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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ四 愛憎の最終紛争
198/221

80.遺言

 本能的警告が、竜崎沙耶の全身を駆け抜けていた。

 危険な蜂や、訳のわからないオラウータンを付き従える、蟲の女王の降臨は、身体能力のみを頼りにする沙耶にとって、正しく死神の到来に等しかった。

 ここは逃げるの一択だ。

 周りの茸女が、黒い虫の影に襲われるのを見て、沙耶は素早く判断する。

 脳内で遠坂黎真とそのつがいへの危険度を更に上方に書き換えながら、沙耶はエリザに突き刺したナイフを抜こうとして……。その手首に何かが絡み付いているのに気がついた。

 血染めの白い手……。エリザのものだった。

「ナイフが、一番使いやすいんですってね。なら、だぁめ。持っていかせないわ」

「――っ、貴女は……!」

 既に地球外生命体としての力を振るうことすら叶わない筈なのに。その女は不敵な笑みを浮かべながら、己に突き刺さるナイフごと、沙耶を押さえ込む。

 相手は虫の息。だから、いかに怪物といえど、振り払うことは出来るだろう。だが、この緊急時では、僅かな拘束が、最悪の結果を引き込む事を、戦いに身を投じ続けてきた沙耶には嫌という程に理解できた。

 直感が囁く。この女は死ぬだろう。だが、ただ死ぬ気など毛頭ない。自分と……刺し違えるつもりなのだ。

「貴女はこの先、絶対にレイの脅威になる。だから……!」

 私と逝きましょう?

 妖しい声が、沙耶の耳を侵食する。

 ゾンビもかくやにすがり付くエリザを必死に引き剥がそうとするが、何が彼女をそこまで駆り立てるのか。エリザは痛みに歯を喰い縛りながら、尚も抵抗した。

 そして――。審判は下る。

 二人のすぐそばに、巨大な蟷螂が降り立ったのだ。

「…………あっ」

 小さな間の抜けた声が、そこで漏れた最後の言葉だった。

 蟷螂は首を傾げ、拝むような独特の仕草に身体を揺らす。そこから稲妻を思わせる速度で凶刃を閃かせて――。

 後には沈黙と、肉を貪る音だけがいつまでも反響していた。


 ※


 ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。なんて表現がある。

 圧倒的な強さをもった者が敵を蹴散らしていく様を示したものなのだが……。眼前では、本当に怪物が、京子を千切っては投げていた。

「このくそアマ……いぎぃ!?」

「ちょっと、蜘蛛だけじゃなが――ぺ!?」

「痛いじゃないのよこの――ほぽっ?」

 脳天を鉤爪で叩き割り。

 鎌の交差で四肢切断。

 毒針で文字通り蜂の巣になるまで滅多刺し――からの毒液ウォーターカッターで京子の上半分を抹消。

 黒タールで作った虫達に貪り食わせるのはまだ優しい方。

 金魚鉢を思わせる塊に京子を押し込めて、グズグズになるまで溶かしたり。

 正直目を覆いたくなるような惨状が繰り広げられていた。

 血と臓物と、首や手足が雨のように降る中で、僕は若干震えながら、必死に目を凝らしていた。

 エリザは……?

 祈るような面持ちで、僕は痺れる手足に鞭をうち、死の香りが充満する場所に足を踏み入れた。

 無造作に転がされた肉塊、肉片の山。うめき声や譫言が繰り返されるそこは、ただ立っているだけで気が狂ってしまいそうだった。

「……エリザ?」

 あんなになげやりに呼んでいた名前が、今はただ怖かった。

「……レイ君?」

 背後から、遠慮がちな声がする。汐里が、僕のすぐ後ろについてきていた。

 手には炭酸飲料のペットボトルが握られている。中は蜂蜜のような、時折黄金(こがね)色の光を放つ透明な液体で満たされていて、僕は何故かそれを見た時、無意識に身体がざわつくのを感じた。

「やはりつがいですね。これに何か感じるのでしょう?」

 それを見た瞬間。汐里の表情が一転する。さっきまでの気遣わしげな様子がなりをひそめ、そこには好奇心に目を輝かせる研究がいた。

「もしかして……」

「飲めばわかります。見るからにボロボロですので、どうぞ」

「……でも、先に」

「あの女と何が起きたか知りませんし、聞かないであげます。ですが、女とは、愛した男が傷ついている姿を見るのは……。何よりも辛いものです」

「汐里……」

 目を伏せる彼女を見た時、ルイの顔が脳裏を過る。そうだ、みんながここにいるということは……。

「まぁ、そそる時があるのも否定しませんが」

「台無しだよ」

 変に誤魔化したような気配は流す。頬にまだ残る涙の跡を見なかったことにして、僕はボトルを受け取った。

 一気に煽れば、花に似た香りと一緒に、ツンとしたサイダーの刺激が口に広がる。続けてまろやかな甘味が全身に行き渡り……。直後。身体の表面にうっすらと茂っていた茸の群生が撥ね飛ばされた。

 活力がみなぎり、あれほど言うことを効かなかった身体が、ようやく僕の支配下に戻ってくる。同時に僕の身体に秘められた怪物性が、歓喜に震えるのを感じた。

 ようやく、役立たずからは脱却できた。いつだって遅いんだ。僕はいつも……。

 暗い思考に埋もれそうになり、必死に頭を振る。今は、そんな暇はない。

「……汐里、ありがとう」

「飲みやすいようにサイダーに混ぜてみたのですが、ちゃんと効果があったみたいでよかったです」

「蜜……出してくれたんだ」

「とてつもない説得や、血と闘争の果てに……ですがね。しっかり納得してくれました。以前の彼女だったら、考えられない進化です」

「進化……なの?」

「ええ、進化ですとも。成長とは違う。つがいだけでなく、本当に微々たるレベルながら、周りを見れるようになった。個体として強く、孤高にあった筈の種がこのような考えに至るのは、そう表現しても過言ではない」

 汐里の言葉に僕は再び怪物に目を向ける。血風(けっぷう)の中で踊るように暴れる彼女は……。相手が相手だからか、何だか楽しそうにも見えた。

 恐ろしさは、確かに鰻登りである。寧ろ京子と拮抗し合い、高めあっているようにすら思えた。

「……お嫁さんが怖い」

「尻に敷かれてるくらいが幸せらしいですよ」

「潰れたくは……ないなぁ」

 支える位の頑強さは維持せねば、彼女と共にある事が出来ないだろう。だからこれは。目の前にいる、彼女とはまた別な最強の存在に引導を渡すのは……僕の役割だ。

「エリザ……」

 ようやく、見つけた。

 死体の山を背に、満身創痍の彼女は夜空から降り注ぐ肉の流星群をぼんやりと眺めていた。胸には、ナイフを握りしめたままの腕が突き刺さったまま。……あれは、強襲部隊の女の腕に間違いがなかった。

 流石と言うべきか。エリザは最後まで戦い続けたのだ。

「あぁ……レイ……」

 こちらに気づいた彼女は、か細い声で僕の名を囁くと、柔らかな微笑を浮かべる。

 僕は喉奥からせりあがる何かを堪えながら、静かに鉤爪を閃かせ、彼女に見えるようにかざしてみせた。

 それを目にしたエリザは静かに。噛み締めるように目を閉じて、ゆっくり頷いた。

「よかった……。もう、大丈夫ね」

「ああ、今更だけど」

「なら、私もお役御免かしら?」

「そう、だね」

 傷だらけの彼女を見る。流れ出る血が、彼女の座る場所に小さな水溜まりを作っていた。

「……っ、エリザ。僕は……」

「楽しかったわ。たとえほんの僅かな間でも……私にはかけがえのない……」

「そういうのいいから」

「……もぉ~」

 強がった僕が突き放すようにそう言えば、エリザは全て理解したような顔で、わざとらしく頬を膨らます。

 そのまま、まるで瞳に。脳に。そして心に刻み付けるかのように僕を見つめてから、次は僕の後ろに控える汐里の方に目を向けた。

「……ねぇ、少し――」

「さて、レイ君も回復させましたし。私もそろそろ参戦しましょうか」

 何かを伝えようとするエリザを制して、汐里は僕らに背を向けた。

 遠くでは、リリカや洋平。カオナシ達にシュバルツが、京子や茸人間達を迎え撃っていた。

 振るった右手を鉤爪に変化させる汐里に、衰えらしきものは感じられない。だが、それでも今まで身体にルイを宿していた以上、それがなくなっていきなり本調子に戻れたとは思えなかった。

「汐里、大丈夫なの?」

「今のところは、ですね。ただ、蜜は私に効果はありませんでした。やはりあれはつがいと、蜂達の為にあるのでしょうね」

「なら、尚更休んで……」

「いられたらいいんですけど――ねっ!」

 二、三人の京子が、突然汐里の元に殺到する。だが、それを汐里は得意の跳躍で難なく回避し、空中から糸で京子を拘束し、そのまま着地間際に喉笛を切り裂き、心臓を一突きにする。油断や無駄のない、鮮やかな手際は、僕に一先ずの安心を与えてくれた。

 首筋に嫌なざわめきはない。彼女は大丈夫だ。 

「ご覧の通り、私は自分の身を守るのでいっぱいいっぱいでして。そこの私並みに厄介なのは、任せました」

「……わかった。すぐ戻るよ。気をつけて」

 返事もそこそこに、汐里は再び、戦地へ飛び出していく。

 僕はそれを見届けた後、改めてエリザの方へ向きなおった。

「……二人きりにして。そう頼もうと思ったんだけど」

「汐里はああ見えて、結構面倒見いいから」

「そういえば、レイの中では彼女、格好いいお姉ちゃんだったものね」

「……恥ずかしいからやめろ」

 唸るようにそう吐き捨てれば、エリザは肩を竦めながら、僕の方を上目遣いで見上げてきた。

 その仕草に思わずため息が漏れる。やっぱり止めとこうかな。なんて考えかけたが、すぐに思考は打ち切った。こうすることは、彼女を助けに戻った時に決めたことだ。

「願い事。言ってみて」

「……願い、事?」

 僕の切り出しにエリザはキョトンとした顔で首を傾げた。心くらい読めと言いかけて、彼女はもう、それをする力すら残されていない事を思い出す。

「……うん、願い事。出血大サービスだ。僕が出来る範囲なら、叶えてあげる」

「……私は奴隷じゃなかったの?」

「何処の世界に首輪を自分で外したり。主人をストレスフルにした挙げ句、勝手に命かける奴隷がいるのさ」

 悪戯っぽく笑うエリザに、僕は渋面になっている事を自覚しながらそう返す。本当に、さんざん振り回してくれたものである。

「……僕が悪かったよ。君は、君。初めから気づくべきだった。僕が奴隷を管理するなんて、土台無理な話だったんだ」

「そう、ね。貴方は本当に、優しい人だから」

 声が、弱々しくなっていた。もう、本当に力が残されていないのだろう。

 彼女は、死ぬ。僕が手を下さなくても。

 だけど、助けて貰ってばかりで逝かれるのは……何だか嫌だったのだ。だからこそ、願い事。

 ルイやエディ。優香ちゃん。タナカ。僕は何もしてあげられなかった。これがエゴだとわかってはいるけれど……。ここで彼女を見捨てたら、僕はきっと後悔するから。

「……なんでも、いいの?」

「僕が出来る範囲。倫理と常識と、ほか色々を考慮してくれたら、前向きに検討する」

「政治家みたいなこと言わないでよぉ……」

 エリザはそう言って、片腕をノロノロと僕の方に伸ばす。

「お姫様抱っこして。あっちの森、誰にも邪魔されないところまで運んで……私を看取って欲しい」

「……そんなのでいいの?」

 あまりにも簡単な願いに、僕が少し拍子抜けしていると、エリザは笑いながら「そんな細やかな幸せが好きなの」と、囁いて。少しだけ寂しげにはにかんだ。

「ホントはね。やりたいことがいっぱい。いーっぱいあるの。レイは私を助けに来てくれた。これって、私にも一緒にいるチャンスはあるってことでしょう?」

「君と夫婦は嫌だよ? 友達なら……まぁ」

 ちょっと……いや、かなり厄介なのは否定できないけれど。と、付け足せば、エリザはわざとらしく頬を膨らませながら、もう一度ねだるように僕を手招きした。

 肩の後ろと、膝の裏に腕を回す。片腕と片足が欠損したエリザは、有り得ないくらい軽かった。

 そっとその場を離れる。怒声や悲鳴が遠ざかり、静かな暗い木立の中に足を踏み入れると、エリザは幸せそうに目を細めながら、僕の胸にピタリと耳を当てた。

「レイにもう一度、カクテルを振る舞いたかったし。あのつがいさんに宣戦布告してもいい。アタックだって全然したりないし。それから……それから……ダメ、多すぎるわ」

 月明かりの下で、一筋の涙が輝いて、エリザの頬を濡らす。僕はその時、彼女の顔に浮かぶ、死への恐怖を見た。

「あ、そこよ。そこがいい」

 思わず息を詰まらせ、僕が何か声をかけようとした矢先。エリザはまるで謀ったかのように、寝そべるのに丁度良さげな大木の根元を指差した。

「ここに寝かせればいいの?」

「貴方に、抱っこされたままがいいわ。……ダメ?」

「…………わかった」

 望むままに木を背にして腰を下ろす。

 それと同時に、エリザは僕の膝の上に陣取ったまま、静かに息を吐いた。

「ここで、見届ければいいんだね」

「ええ。ここがいいの。ねぇ、レイ? 周りに誰もいないかしら? 聞き耳を立てるような無粋な輩はいないわよね?」

 少しずつ呼吸が乱れ始めたエリザを出来るだけ優しく支えて、僕は素早く辺りを見渡した。

 大丈夫だ。変な気配もないし、京子達が追ってくる様子もない。その旨をエリザに伝えれば、彼女は安心したように小さく頷いて、ゆっくりと口を開いた。


「よかった。……ねぇ、それなら最期に少し、お話をしましょう。レイに伝えたいこと。教えたいこと。そして……頼みたい事があるのよ」

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