた。

 その顔は、やはり僕が今まで見たこともない表情で……。

 優しく、愛らしかった彼女の面影はどこにもない。

 そこにあったのは獲物を追い詰め、弄び、貪り食う肉食獣の顔。

 藤堂修一郎の狂気染みた表情にも似た、紛れもない殺人者の笑顔だった。


 溢れ出さんばかりだった感情が、新たな感情に塗り潰されるのを僕は感じた。

 この感情は知っている。兄さんや純也が死んだ時と同じ。――絶望だ。


 かくして束の間の安らぎは終焉を迎え、痛みだけが未だに続いていく。

 僕に残されていたと思われた、たった一つの希望も、ただのまやかしだったようだ。

 それに気づいた時、僕の意識は刈り取られた。

 頭部を何か鈍器のような物で殴りつけられた記憶を最後に、一片の容赦もなく。

 残酷なほどに一瞬で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
他の物語も、覗いてみませんか?
実は世界観を……共有してます
[渡リ烏のオカルト日誌]
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ