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名前のない怪物  作者: 黒木京也
怪物的短編集
218/221

書籍版 番外編: 血の芸術家の逃走

書籍版第二部発売記念。

〝本編とは別世界、文庫版の番外編になります〟

とはいっても、この第一弾は昔から読んで下さっている方には覚えがあるシーンで、書籍化に伴いリメイクするも、ページの関係上入れられなかったシーンでもあります。


文庫版から来て頂いた初見の方は純粋に。

以前のものもご存知の方は新しい気持ちで楽しんで下されば幸いです。

 完全な黒が視界を覆い尽くしていた。

 自分は……今、どうなっている?

 胡乱な思考の断片を繋ぎ合わせ、山城京子はこれまで歩んできた道筋を回想する。

 脳に刻んでいるのは悲鳴と命乞い。そして怒声を上げる〝材料〟たち。

 それらに笑顔でメスを入れる〝彼〟の傍らで、京子はずっと。彼が為す芸術を学びとっていた。肉が裂かれ、血飛沫が飛び散り、骨があらわになる瞬間を、さながら教本を真剣に眺める学徒のように。

 真ん中を綺麗に切り開かれた人は、まるで飛び出す絵本のよう。腹圧で次々とまろび出る臓物を見た時、京子は思わず歓声を上げたものだ。

 自分は……ずっと創作活動をしていた。その記憶に触れた時、身体に鈍痛が走りだす。

 どうやら気を失っていたらしい。そう認識だけはするものの、その弊害か、京子の感覚は未だに鈍く。指一本動かせなかった。

 その事実が、人一倍我が強い彼女には大いに不快だった。

 思い出せ。

 火種に薪をくべるかのように、京子は己の奥底へ問いかける。

 彼の……藤堂修一郎が創る芸術に触発され、自分も作品を作り始めた。

 材料を……人の臓物をステンレスのタッパーに詰めて、冷蔵庫に保管する高揚感も。それをミキサーにかけ、肉が液体へと変貌していく様を見た時の、性的絶頂にも似た快感も。文字通り人間を使って人間を描く、隠しきれない興奮も。全部覚えている。

 自分は今日も、活動にいそしんでいた筈だ。

 共犯者たる藤堂はもういない。彼は京子の目論み通り、スケープゴートとしての役割を全うしてくれた。

 自分はこれからも探求を続けていく。新しい非日常の共有者として、あの草食動物みたいな可愛い男を手中に収め、血の芸術家として歩んでいく筈だったのに。

 どうして、あたしの目の前は真っ暗なのだろう?

 漠然とのしかかってくるような不安の波に、京子は身震いしようとする。が、やはり身体は石になったかのように動かなかった。

 思い出せ。

 言い聞かせるような自分の声が、再び頭の中で響いていた。

 全身の痛みが広がっていく。その刺激は、京子自身に己の受けた仕打ちをフラッシュバックさせた。

 何も見えない筈のそこで、京子ははっきりと〝あいつ〟の姿を思い浮かべたのである。

 腰ほどまで伸びた、艶やかな黒髪の美しい少女。そうだ。あいつが部屋に侵入してから、全てが狂わされたのだ。

 得体の知れない糸を絡み付けられて、京子は壁に叩きつけられ、(はりつけ)にされた。そして……。彼女は、共有者に選んだ青年――レイの裏切りを目の当たりにしたのである。

 恋人として振る舞った。既に彼は自分の虜。そう確信していたのに……。それはただの一方通行に過ぎなかったのだ。

 少女と彼が抱きしめ合い、情熱的なキスが始まった時。傍に京子がいるのも構わず、少女とレイはお互いのことしか見えていないのを悟った時。

 京子の中で、ぶちりと鈍い音が弾けた。

 自分は奪う側。そう信じて疑わなかった。だが、こうして自分の所有物が略奪されたと知った時、京子の中で燃え上がるような感情が巻き起こったのである。

 それは、常に人に愛されてきた京子が味わった、明確な敗北だった。

 思い出せ……。ああ、そうだ。思い出した。この暗闇に自分を捕らえたのは、あの少女の姿をした、化け物だったではないか……!

 ようやく自分の状況を把握した途端、京子の世界が変質した。

 周りを覆う暗闇が、〝動いている〟いや、正確に言うならば、暗闇が京子の上を這い回っていた〟

 身体中に群がり、口の中にまで入り込んで蠢いているモノ。その正体も知っている。あの少女に操られ、京子に襲いかかってきた何百、何千もの蜘蛛たちだった。

 悲鳴は漏らさなかった。否、漏らせなかった。

 喉奥まで埋め尽くすような勢いで、蜘蛛たちは口内で好き勝手に動きまわっている。何十本もの脚が粘膜を掻きむしる度、京子は目に涙を溜めながら弱々しく噎せた。

 終わりの見えない責め苦。だが、それはまだ序の口だ。肌のあちこちに、チクリとした痛みが走る。注射針か。あるいはピンセットでつままれているような違和感。その正体は単純な要因だった。

 噛まれている。

 そう察した京子の全身に鳥肌が立つ。袖から服、下着の中にまで入り込んできた凌辱者たちは、一ミリ、二ミリと京子の柔肌をほじくり返していた。

 他の生物による捕食。それは、普通に人として現代社会に生きていれば、まずは味わうことのない、未知の恐怖だった。

「おっ……ぐっ……ぇえ……」

 無様な呻きが口から漏れて、京子の肉体と精神が同時に痛め付けられていく。加えて舌から染みてくる、体験したことのない苦みと口当たりが、強烈な吐き気を引き出して……。京子はそこで、己の死を予感した。

 こんなところで、終わるの? こんな惨めなものが、自分の結末……?

 心が、絶望に沈みかける。だが、そこで京子の頭を過ったのは、あの二人の姿だった。

 まともじゃない、少女の怪物。そして、そんなまともじゃない存在を、レイは当然のように受け入れていた。彼は京子が恋い焦がれた非日常。それをさらなる深い部分で体験していたのだ。

 ……ああ、許せない。

 沸き上がってきたのは、強烈な復讐心と、嫉妬だった。

 身体中は、きっともう噛み傷だらけだ。見るも無惨な、女としては致命的な状態になっているに違いない。

 許せない。

 メラメラと、感情が燃えさかっていく。蜘蛛たちがもたらした身体中を舐め回すような不快感も、熱を増していく激情の前では容易に掻き消されていた。

 許せない。許せない……。あの二人は、あたしを道化(ピエロ)に貶めた。この恨みをぶつけぬままで終われるものか……!

 痺れていた全身に力が戻る。作った両の握り拳の中が、一瞬でしとどに濡れそぼった。抗議を上げるように弱々しく震えたいくつもの脚が心地よい。所詮は虫だ。それが自分を喰らおうだなんて、身の程を知れ。

 怒りの奔流が、京子の空想を刺激する。まじりけのない殺意が、今の彼女を突き動かしていた。

 どうやって殺してやろうかなんて、今更深く考える必要もない。芸術家たる自分の脳にかかれば、それは湯水のように思い浮かんでくるのだから。

 あの少女を引き倒して、レイの目の前でめった刺しにしてやりたい。肋骨を叩き折り、臓物を引きずり出してやろう。

 そういえば、色んな臓器はあつめたが、子宮がまだだった。あの雰囲気だ。彼を誘惑し、既にすることは済ませているかもしれない。

 ならばそれを奪ってやる。石膏で固めて、色を塗ろう。手作りのイースターエッグにして彼にプレゼント。夏が終わり、少しずつ肌寒くなるから、マフラーもご一緒に。

 少女の腸をまるごと使った特注品だ。取り出したてならば、さぞ温かいに違いない。きっとレイは喜んでくれるだろう。

 残りの残骸は、またミキサーに掛けることにする。それで蜘蛛の絵でも描いてやれば、供養になるだろう。

 留まらぬアイディアに京子は心が踊るのを感じた。非日常を生きる者として、自分はまだやりたいことが沢山ある。だからこそ、こんなところでとどまってはいられないのだ。

 あの憎らしい少女と、その誘惑に屈した不誠実な彼を作品に……!


 ――結果的な話をすれば、蜘蛛たちに蹂躙され、意識を刈り取られていた京子が完全に覚醒したのは、全くの偶然。神様の悪意が込められたいたずらとしか言えなかった。

 目覚める直前にみた走馬灯にも似た夢。そこで抱いた攻撃的な衝動や屈辱は、常人ならば心が折れる状況ですら、反撃の引き金へと繋がったのである。

 邪魔だ。

 そう言わんばかりに京子は躊躇なく顎を動かした。グチャリ。という音が比喩的ではなく本当に、京子の頭の中に直接響く。

 強烈な酸味のある生き物の体液が、口の中に広がった。噛み潰されて尚蠢く蜘蛛の死体を、京子は迷わず飲み込んでいく。吐き出そうとしてもうまくいかない。ならば、窒息する前に噛み殺し、飲み下してしまえばいい。狂気に陥った発想だが、結果的にそれが京子を救うことになった。

 トマトが潰れるかのようにプチプチッと音を立て、口内で破裂する蜘蛛たちを、京子は一心不乱に咀嚼していく。

 その度に、彼女の呼吸が楽になり、麻痺したかのように動かしにくかった手足に力が戻ってくる。 

 かかとが、腕が、手のひらが、もがき這いずり回る蜘蛛たちをすり潰していく。身体中がみるみるうちに体液でベトベトになっていくが、京子は止まらない。止まれなかった。

 今や彼女には、蜘蛛を退け、レイ達に襲いかかることしか頭になかったのである。

 身体が嘘みたいに軽くなっていく、京子は仰向けの状態からついに身体を起き上がらせた。

 レイは、どこだ? あの女は……どこだ……! 憎悪を向けるべく目を開くと、光が見え……すぐに蠢く蜘蛛の腹で塞がれた。

 ああ、うざったい。

 爪を立て、京子は自らの顔を剥ぐように掻きむしった。下等な虫けらを捕らえ、握り潰し、放り投げる。何度もそれを繰り返し、ついに京子は完全な光を取り戻した。

「ああぁあぁあああ!」

 地獄の底から這い上がるような声色で、京子は咆哮する。更に呼吸が楽になるが、そんな余韻に浸る間もなく、蜘蛛たちは再び京子に殺到し、その身体を覆い尽くさんと進撃した。

「邪魔よぉ! 邪魔しないでぇ!」

 勿論、それをよしとする京子ではない。身体を這う蜘蛛を、払い、転がり、のたうち回りながら一匹、また一匹と殺していく。理性を捨てた獣のような唸り声をあげ、京子はアトリエ内で暴れまわった。

 どれくらい時間がたっただろうか? 気がつけば、部屋で動いているのは京子と、体の大半がひしゃげ、潰された蜘蛛の残骸のみだった。

「勝った……」

 荒い呼吸を整えながら、京子はそれだけ呟くと、そのまま部屋をぐるりと見渡した。

 少女とレイの姿は見当たらない。

 風が頬を撫でる感触がした。訝しげに眉をひそめながら目を向けると、ベランダの窓ガラスが破壊されているのを発見した。

 窓へと続く床には、血痕が点々と、道標のように続いている。レイは傷付いている。自力で脱出は不可能な筈だ。つまりは……。

「あの女の仕業ね」

 憎々しげに呟きながら、京子は近くの床に落ちていたメスを拾い上げた。レイの血がべっとりとこびりついたそれを握りしめながら、京子はある一点を見つめていた。

 覚束ない動きで前進するその生き物は、脚が数本折れた、女郎蜘蛛だった。

 刃が振り下ろされる。半ば反射のような感覚で、京子はその女郎蜘蛛を、メスで突き刺していた。何度か痙攣しながら、やがて力を失っていく女郎蜘蛛。それを見ながら、京子は歪な笑みを浮かべ、その場に倒れ伏した。

 濃密な死と恐怖を乗り越えた彼女は、既に限界だった。それでも今の今まで動けた理由はただ一つ。

「許さない。レイ君も、あの化け物も……絶対に許さないんだから……!」

 うわ言のように恨みの言葉を繰り返しながら、京子は全身を弛緩させていく。

 意識が急速に薄れていく。少しだけ眠ろう。そうしたら、また二人を追いかけるのだ。身を隠し、機会を待ち。そして……。

「殺して、やる……」


 ※


 数時間後、猟奇殺人事件に関与していた可能性があるとして、警察は山城京子の部屋を訪問した。

 だが、そこは既にもぬけの殻。残されていたのは、不気味な絵画と床の一角を覆い尽くさんばかりな蜘蛛の死骸のみ。

 以降、山城京子の行方に関する手がかりは、完全に途絶えてしまったのである。


いつも読んでくださり、ありがとうございます。

前書き。及び以前に告知してたり、ここ最近Twitterでもつぶやいてましたが、改めて。


書籍版第二部。及びコミック版の第一巻は

明日――、2018年9月15日に発売します。

第二部のタイトルは


『名前のない怪物 蜘蛛の聖餐』


そのままの意味でもあり。

凄惨な物語であり、清算の物語。色んな意味が込められています。

どうぞ宜しくお願いします!


また、書籍版発売後も、お礼を込めたちょっとした番外編を何編か。そして活動報告にあとがき的な感謝の言葉などを載せる予定です。そちらもお楽しみに!


ここまでこれたのも、たくさんの応援があったからこそ。改めて、ありがとうございました!

今後も楽しい物語を紡いで行けたらと思います。

どうぞよろしくお願いします!


2018.9.14 黒木京也

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