サイバー・ブレイン《前編》
俺の名前はボン(渾名)。高校一年生。囲碁将棋部。
自分で言うのもなんだが、金持ちのボンボンで……最近うちに出入りしている、〝吸血鬼〟の共犯者だ。
※
我が家の実態について本気をだして考えてみたのは、俺が小学三年生くらいの頃だったと思う。
きっかけは「このお坊っちゃまめ!」だとか「金使い荒男」「棲む世界が違いすぎる」
といった具合に、褒めてるのか貶しているのか分からない言葉をクラスメイトにぶつけられた時だった。
成る程、確かにうちの屋敷は都内の一等地にドンと構えられている。
お金持ちというステータスは我が家のことを指すに違いないし、敷地の広さも申し分なかった。
親父の趣味で車は7台くらい凄いのがあるし、お袋は図書館もかくやな蔵書量を誇る立派な倉を造らせたりしている。
庭にある無駄にデカい池には兄貴が全てを捧げると豪語した巨大な錦鯉達が悠々と泳いでるし、部屋に引きこもっている穀潰し……もといニートな姉貴一人を抱えていても、家計はびくともしないときた。
結論。クラスメイトの言葉は正しいようである。
確かに俺はお坊ちゃんだし金遣いも荒い。そして傲慢かもしれないが、多分棲んでいる世界も違うのだ。こうして生まれてしまった以上、そこはもう仕方がないのだろう。
もっとも、〝最後の部分〟に関しては最近になってより顕著に。かつ周りとの齟齬が目立つようになったのだけれど。
具体的に言うならば……。
我が家は今、非日常に包囲されている。
「……ああ、おかえりボンくん」
学校から帰ってきた俺が屋敷のリビングに足を踏み入れると、見知った顔がそこにあった。
そいつは、パッと見るかぎりはどこにでもいそうな青年だ。
顔立ちはそこそこ。暗い瞳が印象的ではあるが、他にこれといった特徴がない。
出で立ちは丈が膝裏まであろうかという、カーキ色のフード付きジャケット。その下には、白を基調とした何らかのロゴ入りのTシャツを着こみ、黒いジーンズを穿いている。はっきり言うと当たり障りのない格好だ。
頑張って個性を探してみても、ジャケットやジーンズの裾が妙にボロボロなことくらいにしか目がいかないのだから、その無個性ぶりは相当なものだろう。
幽霊のような男だ。
俺は会うたびにそんな感想を抱く。だが、油断してはならない。こいつこそ人知れず我が家に出入りしている非日常の元凶なのだから。
尚、本当の名前は知らない。コイツは怪物だと名乗ったが、どうにも怪物と呼ぶには人間臭さがあるように思えた。
勿論、主食が人の生き血であり、実際に食事をしている所を目の当たりした以上、人間ではないことは確定なんだけど。
なので俺は勝手に名前をつけてコイツを呼ぶことにしていた。血を啜る幽霊みたいな男なので
『吸血鬼のレイ』
誰か名前をつけられたのは初めてだったのか、レイは初めてその呼び名を告げられた時は「そうきたか……」と困ったように頬をかいていた。
一応名前は気に入ってくれたらしく、以降はレイと名乗っているみたいだ。
「コーヒー淹れたけど、飲むかい?」
「タイミングいいな。貰うわ」
「そろそろ帰ってくる時間だと思ってね」
レイが慣れた手つきでマグカップに漆黒の液体を注ぎ入れるのを眺めながら、俺は鞄と一緒にソファーへ身を投げ出す。吸血鬼の癖にコーヒーを淹れるのが異様に上手いのは、もう突っ込まないことにしている。なんなら普通の食事もエネルギーにならないだけで摂ることは出来るらしい。それに関して問い質した時は「心の栄養にはなるんだ」という詐欺師みたいなことをほざいていた。
因みにレイは物語に出てくるような吸血鬼とは似て非なる存在らしい。胡散臭い奴だとは思っていたが、その生態まで怪しいとは恐れ入った。
実際、砂になるかな〜と十字架を向けてみたり。にんにくを投げつけてみたりもしたのだが、こいつは苦笑いするだけで大した痛手にはなっていないらしかった。今更ながら俺も恐れずによく試したなとは思うけど。
「因みに今日は何用で来たん? 金? 血? ネット?」
「血とネットかな」
「ほーん。まぁ、好きに寛いで、持ってけよ。気が変わったら金もな。どうせしばらくは尽きないぜ」
「…………いつまでも、あると思うな親と金」
「うちから金も飯もちょろまかし続けてるアンタが言ってもなぁ」
「それ言われると弱いなぁ。凄く弱い」
降参するように肩を竦めながら、レイはテーブルにマグカップを置く。
ミルクたっぷり。砂糖ドバドバ。はちみつも入れて。それが俺がいつも飲んでるもの。ボンボンコーヒーだ。
糖尿病になるぞと兄貴には苦言を投げかけられていたが、どうしようもなく苦い人生が確定していた俺は食べるものや飲むものくらいは甘くしたかった。
今はもう自由の身だけれども、こうして飲む癖が抜けないのは、“いつかの夜“は夢の出来事で、実はまだ自分は囚われたままなのではないか。なんて気持ちがまだ残っているからかもしれない。
「テレビか動画見てもいいか?」
「勿論さ」
コーヒーを楽しむ時間は無言が多い。というか、レイの奴が口下手なせいでもある。なので話題作りがてら適当にチャンネルを回す。
レイも隠れ住んでいるところはテレビもネットも繋がってないらしい。だからこうして俺の家にたかりに来ているという訳だ。スマホくらい持てよと思うが、持つと怪物狩りの連中に見つかるかもしれないから駄目なのだとか。
「うへぇ、また島根で行方不明者かよ。やっぱりあそこだけ異世界とかになってんじゃねぇの?」
「……」
たまたま流れてきたニュースは最近大事件が起きた島根のある一帯についてだった。とある山村が一夜にして全滅し、完全な立ち入り禁止区域に早変わりした。という意味不明なニュース。
曰く山から毒ガスが流出していると最初は報道されたが、専門家やら警察が右往左往しているわ、毒ガスがウイルスや風土病になったり、はたまた人喰い熊が大量に出現した。なんて噂まで流れる始末。
そのまま原因が解明されないまま日数だけ経ち。結局、謀ったかのように別の大きな事件と所謂炎上騒ぎが起きて、島根の件は忘れ去られた……かに見えた。
実際には有志で調査隊が結成されたり。フリーのジャーナリストが踏み込んで行ったりしているらしい。
もっとも、かの危険地帯に侵入して生きて帰ったものはいないのだが。
だからあそこに何があるのかは未だに明らかになっていないし、話題になるのを恐れるかのようにテレビや新聞では取り上げられない。
そんな背景があるからか、島根にある一角はオカルトマニアやら色んな奴らが水面下で興味を示す魔境と化している。
ニューバミューダトライアングルだ。
いや、そもそも海域ではないから違うだろ。
クトゥルフ的な何かがあるのでは?
鳥取砂丘に鍵がありそう。
島根だって言ってるだろうが。
なんて具合に論争が絶えないのだとか。
「案外、レイみたいな吸血鬼が住んでたりしてな」
「だから僕は吸血鬼じゃないと……まぁ、いいか。ボンくんはなんというか、たまに凄い発想をするよね」
「……褒めてんの? それ」
「勿論褒めてるよ?」
「嘘くせー」
ただ、映像を見るレイの顔が少しだけ曇っているように見えたから気になってしまったのだ。
はぐらかしはしたけど、もしかしたら何か知っているのかもしれない。例えば……。
「ああ、僕はあそこで生まれた訳ではないよ。山奥で生まれ変わったってのは間違いないけれどね」
「心読むなよ」
「怪物だからね。多少は読めるとも」
「マジかよ」
本当かどうかはわからないが、出来てもおかしくないのでは? なんて思う。初めて会った時といい、レイは妙にこちらの気概を察しすぎてるきらいがあるのだ。
まぁ、だからどうしたという話ではある。コイツが空気を読んでくれたおかげで今の俺があるのだし、あんな情けないとこを見せた以上、今更思考の一つや二つを読まれたところでどうということはない。
「…………君はある意味で大物だよ」
「え? マジで? なれるかな俺? 実は今日は新作のネタが……」
「さて、僕は食事にするよ。ネットニュースも見たいしね」
身も蓋もないとはまさにこのことである。渾身のコント。ちょっとくらい見ていってもいいじゃねぇかと思うけど、“レイだから”で納得する。
何でか知らないが俺の心ではストンとその結論が落ち着いて……いた。
「んぁ? レイ、今日はカラコンしてんの? 目の色が……」
青くね? と言おうとしたが、そこで何故か思考にブレーキがかかる。
「気のせいだよ」
パチンと、レイが流れるように指を鳴らす。青く見えたアイツの目は元の黒くて陰気なものになっていた。
「気のせいか」
「そうとも。ああ、マグカップは台所に置いといてね。後で洗うから」
「おう。悪いな」
レイが踵を返し、リビングから出ていく。向かうのは姉貴の部屋だろう。目的は血とネットと言っていた。
金はめったに持っていかないが、他二つに関してはレイは頻繁に求めてくる。大体週に2回くらいだったが、最近は頻度がもっと増えている気がする。
それを調達するのが姉貴の部屋だ。
姉貴の部屋のパソコンは物凄く性能がいいらしい。ニュース見る以外にも何かをしているらしいが、詳しいことは分からない。
俺も使わせてもらいたいが、姉貴の部屋に無断で入ると陰湿な報復があるので諦めている。
そのくせレイには触らせるんだから不公平だが、それに関してもグチグチ言うのは止めた。少なくとも血を提供するのは姉貴に全部押し付けているのだ。俺は俺でこの家を変えてくれた恩もあるし、これくらいの差はあって然りだろう。こうして考えたら、俺とレイ。最後に姉貴で共犯者は三人ということになるのかもしれない。
それから、これは俺の予想でしかないのだけれど。多分この二人……。
「なぁ、やっぱ姉貴と付き合ってんじゃねぇの?」
「………いや、恐ろしいこといわないでくれよ。違うってば」
立ち止まり、振り返ったレイは何故か顔を青ざめさせながら首を横にふる。
そんな全否定か。姉貴ご愁傷さま。レイが来る日はいつもより念入りに風呂で身体を磨いてるらしいから、もしかしてとは思ったんだけどな。なんて考えていたら、レイは頭を抱えてウンウン唸り出した。
「あの……僕、一応既婚者だから」
「ありゃ。そうだったか……って既婚者!?」
嘘やろ。じゃあ女吸血鬼もいるってこと? なんだそれ超見たい。
だが、俺のそんな邪な思考を感じ取ったのか、レイはすたこらサッサとその場を後にしてしまう。後に残されたのは呆けたように佇む俺と、姉貴が屋敷中に走らせている円盤型掃除ロボットの駆動音み。
野郎、逃げやがった。今度絶対に問い詰めてやる。
上手く行けば姉貴の部屋から出てきた時でも……。
「……あれ? ちょっと待てよ」
そこで俺は気づいてしまう。妻がいるくせに、姉貴とこの屋敷では一番狭い部屋に二人きり。首か身体のどこかに噛み付いて血を啜る。
端から見るその絵面は……。
「……吸血鬼の文化は知らんけど、普通に浮気では?」
俺の呟きに答える者は誰もいなかった。
※
怪物としての心得その十四! パトロンを作ろう!
これは、いつかにルイが残した怪物として生きるための指南書に書かれていたものだ。
僕らは人間社会で生きることが出来ない。だというのにお腹は空くし、常人に比べたらそこまで入り用ではないけれど、お金が必要になる場面もある。
繰り返しになるが僕ら怪物が人に溶け込むことはほぼ不可能だ。出来たとしても長くは続かないし、運が悪ければ怪物を追う連中に見つかってしまう。
故に必要になるのがパトロンだ。
僕らのことを他人に喋らない。かつ人目のない家の中へ招き入れてくれて、血とお金を提供してくれる人。
そんな都合のいい人間がいるものかと言われそうだが、意外といるとこにはいるらしいし、仮にいなかったら作ればいい。
その為の操りの能力だ。
以前は血を頂き、怪物としての体液を注入しなければいけなかったが、今の僕にはより心を支配する術がある。
エリザの能力。精神操作。
指先一つで人を思うがままに出来てしまう恐ろしい力。代償として気を抜くと他人の考えや心の声がバンバン入って来るのが玉に瑕だったが、僕の手に余っていたその力は、少しずつ制御出来るようになっていた。
『ボンボンクンを完璧に支配しきらずに、さり気なく触れて欲しくないところにだけ踏み込ませないよう調整。傍から見たら精神介入されているなんてわからない……見事な手腕だわ』
「……完全支配は絶対にどこかでボロが出る。それに彼にはちゃんと夢があるんだ。それまで潰す権利は僕らにはないよ」
『……まぁ、ある意味ではヘタレてるって言ってもいいけど。今の貴方なら記憶消去くらいお手の物でしょう? この家を今みたいな形にしたのは……同情かしら?』
貴方の親も酷かったものね。と付け足した心の声。認め難いが今や一心同体となったエリザのものだ。
お小言……なのだろう。彼女からしたら、こうして何度も何度も“来る必要がない”パトロンの家に足を運ぶのは馬鹿げていると言いたいのだろう。
実際に、こっそり事情を話した汐里、洋平、リリカは揃って「殺すべきだ」と主張した。
僕個人としても、それが一番合理的だとは分かっている。でも、それとは別に無視できない要素があった。
「彼に関してはシンパシーがあったのは否定しない。でも、彼女に関しては別なんだ」
屋敷の奥。目的の部屋に到着する。
扉の向こうから思念が入り込んでくる。
『レイくんまだかな。早く来ないかな』
無邪気な精神の波長。実年齢より幼く感じてしまうのは否めない。いつぞやにものは試しでその辺の子どもと比較してみたら、驚くほどに一致して笑うしかなかったのを覚えている。
だが、その事実に騙されてはいけない。僕の仲間たちが殺すべき対象として主張したのは、紛れもなく彼女なのだから。
軽くノックすると、向こうでパタパタと慌ただしい物音がする。空白は数十秒だけで、すぐに扉は開かれた。
「レイくん、いらっしゃい!」
弾むような声と一緒に少女の笑顔が花開く。
地面に届くのではないかと思うくらいに長い栗色の髪。少し眠たげなタレ目に、本人曰く紫外線から逃げ続けた結果による白い肌。
多分結構な有名ブランドの部屋着兼パジャマ姿。
彼女の名前は甲斐谷月。
僕の記憶消去や改竄を幾度もかわした異端の者であり。
僕の能力としての直感が『絶対に殺してはならない』と警告を下す女性。
そして、当の本人はゲームやプログラミング。そしてハッキングが大好きな……言うなれば電脳世界の怪物である。




