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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
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20.新たな事実

「……オイ、何やってるんだお前」

 いつものようにトーストとコーヒーの朝食を摂ろうとした僕は、パン皿とマグカップを持ったまままその場で絶句していた。

 ちなみに今日のトーストには、ピーナッツバターを塗ってみた。濃厚な味はコーヒーともよく合うのである。

 ……いかん、そうじゃない。現実逃避してどうする。

 僕は頭を振り、もう一度目の前で起こっている出来事を確認する。

 視線の先には、いつものように僕のベッドへ我が物顔で腰掛ける怪物の姿。

 その怪物は、今現在何やらテーブルの上に手をかざしている。

 それだけならば、まぁ問題はない。テーブルに興味を持ったか、自分の手の影で遊んでいるだとか、それくらいにしか思わなかっただろう。

 だが、大問題はソイツが手をかざしているテーブルの方にあった。

 僕が勉強や食事、細やかなコーヒータイムを楽しむ際に使用しているテーブルの上。そこに……。


 大小様々なサイズの蜘蛛が五、六匹――。

 怪物の手の動きに合わせるように隊列を組んで動き回っていた。

「……なぁ、ホント何してるの? お前」

 衝動的に手に持つトーストをパン皿ごと怪物に投げつけてやりたい衝動に駆られる。

 蜘蛛たちは今度は円陣を組み、どう見てもブレイクダンスにしか見えない妙な踊りを披露していた。

 これもアイツがやらせているのだろうか?

 もしもこれをリスなどの小動物がやっているなら、さぞかし可愛らしい光景になることだろう。しかし、現実はコレだ。八本足の不気味な虫達が織り成すダンスは、それはそれはおぞましいものだった。

 僕がなんともいえない表情で佇んでいると、怪物は僕の方に視線を向ける。怪物の視線は、僕の手元……。パン皿とマグカップに移動した。

 その瞬間、怪物の手が下ろされる。すると、不気味なダンスを踊っていた蜘蛛達はたちまち整列し、一列に行進を始めた。テーブルを降り、壁を伝い、そしてエアコンの噴出口の中へ……。

「待て待て待て待て待てぇえ!!」

 僕は物凄い勢いで朝食をテーブルに置くと、怪物に詰め寄った。

「オイ! 今の蜘蛛たち何だ!? どこにしまった? うちのエアコンは託児所じゃねぇんだぞ!?」

 思わず荒っぽい言動になりながら、僕は怪物の肩を掴むと一気にまくし立てる。

 言葉が通じないのはわかっている。案の定怪物はキョトンとした顔をしていた。でもちょっと待ってくれ。僕が朝食を持ってきたら蜘蛛を退けるという配慮を見せてくれたのだ。言葉くらい理解してくれてもいいじゃないか。と、わりと無茶な注文を心の中でしながら、怪物を見る。

 しかし。怪物は首をかしげるばかり。こいつ……わざとやってる訳じゃないよな?

 ひきつった表情のまま、僕はエアコンの方へ顔を向ける。

 あの蜘蛛たちはエアコンに住んでいるのか、それとも排気孔を使って外に出たのか? 詳しいことは分からない。

 だが取り敢えず今言える事は、どうやらこの怪物は他の蜘蛛も意のままに操る事が出来るようだ。今までそんな行動をとらなかったから出来るようになったと言い換えるべきかは分からないが、とにかくそうらしい。

 色々な意味で頭痛がしてきて、僕は思考をほぐすかのように親指で眉間を揉む。

 すると、それをなぞるかのように怪物の白い指が僕に添えられ、同じように僕の額を指で撫でてくる。

「やめろ」

 くすぐったいのもあるが、まるでコイツにいたわれているような気分になり、思わずその手を振り払う。

 怪物に心配されても嬉しくない。寧ろこんな気遣いをしてくれるくらいなら、さっさと僕を解放して何処か遠くへ行ってはくれないだろうか?

 もう暫くは叶わないであろう望みを心中で吐露しながら、僕はベッドから降りる。

 考えたいことは多々あるが、取り敢えずは腹拵えだ。食べないと頭も回らない。

 僕はテーブルの前に腰を下ろし、トーストにかぶりついた。ピーナッツバターのまろやかな味が口に広がる……筈なのに、今日は何も感じない。

 片手に食いかけのトーストを持ちつつ、もう片方の手で僕はノートパソコンを起動した。

 大学に入りたての頃にアルバイトを駆使して購入したものだ。普段はテーブルの下に収納され、必要な時に引っ張り出すのだが、今現在はある理由から常にテーブルの上に出した状態になっていた。

 パソコンのすぐ隣にはケーブルで接続したビデオカメラが設置され、そのレンズは丁度僕のベッド全体が映るようにしてある。

 このカメラは大輔叔父さんが鍋を持って来た日に思い立って買ってきた物だ。

 怪物の手さえ握っていれば外出は可能なので、夜の閉店ギリギリに人通りがなるべく少ない道を選んで行ってきた。

 実験もかねて行ってきた外出はカメラ以外にも結構な収穫があった。

 一つは、怪物の姿を消す能力について。これについては以前から色々と考えていたのだが、どうも透明になるとか、瞬間移動のようなものとは別らしい。

 透明になったり、行きたい場所に自由に移動できるなら、僕の傍にずっと張りついていればいい。

 あの夜の出来事を例にするなら、純也が寝てしまったり外出した時にでも姿を現し、僕の身体を操って帰宅を促せばいいのだ。

 なのにアイツはそれをしなかった。となると、あの夜に怪物は確かに僕を見失っていたのだ。これは、姿を消す能力は怪物を幽霊のような存在にするわけではないという推測を裏付けるものになりうるのではないだろうか?

 もしかしたら姿を消すとは僕がそう考えているだけで、本質は何か別のものなのかもしれない。

 もう一つは肉体所有権の剥奪について。人前では使わないと思っていたのに、純也の前では使用してきた。あれは何故か? これは恐らく、アイツの姿が他の人に見られてさえいなければ問題ないからだろう。あの時アイツは誰もいない空き地にいたのだから。

 ただ、このことから使う為にはアイツにも僕の姿が見えている状態になっているか、僕の姿を視認した後の数分間のみに限られるようだ。

 なぜなら、怪物が姿を現している状態で、かつ怪物自身は人目にさらされてはいけない。仮にこれがあの能力の条件だとしたら、アイツは僕の部屋にいさえすればそこで能力を使うことで全てが解決してしまう。

 なのにそれをしない。いや、出来ないという事は、あの肉体所有権の剥奪能力にもやはり条件や範囲があるのだ。

 ここで僕が思い出したのは、再び純也の部屋を訪問した夜だ。僕がベランダにいた時はアイツは下から僕を見つめていた。その後、部屋に入ってからも一度操られ、僕は支離滅裂な言動を漏らすという恥を晒した。問題はその後。

 僕が玄関に移動して以降は、怪物は何故か何も干渉してこなかった。

 事例が少ないのでまだ推測の域を出ないが、僕を視界に入れていた状態から入れていない状態になって一定の時間が経過するとアイツは僕に対して肉体所有権の剥奪が使えなくなる……。とは考えられないだろうか?

「また覆されたら嫌だなぁ……」

 僕は苦い顔のまま残りのトーストを口に放り込みつつ、パソコンのディスプレイに映るアイコンの一つをクリックする。

 推測が崩された時のあの絶望感は、出来れば二度と味わいたくない。

 一応、怪物自身があの能力を人前で使うことに敬遠はあるようなのがせめてもの救いか? ……いや、これも僕が救いだと思っているだけなのかもしれないが。

 なにせ決して使えないという訳ではないのだし。

 そうこう考えているうちにディスプレイ上にウィンドウが開き、ビデオカメラに録画された画像が再生される。

 映像にはベッドで寝息を立てる僕と、それに寄り添うように横になっている怪物が映されていた。

 純也の部屋に遊びに行き、その帰りに猟奇殺人事件の現場に遭遇してからはや一週間。

 あれ以来、この作業は僕の新たな日課となっている。

 そう、僕が眠っている間の怪物の監視だ。

 大輔叔父さんに事件被害者の死亡推定時刻を聞かなかったのが今でも悔やまれる。何せ僕が”その事“に疑いを持ったのは、叔父さんが僕の部屋を出た後だったのだから。

 その事とは他でもない、怪物と猟奇殺人事件の事についてだ。

 驚くべき事に、事件が起こる前日や、それに極めて近い時期になると、怪物は決まって姿を眩まし、僕が把握しきれていない空白の行動時間があるのだ。

 京子が来た時や純也の部屋に行った時。大輔叔父さんが訪問してきた時。いずれも理由は様々だが、怪物が姿を消している時間が長く、かつその数時間後に事件が起きたり、死体が発見されたりしている。

 ただの偶然にしては出来すぎてはいないだろうか?

 これが杞憂ならばそれでいい。が、何処か嫌な予感が拭えなかったのも事実だ。

 とにかく因果関係を特定すべく、僕はビデオカメラを仕掛けるに至ったという訳である。

 なのだが……。

「監視を初めてはや五日……内容は殆ど同じ、か」

 僕の頬をつつく、髪を撫でたり抱き締めたり。果ては一晩中僕の顔を見続けていた日すらあった。ぞっとすると同時に、ここまでくると飽きもせずよくやるとさえ感じてしまう。

 まさかとは思うが、ここに住み着いてからずっとこればかりだったのかと思うと正気を疑う。

 怪物に正気かどうかを問い質すこと自体おかしな話なのだが。

 だが、わかった事もある。ここ五日間の監視での話になってしまうが、まず怪物はやはり眠らないらしい。

 眠っているところを見たことがないと前に話したが、それもその筈だ。寝ないならそんな様子を見られる訳がない。

 吸血鬼が登場するホラー小説の如く、夜中にこっそり僕の血を吸う。なんて事もないらしい。

 ただこいつは僕の傍に存在しているだけ。外に出る訳でもなく、一応血が主食と言ってもいいのかは分からないが、それ以外を口にすることもない……。

 僕は黙って背後を振り返る。怪物はベッド側の壁に寄りかかるように座っていた。無機質な目はこちらをただ見つめてくる。わかっていたことだが、改めてコイツは僕達人間とは違うのだという事を実感する。コイツについて考える時は、僕が見たもの全てで考えるだけでは足りない。発想をもっと飛躍させる必要がありそうだ。

 視線をパソコンに戻し、僕は思考を巡らせる。

 内臓全てが抜きとられた女学生。

内臓の一部が抜きとられているそれ以降の猟奇殺人事件の被害者達……。現場は何か獣に食い散らかされたかのような惨状だったと聞く。

 仮の話になるが、その女学生を襲ったのがコイツで、内臓を食い散らかしたのもコイツだとしたら? コイツの主食となるものが、血だけではなかったとしたらどうだろう。

 血と内臓。これがコイツのエネルギー源だとすれば、血はもう既に手に入れている。この僕だ。では内臓は?

 血と違い、内臓は替えがない。だから狩る必要がある。狩られたのが猟奇殺人事件の被害者達だとしたら……?

 そこまで考えた僕は、思わず緊張で身体を強張らせた。

 怪物が何かしてきた訳ではない。

 いつも通り点けているテレビのニュースで、猟奇殺人事件の最新情報を取り扱ったからでもない。

 パソコンのディスプレイに映る録画画像についに変化が見られたのだ。

 仰向けに眠る僕の傍ら。さっきまで怪物がいたその空間に、〝誰もいなくなっていた〟

 僕は慌ててマウスを操作し、巻き戻しのアイコンを押す。

 何処だ。何処で消えた?

 早まる心臓の音を感じながら僕は穴が開くほどパソコンを見つめる。――いた。

 場面は今日の午前二時十五分の部分。怪物は僕を撫でていた手を止め、ムクリと起き上がった。

 暫く窓を凝視していた怪物は、僕の方をチラリと伺ってから煙のように姿を消してしまった。

 僕はすかさず早送りボタンを押す。怪物が再び姿を現したのは、そこから一時間後の場面だった。煙が立ち上るかのように怪物は僕の傍に寄り添ってきた。

 服に返り血のようなものは見受けられないが、何か様子がおかしい。どうやら手に何かを持っているようだ。

 僕が固唾を飲んでその様子を伺っていると、怪物は更に驚くべき行動に出た。そっと手に持つ何かを口元に持って行き、明らかに何かを咀嚼するような仕草をし始めたのだ。

 何を食べているのかはこの映像からは見えない。だが、肉のようなものを食べているのは分かる。

 なぜなら、怪物の口元は赤く染まり、柔らかい物を噛む、クチャクチャという音が響いていたのだから。

 唐突に身体がひとりでに震えだした。コイツは何を……何を食べている?

 市販の肉で口元はああならない。生きた動物を食べているのか、それとも……。

 僕はとっさにベッドのシーツを確認する。血らしきものはついていない。溢れないように腐心したのか、それとも残らず舐め取ったのかはさだかではない。

 蜘蛛は獲物を糸でぐるぐる巻きにし、体液を吸い取ると言われている。しかし、厳密に言うとそれは間違いだ。

 彼らは噛みついた部位を特殊な唾液で溶かし、それを啜るようにして補食する。故に補食された後の蜘蛛の巣には、獲物の皮の残骸だけが無惨に残る。

 コイツもこの時、同じように獲物を補食していたのだろうか?

 スルリと、後ろから怪物の腕が僕に回される。

 この時、僕は激しく後悔していた。侮った。僕の命が奪われないからといってじっくり考えていてはならなかったのだ。

 コイツはもしかしたら、一定の周期で他の人を襲っているかもしれないのに。

 だが……だがどうすればいい!? 僕がコイツを何とかすることが出来るのか?

 下手したら僕も被害者達のように……。

終わらない思考のループに囚われ、僕は頭を抱えた。

 その時。耳朶に擽ったくて湿った感触が走る。耳を甘噛みされているらしい。……人の気も知らずにのんきな奴だ。

 いや、これは僕など脅威にもならないという気持ちの現れなのかもしれないな。

 身体を硬直させたまま、僕は怪物のされるがままになる。

 逃げられる筈もない。僕はコイツに囚われているのだから。

 やがて、首筋にゾブリと怪物の牙が突き立てられるのにそれほど時間はかからなかった。

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