95.狂気と愛と理性を喰らえ
意外に思われるかもしれないが、僕が完全に彼女に喰い殺されたのは、いつかの怪物化を果たした夜だけだった。それ以降は吸血と。あってもせいぜい手足の肉をちょっと持っていかれる程度ですんでいたので、喰われたといっても軽度(?)なものだ。
けれど……。
「力を抜いて……。リラックスです。ん~。空中だとやっぱり難しいですね。……ベッド、いきましょうか」
ね? と、甘やかな吐息を僕の耳に吹き掛けながら、怪物はそっと指を回し、周りの巣を巻き取っていく。束ねられた糸は手錠のように僕の手首を拘束し、宙吊り状態で持ち上げられる形になった僕は、そのままベッドに寝かされた。
全身が、風邪でもひいたかのようにだるくて重い。だというのに僕の意識はフワフワと覚束なくて、まるでこのまま浮遊できてしまいそうな脱力感に捕らわれていた。胡乱な眼差しを虚空に向ければ、そこを埋めるかのように怪物の顔がわりこんでくる。
そこでふと、僕は浮かびかけていた疑問を口にした。
「……君は、米原侑子なの?」
怪物はその質問に曖昧な表情で首を傾げて見せた。
「……私の中には私とワタシがいます。二人でいたり、一つになってたり。だから、断言は出来ないです。私は……その、キスはしたくても、食べちゃいたいなんて思っていなかった筈ですから……」
それを聞いた僕は、喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。喰い殺された少女は生き続けている。だが、その性質は既に人から離れてしまっていた。考えてみれば、この娘は怪物と共に他の地球外生命体を喰い殺し続けていて。価値観はともかく、多少の対話が出来る程度には理性を保っている。
すなわち、それは存外彼女もまともじゃないことの証明にならないだろうか。
「服……邪魔ですね」
白い手が、ヒラリと揺らめいて。いとも容易く僕の服が切り裂かれた。十秒足らずで丸裸にされた僕は、不意に浴びせられた外気に身体を縮こまらせようとするが、その動作は酷く緩慢なものに終わる。
毒が、既に全身に回っているのだろう。思考に身体が追い付かない絶望に僕がうちひしがれていると、僕の目の前で、怪物が動いた。
「な、ちょ……!」
「……ワタシは気にしないみたいですけど……私はちょっと恥ずかしいです」
僕を跨ぐようにして膝立ちになる怪物は、頬を染めながらはにかんだ。
いつもの黒いセーラー服は、いつの間にか脱ぎ捨てられ、今や彼女は完全な下着姿だった。ワイヤーが外れた黒いレース付のブラを腕だけで支えれば、豊かな乳房がその上でふにゅりと形を変えているのが見えてしまう。残された手で下半身を隠すようにする仕草は、恥じらう乙女そのものだった。
はからずもその扇情的な姿に僕の目が釘付けになっていると、怪物は嬉しそうに目を細めつつ、そっとこちらに手を伸ばし、仰向けな僕の顎を上に上げた。
視界から彼女の姿が消える。その直後ハラリと何かが床に落ちる気配と、プチンと繊維を引きちぎる音が僕の耳に届いて……。
やがて、真上からのし掛かる暴力的な柔らかさと、鼻腔を満たす花みたいな香りに僕の思考は支配された。
「う……あ……」
感動と不安がないまぜになった声が僕からもれる。生まれたままの姿でベッドの上で肌を重ねる僕らは、端から見たら恋人同士がむつみ合う姿に見えるだろうか。そんな現実逃避じみたことを考える。
これから行われるのは、そんななま優しいものではないのだけど。
「レイ……」
愛しさを隠さずに、怪物は僕の首筋に頬をすりつける。黒絹のような髪が僕の肌をくすぐった。同時に、彼女が身をよじる度、僕の胸元にプリンじみた双丘が押しあてられ、伝播する熱と一部の硬くて小さな感触が僕の理性をガリガリ削っていく。
肌をくっつけただけでこれだ。意図的に注意を向けるのを避けた下半身にまで意識を当てたら、多分僕は気絶していただろう。
「……レイ、私の、レイ……」
うわ言のように僕の名前を繰り返しながら、怪物は身体を上にずらして、僕の顔にキスの雨を降らす。
ちゅ。ちゅ。と、何度も啄むようにする唇の愛撫に、震える心とは裏腹に身体がどんどん熱を帯びていくのがわかる。
それでも僕の心に恐怖が根付いていたのは、どことなく怪物が、僕を作り変えたあの夜をなぞっているように思えたからだ。
あの時僕の身体は激痛と快楽を伴う責め苦の中で、破壊と再生を繰り返した。
身体の中で、彼女が食べなかった部位はない。
血も肉も骨も、引きずり出された内臓すら彼女は極上なディナーを味わうかのように食べてしまったのである。
そして……一番最初に僕が食べられたのは……。
「ひっ……」
唇が目元に到達した時、僕の血の気がサーッと引いていく。
反射的にぎゅっと瞑られた瞼の上にも唇が落とされて。やがて冷たく濡れた舌が、まるで「開けて」とノックするかのようにスワープした。
「……目、舐めたいです」
甘えるようなおねだりに、僕は必死に首を横に振る。すると、閉じた闇の世界の向こうで「むーっ」と、膨れっ面が作られた気がして……。
数秒後。バキン! という、懐かしい衝撃が身体を走り、僕は目を無理やり開かせられた。
「あっ……あっ……あぁ……!」
やめてくれと、生理的に涙が溢れるが、彼女はそれすら美味しそうに舐めとると、そのまま僕の眼球を舌先で弄ぶ。身の毛がよだつような刺激の中で、僕の首と瞼は完全に固定されていて。まさにやられたい放題だった。
やがて、両側を一通り楽しんだ怪物はカプリと僕の眼窩に歯を立てる。
それだけで僕の思考は「喰われる」の一点でぐちゃぐちゃに掻き回された。
「ま、……て……」
強い吸引が始まる。逃げようと力なく身をくねらせるが、今や僕の頭は彼女にがっしりとホールドされてしまっていた。
「ひっ……あ……ぎ……」
暗く閉ざされた片方の視界が熱い。そこにゆっくりと立ち上るような痛みが走り、青黒い燐光が一つ。また一つとたなびき始めた。
呑まれる……! 来るであろう激痛を予感して、身体を硬直させる僕。だが、その身構えを見透かしたかのように、怪物は僕を唐突に解放した。
「え? ……はむっ、んぐるぅ!?」
どんな心変わりだと思ったのもつかの間だった。僕の両頬が手で挟み込まれ、そのまま半開きになった口内に、怪物が舌を差し込んでくる。喉奥まで犯すようなディープキスは、僕に芽生えた眼球を奪われる怯えを打ち消した。意識すら闇に沈ませかねない激しさで、怪物は僕を蹂躙したのだ。
「んっ、ぎゅ、むぐぅ……」
抵抗したくても手足に力が入らない。それをいいことに怪物はえぐり込むように何度も首の角度を変え、まるで肉を引きちぎる雌ライオンのように僕の顔を揺さぶって。最後は物凄い勢いと音を立てて、僕の舌を吸い上げた。
「や、やえ……れ……えぁ……!」
くぐもった声を上げながら僕の上体が、ぐいぐいと引き上げられる。限界まで顎を天井に向けさせられたせいで、口からは二人分のが混ざりあった唾液が溢れていく。やがて、吸われていた舌にチクリと痛みが走って……。
「う……ぇ……」
また吸血を伴わない謎の注入が行われた。血管の集まった舌に、否応なしに怪物の体液が浸透していき、僕の身体が再びブルリと震えた。恐怖か歓喜か。境界線は曖昧だった。
ただ、僕に入れられているそれは、なんだか甘くてしょっぱい味がする。ピリピリと痺れるような感覚に僕の身体はついに抵抗を諦め、だらんと脱力する。すると怪物はそこでキスを止めると、重力に従って僕に身を預けてきた。
「大丈夫、ですか?」
「……やっ……え……さ……」
どうやったらそう見えるのさ? と、口にしたかったが無理だった。ボーっとする頭の中で僕は怪物がこちらを覗き込んでいるのをどこか他人事のように眺めていた。
ツン。と、頬がつつかれた。怪物は唇を舌で濡らしながら「まだ、ですかね~?」と呟いて。そのまま、今度は流れるように僕の耳を口に含んだ。
「わ……ひっ……!」
「まだ、ダメです。もっともっと……! レイを溶かしちゃいますから……!」
好き。好き。大好きと何度も繰り返しながら、怪物の舌が僕の耳の奥へと伸ばされる。世界が脳みそごとシェイクされたかと思えば、次は軟骨に歯を立てられた。僕は「ひぃいい!」と、なさけない悲鳴を上げて、耳にまで体液を流し込まれる。聞こえてくる全ての音が反響している。耳に水で詮をされた気分だった。
そんな違和感しかない状態にされた僕を怪物は満足気に眺めながら、黒い眼差しを僕の身体に向ける。獲物を探すような視線が僕の首から下へ向けられた時。そこでふと、僕は不思議な違和感を覚えた。
耳を何かで満たされたからだろうか。不思議な音が聞こえたような……。そう。チャンポン。チャンポンと、水を含んだ風船を思わせる微かな音が、僕の身体の中から……。
不意にカプリと。鎖骨の上から噛みつかれる。再び流し込まれた体液が僕の身体へどんどん浸透していき。すると、身体の違和感の範囲がまた一つ、不気味に広がっていく錯覚に陥った。
「な、なぁ……」
僕に何をしてるんだ? 思わずそう聞こうとすると、怪物は無言で顔をほころばせながら、ハッ……ハッ……と、熱っぽくも浅い呼吸を繰り返した。
「ねぇ、レイ……お腹、空いてませんか?」
花の香りが強くなる。怪物が僕に馬乗りになったまま、そっと僕の手を取って、それを自分の胸元へ誘っていく。
マシュマロめいた柔らかな質感が手のひらに乗せられて。同時に無意識ながら僕の喉がゴクリと蠕動した。
「…………レイだけのものですよ。ほら、来てくださいよぉ……」
引き返せない背徳感に煽られながら、僕の身体は蜜に誘われる花みたいにそこへ引き寄せられていく。
ゴポリ……と、再び身体の奥底で何かが蠢くのを感じながら……僕は禁断の領域に足を踏み入れてしまったことを自覚した。
今度は僕が彼女を押し倒した形になった時、怪物の背中から翼のように蜘蛛の脚が広がっていく。指や舌を絡ませ合い。お互いに愛撫を繰り返す最中。鋭い蜘蛛脚の先端は幾度となく僕をつつき回していた。
「もうちょっと……」
何がといいかけた僕の口を自らの口で塞ぎながら、怪物が妖しく嗤う。時折赤く明滅する瞳は、まるで鬼火を思わせた。
以降の言葉にするには憚れる行為は、そこからしばらく。殆ど夜通しで行われた。怪物は何度も人格を変え、僕を翻弄した。
たどたどしい口調の慣れ親しんだ彼女と、清楚だがどことなく捕食者の気配がする彼女。
まるで両側から同じ顔の少女に抱き締められているような幻覚を視たのは……朦朧とした意識のなかでみた夢だったのかもしれない。
恐怖し、魅了され、捕らわれる。幾度となく繰り返された無限地獄を思わせる快楽の渦に、僕は完全に飲み込まれていた。
時間は、どれくらい経っただろうか。気がつけば、僕はベッドの上に大の字で倒れていた。荒い呼吸を繰り返す胸板には、怪物が頭を乗せたまま。たおやかな指先で僕の肌をくすぐるようになぞっていた。
「奪って欲しかった。あと、奪ってしまいたかったの……」
どっちも出来た。と、彼女は嬉しそうに喉をならすと、そっと自らの腹部を優しく撫でる。
しとどに濡れた互いの肌が吸い付き合う中で、僕はいまだに現実味を味わえぬまま、息を整えるのに必死だった。
部屋の空気やベッドは酷い有り様で。それを見れば僕はついさっきまで何度も何度も僕を味わい尽くしていた怪物の姿を思い出し、身体が熱くなるのを感じた。
「……レイ。もっと、する?」
「ま、待って。もう、もう本当に無理……」
めざとくそれを感じ取った怪物が、ムクリと起き上がる。そんな彼女を必死で押し留めようとすれば、怪物は一瞬だけ不満げな顔を見せるが……。何故かすぐに満面の笑みを浮かべて頷いた。
「うん、わかった。今夜だけじゃない、ですもんね。……私達は夫婦ですから」
口調が切り替わる。同時に、「やっと出来ました……」と、怪物は嬉しそうに僕の肩に指を押し当てて……。直後。ボチュン! という音がした。
「……へ?」
何が起きたかを理解するまでにしばらく時間がかかった。
怪物の指が、僕の身体に沈み込んでいて。それを無造作に引き抜けば、そこは真っ赤に染め上げられていた。
痛みはない。ただ、突かれた部位からは、ドロドロと血にしては粘性がありすぎる何かが流れていて。怪物はそこに唇を押し当てると……ヂュルルルル! と、卑猥な音を立てて啜り上げた。
「え、え? 何で、何を……!?」
訳もわからず、目を白黒させる僕。すると、怪物は上品に口元を抑え、コクンと吸い上げたモノを飲み干すと「はぅ……」と、頬に手を当てて、極上の甘味を口にしたかのようにため息をついた。
「お、おい……なんだよ。もう訳が……」
「ああ、ごめんなさい。えっと……。レイは今、蝶々さんです」
オロオロする僕に、怪物は無邪気な顔でそう言った。
蝶々? 意味がさっぱり……。
わからない。そんな顔を僕がしているのを見て取ったのか。怪物はテレビで見たことありませんか? と、人差し指を立てた。
「ほら、私、言いましたよね。最後は食べちゃうよって。だから……今から食べちゃうの。蝶々さんみたいに」
忙しく人格が入れ替わる。それを見た時、僕は胃に重石を入れられたような気分になった。
興奮しているのだ。多分今までになく。それが意味するのは、怪物としての欲求を果たそうとしていることに他ならない。
「レイに毒を入れてたの。蜂と蜘蛛のと、黒いやつの消化液も混ぜて」
「し、消化、液……?」
おぞましすぎる単語に僕が口をパクパクさせているのに気がつかぬまま、怪物はうんと頷いた。
「飲む方が、好き。だからレイのお肉とかをグズグズに溶かしてたの。……毒の調整、上手に出来て良かったです。そうすればホラ、レイもこれから楽しめるでしょう?」
僕が嫌がるなんて微塵も疑わぬ顔で、怪物はそう宣う。
確かに、痛みはなかった。それどころか……。
「ま、待て、ダメだ。待って……」
それは、絶対に癖になったらいけないやつだ。本能的にそう察した僕が怪物にブレーキをかけるが、そこで自分の手の……いや、身体に起きた異変に気がついた。
柔らかすぎるのだ。何もかもが……!
「あ……あぁ……」
嘘だ。そう叫ぼうとした。だが、声をあげるよりはやく、怪物は僕の手の甲に口をつけ、軽く歯を立てた。それだけで、僕の皮膚は風船のように弾けて、スライムのように自壊し始める。
怪物の舌がゆっくりと柔肉をステアしていた。
「んっ、むっ……んっ……」
鼻にかかるような色っぽい声が、怪物の口から漏れている。そこではブチュプチュと、肉や粘液が撹拌されるような音が響き、彼女の喉が何度も艶かしく蠢いた。
恐怖は声にならず、目の前で萎びた果実みたいに哀れな姿になっていく手を、僕はただ見つめている事しか出来なかった。
「……美味しい……美味しいです……! おかしく、なりそう……!」
考えてみたら、彼女は今の今まで、吸血や肉を貪ることをしなかった。すべてはこの時を待っていたのだろう。
蜘蛛は確か肉を噛み砕くのではなく、グズグズに溶かして啜るのが本来の食事の仕方だ。やりたかったこととは、まさにこれ。蜘蛛として。彼女は僕を捕食したかったのだ。
「ひ、ぃ……」
声は届かない。怪物には、もう止まる気配がなかった。それどころか「繋がったまま食べていいですか?」なんてぶっ飛んだことを言う始末。
嫌だなんて拒否権は僕にはないだろう。どちらが捕食者かなんて、ここでは明確なのだから。
というか……。
僕、今日本当に死んじゃうんじゃないだろうか。何もかもが飲み込まれていく恐怖と快楽の中でそんな今さらな事を考えて……。そのまま、とうの昔に精神に限界を迎えていた僕は、意識を手放した。
ジュズル。ズルルンという、冒涜的な水音だけが、真っ暗な中で響いていた。
※
残念ながら気絶できていたのは、僅かな時間だった。
正確には、気絶して安息を得ることすら僕には許されなかったと言うべきか。
仕方がなかったのだ。気絶して現から逃げだしたら、今度は裸のエリザが襲いかかってきたのだから。
「休めると思った? 残念ー! 次はエリザちゃんでしたー!」
なんて宣うバカ梟に、僕が純粋に殺意を覚えたのは無理もない。多分さっきの争いで力を貸さなかったのも、もしかしたら僕と過ごす時間が欲しかったからなのかもしれない。
厄介すぎる奴だ。
「うぅ……」
息を荒げながら先っぽだけと迫るエリザを何とか退けて、僕はまどろみから帰還する。頭は相変わらず、ボーっとしていた。
僕は今、どうなっているのだろう。
そう思って目を開ければ、開けた視界が何かを捉えた。
月明かりに照らされているのは、寝室の、ベッド横に立て掛けた姿見だった。
「あ……」
目を凝らす。そこには裸の少女がいた。
清らかなウィスパーボイスが歌を紡いでいる。どことなく郷愁を漂わせるそれは古い童歌だった。
確か……そう、水を引き合いにして、蛍を呼び寄せる歌。
「…………♪」
美しい歌声に、しばし酔いしれる。ずっとこの歌を聞いていたかった。けど……鏡に映る酷い光景は、容易く夢心地な僕を現実に叩き落とした。
「おはよ。レイ。……丁度、最後の一口にしようかなって、思ってたの」
そう言いながら、鏡越しに僕を見つめる怪物はまるで赤子をあやすかのように身体を揺らした。彼女の腕には……手足がない、胴体に頭がついただけの僕が抱かれていた。
「は……ははっ……ひひっ……」
笑うしかなかった。
壊れたように笑い続けた。
本当に、笑うしかない。
成る程彼女は僕に自分を刻み付けると言っていた。有言実行とはまさにこのこと。
これ以上の恐怖は、僕の中で未来永劫更新されることはないだろう。
「これ、が……君か……」
涙を流しながら僕がそう口にすれば、怪物は静かに頷いた。
僕は肯定もせず、否定もせず、鏡ごしではなく、自分の首を動かして怪物を見つめた。
「君が怖い……理解できないし、勝てる気もしない」
「……強くなきゃ、レイを守れないもの」
偽りなき本心を伝えれば、怪物は僕から目をそらさずにそう言いきった。
「こうまでしたら、僕が怯えるって、本当はわかってたんじゃないのか?」
「…………うん。でも……」
隠したくなかったの。
うなだれながら怪物は答えた。
「夫婦になろうって言ってくれた時、嬉しかった。だから、私の全部あげたくて、レイが……〝貴方〟が欲しいって思ったの」
だから全部全部さらけ出した。彼女はそう締め括る。
まばたきをする。僕の身体を啜り続けた影響か。彼女の身体は顎の下から胸に腹を伝い、下腹部に至るまで血まみれだった。
僕はそれをしっかり目に焼き付けて、もう一度彼女を見た。
「……どうしたいの?」
僕がそう問えば、怪物はフルフルと身を小刻みに揺らし……淫蕩にまみれた表情で告白した。
「食べちゃいたい……ダメってわかっても。……全部食べちゃいたい」
顔をくしゃくしゃにして泣きながら、怪物はそう口にする。
僕はそれをしっかり頭に刻んだ上で、目を閉じた。
答えはもう、出てしまっていた。
「…………いいよ。君になら、食べられたってかまわない」
きっと僕の精神は、ずっとずっと前から彼女に崩壊させられていたのだ。そうとしか思えなかった。
だってこんな仕打ちをうけてなお、彼女が本心を語る姿に見惚れていたのだから。惚れた弱味にしては狂気じみている。
そんなことを思った時、ふと、かつての学友の言葉を思い出した。
『〝愛の中には、常にいくぶんかの狂気があるの。でも狂気の中にもまた、いくぶんかの理性があるものよ〟』
シニカルな。けれど熱い、〝彼女〟らしい言葉だった。
だから僕のこれもまた、怪物への愛だと思いたい。
狂気を受け入れよう。それと同時に、彼女の中に理性が残っていると信じて……僕はもう一度。今度は怪物の目を見据え、「食べていいよ」と彼女に伝えた。
その瞬間。怪物の口が大きく開けられた。
綺麗な歯並びが僕の顔に落ちてくる。唇と歯が顔に当てられて、渦潮にでも巻き込まれたかのように、見えていたもの全てが収束した。ジュルルンという音が響き渡る。その音を合図に僕の世界は赤く染まって……。
「愛してる」という脳すら蕩けさせそうな怪物の囁きが。頭を失い、何も見えなくなった僕の中で甘く残響した。




