76.プロジェクトB.A
十月という気候と、大神村が山村であることも手伝い、体育館の中は寒々としていた。
ケミカルライトで照らされた館内には、何らかの機械が稼働する音と、はっきりと聞こえる水の音。
暗闇などあまり苦としない僕の視界には、ここに仕掛けられたものがしっかりと見える。のだが、残念ながらそれが何なのかまではさっぱりわからなかった。
暗幕をかけられた超巨大なコンテナを思わせる三つの何か。
それぞれ二つが入り口から見た側面の壁にそうように。もう一つが、佇む松井さんの後ろ。ステージの上を占領し尽くす勢いで置かれている。
念のため、超直感を起動する。
水の匂い。アレは……水槽だろうか。満たされているのは真水ではなさそうだ。山奥の沼。それに近い匂いがする。その一方で、甘ったるい花のような香りもしていて……。
「――っ!?」
冷静な解析はそこまでだった。その瞬間。ボコりと大きな泡が弾けるような音がして。僕の全身に鳥肌が立つ。
うなじに激痛が走る。頭のてっぺんから爪先までが凍りついたような錯覚に陥り、僕は浅い呼吸を繰り返した。
あの中に……何かがいる……。
「怖いかな? 遠坂君。まぁ、その中身は俺が作り出した、対香山さん……偽名なんだっけコレ? ともかく。最強殺しの怪物が入っている。似通った能力を有してるらしい君が恐怖するのも当然だ」
「対エリザ用……だって?」
「然り。初めて彼女の能力を聞かされた時、俺は心底失望すると共に、情熱に身を焦がしたものだよ」
彼女の力は、反則で。故に俺の計画を即座に破壊しうるものだった。松井さんはそう付け足した。
横目でエリザを見る。彼女は無表情で僕を見つめ返し。やがて、ため息をつきながら口を開いた。
「人間に怪物の力を人工的に与える。それによる、異能力を持った新人類の社会を作り出し……その始祖となる。それが目的だったわね」
「研究は早い者勝ちなんだ。見つけた奴が正義。だから俺は全てにおいて一番になりたかった。飽くなき好奇心を。刺激を与えてくれる怪物達。それらを知りつくし、掌握・支配し。やがて俺はそう言った種達の王になる……!」
「見下げ果てた奴だ。そもそも、そんなこと不可能だよ。それぞれの怪物や人間。生きる理由はそれぞれ違う。全部を完璧に支配するなんて……」
「何を言っているんだ? 君のつがいを思い出したまえよ、遠坂君」
反論する僕に、松井さんはケラケラと笑いながら、僕に指を突きつける。
「蜂を喰らい。支配し、その他多くの怪物を取り込んでいる。実際に怪物の共食いは互いの自我がぶつかり合うからこそ、気が狂うんだ。それを彼女は多少思い込みが激しくなる程度で、見事に自我を保っている……!」
興味深いよ。そう言う松井さんを、無意識に睨み付ける。彼からの興味なんて、ただの災厄としか思えない。だが、そんな僕の心配を読み取ったのか、松井さんは安心したまえ。と頭を振った。
「研究したいのは否定しない。戦力として欲しいのも事実だよ。けど、俺は今、それよりも火急の用事がある。プロジェクトB.A。これを完成させることがね」
「Berserker・Armaments……ジョンたち、強襲部隊に植え付けていたものだね」
「バーサ……? ああ。成る程。……うん、そうだね。彼らに植え付けていたのは、その計画の根幹たる怪物の種さ」
そう言って、松井さんはそっと手を上げる。
「君が香山さん……いや。エリザさんを打ち破ったのには驚いたよ。俺の怪物以外には、絶対勝てないと思ってたからね」
「随分と自信があるんだね」
「あるともさ。実際に試してみただろう? B.Aの因子が強くなった強襲部隊の面子に能力は効かなかった筈だ。今はエリザさんより、俺達が強い」
思わず鼻で笑いたくなる。汐里が言った通り、生きることにおいて、最強なんて意味がないことを実感する。
「エリザに勝てる? B.A言ってる連中は大したことなかったよ? コイツはちょっと頭がお花畑だけど、能力を防いだからって、……」
「ん? ああ。残念だけどね。君の考える勝ちとか強さは、俺にはなんの意味もないよ?」
そう言って、松井さんは天に上げた手を、自分の胸に当てる。
「先に言っておく。完成した俺には、精神制御は通用しない。新しい世界の王になるんだ。当然、その運命共同体たるイヴ……。B.Aは俺のつがいに当たる」
その言葉に、僕はまさかと思い、エリザの方を見る。
枷を緩めれば、エリザは舌打ちしつつ首を横に振った。
「酔いそうだわ。周りは外の連中かしらね? B.A、B.Aって騒ぐし……この男もまた、全部がブレない。ここまでくるとおぞましいわね」
再びエリザの力を封じて、僕は松井さんの方に向き直る。強襲部隊の長から僕らの記憶を消す事で、後に残る憂いを断つ。実はそのつもりだったのだが、それはどうやら叶わないようだ。ならばもう、彼には用はない。
何やら世界をどうこう言っているが、B.Aとやらを見るに、上手く行きそうもない。
何よりこの周りだ。物凄く嫌な感じがする。なんだろうか。僕は一刻も早く、ここから離れてしまいたかった。
「何か感じるかい? 虫の知らせというやつか。正しいよ。強襲部隊の様子だけを見て、俺達を判断して貰っては困る」
松井さんはそう言いながら、僕とエリザを交互に見る。興奮に喘ぎながら、彼はゆっくりと、白衣のポケットからタブレットを取り出した。僕のうなじは、今や熱を帯び、耐え難い激痛がせりあがってきている。
「世界を滅ぼす方法。知ってるかい? 俺はね。色々考えたけど、人口の半分が犯罪者になってしまえばいいと思うんだ」
「……凄いや。錯乱してると思ったけど、ここまでくれば清々しいや」
平静を保ったまま嘲るように僕が吐き捨てれば、松井さんは大真面目な話だよ。と、僕に向けて手をかざす。
「要人や政治家が犯罪者になれば? 軍の幹部が。医療従事者が。原子力発電所の職員が、ある日唐突にほんの気まぐれを起こしたら……。一瞬で、世界は地獄絵図に陥る」
「妄想は物語の中だけにしなよ」
「……外にいる連中。彼ら彼女らの正体が分かるかい? 一歩間違えれは人体実験に等しい、B.Aの搭載。これをやるために一般人を拉致なんて、リスクの高いマネは出来ない。……彼らは、どこから来たと思う?」
ニヤニヤ笑いながら、松井さんはカウントダウンをするように、広げた手のひらの指を折る。
ズキンズキン。と、カウントダウンが進む度に、嫌な予感が加速する。
いけない。松井さんが所持する何かが世界を滅ぼせるかどうかは分からない。が……確実に、僕にとっては嫌なもの。そんな予感がするのだ。
「訂正を、もう一つ加えよう」
タイムアップというジェスチャーをしつつ、松井さんは歌うようにそう告げる。
「プロジェクトBerserker・Armaments。それは間違いだ。確かに最初はそんな名前だったが、研究が進む度に、それは相応しくないという結論が出た。狂っただけの戦士なんて怖くない。そんなんじゃあ、世界を……この巨大なキャンバスに、新たな遺伝子の彩りは加えられはしない」
「何が……言いたい」
ダメだ。話を聞くな。
そう本能が告げる。
能力が通じないなら、さっさと逃げるべき。いや、世界なんてどうでもいい。ただ僕自身の為に目の前の男を排除しろ。不殺など、この男には……いや、周りにいる存在には考えるべからず。
超直感はひたすらに、その答えを繰り返す。
だが、それとは同時に、既にどうしようもない位に手遅れかもしれないと、漠然とながら察していた。
ここに入った瞬間に。僕は既に喉笛に刃物を向けられていたこと。〝僕が来たら完成する〟その意味は……。
「計画に付けられた真の名は……Blood・Artist。ここまで言えば、もう君になら分かるだろう?」
タブレットの上を、松井さんの指が軽やかに滑る。
すると、唸るような音を立てて、計三つのコンテナから、暗幕が引き剥がされていく。
「世界最大の生き物を知ってるかい? 鯨でもない。象でも、樹齢が凄まじい木すら届かぬもの……そう、キノコだ」
ポコン。と、松井さんの手のひらに赤く毒々しい傘が開く。
それを指で弄びながら、彼は話を続ける。
「地上に出ているキノコは、ほんの指先か、髪の毛程度に過ぎない。本体は地中に。成長すれば山一つすら易々と勢力に加えてしまう、菌糸体の集合。最大のものは、東京ドーム100個分を軽々と越えてしまう程の規模を持つ」
暗幕が、取り払われる。中身はやはり水槽だった。
エメラルドグリーンの液体に満たされたそこには……何かが漂っている。
「想像してごらん。それが怪物だったらという恐怖を。それが見えない規模で広がり、大きくなっていくおぞましさを。山を。木を。命を犯す菌糸の怪物。それはね……俺や君が初めて会ったあの実験棟の山に、実は存在していた。相応しい宿主が現れるのをずっと待ち望み……。ある日。ある男によって地中に埋められた存在に触れて。そのあり方が決定付けられてしまった」
いつかの夜が思い出される。
〝彼女〟は言った。もし生き延びたなら……また僕を追いかける。……と。
ここに来て、その影を感じた。だがそれは確証はなく、アリサさんをエリザが語っていたように。秘密裏に叔父さんの敵に回ったと思われる雪代さんが企てた、僕を混乱させる嫌がらせだと……。そう、思うしかなかった。
だってありえない。ルイの例は特殊すぎる話で、実際には死んだ者が蘇る筈がないだろう。だが……そんな常識は通用しそうにない女性でもあることを、僕は誰よりも知っていた。
「アルミラリア・ネックス。と、このキノコには名付けた。言うなれば、人に取り憑き、殺人衝動を芽生えさせる怪物にして、最高の犯罪者であれと己を作り替える、芸術家……」
松井さんの言葉は、途中から聞き流していた。
僕はただ、身体を滅多刺しにされているかのような、濃すぎる恐怖に抗うので精一杯だった。
水槽は、水と〝人〟で満ちていた。
浮かぶそれらはマリオネットのように、細い手足を自由に伸ばしている。
一糸纏わぬ裸体が、絡み合い。ぶつかり。離れては漂う。
十や二十は越える虚無の群れ。皆すべてが怖いくらいに同じ女性の姿だ。
茶髪のショートヘアーと、しなやかな肢体。そして……。
『レ・イ・く・ん』
一人の口がそう動く。すると、全ての瞳が三方から一斉にこちらへ向けられた。
『レイくん』
『レイくん』
『レイくん』
『レイくん』
『レイくん』
『レイくん。レイくん。レイくん……!』
「あ……ひ……あぁ……!」
声にならない悲鳴が僕から漏れる。
理解しがたい。理解もしたくない現実が目の前に現れた時。僕の心がズタボロに引き裂かれる。
どんなに強くなっても。
どんなに怪物に近づこうとも。
身体に刻まれた、本能的な恐怖が、僕の身体を嘘みたいに震わせる。
確かに大好きだった太陽のような笑みを、そこにいる全員が浮かべて――。
次の瞬間、それはかつて僕を凍りつかせた、狂気に歪んだ三日月の笑みに変わる。
水槽には、京子がいた。
あっちにも、こっちにも。京子がいて――。
直後、弾けるような音と一緒に水槽が砕け散る。バケツの水をひっくり返したかのような勢いで水が撒き散らされ、ビチャリ。ビチャリと、裸足の女達が地に足をつける。
その時僕は、周囲から飢えた息遣いを感じた。
空腹なメスライオンの群れに放り込まれたら、きっとこんな気分になるだろう。
恐怖という恐怖が天井を突き抜け、思わず目尻に涙が滲んだ。それを見た彼女達は、ますます興奮したように凶悪な舌舐めずりを見せ……。
「会いたかった……会いたかったよォオ!! レェェエイクゥウン!!」
歓喜と狂喜の咆哮をあげながら、述べ四十人以上はいる京子達が、一斉に僕の元へ殺到した。




