75.狂気の研究者
ゾンビのような人々を蹴散らすのは、今までの労苦に比べれば簡単な作業だった。
最初は開拓者で武装してくるかと危惧したが、そんな心配はなく。ただフラつきながらこちらへ噛みつき、掴みかかろうと迫ってくるのみ。
これでは蜂の力を得た、狼達の方が、まだ厄介だっただろう。
そんな訳で、僕とエリザは拍子抜けする位あっさりと、森島が保有する山の麓まで到達していた。そこまではよかったのだ。
「……どうしようかなぁ」
「何かワクワクするわね。映画みたい」
呑気な奴だ。とはもう言うまい。
首尾よく蜘蛛と梟の姿で村に忍び込んだ僕らは、村の中でそれなりに大きな民家へ首尾よく侵入。今は偶然机に置いてあった双眼鏡を拝借し、屋根裏部屋の天窓から外の様子を伺っていた。
エリザが観測した通り、大神村は我が物顔で村を徘徊する人の群れと、村人の死体で溢れている。地獄絵図にふさわしい光景が、そこには広がっていた。
「何だろう。やっぱり……変だ」
「……顔色悪いわねぇ」
大丈夫? おっぱい揉む? と、殺意がわきそうなジョークを飛ばして来るバカに軽く目潰しをかます。「おごおぉ……!」と、いう女性への幻想が壊れそうな呻きを上げ、のたうち回るエリザを横目に、僕はもう一度。双眼鏡を覗き込む。
感染したと思われる人間達は、はっきりと異常な行動を繰り返していた。
死体を胴上げや死体とダンス。なんてまだ可愛らしい方だ。
民家から持ってきたらしいノコギリで、死体をバラバラに解体している女性。
死体の髪の毛をひたすらにブチリブチリと引き抜いては、自分の頭にペタペタとくっつけていくハゲ頭の中年男性。
死体の腹を切り開き、内臓を引きずり出しては恍惚な顔を浮かべる老婆。
果ては……。女性の死体を相手に、口にするのは憚れる行為をしている青年までいる。
「あれを見て平気になれるほど、人間は止めてない」
「……そうゆう青いとこも好きよ」
「はいはい。……そもそも、ここに死体がたくさんあるのが、もうおかしいんだ」
「あら、どうして?」
少しだけ考えてから、答えは得られなかったのか、エリザは両手を上げて降参のポーズをする。
「いいかい。まず大神村の住人は、蜂にされた人間以外は、あらかじめ村の分校に避難していた筈なんだ。そして、その分校もまた、蜂の手に落ちて生存者はゼロ」
「……成る程。本来ならば死体の山は分校にあるべき。なのにここにあるという事は」
「そう。感染した人間達が、ここに引っ張って来たんだよ。あるいは、死体の山をわざわざここに運んだか」
個人的には、後者の方があり得そうだ。
「運んだって、何のために?」そうエリザが問いかけるので、僕は双眼鏡を軽くつつく。
「見ただろう? あいつら、あり得ないほど死体に執着していた。けど、生きている感染者以外の存在には襲いかかっている。多分だけど、根底からしてそういう性質なんだ」
僕のつがいたる怪物ならば、キスを。リリカ達みたいな蜂ならば、女王へ危害を加えることのタブー辺りが該当する。
死体を増やし、思い思いの死体遊び。十中八九、あれらはそういう生き物なのだ。そう僕の直感が囁いていた。
「松井英明からすれば、あいつらは多分壁であり、探知機なんだ。僕らがくればあいつらが騒ぐだろうからね。故にここに集中して集めたんだ」
「騒ぎに乗じて逃げれるように?」
「あるいは、その騒ぎすら、彼の実験かも」
「賭けてもいいわ。絶対実験ね」
そう言いながら、エリザは双眼鏡を床に置く。
これからどうするの? サファイアの瞳がそう問いかけていた。
「松井英明の場所は?」
「公民館に、簡易な実験拠点を構えているみたいね」
「よし。なら、最短ルートで近くまで移動。周辺の索敵をして……乗り込む」
「シンプルねぇ」
「他に方法はないだろう? さっさと終わらせて、帰りたいんだよ」
「じゃあ、松井さんから聞くのを聞いてボコボコにしたら……私は用済み?」
静かにそう問いかけるエリザ。僕は少しだけ息を詰まらせて。静かに頷いた。
すると、エリザは悲しげに視線を下に落とした。
「…………ここで、嫌だ嫌だって、無様に泣きわめいたら、思いとどまってくれるかしら?」
「ありえない」
「実は今、少し泣きそうなの」
「関係ない」
「……どうしても? 友達として傍にいるのも……ダメ? 精神観測はともかく、精神干渉は絶対に使わないと誓うわ」
「君はそれを……もっと早くに言うべきだった。変な陰謀なんて練らずに。ただ寂しくて。友人として近づいて来てたなら、また違っていたかもしれない」
けど、それは無理だったろう? 僕がそう言えば、エリザはため息をつきながら頷いた。
「ええ。私は、貴方が欲しかったんだもの。貴方の一番でありたかった。でも……正攻法じゃあ無理って事もわかってたわ」
だから全てを歪めてでも、貴方を手に入れようとして敗北した。そう付け加えて、エリザは自分の腕を見る。女性らしい綺麗な腕。その肌には幾つもの噛み傷がある。僕が彼女を隷属させる為に付けた傷。それを彼女は再生せずに、意図的に残していた。
「悲しくて、絶望したわ。けど……貴方は利用するためとはいえ、私を生かしてくれた」
「……有効なカードを利用して、厄介事を全て片付ける為だよ。それで君のプライドも何もかもをズタボロにする……」
筈だったんだけどなぁ。
知らず知らずのうちにため息が漏れる。こいつは……思っていたよりたくましい奴だった。
最強な怪物だから、ぞんざいな扱いをすれば嫌がらせになる。そう思っていたのに。
「フフ……。私にはただのご褒美だったわね。だって貴方といる間は、楽しくて仕方なかったもの」
「……胃が痛い」
「レイは楽しくなかった?」
「疲れた」
本心である。するとエリザは、もぉ~。というように頬を膨らませる。その顔を見た時……僕は後悔した。
彼女は、小刻みに震えていた。
「ねぇ……」
「なんだよ」
見えないように。気取られぬよう拳を握る。甘い考えは捨てろ。僕は今まで何を見てきた? それを思い出せば思い出す程に、彼女を信用する訳にはいかなかった。
「死にたく……ないわ」
「……ダメだ」
「……泣いちゃうわよ?」
「ご勝手に」
「……っ」
その途端、堰を切ったかのように泣き始めたエリザは、そのまま僕の方へ飛び込んでくる。咄嗟に手を前に出して彼女を拒絶すれば、エリザはますます悲哀に滲んだ顔で僕の腕に両腕ですがりついた。
「……ごめんなさい。でも、お願い! 初めてなの! こんなに幸せだったの……! これが無くなっちゃうのが、凄く怖い……!」
「――っ、離せ。もう出る」
「やだっ!」
今までの余裕に満ちた態度をかなぐり捨てて、エリザは涙ながらに首を横に振る。威厳などない無様な命乞い。だが、何故だろうか。僕は今、ようやくまともに彼女と話しているという気持ちを直感した。
エリザと戦って、強化されたのは操りの力だけではない。超直感の力もまた、鋭さを増している。それが示すのは、彼女は嘘を言っていないという答え。
けど……。
「お前は、分からない! ふとした拍子に少しでも気持ちが傾けば、一瞬で全てを覆せるんだ! 現に一度、君は僕の枷を外した!」
「それだって! たまたま時間が切れただけだし、貴方に自己申告したじゃない! 力も使わなかったわ! 直感だって、反応しなかったでしょう? なら……!」
「それがどうした! 君が今、本当に害意がなくても! これから先どうなるかわからない!」
永遠に続くものなんてない。ただ、そうなるよう努力することは出来る。愛情。友情。忠誠。ありとあらゆる関係において、それは必要だ。
だがその対象は、僕には既にいて。それらを磐石に守る為にはこの選択が最善なのだ。その筈なんだ。
「……僕の前で、皆を歪めて操った。あれが僕にとってどれだけ怖かったと思う? 屋敷で言った通り、考えは今も変わらない! というか、何で今更こんなに必死になる!?」
「だって……だって……!」
唇を噛み締めて、エリザは叫ぶ。
「貴方にだって、わからないでしょうね……。死ぬなんて漠然としてて、恐怖なんてなかった怪物が……今迄にない幸せを抱えながら、着々と死に向かう気持ちだなんて……!」
「そんなの……そんなの……!」
「私は今、心が読めないわ。だから、貴方が今、何を思っているか分からない。眉間に皺を寄せて。まるで自分に言い聞かせるみたいに……」
「黙れよ!」
喉を締め上げる。会話は危険と判断し、彼女に命令を下す。
強制的に小さい梟に変身せよ。それだけで、彼女の意志と身体の所有権は剥奪される。
それが、話は終わりだという合図だった。
身体を蜘蛛に変えて、エリザの頭にへばりつく。
低い鳴き声を上げて、音もなく。梟は公民館まで音もなく飛んで行く。
「こうやって訴えるしか。もう私には出来ないの。きっと最期の最期まで」
返事はしない。それをわかっているようにエリザは言葉を紡ぐ。
「だって……嫌だわ。このまま時間と一緒に、貴方に殺されて。いずれ忘れられていくなんて……堪えられない……!」
心に蓋をする。
最後の舞台は、もう目前だった。
※
公民館前に着いた僕らは、実際にはその中に入ることはなかった。
その場において、異様な禍々しさを肌に感じたのだ。
元凶は、建物のすぐ隣。運動施設として利用されていたのだろう。体育館から。
「あっち……かな」
「…………」
エリザからの返答はない。拗ねたような。落ち込んだような顔だった。
きっと、本来はこんなあり方が正しいのだ。
無言で扉に手をかける。重々しい音がして。体育館特有のコンクリート臭さが鼻を突く。
電気はつけられていない暗闇の空間。その奥から……。
「待ってましたよ」
聞いたことがある……気がする声。そもそも暗躍を感じはしても、そこまで関わりがなかった事に気がついた。
だが、それでも僕は、そこにいる人物の正体に確信を持っていた。
闇の中に足を踏み入れる。暗がりに、ぼんやりと青白い柱式にしたケミカルライトの光がまばらに置かれていた。
その中心に、白衣に身を包んだ痩せた男が立っている。
「……遠坂君。君に来て欲しかった。ああ……これで、俺の研究は完成する……!」
狂気の研究者、松井英明が、悲鳴にも似た声を上げる。その顔はどこまでも歪みきった笑みを張り付けていた。




