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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
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23.戻らぬ友と消えた怪物

 カーテンから射す明かりにさらされ、僕はゆっくりと眠りの世界から帰還する。

 いつもの誰かに顔をいじくり回される感覚や、誰かに抱き締められる感触は無い。

 思えば、こんな風な自然の目覚めは随分と久しぶりのように感じた。

 いや、慣れてしまって気がつかなかったが、今までの出来事が異常過ぎたのだ。本来ならばこれが正しい僕の日常生活なのだ。そうだとも。

 僕はベッドに横たわったまま、身体ををくの字に曲げ、そこからゆっくりと背筋を真っ直ぐに伸ばしていく。

 身体が覚醒していくのを感じながら深呼吸。干した布団の太陽の匂いが鼻腔に広がる。太陽光でダニが死滅した匂いだなんてロマンをぶち壊しにする理論もあるが、太陽だって関与しているのだ。だから太陽の匂いでいいではないか。

 そんなどうでもいい事を考えながら僕はゆっくりと起き上がる。

 その時、不意にふわりと、花のような香りが漂う。一瞬何の香りだ? と、頭を傾げるが、すぐに心当たりが頭に思い浮かぶ。アイツの……怪物の残り香だ。

 思えば一ヶ月程、この部屋で四六時中僕のベッドの上でアイツは寛いでいたのだ。布団に香りが染み着かない方が可笑しい。

 ゆっくりとベッドから降り、洗面所へ向かう。

その途中でふと、なんとなく振り返り、僕は自分の部屋を見渡した。

 テーブルと、その上に常備されるようになってしまったノートパソコンにビデオカメラ。テレビと本棚、コーヒーセット。スタンドライトにベッド。そのベッドの上に、黒衣を纏った少女の姿。それが当たり前になりつつあった。今はもう、無い光景。

「……いいんだよ。それで」

 誰に告げる訳でもなく呟いた僕は、空っぽのベッドを振り切るように、再び洗面所へ足を向けた。

 蛇口を捻り、迸る冷水で顔を洗う。

 水を両手で掬い、顔面に刷り込むように当てる最中、僕の脳内で昨日のニュースキャスターの言葉が、リフレインしていく。

『阿久津純也さんが、遺体で発見されました』

 実感が……湧かない。

 あんなキャスターの事務的な声で告げられても、ニュースの見出しをみても……どうしても湧かないのだ。

 純也は今も普通に生きていて、ひょっこり現れてはあの男臭い笑みを浮かべてくれるのではないだろうか。いつものように飲みやカラオケ、ナンパやビリヤードなどに誘いに来るのではないか。ひょっとしたら僕と京子の近況を嬉々として根掘り葉掘り聞き出しにくるのではないか。

 どうしてもそう考えてしまう。

 だっておかしいではないか。悲しいし、胸が締め付けられるような気持ちであるのに、僕は未だに涙が一滴も流れないのだ。

 怪物にぶつけたあの衝動的ともいえる怒りで発散した? 違う。あの後に残ったのは、どうしようもない虚無感だけだった。在り来たりな例えだが、胸にぽっかり穴が開いたような。そんな感じ。

 結局、僕は純也が死んだという衝撃の事実を突き付けられてから丸一日が経過したというのに、未だにそれに驚き、全身を震わせているのだろう。

 吸収して受け入れるわけでもなく、乗り越え、受け流したわけでもない。未だに心の中でやり場のない衝動が燻っているのだ。

 要は何も解決していないという話になるのだが、ここで衝撃を受け、完全に壊れなかったのは不幸中の幸いというべきなのかもしれない。

 事実、僕は壊れる寸前まではいったのだ。それを押し留めたのは、皮肉にも僕に衝撃を与えるきっかけとなった者。

 そう、純也を殺したと思われる怪物――。そいつが流した涙だった。

 怪物が泣くのか。だとか、驚くべきことは色々あるが、冷静になってみると疑問も残ったことに気がついた。

 アイツは、何故僕に何もしなかった? 貴重な血の供給限だから? それにしても、自分自身に攻撃を仕掛ける食料に、あんないたわるような行動をとるだろうか? 涙など流すだろうか?

 それともう一つ。アイツはどこに姿を消した?

 今までどんなに追い出そうとしても涼しげな顔で帰ってきた怪物。 僕と二人きりの時は必ず姿を現していたアイツは、僕に殺意を向けられ、攻撃を加えられた途端に僕の前から姿を消した。

 恐怖からか、それとも身の危険を感じてか。

 それもあり得るだろう。だが、だとしたらアイツは今、何処に潜伏しているのだろうか?

 顔を洗い終わり、一時思考を中断すると、僕は鏡を見ながら髪を整える。

 何処かに出かける訳ではないが、これは習慣のようなものだ。

 そのまま台所のトースターにパンを投入し、コーヒー用のお湯を沸かす。そこで僕は思考を再開させる。

 もう一つ。これは疑問ではないのだが、僕を困惑させているものが一つある。消える直前に怪物が見せたあの微笑みだ。

 幸せそうで、それでいて何処か物悲しさを匂わせた怪物のあの表情が、僕の頭にこびりついて離れないのだ。

 それが僕は自分のことなのに理解が出来なかった。

 何故だ? やっと解放されたのに。もう毎晩血を吸われることもないというのに……何故。

 暫くして、パンが焼けるチン! という音が響き渡る。

 熱いのを我慢してトーストを皿に乗せ、コーヒープレスで淹れた少し濃い目のコーヒーと一緒に、リビングへ運んでいく。

 テーブルの前に腰掛け、並べられた簡素な朝食に手を合わせる。

 最近ならここで後ろから怪物が引っ付いてくるか、僕の耳を甘噛みしてくる場面なのだが、今日はそんなこともない。久しぶりにゆっくりと朝食が取れそうだ。

 なのに……。

「なんだ……? 何の味もしないや」

 マーガリンと蜂蜜がたっぷりと塗られている筈のトーストは、まるで乾パンを食べているかのような味気ないものだった。

 純也の死、怪物の事……あまりにも色々有りすぎて、辟易してしまっているのだろうか?

 機械的にトーストを咀嚼しながら、僕はテレビを点ける。ニュースが流れているが、ロクに耳に入らない。猟奇殺人事件については……やっていなかった。

 怪物は今野放し状態だ。犠牲者の一人は出るのではと危惧していたが、今のところは大丈夫らしい。最も、出たところで僕にはきっと何も出来ないが。

 僕が虚無感と無力感に苛まれたままコーヒーを啜っていると、不意に携帯電話のメロディーが流れ出す。……この音は、京子か?

「もしもし?」

「……もしもし? レイ君?」

 僕がゆっくり通話ボタンを押すと、とてつもなく意気消沈した京子の声が電話の向こうから聞こえてきた。

「き、京子……なの?」

「うん、あたしだよ……レイ君」

 思わず聞き返してしまった。それほど今の京子の声には覇気が無かったのだ。いつもの綺麗なソプラノの声はナリを潜め、鼻を吸い上げるスン! という音が響いた。

「……ねぇ、今日、会えないかな? レイ君の顔……見たいよ。話がしたいよ……」

 泣き腫らしたような声が響く。一体何があったというのだろう?

「も、勿論! す、すぐ、すぐに行くよ! 何があったの?」

 電話で応対しながら僕は直ぐに支度をする。いつも元気な筈な京子の弱々しい声に、自然と僕の心中も焦燥し、軽いパニック状態になる。

 すると、京子は急に電話の向こうで声を上げて泣き出してしまった。「落ち着いて! すぐ行くから!」と声をかけながら、僕は急いで部屋を出る。ただ事ではない。僕は持ちうる限りの全力で最寄りの駅へ向かって疾走する。

 走りながらも携帯電話からは耳を離さない。否、離せなかった。こんな状況で電話を切れる訳がない。

 すると、京子はしゃくりあげるような声を漏らしながら「あのね……」と、言う。そこから暫くエグエグという声が入り、ようやく京子の言葉が紡がれる。

「あたし……純也君を殺しちゃったのかもしれない……!!」

「…………え?」

 それは、僕の予想を斜め上に行く、思いもよらない言葉だった。

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[渡リ烏のオカルト日誌]
― 新着の感想 ―
[気になる点] ”最”も、出たところで僕にはきっと何も出来ないが ”尤”ですね。
[気になる点] 身体”をを”くの字に曲げ ”を”が一つ余計ですね。
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