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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ四 愛憎の最終紛争
191/221

73.I’m a……

「I’m a B.A」

 流暢な発音と共にジョンは跳躍し、地面に着地する。

 直感から、次に取る行動が突進だと予測。回避行動を取った僕が見たのは、興奮した猪のようにその身でたたらを踏み、転がるように方向転換したジョンの顔だった。

 ……まさかコイツ、意識がない?

 一瞬だけそんな考えが浮かぶが即座に否定する。

「I’m a B.A. I’m a B.A……!」

 謎めいた言葉を発し続ける彼の口から、唾液が泡のように弾けて滴る。

 確かに生きている。

 けど、僅かな対峙で読み取った、あの理知的な雰囲気や、隙のない身体運びがそこにはない。外見だけ似ている別人と言われたら、即座に信じられるくらいに、今の彼は酷かった。

「……I’m a B.A!」

 拳を振りかぶりながら、こちらへ走るジョン。僕はそれを見据えたまま、静かに手を振るう。

 植物を使う様子もない。これでは、ただの荒くれ者と何ら変わらず。拘束は容易だった。

「I’m a……!」

「ちょっと黙って。何があったんです?」

「I’m a B.A……」

「…………失礼」

 もがくジョンに対話を試みるが、反応はなし。やむ無く目の前で指を動かしてみるが、目は焦点が合わず、虚ろに見開かれていた。

 困り果てた僕は軽くジョンの腕に噛みつく。ほのかなカビのような匂いに顔をしかめつつ、簡単な命令を施してみるが、これもダメ。

 一瞬だけ身体は動くが、すぐにジョンは不気味な笑みを顔に張り付けたまま、「I’m a B.A……」と譫言のように繰り返すだけだった。

「……エリザ、何か知ってる?」

「いいえ。というか……どうみても正気じゃないわねぇ」

「でも強襲部隊は、君が操ってたんだろう?」

「誤解よ。前身となる組織が確かにあって、そこに松井さんをねじ込んだのは私だけど、体のいい戦力として数えてただけ。殆どは松井さんが仕切ってるわ」

「入り込ませたのは?」

「お、面白そうだったから……」

 怒る? おこなの? と、白々しく震えながら僕を伺うエリザ。説明を。という無言の圧力をかければ、彼女は観念したように肩を落とした。

「松井英明の好奇心と着眼点は見事だったわ。彼はそれによって怪物……アモル・アラーネオーススの名を業界に知らしめると共に、多くの怪物達の存在を白日に晒さんとした。私はその考えに賛同しただけよ」

「何の為に?」

 デメリットしか見えないではないか。という僕の顔に、「そうかもしれないわね」と、エリザは頷く。

「けど、必要だと思ったの。いつかに彗星が空を走った日、覚えてる? 多分貴方が怪物として生まれて間もない頃よ」

「……ミハイル彗星だっけ?」

 結局何なのかわからないまま。あれと同時にカオナシ達が現れたから、関係あるのかな。と、思ったが、当の本人達はピピュ? と、首を傾げるだけだった。

 あれ以来怪物の行動が活発になった。とは聞いていたけど。

 するとエリザは少しだけ思案してから、ゆっくりと口を開いた。

「レイは、あれを見てどう思った?」

「え? 別に何も……ああ、そう言えば、たまに声は、聞こえた」

「ソッチヘイクヨ……って?」

 僕が神妙な顔で頷けば、エリザは私も聞こえたわ。と言いながら目を細めた。

「私はね。あの星が何らかの怪物であるようにしか思えないの。そう考えたら、あの声は何だったのか」

「そのまんまの意味じゃないの?」

「どうして私達に?」

「それは……」

 どうしてだ? 思わず考え込むが、答えは出ない。この感覚は久しぶりだ。怪物の正体を知ろうと躍起になっていた頃を思い出す。

「私は、二つ考えたわ。地球上に、……星の探し求める何かがいる。あるいは……単なる私達、全怪物への静かな宣戦布告」

「……まさか」

 話が飛躍しすぎだ。と、僕が茶化すが、エリザは大真面目だった。

「そう思ったら、気になって、調べずにはいられなかった。加えて、人間である松井さんも、あの声を聞いたと言っていたわ。この男も、何かあるかもしれない。そう思ったから、私は強襲部隊のトップを松井さんにすげ替えた」

 情報と傀儡が欲しかったのよ。人間と怪物。両方の。そう言ってエリザは空を見る。

「……でも、結局の理由は面白そうだからなんだろう?」

「…………っ」

 その場に沈黙が訪れた。オイ。と、声をかければ、エリザは顔をひきつらせたまま目をそらした。

「君、さっきの理由は今考えただろう?」

「そ、そんなことにゃ……ないわ」

「……松井さんの好奇心が見事って言ってたね。まさか、彼を怪物関係の要職につかせれば、一体どんなことが起きるだろう……なんて、君が考えそうなことじゃないか?」

「……貴方みたいな勘のいい旦那様は大好きよ」

 僕は無言でエリザの頬っぺたをつねり上げた。

「いひゃい! いひゃいぃ! DV! これDVだわ!」

「やかましい」

 ベチンという音をさせて解放すれば、エリザの恨みがましい目がこちらを見る。だが、僕がにらみ返すと、いじけるように指を突き合わせ、そっぽを向いてしまった。

「だって、あの手の人間って色々とやらかしてくれたり、たまに大どんでん返ししてくれるから……つい」

 暗躍が好きとか言ってたけど、今はっきりとわかった。コイツ……意外とノリで生きているというか、結構な快楽主義なのだ。

「じゃあ、その松井さんが何をやっているかは知ってる?」

「…………っ」

「……オイ」

「わ、私ね! こう見えてスタイルには自身があるの! 上から……」

「どうでもいい。こっちを見ろ」

「あぅう……」

 涙目でしょぼんとするエリザ。何ともいえぬ気分になりながら、僕は内心で困り果てていた。

「君、もしかして組織じゃ孤立してた?」

「し、失礼ね! ちゃんとトップと関わりがある門外顧問的な風格を……」

「でもそのトップの情報はないと?」

「し、仕方ないじゃない! 松井さんったら私の能力を知るや否や、直接の対峙は徹底的に避けて、電話かスカイプばっかりで……!」

「周りから集めなかったの?」

「しようとしたわよぅ! けど……そういう態度は私以外の面々にも徹底してたみたい。秘書や助手も持たなかったし、拠点も転々としてたから、本当に情報は断片的なものばかりで……」

 あんなアクティブな引きこもりは初めて見たわ。

 疲れたようにそう言いながら、エリザはジョンに視線を移す。I’m a B.A。という譫言じみた言葉は、まだ続いていた。

「わかっているのは、彼は怪物に関わる実験を繰り返していること。そしてその計画の名前が……プロジェクトBerserker・Armaments。略して……」

「B.A?」

直訳すれば、狂戦士と武装だろうか。

「I’m a B.A……I’m a B.A……I’m a B.A……!」

 ケタケタと笑いながら、ジョンは濁った目でこちらを見る。

 歯を剥き出しにし、噛みつかんとばかりに身を捩る憐れな姿は、戦士というよりはゾンビのようだった。

『カイナ達の身体には、特殊な爆弾とナノマシンサイズの発信器が取り付けられてるの。だから強襲部隊に所属したら最後。組織からは逃げられないし、不要と判断されたら殺処分されちゃうんです』

 蛇少女の言葉が甦る。あれは……爆弾とはもしかしてこの事を指していたのだろうか。思考の渦に僕が沈みかけた時。僕は不意に重大な事を思い出した。

「――そうだ、強襲部隊の、女の人は……!?」

 ジョンがここにいたという事は、女の人も解放されている?

 一瞬だけそんな不安が胸を過るが、ジョンの様子を見る限り、彼に今、理知的な行動を取れるとは思えないことに気づく。

 何だ、これなら安心……。

「いや、まずい……」

「……レイ?」

 焦ったような声を絞り出した僕の横顔を、エリザが不安そうに覗き込む。

 説明する暇も惜しく、僕は急かされるように走り出した。

 再度自分にバカが! と、悪態をつく。

 考えてみて欲しい。もしも理性が蒸発した怪物の側に、拘束された生身の女性がいたら?

 何も起こらないなど、有り得ない。寧ろ怪物は、高い確率で、その女性に襲いかかるだろう。

「くそっ……最悪だ……!」 

 逃げられて敵に回るか。喰われて情報が得られないか。どっちに転んでも悪い方にしか行かない未来に、僕は唇を噛み締めた。

「間に合え……!」

 全力で大地を蹴る。何を祈るべきかすら分からなくなってきて、僕はただひたすら、夜の帷を疾駆した。


 ※


 甘い香りと共に小野大輔が目を覚ました時、最初に視界に入ったのは、美しい少女の上半身だった。

 燃えるような赤毛は丁寧なシニョンにされていて、身に纏う少女らしい薄桃色のブラウスにマッチしていた。だが、その下半身は何処までも凶悪な蛇の胴体だ。

 愛らしいタレ目が、月下で柔らかい弧を描き。大輔はその無邪気な笑みに毒気を抜かれたかのように呆けていた。

 強襲部隊。確か、桜塚龍馬といた、蛇の怪物少女……カイナだ。

「お前……っ!?」

 何故ここに。という言葉を発しようとした瞬間、大輔はザラザラした鱗が肌に絡み付いているのを感じた。

 絡み付かれている――!

 そう察知した刑事の身体は一瞬で戦闘用に切り替わり……。

「あっ、待ってぇ。待ってくださいよぉ」

 慌てたように手をパタパタさせながら、カイナはあっさり大輔を解放し、ずりずりと距離を取る。

 身体をくねらせ、歪んだとぐろを巻くカイナの顔には、敵意が感じられず。自由になった大輔は、前への注意を怠らぬまま、ゆっくりと辺りを見渡した。

「ここ……は……?」

「大神村……の、外れですねぇ」

 結構遠くまで来ましたぁ。と言いながら、カイナはゆっくりと、身体を屈める。そこには、眠ったままの龍馬が横たわっていた。

「ご主人様。ご主人様。起きてください」

 ユサユサと揺すりながら、カイナは舌をチロチロさせる。恋慕だろうか。レイの傍に寄り添う、少女の怪物を思い出すような、熱が込められた眼差しだった。

「……他の、熊の奴は?」

「わかりません。カイナは取引に応じただけですから」

「……そうか」

 ガクリと、大輔は肩を落とす。レイは恐らく、言っていた事を実行したのだろう。そう思うと、大輔は拳を握り締めざるを得なかった。

「……お優しいんですねぇ」

「……何が正しいかわからない。だから、必死に今あるものをかき集めて守る。そうしたいだけだ」

「へぇー」

 たいして興味もないくせに聞いてきたのは、カイナなりに場をもたせようとしたからだろうか。

 そんな中で、二人の間で呻くような声が上がる。

 龍馬が目を覚ましたのだ。

「ご主人様っ!」

 パッと嬉しそうに飛び付き、頬擦りするカイナをやんわりと手で制しながら、龍馬は素早く辺りを見渡して、すぐに大輔に目を向ける。

 暫しの無言の対峙が訪れて。やがて龍馬は脱力したかのように肩を竦めた。それだけで、大輔は説明の不要を悟った。

 対策課においても、龍馬は優秀な男だった。

「警部が、助けてくれたので?」

「助けようとしたのは事実だが、残念ながらワンパンノックアウトよ。頑張ってくれたのはそこにいる蛇のお嬢さんだ」

 大輔がそう言えば、龍馬は能面のような顔でカイナを見る。

 カイナは一瞬だけビクンと身体を跳ね上がらせてから、やがておずおずと小さくお辞儀した。龍馬はそれを無言で見つめ……やがて、観念したかのようにため息をついた。

「…………よくやった。カイナ」

「――っ!」

 声にならない喜びの表情を浮かべながら、カイナが龍馬の胸に顔を埋める。

 事実としては、レイがカイナの方へ交渉を持ちかけたのだが、細かいことはいいだろう。

「ところで警部。助けて貰い、こんなことを言うのも心苦しいが。ここに来たという事は、尋問を受ける覚悟はあると受け取ってよろしいでしょうか」

「……まぁ、そうなるのが妥当か」

 手錠でもかけるか? と、おどける大輔に、龍馬は暫く考え込み……。そこで不意に龍馬の懐で鋭い着信音がする。

「はい、此方桜塚。……はい。…………はい」

 淡々と事務的に返事をする龍馬。強襲部隊の上ということは、松井英明だろうか? そう直感した大輔は耳をすますが、生憎会話は聞き取れなかった。

「わかりました。では……離脱を」

 そう言って通話を切った龍馬は素早く立ち上がり、「立てますか?」と、大輔の方へ手を差し伸べる。

「手錠は必要ありません。ここは今から、危険地帯になります。何があるかはわかりませんので、警部も気を抜かぬようお願いしたい」

「…………は?」

 あまりにも唐突な話についていけず、大輔が目を白黒させる前で、龍馬はカイナの方に詰め寄った。

「カイナ。俺が分かるか? 身体の何処かが、おかしくはないな?」

「ふぇ? は、はい。カイナはカイナですよ?」

「……俺が怪物を駆逐する理由は?」

 目をしばたかせながら可愛らしく首を傾げていたカイナの表情が、一転する。目を閉じて、拳を握り締めたままで、言葉を紡ぐ。それは、普段の甘くほわほわした彼女の声からかけ離れていて。冷たく危うげな、抜き身の刃物を思わせた。

「全てはこの世に起きうる、怪物の悲劇を潰すため。そして……千夏(チカ)様を喰い殺したカイナを、一番最後に殺す為に」

 震える声でそう唱和するカイナ。取り囲む空気はどこまでも悲哀に満ちていた。

「……そうだ。それでいい」

「あの、ご主人様? どうして今更、こんな確認するような事を……」

「余計な口は挟むな。ただ、違和感を感じたら報告しろ」

「……はい。わかりました」

 臣下の如く一礼し、カイナが引き下がる。大輔は、完全に置いてきぼりだった。

「危険地帯って、何だ?」

「そのままの意味です。松井さんの実験が始まるならば、正直危険地帯になるのは確定だ。幸か不幸か、村人の生存者はいない」

「一応、一人はいる」

「遠くに逃げたと聞きましたが?」

「まぁ、そうだな」

 森島美智子はもはや大輔一人では捕捉は出来ないだろう。夜が明けたら、応援を頼むしかない。

「そんなに、危険なのか?」

「ええ。間違いなく。ですが、この辺り一帯には人間はいないでしょう。ならば安心……警部?」

 龍馬の声が、怪訝なものに変わる。急に大輔が、雷でも受けたかのように固まってしまったからだ。どうしたのか。と、戸惑う龍馬。

 その一方、大輔は身体の震えが止まらなかった。

 部下の殉職や怪物化による、事実上ではあるが対策課の壊滅。数多の戦いに、レイとの決別。あまりにも、濃すぎる一夜は残るは地獄からの脱出で幕を降ろす筈だった。

 だが、大輔には刑事として。上司として、まだやらねばならぬことを今まさに思い出していた。


「雪代……!」


 泣き黒子が特徴的な、女刑事を思い出す。

 彼女は謎めいた言葉を残したまま、未だに行方知れず。

 だが、もしもまだこの村にいるのなら……。

「……すまん、桜塚。用事が出来た」

「……はい?」

 目を見開く龍馬に、悪いな。と、頬をかきながら、大輔は開拓者(パイオニア)を。怪物殺しの拳銃を握り締める。

「雪代がな。まだ村にいるかも知れねぇ。しょっぴいたら、必ず後を追う。先に離脱してろ」

 あの女は油断ならない。だが、このまま行方不明になり、平気かと問われたら、間違いなく大輔は首を横に振るだろう。

 仮にも対策課が出来る前から相棒(バディ)を組んでいたのだ。

「次に会ったら迷わず殺せ」と言われて、納得出来る筈もないのである。

 制止する龍馬の声を無視して、大輔は走り出す。

 先ずは何処へ行くか。村を目指すか? 分校は炎上していたが、他の建物の大半は無事だったはず……。

 素早く思案を重ねる大輔。すると、背後から誰かが走ってくる気配がした。

 龍馬だろうか。力ずくで止めに来たか。それとも監視の名目でついてきてくれたのか。

 一応、無茶をするな。自分は逃げる気もないという意志を伝えておこう。

 そう思った大輔は走りながら後ろを振り返り……。


「I’m a B.A……!」


 不意に、謎めいた誰かの声を耳にする。

 その瞬間――。目を見開いた大輔に、黒い影が覆い被さった。

 

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