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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ四 愛憎の最終紛争
197/221

79.お前の心を壊してやる

 ゆっくりと身体を起こした時、僕は理解した。

 これはもう、どうしようもない詰みの盤面だと。

「よりにも、よって」

「ああ、そうでしょうね。考えうる最悪のタイミングで介入しましたから。私は弱い人間ですので、こうして不意をつく形でないと、あなた方――怪物連中には勝てないのですよ」

 肩をすくめながら、沙耶は腰のホルスターに手を伸ばす。大振りのサバイバルナイフと、ムカムカする黄緑色の液体が入った小瓶が取り出された。あれは……オリーブオイルで間違いなさそうだ。

開拓者(パイオニア)のアップデートは今回で何回目だったか……いちいち覚えてないけど、これはまたリコールですかね」

 トクトクと、白刃にトロミのある液体がまぶされていく。即席で怪物殺しの武器を拵えた沙耶は、ナイフの柄を確かめるように握り込み、満足気に頷いた。

 一方、雪代さんはただ無表情で。どこか脱力したように、ぼんやりと僕らを見つめていた。

「可変機構なんて無駄なものを付け加えるから、重い。かさばる。脆いんです。ロマンだか何だか知りませんが、いくら威力があろうと実戦に耐えられない以上、欠陥品です」

 頑強さかつコンパクトなのが一番大事なんです。そう呟きながら、沙耶は僕らに刃先を向ける。すると、背後で京子達がわかりやすくざわめいた。

「こらーっ。さやさやは引っ込んでてよ! 今からレイくんは、あたし達と遊ぶんだから!」

「さやさ……まぁ、いいわ。なら、そっちの変態梟を、私達が引き取ります」

「えーっ」

「えーって……。特に執着ないでしょう?」

「ないけど……ねぇ?」

 京子達は鳶色の瞳を残忍に輝かせながら、エリザを見る。

 新しい玩具を見つけたかのように、楽しげだった。

「レイくんの愛人さんなの? あの女一筋だと思ったら、ちゃっかりしてるんだぁ」

「失礼ね。私は正妻よ? ……限りなくその予定」

 うつ伏せに倒れたまま、気丈にそう言ってのけるエリザ。それ

を京子達は鼻を鳴らしながら、ゆっくりとエリザににじりよる。

「……じゃあレイ君を苦しませるには、貴女をめちゃくちゃにすればいいのかなぁ?」

「やってみなさい? レイは優しいから、自分が傷つけられるより、私みたいな存在を痛め付ける方がよっぽどダメージを受けるでしょうね」

「………………ふーん」

 それを聞いた京子達は、サクリ。サクリと、立て続けにメスをエリザに刺し込んでいく。流れるような突然の攻撃にエリザはうめき声を上げ、僕はただ絶句する。

「ああ、これ? 松井ちゃんがあたしの為に用意してくれてたの! 皆お揃いよ? いいでしょー?」

「レイくんにも後であげるからね?」

「勿論、身体にぶっ刺す形で!」

 そんな的はずれな言葉を吐きながら、京子はチロリと舌舐めづりしながら、今も痛みで歯を食い縛るエリザの顎を、優しく指で持ち上げた。

「本当に貴女がレイくんにとって大事なら、レイくんは今、半狂乱で私に掴みかかってくる筈。……一方通行なのね」

 可哀想。そう呟きながら、京子はエリザから離れると、そのままおもむろに、四人がかりで僕を持ち上げた。

「うん、閃いてきたわ。これよ! 全員で考えが共有できるのって、便利よねぇ!」

 ほい、ほい。ほーい! と、掛け声を上げながら、京子は僕を胴上げの要領で投げていく。

 抵抗しようにも僕の身体は既に人間に近く、されるがままに空を飛び、無様に運ばれていく。

 あっという間に倒れたエリザは京子達に囲まれて見えなくなり、僕は人込みの外れに放り出された。

「何を……」

「ん~? ゲームだよ」

 地面に座り込む僕の前には、ゆらりと佇む沙耶と雪代さん。

 その背後では、スクラムを組むかのように壁を作った京子達が、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。

「題して、囚われのお姫様を助けようゲ~ム!」

 意味が分からず戸惑う僕に、京子は煽り立てるように拍手する。

「ルールは簡単! レイくんは私達に囚われたこの女を助ける! それだけよ! 二人がこの包囲網を抜けて抱き締め合えたなら、レイくん達の勝ち! 見逃して上げるわ。勿論、私達はそんな事させないけどねぇ?」

 途中で壊れたら、レイくん達の負けよ。

 そう言って、京子はメスの刃に赤い舌を這わせた。

「勿論。後ろは森だし? レイくんはこの女を見捨てて、さっさと逃げてくれてもいいよ?」

「…………冗談だろ?」

 説明を聞いた僕は、思わずそう呟いた。

 僕らが勝ったら、見逃す? 京子がそんな事をしてくれる筈がない。最初から、僕を痛め付ける事しか考えていないのだ。

 逃げてもいい? あり得ない。嬉々として追いかけてくるに決まっている。その上で、見捨てられたエリザを貶めながら、僕にはより残酷な制裁を下す。

 彼女は、そういう女性(ひと)だ。

 つまるところこのゲームは、最初から京子が楽しむ為にしか作られていないのである。それでも……。

「エリザを、離せ」

「へぇ、やる気なんだぁ」

 声を絞り出す僕を、京子は楽しげに見つめる。

 いつかに僕を恐怖に陥れた顔が一斉に此方へ向けられるのは、何とも言えぬ気味悪さがあった。正直怖い。けど……。

「どっちに転んでも絶望的なら……僕は、自分の心に従う……!」

「あは。足が震えてるヨ?」

「……君としては、僕が逃げる方に期待してたんだろう? 御愁傷様」

「あはっ、何そのヘタクソな煽り。童貞みたい!」

「童貞の何が悪い。君こそ煽りがヘタクソだ。エリザを見習えよ」

 鼻で笑えば、京子は目を細める。

 沸点が低いのは相変わらずだ。これで冷静さを欠いてくれたらいいのだけど、数が多いから、あまり期待は出来なそうだ。

 案の定。二、三人が鼻息を荒くすれば、他の京子が宥めるように肩を叩いている。自分を御せるのは自分だけ。そこは群になっても変わらない、強烈な個があった。

「……ま、いいわ。追いかける楽しみはなくても、たっぷりいたぶれるもの! ほら、おいでよレイくん!」

「めった刺しよ!」

「いいえ、ボコボコよ!」

「今度こそ苗床にしましょ! あの愛人女とセットでラブラブなオブジェにして、レイくんの奥さんに見せつけるの!」

「悪趣味だな。相変わらずっ!」

 拳を握りながら立ち上がる。

 正面からは自殺行為。なら、回り込むしかない。エリザもただではやられまい。多少の抵抗はしてくれる筈。何より、雪代さんと沙耶。戦力は僕側に集中している。ここさえ撒くことが出来れば……!

「ゲームスタート!」と、京子の歓声が上がる。

 同時に、僕は迂回するように走り出そうとして……。気がつけば、倒れていた。

「は……がっ!?」

 わけも分からず再び上体を起こせば、痺れと熱さが広がる顔面を黒が覆い尽くす。

 首の骨がミシリと音を立てた。

 身体が嘘みたいに回転し、僕は浮遊感に囚われたまま、僕は背中から地面に落ちる。

「なに……ぐぇ!」

 震える手が地面を捉えようとしたら、強引に胸ぐらを捕まれ、身体が持ち上げられた。

 霞む視界に辛うじて入ってきたのは、無表情なまま僕の首を手で締め上げる、沙耶の姿。そこでようやく、さっきまで格闘技で吹き飛ばされていた事に気がついた。

「お前……っ!」

「さやさや! すぐ殺すのダメよ! 思いっきりいたぶって!」

「……私としてはさっさと息の根を止めたいのですけど……仕方ありませんね」

 全身に力を込めたかと思えば、瞬時に彼女の身体が柔らかくなる。再び世界が暗転し、引き寄せられた拍子に腹部を蹴り上げられたのだけ自覚して……僕はまた投げ飛ばされた。

 先には我先にと手を伸ばす京子の群れ。

 殴られ、蹴られ、踏みつけられる。永遠に続くかと思われた集団暴行の果てに、また僕の身体は意志を無視して放り投げられた。

「ちょっとぉ! レイくん手応えなさすぎー!」

「頑張ってよぉ、ホラァ!」

 投げられた先で、再び攻撃が来る。嵐に見舞われた小舟の気分だった。

 ナイフを使わないのは、多分わざとだろう。僕をゆっくりと弱らせていくために。これではどっちが蜘蛛かだなんて、わかったものではない。

 僕をサッカーボールに見立てたパス回し遊びが始まり、地面に何度も転がされる。

 仕上げは、沙耶による強烈なシュート。頭に火花が飛ぶだなんて、物語の中だけだと思っていたが、その時僕は確実に、怪物の身でありながら、打撃で完全に意識を飛ばしかけた。

 バウンドするように身体が地面を削り、最終的には仰向けで地面に転がされる。ゲームとやらの開始から、僅か数分。僕は既に満身創痍だった。

「……もう、諦めたら?」

未だにチカチカする頭で、必死に起き上がろうとする僕の上に、誰かが立っていた。雪代さんだ。

「ゆ……き……」

「ねぇ、死ぬ前に私の質問に答えて。レイ君。警部は何処?」

 目の前が血で霞んできた。額が切れてしまっているらしい。それ故に雪代さんの表情までは確認できないが、その声は、何処と無く疲れたような響きを孕んでいた。

「そんなの、知ら……ない。貴女こそ、こんなとこで、何を……叔父さんの味方なの? それとも……」

 彼女だけ、目的がわからない。僕に近づいて来る前は、確かに叔父さんの仲間だったはず。

 だが、強襲部隊の陣営にも思えない。あの不可解な言動がキノコな京子のものだったのだとしたら、松井さん達は大分前にここに到着していなければいけないからだ。

「……あの梟女よ。結構適当でしょう? きっと彼女、何も考えていなかったのね。ここへ来る前に強襲部隊から手渡されたものを、そのまま殺した私に植え付けて……結果、〝あたし〟が生まれた」

「何を……」

 言っている? そう続けようとしたが、それは僕の喉笛が抑えられた事で中断される。

 混じりけのない純粋な殺意が、僕に向けられていた。

「君と行動を共にしてた時はね、私は完全に眠っていた。目覚めたのは、ほんの数時間前。……でも、それも長くは続かない」

 そう言って、雪代さんは僕を締め上げる力を増していく。

「だから、これは仕方ないの。君を殺せば、私はきっと興奮できる。骨も抜ければ、多分最高ね。だって他ならぬ、警部の親類に手を出すんだもの。そうすれば警部は……、私はまだ……まだぁ……!」

 荒い息が吹き掛けられる。端正な顔立ちが、まるで百面相のようにコロコロ変わっていく。苦悶と快楽。それが混じりあった表情に、僕は芽生えかけた恐怖や疑惑を忘れ、ただ戦慄した。

 何があったかは分からない。だがこの人もまた、大概正気じゃないのだ。

「わぁっ! ゆきのん、ヤルの? ヤッちゃうの!?」

「はいはーい! 見学希望しまーす!」

「かの有名な〝骨抜き〟……! 超見たいわ!」

「てか、あたしもやりたい!」

 騒ぎだす京子達は、一斉に僕の身体を抑え込む。肉に爪が食い込み、噎せかえるような死臭と女の匂いが鼻を満たす。

 再びの京子地獄に、僕は唇を噛み締めながらも、今度は目を逸らさない。

 抵抗は続いていた。ただ、圧倒的なまでに数が多い。それでも、負けだけは認められなかった。

 京子の手から、雪代さんにメスが手渡される。骨を抜く。と、言っていた。まさかとは思うが、あれで僕の肉を全て削ぎ取ろうというのだろうか。

「安心して。骨を抜くのは一部だけ。逃げれないように脚がいいかな?」

「蜻蛉の羽をむしるみたい。よく昔やったなぁ」

「レイ君。許してとは言わないわ。私の為に……ここで……」

 言葉がのし掛かる。

 まだだ! 屈服してたまるか……! 震えそうになる身体を鼓舞する。

 死ねないのだ。

 怪物を……彼女を、泣かせたままだ。帰って抱き締めてあげたい。

 汐里にも会いたい。ルイの最期を、しっかり彼女は聞くべきだ。

 叔父さんの安全も、まだ分からない。あの人は、刑事で……ヒーローであって欲しい。

 カオナシ達や、リリカに洋平、シュバルツの顔が次々浮かぶ。

 ……くそっ、これじゃまるで、

「走馬灯……見えた? レイくん?」

「大丈夫。手を握っててあげる」

 身体を冷やす言葉と一緒に、雪代さんが手にした刃が、ズブブと、太腿に沈む。

 肉の繊維に滑り込ませるようなその手さばきは、僕の腿肉をバターみたいに軽く切り落とす。

「あ……ひ……っ」

 痛みが、遅れてくる。それほどの見事な切り口は、一瞬で血が溢れて、夜風と共に僕の体温を奪う。

 刃が翻る。次は別の角度から。痛みがあり得ないほど薄い。神経を傷つけずに剥がしているかのような丁寧な刃物運びは、僕を今までにない恐怖へいざなった。


 ああ、解体される。

 本当に、雪代さんは骨だけ綺麗に取り出すつもりなのだ。


 残されるのは脱け殻を思わせる、僕の脚。

 綺麗にカットされたそこは、まるで肉屋に並べられているかのように赤くて。残酷な程に瑞々しく……。


「う、あああ……ああああああ!?」


 浮かぶイメージがリアルすぎて、僕はただもがこうと悲鳴をあげる。心が折れなければ負けない。そう思っていた。だが、現状は、全く動けず。

 ただ刃物が僕の肉をほじくり返す音と痛みで、脳が侵食される。加えて……。

「そう、そうそうそうそうそう……! 素敵よ、レイくん」

「あはっ、チューしちゃお。歯も舐めちゃうね」

「指、貸して。ほら、あたしに触れて。今こんなにドキドキしてるの……!」

「肉、開いてるよ。あはっ、キレー」

 声に、犯される。もう正気を保ってられない。

 たまらず目を反らし、僕は夢なら覚めて。なんて、有り得ない幻想に浸る。動けない。逃げられない。心が、もう壊れる……。死んでしまいそうで……。


「レイっ! レイ、ダメよ! お願いだから、そんな顔しないで!」


 僕を呼ぶ声に目を開ける。

 少し離れた場所に……エリザが倒れていたのだ。

「なん……で……」

「待ってて! 今……いく、から……」

 身体を引きずるようにして、彼女は此方へ這ってくる。沢山の京子が上にのし掛かり、今も噛みつき、メスを突き立てているにも関わらず、彼女は手を鉤爪に変えて地面を掴む。

 京子のメスには、そういえばオリーブオイルは塗られていない。だからこそ、動けるのだろう。だが、全くの無痛かと言われたらそうではない筈だ。加えて彼女は、開拓者(パイオニア)の狙撃も受けているのに……!

「貴方は……。貴方だけ……は……!」

 か細い声を上げながら、エリザは手を伸ばす。

 何でだ。何でコイツは……!

「もう、もういいよ……エリザ。それ以上は……」

「ダメよ……だって……せっかく、貴方が心を少し開いてくれたのに……!」

 こんな終わり方……嫌。

 そう言って、エリザはまた少しずつ前に進む。

 金切り声を上げ、踏みつけようとする京子の足を握りつぶしながら、切ないくらい目を潤ませて、彼女はただ僕だけを求めていた。

 気がつけば、頬を水滴が伝っている。……何だ、これ。僕、泣いて……。

「ダメよ。申し訳ないけど、貴女はここまでよ」

 だが、現実は何処までも、エリザに残酷だった。

 目にも留まらぬ早さで彼女に肉薄する黒い影――沙耶は、周りの京子達を押し退け、エリザの上に立ち。寸分の狂いもなく、怪物殺しの刃を持って、背中越しに彼女の心臓を貫いた。

「あ……ああっ……!」

 時間が停止して、同時に僕の身体が嘆きに軋む。

 理解が追い付かないうちに、事実がのし掛かる。

 エリザの瞳から、急速に光が失われていく。

「レ……イ」

 もう、聞き取れない位の小さな声。その上にいた沙耶は、「しぶといわね……」と呟きながら、刺したナイフに更に力を込める。

「やめ……ろ」

 声を上げる。京子が、歓喜で息を飲む気配がした。

「もう、やめて、くれ……」

 ギリギリと、ナイフがねじられる。その度に、エリザの身体が痙攣していく。

 比例して、僕の胸が。心がズタズタに引き裂かれた。

「やめろ! やめろよ! やめろぉぉお!」

 足の痛みなど忘れて、力の限り声を上げる。太腿に赤黒いものが見えたが、もう関係なかった。

 どんなに無様でもいい。離せとばかりにもがき、京子らを睨む。

 京子は、涙を流していた。

「最っ高!」

「レイくん! レイくん! ねぇどう? 死んじゃうねあの女! ああっ、今思い付いた! 適当な男達に回させればよかったわ! 死ぬ瞬間までの絶望フルコースよ!」

「まさに天国! 非日常な天国だわ!」

 キャッホォオイと踊る京子達。

 獣の吠え声にも似た狂喜の宴はボルテージを上げていく。

 僕はもう、頭を垂れ、ただ呼吸するだけに成り果てた。

 痛みが再燃する。

 骨に手をかけられたのがわかる。ギチ。ギチと、奥底が軋みを上げる音を聞きながら、僕はぼんやりと空を仰いだ。

「…………天国なんて、本気でそう思ってるの?」

 かすれ声で問いかける。目の前にいる彼女とは、きっとこれが最期の会話になると予見した。

 目尻に涙が溢れる。ただ募るのは自責の念だ。

 すると京子は、はぁ? と、言うように顔を歪めたあと、すぐに満面の笑みを浮かべる。

「そりゃそうよ! 今この瞬間が、天国以外に何だと言うの?」

 その答えを聞いた僕は、静かにため息をつく。同時に、ブーンという空気を振動させる音が、耳に届きはじめた。

 空を見上げた時に微かに見えたその群れは、まるで戦闘機の大隊の如く。猛烈な速度で此方へ飛来してくる。

「そうか……天国か。なら……」

 京子達が、異変に気づく。

「何? 何の音?」と、戸惑い。辺りを見渡して、最後にさっきの僕のように空を見上げたが、もうその頃には全てが遅かった。

 甘い花のような香りが、その場を支配する。

 舞い降りたそいつは、艶やかな黒髪を靡かせて。ゾッとするような妖艶の笑みを浮かべながら、そっと柔らかそうな唇を動かした。 

 月下に映える美しい少女だった。

 時間すら凍りつかせてしまえそうな程に美しい、愛しき少女の怪物だった。 


(ワタシ)が、皆殺しにしてあげる」


 透明感のある、ウィスパーボイスが朗々と夜に響き渡り……。

 直後。嵐のような羽音と一緒に、黒い大群が押し寄せた。

「な、なになにコレェ!?」

「いやっ! イヤァァア!」

「ちょっと邪魔よ! あたしが逃げれないじゃない!」

 悲鳴と怒号が響き渡る中で、僕の身体は一瞬で解放された。

 どさりと身体が冷たい地面に横たえられた時。僕はすぐそばに、誰かが立て続けに着地する気配を感じた。


「……ねぇ、これ、私達いるの? 明らかにお姫様一人でオーバーキルしてるんだけど。てか、あれ完全にキレてない?」

「だからだよ。王……よくぞ御無事で。そして満身創痍なとこ悪いが、女王がおっかない。何とかしてくれ」

 何故か傷だらけなニットワンピースの少女と、スーツ姿の男は、僕の無事に安堵した直後、少し顔をひきつらせていた。

 大体何が起きたか察することが出来てしまう。二人には苦労をかけてしまった。

「ピピュ。姉御ツエー」

「ア、ダンナ! 御無事デナニヨリ!」

「アババ……服! 汐里様、ダンナ二服ヲ!」

 変な生き物達は、人懐っこく傍に寄ってきて、多分喜びのダンスだろう。とにかく踊っている。

 愉快な奴ら。だが、この地獄では、その陽気さが救いだった。

「ああ、無事だったか……よかった。お前にまで死なれたら、ルイの奴に顔向けが出来ん」

 精悍な顔立ちのシベリアンハスキーは、目に涙を浮かべながら、何度も頷いていた。

 彼は、どうやら無事に僕の願いを叶えてくれたらしい。

 そして……。

「おや、だらしない格好ですねぇ。私の弟子なら、身嗜みからしっかりしなさいな」

 身体が心地よい糸に包まれて、僕はいつもの衣服を身に纏っていた。

 顔をそちらに向ければ、涙で目を腫らした白衣の女性が、いつもの皮肉気なのに優しい声で僕を励ます。

 それを見た時、僕は全身から力が抜けていくのを感じた。すると、白衣の女性――汐里はゆっくりしゃがみこみ、僕の額を指で弾いた。

 まだ気を抜くな。そんな無言のメッセージを飛ばしながらも、次に彼女は、そっと労るように僕の頭を撫でる。

 ヒヤリとした手が、ひたすらに心地よかった。

「――っと、これは私の役目ではありませんね」

 思わず目を閉じた瞬間、周りの皆が一歩身を引くのを感じる。

 それに合わせて顔をあげると、そこには、既に全身を返り血で染め上げた、少女の怪物が立っていた。

「……えっと」

 甘えるような視線に、何か言った方がいいのかと口を開きかけるが、それはすぐさま彼女の抱擁で打ち消された。

 もう離さないと言わんばかりに締め上げてくる彼女の背中に、僕も戸惑いつつ腕を回す。

 その時、パズルのピースがカチリとはまりこんだような錯覚を見た。

 ああ、そうだ。この温もりを覚えてる。離れても、忘れた事はなかったのだ。僕はやはり……こうして彼女に囚われている時が、一番落ち着くようになってしまっているのだ。

「やっと……やっとレイ捕まえた」

 幸せそうに囁きながら、彼女はますますキツく僕を抱き締める。もう大丈夫だよ。とでも言うように怪物は僕の背中を撫でて……。

 次の瞬間。背中から羽や脚。鎌に黒タールを一気に噴出させた。

 ふぇ? という声が思わず漏れる。背後でリリカが「嗚呼……」と唸るのも聞こえてきた。

「お、おい……?」

「だいじょうぶ。ダイジョーブだよ。レイ」

 嫌な予感で、安心しきっていた身体がまた震え出す。

 見ると怪物は……笑っていた。

「後は任せて。アイツ……あの女しつこいから……。今度こそ壊して潰して血祭りにして――、クッテヤル……!」

 それはそれは美しく妖艶に……酷く野蛮な言葉を囁きながら、笑っていたのだ。

本日、第五回ネット小説大賞の結果が出ました。

『名前のない怪物』は……まさかのメディア賞を復活させての受賞という、快挙を成し遂げる事が出来ました!

つまり、書籍化+メディアミックスの計画が進められていくという事に相成りました。

アニメ化か。コミカライズか。ドラマCDか。他何かか。何処へ行き着くにしても作者として嬉しく。誇らしく。楽しみに思います!

皆様の応援に心から感謝を。今後も楽しい物語を紡いで行けるよう頑張らせて頂きます!


2017.7.7 黒椋鳥

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