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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
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19.疑惑と好奇心

 『鷹匠大学美術棟・創作室』。阿久津純也がその部屋に入ると、約束していた女は既に到着していた。

「よう、来たぜ」

 純也が声を掛けると、その女は作業していた手を止め、こちらに向き直る。

 女の名前は山城京子。ショートヘアに、丸い瞳。心地よいソプラノの声が印象的な、美人というよりは可愛らしいに分類される女性だと思う。

「いらっしゃい純也君。ごめんね! 散らかってる上に作業しながら話すことになっちゃうけど……」

「いや、急に話があるって押し掛けたのは俺だからな。寧ろ忙しい中時間作ってくれてありがとう」

 純也がそう言うと、京子は少し申し訳なさそうに作業に戻る。純也は芸術などには疎いので、それが油絵なのか水彩画というやつなのか区別がつかない。しかし、そんな素人な純也から見ても、京子が描くそれは未完成ながら既に見事な作品としての風格を匂わせていた。

「それで、話ってなぁに?」

 流れるように絵筆を振るいながら京子が訪ねてくる。純也は適当に椅子を見つけて腰かけると、話したい事の内容を簡単に説明する。

 友人であるレイが大学に来なくなって、もう三週間になろうとしていること。

 そのレイと数日前に偶然再会し、自分の部屋で馬鹿話をしながら飲んだこと。

 深夜、そのレイが何やらおかしな言葉を口走ったかと思うと、「最近色々あって不安定になっている」と、言い残して部屋を出ていってしまったこと。

 そして、やはり心配でレイを追いかけたら、公園で嘔吐するレイと、ジャングルジムに磔にされた不気味な死体を目撃したこと……。

「し、死体? それに公園って……ニュースでやってた連続猟奇殺人事件に遭遇したってこと?」

 驚いたように目を見開く京子に、純也はゆっくり頷く。どうやらレイからその話を聞いてはいなかったらしく、京子は目に見えて動揺している。

「ああ、でも、その事件自体はもう大丈夫だ。一応第一発見者として事情聴取を少し受けたくらいさ」

 警察曰く、死亡推定時刻から見ても、純也やレイには犯行は不可能とのことらしい。

「それよりも気になるのはさ。この間会った時に気づいたんだけど、レイの様子が何というか……少しおかしいように感じたんだ。大学も結局全然来てないみたいだし、何か心当たりとかないか?」

 京子はレイの恋人だ。もしかしたら、自分と同じような違和感を感じているかもしれない。そう思って純也は彼女に相談を持ちかけたのだ。

「……やっぱり、純也くんもそう感じたの?」

 案の定だった。京子は完全に作業を止め、神妙な表情でこちらに向き直る。

「何ていうのかな、あたしが心配で部屋に行った時は、その、支離滅裂な? 言動はなかったけど、何かそわそわしているような……落ち着かない感じだったの。大学に来ない理由は体調不良って言ってたけど……」

「確かに顔色悪かったし、痩せてたが……体調ヤバイなら酒は飲まないよな?」

「うん……そうだよね?」

 あの日のレイは、何処か枷が外れたかのような、そんな解放感に満ち溢れていたように見えた。あんなにたくさん飲むレイも珍しいと純也は思う。

「それと、ソワソワしてた? それは俺も感じた。なんだろう……まるで何かに怯えるみたいな……」

「あっ、わかる! あたしが迫った時も……あ」

 ……ん? この子今何と言った?

 純也が思わずポカンとした顔で京子を見ると、京子の顔がみるみる赤く染まっていく。

「えと……とにかく! 何か変だったの! デートしている時みたいな緊張して上擦った声じゃないっていうか……心身共に張りつめているっていうか……」

 あたふたと慌てたように話題を変える京子。

 これは深くは追及しない方がいいだろう。と、純也は自分の中で納得する。本人も黒歴史のようだし、掘り起こすのは酷だろう。ともかく、あの夜に感じた違和感は気のせいなどではなかったらしい。確かな収穫の手ごたえに、純也は満足げに頷いた。

 そう。あの時のレイは、酒に酔った風には絶対に見えなかった。自分や京子の知り得ない”何か“が、今のまるで隠遁者のようなレイを作っているように思えてならない。……考えすぎだろうか?

「あのね。そろそろ……その、ほとぼりも冷めただろうし、この絵の目処がついたらレイ君の部屋にまた行ってみようと思うの」

「ああ、そりゃいい。何か今のアイツ、こっちが定期的に様子とか見に行かないとフッと消えちまいそうだ」

「……うん。本当にそうなりそうで笑えないよ」

 京子と揃って溜め息をつく。ともかくあの友人が元に戻れるよう、互いに出来ることをやろう。という形で話は纏まった。

「…………」

 話が終わり、部屋には京子が絵筆を動かす静かな音だけが響く。

 実は阿久津純也自身は、この後の予定が全くない。この中途半端に空いた時間をどうするべきか……。

 いっそレイの部屋にでも突撃をかけようか?

 そんなことを思いながら、純也はふと何の気なしに作業を再開した京子の絵を見つめる。

 森の中で少女が両腕を広げて立っている絵で、少女の周りの空間は様々な色が使われていた。グラデーションというやつだろうか? 生憎、絵やら芸術には疎いので、純也にはよくわからない。

「森林浴……にしちゃあ、色合いが暗くないか?」

「フフ……これは森林浴じゃなくてね、空気を表現しているの」

 純也の率直な感想に京子は悪戯っぽく笑いながら答える。

「空気に限らず、モノにはそれを構成する様々な要素があるでしょう? あたしはそういったものを余すことなく、絵や色とかで表現するのが好きなの。これのテーマは空気だから、灰色の部分は窒素、青は酸素、黄色は二酸化炭素……他にも色々、空気中のチリ一つまで細かく描くつもりよ」

 得意気に笑いながら京子は少しずつ絵に彩りを与えていく。

「……空気の一つ一つの要素なんて考えたことねぇよ。流石は美術専修だな。見えてる世界が違うぜ」

「違う世界を見ているかどうかは分からないけど、そんな中でも上手く表現できなくて苦悩するのもいっぱいあるんだよ。表現者の業ってやつ?」

「いやもう、そんなのがある時点で俺じゃ至れない世界だよ」

 肩を竦めながら俺は立ち上がる。絵、頑張れよ。とだけ告げ、俺は教室から立ち去ろうとし……。

「……ん?」

 ふと、純也は壁の一点を見つめて立ち止まった。

 そこには様々な絵や彫刻などが展示されていて、その中の一群が目を惹いたらしい。

「ああ、それ? 美術専修のみんなの作品群だよ。完成した作品はこことか、あと他の教室にも展示してるの。ちなみにあたしのはそこの『水』と『刻』と『王者』! どう? どう? 個人的に『刻』が自信作よ」

 楽しげに語る京子。確かに京子の絵も凄い。

 だが、純也の個人的な絵の善し悪しの感想とは別に、その作品群は彼の目を惹き付けていた。

「おい、この絵……」

 純也が指差す作品群を見て、京子はムッと、顔をしかめる。

「ああ、藤堂(とうどう)君の作品? うん、藤堂君は入学した時からそんな感じの作品を描いてるの。死や破壊は生と創造の象徴。だからこそ、強烈な死と破壊の作品により、生き生きとした生と創造を僕は表現しているんだ……ってのが彼の主張だったかな。あたしには理解しかねるけど」

 気味の悪いものを見るような顔で、京子が言う。

 その絵たちはまさに惨劇の一場面を描いていた。

 ブルドーザーに轢かれたような死体の絵。

 四肢が切り落とされ、達磨のようになった死体。

 腕や脚がツギハギに縫い付けられたかのような死体。

 花畑の中に埋められた死体。

 自分の頭を抱えた死体。

 死体、死体、死体……。

 その藤堂という男の作品達は、尽く死を。破壊的で残虐なワンシーンを描いていた。

 確かにこの作品達は、京子のような女子には不評だろう。

 そもそも、万人受けするというより、一部のマニア向けな気もする。

 純也だってこういった作品は直視したくはない。だが、その作品群の一つは彼が目を逸らすことを許してくれなかった。

 それは、右側腹部が削ぎ落とされた全裸の男が、十字架で磔にされている絵だった。奇しくもあの夜の惨劇と似たような構図は、純也の目を釘付けにした。

 勿論、それだけなら、気味が悪いと思うにしろそこまで目が惹かれるものではない。だが、その絵に描かれた男の顔は、まぎれもなく自分が住むマンションの隣人だったのだ。

「京子! これ、この絵いつのだ!?」

「へ? う〜ん……わかんない。そういえばあたし、この絵は今日初めて見たな……。うん、なら結構最近描かれた作品だと思う」

 慌ててまくし立てるように問いかける純也に、若干面食らいながらも、磔の絵を見て首を傾げながら京子は答える。

「確かか?」

「うん。これでも絵の先生志望だよ? 他の皆の新作はチェックしてるもん」

 薄い胸を張る京子をよそに、純也は再び磔の絵に視線を向ける。

「……京子。その藤堂って奴の連絡先とか、知らないか?」

 その時、純也の瞳はギラギラと輝いていた。疑惑と好奇心、そしてわずかな興奮で。

 好奇心は猫を殺すとかいう言葉も忘れ、気がつけば阿久津純也は、その質問を口にしていた。

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