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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ四 愛憎の最終紛争
201/221

83.嘲笑したのは誰か

 背後で、二人分の感情が一気に爆発するのを直感した。

 きっと大輔叔父さんが雪代さんの所にたどり着いたのだろう。後の行く末はもう誰にも分からない。だから、僕に出来る事は、叔父さんを信じることだけだった。

 分校の校門をくぐり抜け、なだらかな坂をのぼりきると、木造二階建ての分校が見えてくる。その手前に広がる校庭こそ、僕達の目的地だった。

 そこには、焼け焦げた死体の臭いと、〝彼女〟の存在がありありと感じられて。


「あっ、レイくんだぁ~! やっと来てくれたのね!」


 狂喜の笑い声が響き渡る。その声の主を確認した僕は、分かってはいても存在を認めたくはなかった。

 京子が僕らを待っていた。それだけなら嫌すぎても話は簡単だったのだ。そこにいる京子は……。もはや人としての見た目を保っていなかった。

 悪夢にでも囚われたかのような気分になり、僕は思わず天を仰ぐ。

 増える京子だけでも泣きたくなるくらい怖かったというのに。

 今度現れた京子は全身から胞子のような煙を吹き出し、不気味な茸を生やして、ケタケタ笑っていた。

 嫌な想像はよく当たる。目を背けたくなるようなその異形こそ、茸の群体を統括する核というべき存在なのは間違いなかった。

「それも、君から言わせたら芸術なの?」

「非日常は芸術よ?」

「酷い暴論だ」

「暴論も貫き続ければ正論になる。俺の持論だよ」

 呆れてものも言えず、僕が肩を落としていると、別の方角から男の声がした。無精髭とボサボサに乱れた髪の、白衣を身に纏った男。松井さんが此方に歩いてくる所だった。

「……いたんですね」

「酷い話だ。言っただろう? 俺は彼女のつがいだぞ?」

 その割には、京子と違って、ちっとも僕の直感が危険と判断しないのは何故だろうね? そんな皮肉を辛うじて飲み込んだ。

 この人は被害者だ。たとえ同情の余地がなかったとしても。

「その京子が、核ですね」

「おや、まだ君には俺達の説明はしていない筈だが?」

「だいたいわかりますよ。けど、果たして彼女は貴方の思惑通りに動いてくれているのかどうか」

「おいおい、見くびらないでくれよ。この茸を育て上げたのは俺だぞ? 姿形は山城京子の姿や記憶に引きずられている。だが……伴侶(モルモット)の手綱はしっかり握っているつもりさ」

 君のように恐怖から何も出来なくなるなんて、有り得ない。そう言って、何も知らない彼は嗤った。

「京子じゃ、ない?」

「いかにも。あくまでもコイツらは、山城京子の死体に取りついた、菌類の怪物だ。最初は脆弱この上ない存在だったが、俺の尽力で、徐々に少しずつ、力を蓄えていった。彼女達の核が言ったのだ! 俺と共に新たな生態系を作ろう――とぴゃっ!?」

 一応驚いたフリをすれば、松井さんは得意気に歯を見せる。すると、突然その横腹が、プシュッ! という空気が抜けるような音と一緒に吹き飛んで。直後、校庭のずっと遠くにあった、掲揚塔が爆散した。

 引き起こされた惨状に、僕は溜め息をつきながらその元凶へ目を向ける。蜂の槍を両腕に構えた怪物は、不満げに口を尖らせていた

「…………あの、今話してて」

「レイ……ずっとアイツとばっかり」

「そこは仕方ないって思おうよ」

「だってつまんない。ついでにあの女も狙ったけど、避けられたし」

 口から血反吐を撒き散らしながら崩れ落ちる松井さんと、その隣で相変わらず涼しい顔で笑っている京子の構図は、僕の中で嫌な予感を加速させるには充分だった。

 ウォーターカッターを何倍にも強化したかのような威力の毒液噴射。それをあっさり避けてしまう辺り、核と言うべき京子は、恐らく他の有象無象の京子とは違うのだろう。

 彼女はねっとりした視線を僕に向け、やがて肩を震わせながら笑いだした。

「死んだフリ、止めたらぁ?」

「すまないね。少し調子に乗った」

 松井さんが起き上がる。吹き飛んだ腹には……無数の茸がぎゅうぎゅう詰めにされ、欠損した部位を補うように密集していた。

「茸はしぶといんだ」

 そう笑いながら、松井さんは両手を広げる。もう終わりかい? と、挑発する顔。その途端、傍らにいた怪物がムスーッと、膨れっ面になるのが分かった。

「さて、レイ君。俺達はいつでも逃げられた。この生者がいない村で、俺達の血族を実際に蔓延させてみる実験にも成功した。目的は果たされているんだ。では、どうしてこうして君達を待っていたと思う?」

「……僕らを滅ぼす為?」

 ドローンに、強襲部隊。茸の京子達。彼が僕らに向けていた殺意は計り知れないものがあったからだ。だが、松井さんは違う。と言わんばかりに首を横に降った。

「違う。そんな勿体ないことはしない。君らは貴重な、現在発見されている唯一のアモル・アラーネオーススだ。みすみす処分したりするもんか」

 標本を見るかのような目が僕らに向けられる。それだけで、彼がだいたい意図することは読み取れてしまった。

「俺の強襲部隊に、君たちをスカウトしたい。素敵な話だろう? 今のままでは君らは害悪な怪物だ。そんなものより、市民を影から守るヒーローにならないかい?」

「世界を自分の血族で塗り潰すなんて言ってたよね?」

「理不尽な世界を壊した上で、その社会において地位を確立する。ごくごく当たり前の承認欲求だよ」

 松井さんの言葉を聞いている京子の目が、妖しく細められる。プシュプシュと、白い胞子を大気に舞わせる姿は、僕が子どもの頃にテレビで見たヒーロー像とはあまりにもかけ離れていた。

「因みに断ったら?」

「……怪物に人権があると思うかい? そうなれば少し骨が折れるだろうが、捕らえて、俺達の菌糸を埋め込む。晴れて俺達の仲間入りだ」

「……ジョン達みたいに?」

「ああ、そうだね。勿論、桜塚さんとカイナちゃんのように、進んで仲間になってくれるなら、話は別だ。監視の目はつけるが、菌糸は使わないと約束しよう」

 その二人の名前を聞きながら、僕はもう一度松井さんを見る。自信に満ち溢れた顔と、興奮で爛々と輝く瞳がそこにある。僕が最後に見た彼も狂ってはいたが、ここまでではなかった。あの時は人間だったのだから当然だろう。

 変わったきっかけは……。言うまでもない。

 全ての元凶に目を向ける。京子の目は……初めて僕に自分の本性を語った時と、同じ顔をしていた。

 捕らえた獲物を弄び、暇を潰す猫に似たそれは、仲間を歓迎するものでは決してない。あっちについたら最後。彼女は松井さんの言葉など聞かずに、僕らに襲いかかるのだろう。いいや、どのみち彼女と対峙した時点で、僕らはどうしようもなくこうなる運命だったのだ。

「質問に質問で返すようで悪いけど、僕もそちらに謎かけさせて貰うよ。ここから逃げられたのは、僕らも一緒なんだ。にも拘らず僕らがここに来たのは何故だと思う?」

 ゆっくりと、手を鉤爪に変えて行く。この行動だけで、交渉が決裂したのが分かったのだろう。松井さんは心底残念そうに肩を落とし、頭を振った。

「最大の障害だったエリザは、俺達に敗北した。レイ君。君と君の怪物がいかに強くてもね。無限に沸いてくる俺達の血族全ては相手に出来まい。ましてや……」

 呆れたように松井さんは鼻を鳴らす。京子はその横でおかしそうに口を抑えていた。

 うなじが少しずつ、ざわめいていく。京子と、松井さんが、思考を戦闘に切り替えていくのを直感すると同時に、〝新たな脅威〟が、遥か遠くから物凄い勢いで向かってくるのが分かる。人間はおろか、並みの獣では追い付けないスピード。

 それは、確かな殺意を撒き散らし、地響きを轟かせながら此方に近付いてきていた。

「仲間がいるのは、君たちだけだと思ったかい?」

 嘲るように松井さんがそう宣った時、校庭の奥に見える崩れかけた分校の一角が、爆弾でも炸裂したかのように吹き飛んで。

 土煙を置き去りに、巨大な獣が雄叫びを上げながら現れた。

 熊だ。リリカ達の毒で無力化し、村の外れに投げ捨てた筈の熊の怪物が、怒りの叫びを発しながら、僕ら目掛けて突撃してきた。

「ウゥウォオァ!!」

 五本爪を振り上げて、熊の怪物は地面を蹴る。

 巨体に見合わぬ驚異的な速度は、日本最大の肉食獣が誇る強靭な筋肉と馬力にものを言わせた荒技だ。

 かするだけでも致命傷。直撃すれば即座にバラバラにされてしまうであろう死の突進を――。僕は肌で感じつつも、目線は京子からそらさなかった。

 隣の怪物が思わず反応しかけるが、それも手で制止する。直感が。心が囁くのだ。最大の恐怖から目を背けるなと。

 それに、松井さんの言う通り、今の僕らには油断できぬ隣人がついている。

「あら、いきなりキングを取りに来るなんて、死にたいのかしら?」

 涼しげな声がすると共に、空から少女が舞い降りる。半人半蜂の、紛れもない全力状態になったリリカは不敵に笑い、僕らの間に割って入った。

 小さな幼い少女の手が静かに振り上げられ、握り拳を作る。腰を落とし、静かに息を吸う気配が耳に届き。直後、気合いを爆発させるような一喝と共に、頭蓋骨が砕ける鈍い音がした。

「ル……ウゴォ……!」

「もう十月よ。熊はさっさと冬眠の準備でも始めるのね」

 一際大きく地面が揺れる。迫りくるような威圧感が消えて、そこに残ったのは怒りの感情と、ドス黒い害意のみだった。

「俺が行くと言っただろう」

「あら、いいじゃない。動物、嫌いなのよ……熊は特にね」

 リリカはまるで汚ないものでも触ったかのように手を払う。その隣で洋平がまるでボディガードのように佇みながら、少しだけ困ったように苦笑いした。

「……リリカ、洋平」

「皆まで言わなくていいわ。あそこの熊でしょう?」

「今度は殺すなだなんて、甘っちょろいことは言うまいな?」

 僕が無言で肯定すれば、二人は待っていたと言わんばかりに頷いた。

「気をつけて。最初に遭遇した時とは違う。彼女の中にも、間違いなく京子の菌糸がいる」

「あら、お得意の直感かしら。まぁ、貴方が言うなら気を付けるわ。あっちの茸コンビはお願いね」

「此方は任せろ。仮にもう二、三匹怪物やらが来ても気にするな。全て俺達が引き受けよう」

「ありがとう。増えるとしたら……多分人間二人と、怪物が一匹だ。……〝人間の方に〟気を付けて」

 僕の発した警告に、二人は最初は面食らった顔をしていたが、やがて意味を理解したのか、納得したように頷いた。

「直感の域を越えちゃいないかしら? ここまで来れば未来予知ね」

 からかうような。それでいて彼女は知るよしもないが核心をつく一言を最後に、蜂の怪物達は飛翔する。

 僕はそれを見送ることなく、その場から一歩踏み出した。

「別れは済んだかな? では、生存競争といこうか」

「そうですね。……ああ、そういえば松井さん、貴方に言っておきたい事があります」

 ニヤニヤ笑いを崩さない京子を睨んだまま、僕は沢山の勘違いを重ねる松井さんの中でも、特大の一つがあった事を思い出す。

 彼は言っていた。エリザが敗北したと。確かに、端から見ればそう見えるかもしれない。だが……。

「僕らがエリザを負かした。それは大きな間違いです。……アイツは、最後の最期で一人勝ちしました。僕も貴方も、アイツの手の上にいたんだ」

 その一言で、松井さんの表情が凍りつく。「なにを……」と、口ごもる彼は、結局反論らしい反論が出来ぬまま、ギチリと唇を噛み締めた。

 顔に広がるのは、自分が理解出来ないものへの動揺と恐怖。

 それを見てとった僕は、わざとらしく。精一杯不気味に見えるように嗤ってみせた。

 そうすることで、初めて切り札をきる準備が整うのだ。心底不本意だが、エリザから学んだことがある。彼女曰く――狡猾かつ慎重な人間ほど、精神攻撃には弱い。


「今から少しずつ、貴方の心を折らせて貰う。知らないだろう? 松井英明。エリザは……まだ生きてるよ?」


 その告白を聞いた松井さんは、哀れな程に青ざめていた。


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