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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ四 愛憎の最終紛争
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82.怪物の女

 焼け焦げて崩れ落ちた家々からは、生臭い香りが立ち込めて来ていた。瓦礫をひっくり返さなくても、何があるかなんてわかりきっている。哀れな犠牲者か。蜂となった後に強襲部隊に殺されたのか。どちらにせよ、この村は今、あまりにも死に満ち満ちていた。

 そこでふと考える。今回の騒動で、一晩にしてあまりにも沢山の人間が死亡した訳だが。これを社会はどう捉え、広めていくのだろうか。

 揉み消す……のは無理だろう。そうするには死体の数が多すぎる。だとしたら……。

「レイ、いたよ」

 考え事に耽っていると、すぐ隣から怪物が囁く。

 足を止めてゆっくりと顔を上げれば、そこに、少し前に合わせた顔があった。

 毛先だけほんのりとウェーブがかけられた綺麗な黒髪は、今は血や泥に汚れ、少しだけごわついているように見える。

 同様に、身に纏うスーツもどことなくくたびれてしまっていた。この土地に来てから、彼女もまた、あらゆる思惑の元に動き回っていた証拠だろう。

「……雪代さん」

「……レイ君、かぁ」

 あからさまに残念そうな顔で、雪代さんは肩を竦める。肌がいつも以上に白く、玉の汗がほんのりと浮かんでいた。

 然り気無く、彼女の身体を見える範囲で観察するが、おかしい所は見受けられない。そう、今まで僕が見てきたものが正しいならば、彼女の身体の何処かは肥大していなければならない。

 僕の推測が正しければ、彼女に取りついている怪物は、京子の茸なのだから。

「…………そこ、退いてくれませんか?」

「警部を連れてきてくれたら、退いてもいいわ」

 分校へ繋がる正門の前に立ちふさがったまま、雪代さんは薄ら笑いを浮かべる。隣で怪物が、手を鉤爪に変える気配がして、僕は慌てて彼女を制止する。好戦的なのは結構だが、今は彼女から出来るだけ情報を引き出したかった。

「通ってどうするの? この先には……」

「京子の核がある。でしょう?」

「あら、よくわかったわね」

「……動物的な勘だけが取り柄なもので」

「あはっ、胡散臭いなぁ」

 僕がわざとらしい笑みを浮かべれば、雪代さんもそれに応える。隣で怪物が唸るような声を出すのが聞こえたが、顎の下をかりかりしてあげることで今は黙って貰った。

「通したらどうなるんです? 例えば……核が潰されたら不味いとか。……いや、貴方がどうなってしまうかが未知数ってとこですかね」

「……全部わかって、私と蜂の巣に乗り込んだの?」

「いいえ、気づいたのは途中から」

 その言葉に目を細める雪代さん。説明してみて。そう目は語っていた。

「まず口調。あの時貴女は、自分を〝あたし〟叔父さんを警部ではなく、〝大輔叔父さん〟と呼んでいた」

「……あら、それはちょっと断定するには弱くない?」

「それはわかってます。けど、違和感があったのは事実です」

 反論させる暇は与えない。彼女が言うとおり、この理由は弱いものだが、次に話す事実は、どうあっても覆りようがないのだから。

「……貴女は、蜂の本拠地であるあの場所に、開拓者(パイオニア)と隠し持っていたメス以外は何も持たずに入り込んだ。あの〝真っ暗な洞窟に〟」

 常人以上に夜目が効く怪物達だからこそ、僕やエディ、カオナシらはあの場所を苦もなく進めたのだ。

 だが、雪代さんは違う。生身の人間である筈の彼女が、先導があるとはいえ、あんなにもスイスイ進める事がまずおかしい。それが出来るようになるといえば……雪代さんが怪物になっている。そう考えれば、全ての説明がつく。あの時点で、雪代さんは京子の菌糸に侵されていたのである。

「ただ……どうしてもわからない事もあります」

「あら、なぁに?」

 首を傾げながら、雪代さんは妖艶に微笑む。その姿は……他の感染した人間達とは違う、明らかな理性があった。

「……本当の京子なら、僕に協力する筈がない。背中から不意打ちをくらわして、リリカ達に差し出すくらいの事はする。あるいは、ギリギリまで一緒にいて、漁夫の利を獲るか」

「ある意味で信頼ね」

「さんざん怖い目にあわされたので」

 僕がそう言えば、雪代さんは指で髪をクルクルと弄りながら、僕から目を逸らし、ゆっくりと口を開いた。

「種明かしをしましょうか。全部は難しくて語れないわ。私は一度殺されて、後から真実を知った口だから」

「……お願いします」

 本当はたった今真実を手に入れてはいるけど、直感に従って話を聞く。

 今はそれが正しいと分かるのだ。

「松井さんが作った、プロジェクトB.A。あれは、本人は認めない。いえ、気づいてないが正しいかな。不完全なものだったの。死体に取り憑いていた茸の怪物でクローン的なものを作ったはいいけど、あくまでもそれは茸の怪物が彼女の人格を真似していたに過ぎない」

「だから、不完全な京子では、貴女みたいな犯罪者に取り付くと、時間さえかければ逆に抑え込まれてしまう?」

「そういうこと。正確には犯罪者としての側面が強くなるから、犯罪予備軍も完成してしまう。殺人者養成菌類ってやつ? 逆に、殺人者として落第なら、山城京子が生えてくるか、あるいはその意識を全て取り上げられてしまうの」

「……ジョン達、強襲部隊の面々みたいに?」

「あれは、彼らの反逆を防ぐ為だけじゃない。強力な彼らを、もしもの時、比較的安全に処理するためでもあるらしいわ。で、侵食のトリガーになっているのは、核の個体と、それを制御する松井さんってわけ」

 ピリピリと、うなじがひりつく。そこを起点に背骨をなぞり、沸き立つような熱が走った。

 〝そろそろ〟だ。

「じゃあ、京子が生えていなかった、村で残虐行為を繰り返していた連中は……」

「犯罪者よ。強襲部隊において、開拓者(パイオニア)を持たされていない人間……一般兵の面々は、そもそも死刑が確定した者達で構成されているの。地球外生命体を調べたりする上ではうってつけな捨て石だわ」

 しっかり時間を計算する。背後から来るのが〝あの人だけ〟なのは気になるが、今はもう、細かいことは気にしていられないだろう。

「……無駄話が過ぎましたね。〝知りたいことは知れました〟……通して貰えますか?」

「やだってば。核を殺す気でしょう?」

「そうですね。松井さんと……特にその核たる京子は見逃せないので」

「じゃあダメ。警部に会うまで死ねないの。どうしても通るなら、力ずくで――っ!」

 そこで不意に雪代さんの顔が強張って、彼女は弾かれるようにその場から飛び退いた。

 白い閃光にも似た二つの噴流が、ついさっきまで雪代さんの立っていた場所を強かに叩き、小規模な土煙を上げる。

「驚いたわ。完全な不意討ちを決めたと思ったのに」

「茸の怪物になったとはいえ、それで反応速度が向上したとは思えん。今のは、あの女刑事が元から持ち合わせていたものだろう……怖い女だ」

 振動するような羽音と一緒に、上空からリリカと洋平が舞い降りてくる。

 周囲の露払いを命じていた二人が降りてきた理由は何となくわかり、僕は口を開きかけた洋平を手で制した。

「多分、後ろから来る人についてだよね?」

「ああ、そうだ。ついでにあの女と揉めていたようだから、攻撃してみたんだがなぁ」

「人間とは思えない奴によく会う日だわ。で、レイ、どうするの? あのおじ様は……」

「大丈夫。あの人の目的は僕じゃないから。雪代さんも無視して進もう」

 短くそう告げれば、二人は頷いて再び空に舞い上がる。

 それを見送ることなく、僕はそっと傍らの怪物に手をとった。

「走るよ」

「あの女殺さないの?」

「そんな物騒な発想は止めなさい」

 何でこの娘は邪魔イコール殺すという考えにいたるのか。そんな呆れやらが入り雑じった感情で嗜めると、怪物はちょっとだけ不満顔になり。だが、やがて握られた手に視線を向けると、途端に幸せそうな顔になった。

「ダメ、こうがいい」

 入れ換えるように手を動かし、指を組み合わせるようにして手が握られる。俗にいう恋人繋ぎだが、何故だかそこには妙な圧迫感があった。

「どうにでもして。……いくよ」

 無言のもう離さないという念に少しだけ戦慄しつつ、僕らは走り出す。一瞬だけ速度を遠慮しかけたが、彼女にはそんな気遣いは無用だった。

 悲しいかな。彼女の方が僕より速いらしい。

 そして――。

「ダメって言ってるじゃない」

 雪代さんも速かった。いつの間にか肉薄した彼女は、絶妙に僕側に迂回して距離を詰めてくる。怪物のリーチ外から、僕の方へ。ギラついたサバイバルナイフを逆手に持ち、稲妻のようなスピードで、刃が振るわれた。

「――っ」

 勿論、それに当たってなどいられない。刃が来る場所は予測できている。怒りに鉤爪を軋らせる怪物に肩を入れ、雪代さんから飛ぶように離れた。

 超直感やらがなかったら、ナイフは完全に当たっていただろう。叔父さんといい、強襲部隊の女隊長さんしかり。人間って何だろうと言いたくなる。

 そして悩ましいことに、こういう輩が、何だかんだで一番難敵なのだ。だから……。

「雪代さん、……貴女の望む人は、すぐそこにまで来ています」

「……!」

 ハッタリではない。勿論必要に応じてそれを使う機会はあるだろうが、今回は正真正銘の真実だ。

 すると、彼女が纏う空気が変質した。殺気や悲壮感はそのままに。歓喜と興奮が一緒になった淫靡な笑みが浮かべられる。 

「…………本当に?」

「ええ」

 品定めするような目が向けられる。僕はそれを受け、睨み返した。

「いいの? 私、殺す気だよ?」

「知ってます」

「身代わりってやつ?」

「そんな訳ないでしょう? 適材適所。僕じゃ貴方は救えないからですよ。それにあの人も貴女を探している」

「まぁ……」

 雪代さんの目が輝きを増す。奇しくもそれは、僕に襲いかかる京子のそれに近かった。

「退いて貰えますね? 僕はあの人に会えない。しょっぴかれちゃうらしいので」

「はぁい。いいよ~。てかとっとと行って。邪魔。ああでも、お別れの挨拶位は……しとく?」

 道を空けた雪代さんが、意地悪な顔で舌舐めずりする。だが、僕はそんな挑発的態度など気にもせずに、そこを通り抜けた。

 ピリピリした痛みが引き始め、ようやく痒みにも似た再生の感覚が、〝切られた頬〟に這い上る。

 そう、来る場所はわかってはいた。だが、それでも完全には避け切れなかったのである。

 考えてみれば、雪代さんはずっと地球外生命体とあの大輔叔父さんの隣で副官として戦い続けてきていた。洞窟にいたカマキリの怪物だって、彼女が仕留めたのだ。弱いわけがない。寧ろ、とんでもなく強くて然りだ。

 けど……。

「挨拶なんかいらないよ」

 僕がそう答えれば背後の雪代さんが首を傾げる気配がした。わかってないらしい。なら、教えてやろう。


「叔父さんは僕のヒーローだよ? 貴女なんかに負ける筈がないでしょう?」



 ※


 雪代弥生の気分はまさに恋する乙女だった。

 めいいっぱいお洒落して、大好きな人の所へ。そんな甘酸っぱい青春の味。それは、自分がとうの昔に忘れていた筈の感情だった。

 高鳴る鼓動を自覚しながら、弥生は今か今かとその時を待っていた。

 自分は犯罪者だ。

 そう、刑事になってからも。

 欲望のまま、快楽に従って動いていた。

 後悔は微塵もない、適度に満たされた日々の中で……弥生は運命に出会った。

 きっかけは、何気ない一言だった。仕事の現場である犯罪者の心理をピタリと言い当てたという、刑事としてはありふれた……というのも奇妙だが、そんな一風景。

 弥生はそこへ強烈に惹かれたのである。

 犯罪者は、幽霊のようなものだ。誰も知らない。見えない筈の存在。そこにあの男は気づいた。気づいてくれた。

 『骨抜き事件』

 警察が抱える未解決案件の一つ。一ヶ月に一度起こる殺人、その全ての被害者から、どこかしらの骨が引き抜かれていたという、謎めいた事件がある。

 犠牲者には全く接点がなく、性別や年齢もバラバラ。故に誰もが単純な気狂いと推測していた。

 だが……ある男は違った。誰にも知られたことのない、骨抜きの怪物……雪代弥生の正体を、男は看破してみせたのだ。

『案外、ただ骨が好きで、綺麗な骨格してたから欲しくなっちまったのかもな』

 もしかしたら、ただ適当に言ってみただけだったのかもしれない。だが、それでも、弥生の興味をひくには充分すぎた。

 ああ、骨がある人だ。

 それ以来男は、弥生の中では最大の標的として君臨し続けている。

 いつか必ず、この手に堕としてやりたいのだ。屈強なその身も、鋼の心も、逞しき骨も……全部。全部。そうすれば……。


「よぉ、雪代。ようやく見つけたぞ」


 月を見上げながら思い出に浸っていると、不意に眼前から野太い声がする。

 聞きなれた、忘れもしない響きに、弥生は子宮の奥が蠢き、むず痒くなる戦慄を覚えた。

 そこには、何故かツナギに身を包んだ、精悍な顔立ちの男が立っていた。

 半身になり、油断なく。鋭い視線は真っ直ぐ弥生に向けたまま。荒々しくもどこか気高さを感じさせる佇まいは、狼の頭目を思わせる。

 小野大輔。

 弥生の上司であり、標的だった。

「話したい事はいっぱいあるんですけどねぇ。まぁそんな時間もないかも知れませんから、手短に」

 弥生もまた、静かに臨戦態勢を取る。片手にナイフ。腰を落としいつでも動けるように。

「……警部、今夜空いてます?」

 犯罪者として。そして女としての下心を乗せた、いつもの誘い文句。

 柔らかな微笑と一緒に歌うようにして紡がれた甘い言葉は、普通の男ならば一発で骨抜きにすることだろう。だが、大輔は。弥生の想い人にして、甥にヒーローとも謳われる益荒男は、「間に合ってんだよ。バァカ」の一言で一蹴し、男臭い獰猛な笑みを浮かべた。

 犬歯を剥き出しにするような、それは、犯罪者と対峙する時の顔。弥生の中でも密かに一二を争う、心を揺さぶり、潤してくれる表情で。


「たった今、お前をしょっぴく予定で埋まったとこだよ――雪代ぉ!」


 大輔が吼える。

 その瞬間、弥生の中に残されていた理性は歓喜の絶頂と共に弾け飛んだ。

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