89.小野大輔VS雪代弥生
小野大輔は、現状で大して頭を回してはいなかった。
頭にあるのは、部下であり、油断ならぬ者でもある女性を、この魔境から連れ出すこと。
それは半ば、意地のようなものを含んでいた。
部下のうち二人は死亡。もう一人は別の組織の人間だった。そして今、まさに目の前で対峙している最後の一人、雪代弥生が、その立ち位置を不安定なものにしている。
この件に決着を付けなければ、大輔は引くことも進むことも叶わないという確信があった。
「……そのナイフは、何のマネだ? 雪代」
いつも通りの妖艶な笑みを浮かべながらも、此方へ刃を向ける弥生に、大輔は静かに語りかける。
レイからの話で、彼女はもう人間ではなくなってしまったことは、大輔にも想像はついていた。そんな原始的な方法に頼らなくてもいいだろうという疑念と、会話が成立するかの確認。この質問には、そんな意図が含まれていた。
「警部こそ。しょっぴくってどういう事ですか? 私、こんなでも貴方の部下なんですけど」
私、何か犯っちゃいましたか? と、可愛らしく首を傾げる弥生に、大輔は「任意同行だよ」と呟いた。
「昨日の昼間……正確には夜か。連絡を受けていない。だから尋問が必要だ。白か黒かはその後に決める。……お前、今まで何してた?」
「何って……レイ君から聞いてないです?」
「レイと洞窟で別れてからの動向は知らんからな。その後だろう? お前が俺に連絡してきたのは。次に会った時は私ではない。迷わず殺せともきた。……はっきり言おう。お前らしくないにも程がある。だから聞きたいんだよ」
お前、何を考えている?
静かに、もう一度問い掛ける大輔を、弥生は愛しげに見つめたあと、そっと目を閉じた。「やっぱり骨がある人ね……」という囁きが耳に届く。大輔は、その微かな響きの中に、隠しきれない殺気と害意が含まれているのを感じ取った。
「……これで、甘さが抜けることがなく。私がもしかしたら正気かもしれないと頭に置いたまま、犯罪者と戦う気構えも失わない。素敵ですよ、警部。やっぱり私が選んだ人です」
「雪代、質問に……」
「何を考えているか? そんなの昔から変わりませんよ。私はね。何にも考えていません」
だからここにいて。こうして怪物になっても正気でいられるんです。
そう語る弥生に、大輔は目を細める。その答えは、大輔の中で天秤に掛けられていた弥生への疑惑を確信に変えるには充分すぎた。
「お前は……怪物になった」
「はい。そうですよ」
「……何の怪物かは、わからん。だが、ここに来る途中、桜塚達と別れるまでの間に、随分と沢山の……推測だが、お前と同じ怪物にさせられたと見られる人間とすれ違った」
「……全部一緒だと?」
「ああ。山城が身体から顔を出しているのが何人かいたが、ベースになった怪物は全部一緒だろう。……その中には、見覚えがある奴もいた」
「……へぇ」
大輔の推測が、淀みなく紡がれる。弥生はそれを嬉しそうに眺めていた。
「斉賀友梨。去年の秋頃に脱獄した強盗殺人犯。湯坂恵那。殺人と死体損壊・遺棄で現在も逃走している筈の女子大生。浅川雄三。児童館に押し入り、児童と職員を含めた十三人を殺害し、死刑になった筈の凶悪犯。……他にも多数。理性を保った上で俺に襲いかかってきた奴等だ」
「……犯罪者。顔を全部覚えているんでしたっけ?」
「記憶力には自信があるんだよ」
「それらを全部蹴散らしてここに来たんですよねぇ。流石と言うべきか」
「茶化すな。ここまで来れば、俺がお前に何を聞きたいのか分かるだろ?」
お前は、犯罪者か、否か。怪物であるかどうかよりも、大輔はそれを尋ねた。
人でも、怪物でもよかったのだ。
弥生が何かに脅されているなら。理性を保っているならば、上司として連れ出し、守ろう。だが、皮肉にもこの場で理性を保っている意味に辿り着いてしまった大輔は、刑事として彼女を……。
「この私としてははじめまして。に、なりますかね。警部。……雪代弥生。趣味は……骨抜きを少々」
蕩けるような表情で告白する弥生に、大輔は厳しい目を向ける。
「男をたぶらかす……って、意味じゃあねぇわな」
「はい。そうですよ。……ああ、嬉しいです。夢みたいです。こうして貴方に、真実を告げる日が来るなんて……! でも同時に――寂しいです」
どういう意味だと、大輔が続きを促せば、弥生は胸の高鳴りを押さえる少女のように心臓を押さえる。その様は恋する少女のようにも。夫に不貞を告白する妻のようでもあった。
「だってほら、知られたら、警部とお仕事出来なくなっちゃうじゃないですか。私、警察には未練はないけど、警部にはありますから」
「……イカれた理由だな」
「そこはちょっと位ときめいてください」
「無茶言うな」
「むぅ~。まぁでも仕方ないですね。私、成し遂げたい事がありますもん」
ペン回しをするようにナイフを弄び、弥生は己の手のひらに刃を突き立てる。
皮を裂き、肉をほじくり返す湿った音がして。やがて弥生は満足そうに頷くと、動かしていたナイフを引き抜いて、大輔の方へ手をかざす。
白魚を思わせる手のひらには、歪なハートマークが刻まれていた。
「私、貴方に恋してます。貴方を骨抜きにしたくて、したくて堪らなかったんです。本当はもう少し、貴方と一緒にいたかったけど……もう、私には時間がなさそうなので。最期に夢を叶えるんです」
音もなく、弥生が地面を蹴る。
身体の動きを常に観察し、その予備動作を見逃さなかった大輔は、冷静に横へ飛び跳ねた。
「……それが、お前の答えか? 骨抜き」
銀刃が空を斬り、弥生の歓喜を含んだ哄笑がその場に響き渡った。
「警部は今、私の全てを知りました。だから……私も警部の全てを調べてもいいですよね? 上腕骨の長さとか。頭蓋骨の滑らかさ。肋骨の反り具合――っ、ああっ! ダメ……。食器にしたいけど、標本にもしたいんです! どうしましょう!?」
「知るかぁあ!」
素早く懐に手を入れる。取り出したのは怪物殺しの拳銃、開拓者。だが――。それは恐ろしい速度で振るわれた蹴りにより、天高く弾き飛ばされた。
「ぐっ――!」
「そんな無骨で無粋なものいらないわっ! 警部、もっとよ! 骨を動かして!」
変態が……! と、内心で悪態をつきながら、大輔はもう一度弥生から距離を取る。
道中で会った怪物は、皆腕力が増しただけで、人間とそこまで変わらなかった。
レイのように糸や鉤爪のような搦め手を使うわけでもなく。
今まで相手どった怪物のように非常識な大きさの動物に変わる訳でもない。
一応、山城京子が生えてくる可能性が無きにしもあらずだが、元より相手と組み合う気がない大輔は、それに対する警戒は最低限のものにしていた。
「逃げないで下さいよぉ……!」
熱のこもった声が、すぐ目の前からする。逃げる大輔と、追う弥生。大輔としては距離を取りつつ隙を窺いたいのだが、弥生はそれを許さない。主導権が握られつつある現状に、大輔は小さく舌打ちした。
相手が並の犯罪者ならば、道中のように簡単に捩じ伏せられた。
相手がただ力に身を任せただけだったならば、柔と剛を併せ持ち、駆使すら出来る大輔の敵ではないのだから。
だが、そういった背景を踏まえれば、今の弥生は大輔にとって難敵だった。
大輔は弥生の実力を知っている。曲がりなりにも大輔の隣で副官を勤め続けてきた女だ。この時点で、他の有象無象とは一線を画していると言えよう。
更に……。大輔にとって最悪なのは、弥生もまた、大輔の身体能力や技を熟知していることだった。
「――フッ!」
流れるようにジャブを放つ。牽制の為に放たれた数撃を弥生は迷うことなく無視し、此方の懐に入ってくる。
伸ばされた血みどろの手。その手首をあえて掴み、捻り上げようとするが、弥生は此方の肘に己の肘を当て、簡単に拘束を外しつつ、素早く身体を反転させ、もう片方の刃を此方に向けて振り抜いた。
避けるのは間に合わない。そう判断した大輔は空いた手を押し出し、ナイフを持った手を掴む。
相手の回転に合わせて自身も流れに乗るように身を捻り、素早くそこからバックステップで距離を取り――。一転、強気に前に出た。
緩急をつけた正拳突き。だが、弥生が合わせるようにナイフを突き出してくるだろうと予想していた大輔は直ぐ様拳を引き、伸びきった弥生の腕と交差させるようにして、手首に手刀を叩き込んだ。
「――っ、のっ!」
うめき声と共にナイフが手を離れ、地面に落ちる。読み切った。
贅沢を言うなら、得物を遠くへ蹴り飛ばしたいところだが、弥生がそんな隙を許す筈もない。また、安易にナイフを求めて身を屈めるなんて愚行を犯す女ではないことを大輔は分かっていた。
再び、今度はお互いの片手が相手の手首を捕らえる。
力任せに捻ろうにも、今は弥生の方が力が強い。
この状態はいけない。常人離れした速度で大輔はそう判断する。数多に浮かぶ策は、多くの場数を踏んだ大輔ならではの強みだった。その中でも特に意表をつける一手を選択する。
それは、拮抗していた力を放棄する道。即ち、流れに逆らわぬ脱力だった。
「え――? あがっ!」
瞬間、戸惑いの色が、弥生の目に宿る。そこへ目掛けて大輔は相手に流されつつ頭突きを敢行し、同時に流水に身を任せるが如く脱力していた手のうち片方を捻る。
虚をつかれ、一瞬だけ力を失った腕を振り払い、そのまま肩を掴む。相手の視界は揺さぶった。現状で回避は不可能――!
隙ありと言わんばかりに弥生の鳩尾へ向けて大輔は膝蹴りを放ち――。
「読んでましたよぉ!」
だが、弥生もまた、歴戦の猛者であった。
興奮した叫びが耳を貫く。直後、相手の肩を掴んでいた大輔の腕が、今度は逆に弥生の腕によって捕らえられた。
鈍く反響するような音を立てて膝が砕かれる。膝蹴りを合わせられた。沸き上がり始めた痛みの中でそう察知した大輔は、もはや掴み合いのリスクを捨て去った。
相手の膝も同様に砕かれただろうが、そんなものは怪物である以上すぐに回復してしまう。
故に、大輔に残された手は、相手の力が発揮できないように制圧するのみ。その為には何としても弥生を引き倒す必要がある。
だが……。
「詰みですよ。警部」
躍りかかった大輔の胸元に衝撃が走り、視界がグラリと揺らいだ。
背中からの体当たりから脚を刈られたのだけが辛うじて分かった時、大輔の身体は、重力に逆らえぬまま地面へ叩きつけられた。
柔道の足技、小内刈。その変則技が一つ。捨身小内。現代柔道ではほぼ反則技となったこれを、弥生は体格差のある相手に好んで使っていた。そして、決まってその後に来るのは……。
「……捕まえた。あはっ、これ警部にヤッてみたかったんですよ~?」
警部、普段は私とスパーリングしてくれませんし。
そう拗ねるように弥生は耳元囁くと、女性らしい肉感的な身体を大輔に密着させる。仰向けに倒れた大輔は、既に四肢の自由を奪われていた。
縦四方固め。相手に覆い被さり手足を絡めることでそのまま抱き締めるようにして固めてしまう寝技である。
弥生曰く、お色気固め。この技で色々な意味で骨抜きにされた犯罪者を、大輔は幾人も見てきた。ついでに、制圧に向かんから止めろと何度も弥生に苦言を漏らしていた技でもある。
「オイ、どういうつもりだ? これで俺の動きは封じられても……」
「決定打にはならない。と? 警部、お忘れですか? 私今、怪物ですよ?」
恍惚に満ちた呼吸の気配がする。弥生の身体がピクン。ピクンと小さく跳ね上がるのを大輔は触れ合った身体から感じて……。直後、腹部に強烈な激痛がもたらされた。
「――っ!? ぐ、あ……!」
辛うじて、悲鳴を押さえる。だが、同時に大輔はそれが紛れもない致命傷になりうる事を悟った。
何かが……腹の肉を潜行して。ウネウネと、中をかき回している。気の遠くなりそうなおぞましき攻撃は、大輔の意識をぐらつかせた。
「警部、痛いでしょう? でもごめんなさい、私は気持ちいいです。わかりますか? 今、警部と私の身体、繋がってるんですよ?」
眠りに誘うようなウィスパーボイスが、大輔にのし掛かってくる。締め上げる手足の先で、弥生の指は絶えず誘惑するかのように大輔の肌を弄んだ。
「私、考えたんです。警部の骨、抜きたいな。食器にしたいな。アクセサリーにしたいな。ペロペロしたいなって。けど……一回だけなんて、やだなって」
「なに、を……!」
浮かぶ脂汗が、肌を伝い落ちていく。力が上手く入らない。動けてもほんの僅かな間だろう。それだけで、弥生の拘束を脱して反撃するのは……もはや大輔には不可能だった。
故に……。
「だからね。考えたんです。そうだ。警部も私と一緒にしてしまいましょうって」
それは、大輔にとって死の宣告だった。
「お、前ぇ……!」
「怪物なら、何度骨を抜いても平気ですよね。怪物なら、警部と一緒にいれます。怪物なら……! ああっ、どうですか? もういっぱい、沢山っ! 警部のお腹に……!」
顔を赤らめ、涎を滴らせながら、弥生は荒い呼吸を隠そうともせず、艶かしく腰を動かした。その度に、大輔の腹を貫いていた何かが、歓喜するかのように痙攣し、意識のなかへノイズを混じらせる。
「警部、もう間に合わないですよ。私と一緒に、苗床になりましょう? 法律も倫理もいらないの。私達は……」
猫がじゃれるように、弥生は大輔に頬擦りする。汗ばみヒヤリとした肌が吸い付き合う。大輔はその中で……全く別の事を考えていた。
――レイ、お前は、こんなものを乗り越えたのか?
自分が自分じゃなくなるような。全てを塗り潰されるような絶望の中で、尚、あの娘を愛しく想って?
その時。大輔は生まれて初めて恐怖を感じた。
強い子だとは思っていた。方向はいささか歪なものでも、信念がある……と。
だが、これは何だ? 緩やかに死と快楽を迎えながら行きつく先は……絶望だった。
人間であることを捨てる。口で言うのは簡単だ。しかし、そんな境地は心の強さ。精神力では説明がつかない。そう言い表してはいけないのである。
寧ろそれは……。
「……狂気、だな」
震えるように声を絞り出す大輔に、弥生はピクリと反応する。その顔が、的はずれな歓喜で彩られるのを、大輔は他人事のように眺めていた。
「警部、やっぱり貴方は最高です。ほら、少し休んで? 添い寝してあげます。起きたら私達は……」
「お前じゃねぇよ雪代。狂気ってのはな。当人が自覚ないままで宿しているものだ。お前のは……底が知れている」
掠れ声で罵倒しながら、大輔は嘲りを込めて笑う。それを見る弥生の顔が凍りつくのを愉快に思いながら。
「俺は、行かんぞ」
「……は?」
「俺は……死んでも、怪物にはならん……!」
静かに。だが、熱さを込めて高らかに大輔はそう宣言する。
片足をほんの僅かに突っ込んだだけで分かってしまった。それは、大輔が至ってはいけない領域だと。
「俺まで怪物になったら……、誰がレイを覚えている〝人間〟になる……!」
残された力を振り絞る。四肢は動かない。それがどうしたと、大輔は己に檄を飛ばす。
「俺が怪物になったら……、誰が人間でありながら、怪物と歩む道を模索する……!」
それは、レイと交わした約束でもある。遠く、青く。現実的ではない道だ。だが、怪物にも意志がある事を。誰かを愛しく想う心がある事を大輔は知っている。それがたとえ狂気にまみれたものではあっても。
歩み寄ることを。知ることを放棄してしまえば、分かり合える日は永遠に来ないのだから。
「俺が、怪物になったら……。またアイツがいらんものを背負う事になるだろうが……!」
死力を尽くして大輔は吠える。だが、辛うじて動かせるのは、不意をついて拘束を外せた腕一本のみだった。
「憐れですね警部。格好いいですけど、それだけですか。」
エライ、エライ。と、弥生の手が大輔の頭を撫でる。
既に弥生は勝ちを確信していた。大輔に回復の手段はない。どう転んでも、彼は時間に殺される。互いの下腹部を濡らす、おびただしい出血が何よりもそれを物語っているのだから。
だが、弥生は失念していた。小野大輔という益荒男が見せる、土壇場での驚異的な底力を。
「憐れなのはお前だ、雪代。妙だと思わないのか? 道中で、俺は怪物らと鉢合わせしている。〝刑事〟としてそいつらをどう制圧したのか」
「……そんなの、開拓者の抹殺者で……」
「俺が! 怪物とはいえ、姿は指名手配犯の奴らを殺すと? 脱獄や犯した罪を語らせないままに殺すと……本気で思っているのか? なら……」
やっぱりお前は、底が知れた憐れな犯罪者だよ。
大輔はそう呟くなり、自由な方の手をツナギのポケットに忍ばせる。
取り出したのは注射器に似たアンプル。麻酔銃として放たれる、開拓者のバリエーションの一角――、収穫者の銃弾だった。
「それは――、いぎっ!」
驚いた弥生が、僅かに身体を硬直させる。その隙を見逃さず、大輔は彼女の首に噛みつくと、渾身の力で表面の肉を噛みちぎった。
当然、これでは彼女は止まらない。だが、その傷こそが、大輔が僅かに見い出した勝機だった。
狙い済ましたアンプルは、弥生の首に打ち込まれた。
「お前が怪物なら、この上なく効く筈だ!」
拘束が更に緩んだ所を見計らい、弥生の腹部を力任せに蹴りあげる。同時に、柔らかいものが破れる音がして。大輔は、改めて己の状況を省みた。
「……やべぇな、コレ」
止血すればいいというレベルを越えていた。そこそこ分厚いツナギを破く力は残っていない。かといって、脱げばパンツ一丁になってしまう。止血の為に凍死したら本末転倒である。
「警、部……」
呻くような声を耳にして、大輔はそちらに目を向ける。弥生が倒れ、痙攣しながら此方を見つめていた。
「……もう、無理ですよ。私達、ここに来た時点でダメなんです。〝核〟は今……胞子を撒き散らしてる。ここもじきに……」
投げ槍な声を聞いた時、大輔は弥生が本性をさらけ出した理由が分かったような気がした。
桜塚も逃げろと言っていた。つまるところ、ここは、大神村はこうなる運命だったのだ。
「知らねぇ、よ」
だが、それでも大輔は怯まなかった。ふらつく身体を何とか立ち上がらせ、ゆっくりと弥生の元へ近づいていく。
「お前は……犯罪者だ。けど同時に……俺の、部下だ。だから……最後まで面倒……みて……や……」
しかし、大輔が有する不屈の精神にも、遂に限界が訪れた。足元から崩れ落ちるように大輔はその場に倒れ伏し、後は弥生の悲しげな息遣いだけが残る。
「……この世で一番綺麗な死に方って、心中だと思うのよね」
弥生はそう独白し、目を閉じた。
「あの世があるなら、またやりましょうね。……警部は間に合ってるって言うんでしょうけど」
核が死んだとして、自分がどうなるかも。そもそも大輔が怪物化するかもわからない。何もかもが謎に包まれた砂上の楼閣というべき己の状況を自嘲しながら、弥生は意識を闇に落としていく。
「……無茶をしすぎなんだよ。貴方達は」
「……ご主人様、どうしますかぁ? お望みなら、カイナが二人ともゴックンしちゃいますよ?」
すぐ近くで耳に届いた、どこかで聞き覚えのある男女の声。それが、弥生が最後に感じた全てだった。




