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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ四 愛憎の最終紛争
187/221

69.君の名を呼ぶ

 牽制がわりに蜘蛛糸を撒き散らしながら、僕はこの場にいる敵を確認した。

 全部で三人。うち二人が怪物。桜塚さんの情報では、あと一人怪物がいる筈だが、その姿はない。うなじをざわめかせる嫌な感じはしないので、恐らくルイが倒してしまったのだろう。

「そうか、お前が遠坂黎真か……!」

 植物を壁状に展開させながら、金髪の男が唸るように息を吐く。容姿からして、叔父さんが対峙したジョンとかいう奴だろう。有り体にいえば、植物の怪物。近付けば、食虫植物を駆使して、此方の動きを封じていくという、厄介な相手。そして……。

「成る程……貴方がエディを殺した人か」

 喉の奥から、今までにない気持ち悪さが這い上がってくる。

 胸がムカムカするような。それでいて、身体中が炎で舐め回されているみたいな、心の揺らぎ。

 それは、背後でボロボロになったまま倒れたているルイの姿を目の端に映した瞬間。劇鉄を起こすように弾けた。

 普段は余り生じない激情に身を委ねた時、僕は今ならば手足をもがれても戦い抜けると直感する。

「何だ? あのワンちゃんの知り合い……」

「黙れ」

 手を振るい、不可視の蜘蛛糸をジョンの右下の地面へ。

 会話する時間も惜しい。巻き取りと同時に身体を再び蜘蛛に変化させ、軽くなった身体は高速で宙を舞う。

 着地点はジョンの斜め後ろの地面。蜘蛛から再び人へ。端から見たら瞬間移動したように見える軌道に、ジョンはついてこれていない。

 故に、僕の口はいとも簡単に、ジョンの足に食らいついた。

「ぬ……ぐ!?」

 くぐもった呻きを上げながら、ジョンが反撃しようとした頃には、僕は既に仕事を終え、悠々と離脱する。

 確かに植物は種類も多く、何かと応用が効くだろう。

 だが、リリカ達蜂のように空を飛べる訳でもなく。

 カイナのように蛇のピット器官を持ち合わせている訳ではない。

 つまるところ、待ちの狩りに特化しているだけで、彼自身は動物由来の身体能力が備わらないのである。

 故に、一度でも侵攻してしまえば、崩すのは容易い。

 手で抜けない程に群生した植物ならば……除草剤を撒いてしまえばいいのだから。


 能力解除。

 思考停止。

 身体硬直。

 再生阻害。


 下すのは、四つの命令。エリザとの戦いで否応なしに研ぎ澄まされ、鋭さを増した支配の力は、今までにない拘束力と絶対遵守の圧力をもって、ジョンの身体を完全に無力化する。

 休息はさせない。攻撃も、何らかの作戦を練る時間も没収する。

 ここで心臓を貫くのは容易い。だが、僕はあえて、拳と痛みを振りかざす事を選択した。

 顔面に一撃。頬骨と顎を粉砕する。まずはエディの分。

 次に鎖骨にチョップ。頭蓋骨を叩き割るような勢いで、地味に痛みが持続する。かつ、治りにくい部位を破砕した。顔だけじゃ足りないので、これもエディの分。

 右手首を掴み、肩側に抜き手を突き立て、そのまま捻ることで間接を外す。左腕も同様に。身体のバランスが崩れて倒れそうになったので、蜘蛛糸にジョンの身体を磔にする。エディの分。

 倒れて殴りにくくなる心配がなくなったので、ボディブローをお見舞いする。ルイや叔父さんみたいに上手くはいかない。ただ、やはり植物。リリカ達みたいに頑強な甲殻で身体を覆っている訳ではないらしい。二撃で肋越しに内臓を撹拌できた手応えを得られた。これは……優香ちゃんの嘆きの分。

 そこから流れるように、堂に入らない雑なキックを繰り出す。狙うは股間。剥き出しの弱点がそこにあるなら、そこを攻めるが合理的だと気づかされたのは……後ろにいる梟女のせいだろう。本当に……本当に酷い目にあった。やるのはアイツが僕にした事の、一割程度。他九割はただの精神攻撃かつ、僕がするにはおぞましすぎるので実行はしない。キックが入った時、トマトを踏み潰してしまった時を思い出した。やられて嫌な事を人にはやるな。と、言うけれど、こいつはルイを痛め付けたから、僕視点では問題なし。許してとも言うまい。

「テメェ! 好き放題やりやがってぇ!」

 次は両足の間接を外そうか。そう思った瞬間に、超直感が敵性を捉える。

 背後から、単調な突撃。

 故にカウンターの形で飛び込んで来た奴に蜘蛛網を絡め、そのまま横っ飛びでジョンから距離を取る。

「…………黒いカナブン? コガネムシ?」

「スカラベだぁ! 幽霊野郎!」

 スカラベ……って、確かフンコロガシか。黒いずんぐりとしたいかにも甲虫といったフォルムは、現実には有り得ない大きさも相俟って昆虫マニアには垂涎ものだろう。僕の琴線は欠片もくすぐらないけども。

 糸は絡めてる。引っ張り上げ、鎖分銅の要領で振り回す。腕の筋肉が少しだけ張りつめ、うねるような感覚を沸き上げた。

 思っていた以上に重い。だけど……それならば好都合だった。

「――はっ!」

 気合いと一緒にそれを放つ。だが、スカラベは自分が凶器に使われると察したのか、その身がジョンに叩きつけられる直前、素早く人間の姿に戻る。

 肉が衝突する鈍い音と一緒にらたわんだ蜘蛛糸が二人分の重さに負け、ゆっくりとジョンとスカラベを地面に横たえた。

「お前……私を、利用したッスね……!」

「カイナの絡み付きみたいに、変身を阻害できたら良かったんだけどね。あの絶妙な絞め具合は……真似出来ないな」

「――っ、お前っ! カイナちゃんは? あの子は……!」

 食いついた。

 内心で歓声を上げながら、僕は極力冷徹な表情を装う。彼女は証人になってもらう。僕が叔父さんと対立したこと。そして……。

「そっちが手出しして来なかったら、僕も動くつもりはなかったんだ。けど、追ってきたからね。殺そうと思ったんだけど。大輔叔父さんの邪魔が入った」

「……はぁ? 大輔って……。あのマッチョマンの半裸男、あんたの味方じゃ……」

「笑えることに、強襲部隊も市民なんだってさ。だから、殺すのは許せないと来た。考え方の違いだね」

 嘲るような笑いの演技をしつつ、僕は鉤爪を構える。ジョンは既にグロッキー。止めを刺す素振りをみせれば、スカラベの女は健気にその前に立ちはだかった。

「殺すの、まだ慣れてないんだ。それに、これからやることもいっぱいある。引いてくれないかな」

「ダメッスね。私だって部隊の端くれです。通さないし、通せない」

 裸身の女はそう言って、身体を変化させる。肌が黒く艶やかになり、鋼鉄の光沢を有し始めた。

 昆虫人間とというべきその姿は、暗い夜の森において、殊更に不気味かつ恐怖を煽る形態だった。

「硬さには自身があるッス。簡単に倒せると思うなよ……!」

 スカラベが、一気にスタートダッシュを切る。頑強な身体を頼みとした殺人タックル。それを最小限でかわせば、彼女はそのまま見事なターンを披露して、僕を追撃する。

 爪で切る。弾かれた。あれでは噛みついて、支配の力を通すのは困難だ。糸の弾丸でも貫けない。身体の頑丈さは、蜂を上回るだろう。

 有する攻撃手段では、決定打はのぞめない。僕の勘がそう囁いた。

 ならば……。

「逃げんなぁ!」

「いや、無理だよ。僕じゃ君は倒せない。だから……」

 封じる。

 そう口には出さず、ピョンピョン跳ねて逃げながらも、視認しずらい糸を張り巡らす。相手はお構いなしに突撃してきて、それを身体に絡めていく。

 気づけないレベルの重さを有した粘性だけ特別製な細い糸。それが少しずつ、身体に取りついているなど知るよしもなく、一度。二度、三度から四とスカラベはタックルを繰り返し。

「え……? あれ?」

 五度目のタックルで、スカラベは困惑の声を上げる。直感した通りだ。彼女はべらぼうに硬く。体力が物凄い。だが……それだけ。

 鉤爪も、飛び道具も持ち合わせていない。ならば、拘束しきれば、人間と変わらない。

 糸を噴射。今度は重さ、粘り、強度。全てが一級品なもの。ぐるぐる巻きのミイラ状態にした挙げ句、木にくくりつけ、そこに倒木を添えて更に巻き付ける徹底ぶり。並の怪物ではまず逃げ出せない、鋼鉄の棺が完成した。

「――っ! ――っ!」

 くぐもった呪詛らしき、意味をなさない音が繭から響く。これで彼女も動けないだろう。後は……。

「……ああ、危なかったのか」

「そんな事、思ってはいないでしょうに」

 この場でただ一人の人間。なのに、直感がもっとも気を付けよと囁いた相手と対峙する。

 闇の中、彼女は手持ちぶさたに空と僕を交互に見ていた。

「銀を人質に……しようと思ってたんですがね。鳶に持ってかれちゃいまして」

「失礼ね! 私は可愛い森の梟さんよ!」

 少し離れた宙をエリザが音もなく浮遊していた。その巨大な脚には、ルイと……シベリアンハスキーが掴まれていた。あれでは人間である女性に手出しは出来まい。

 エライ? ねぇ私エライ? 褒めて褒めて~。と言わんばかりにエリザが目を輝かせながらこっちを見てくるが、それは無視した。

「……任務は、失敗ですね。蜂は殲滅した。いえ、して貰ったが正しいでしょうが、肝心の目的である貴方を回収しきれていない」

「僕は大した収穫にはならないだろう」

「そんな事はありませんよ。貴方個人はどうでもいいですが、生きたアモル・アラーネオースス。というのがまず貴重ですから。是非手中に納めたいんですよ。強襲部隊(わたしたち)はね」

 降参。と、手を上げた女性の手を糸で拘束する。

「……ご安心を。何にも企んではいませんよ。貴方と、そこの胡散臭い害鳥に挟まれてるなら……まぁ、仕方ありません」

 私を殺すと言うなら、全力で抵抗しますけど。と、試すような視線を向けてくる女に、僕は首を横に振った。

「今後も追ってくるなら考えるけど、今は殺さない。寧ろ……伝言を頼みたいな」

「……後悔しますよ? というか……伝言、ですか?」

 そのまま彼女を木の根本に座るように促し、手枷を解除。再度後ろ手に拘束する。人間ならばこれで問題ないだろう。

 次はジョンを引っ張ってきて、こっちはのり巻きもかくやにぐるぐる巻きにした。

「何もしないならよし。もし敵対するなら殺す気でいくってね」

 女性はその言葉を噛み砕き、値踏みするように僕を見る。真実か否か。それを見定める目だった。ここで気取られる訳にはいかないので、薄く笑みを浮かべてみせた後、僕はエリザの方を向く。彼女は丁度、ルイと傷だらけのハスキー犬を地面に横たえた所だった。

「……君は、まさか、エディの?」

 屋敷で共闘した犬達。その中で姿を見た覚えがあったのだ。するとハスキー犬はヘッヘ……。と、短く喘ぎながらも小さく頷いた。灰色の瞳からは一筋の涙が伝い落ちていた。

「……ケビン。スズナ。ダンデス……。やった、ぞ……。俺達の……勝ちだ……!」

 パタリと尻尾を一振りし、そのままハスキー犬は動かなくなった。後に残るのは、穏やかな寝息。さっきまで人獣の姿を取っていたという事は、何らかの経緯を持って蜂の怪物になったのだろう。ルイの味方をしてくれたのは、恐らく僕の怪物が女王になったから。といった所だろうか。ともかく、疲れているみたいだから、もう暫く寝かしてあげる事にした。

「……ルイ」

 そのまま、隣に倒れているルイに目を向ける。片腕に片足。満身創痍の彼は顔だけ此方に向けながら、柔らかく微笑んだ。

「カッコ悪いとこ……見せちゃってるね」

「……そんな事、ないさ」

 涙が。嘆きが溢れそうになるのを必死に堪えて、僕はそっとルイを抱き上げる。

 されるがままで僕に持ち上げられた彼は、愕然とするくらいに軽く、弱々しかった。

「行こう。優香ちゃんは……屋敷だろう? 僕が連れていくよ」

 いつかみたいにルイを背負い、片腕では不安なので念のため蜘蛛糸を駆使して補強する。

 ルイは浅い呼吸を繰り返しながら、か細い声で「ありがとう」と呟いた。


 ※


 屋敷の近くで戦っていたから、目的地はすぐそこだった。

 裏側なので、塀を伝って侵入できる。少々行儀は悪いが、入り口まで回るのも時間ロスなので、気にしないことにした。

「……まるで、砦か要塞だな」

 素直な感想を述べる。

 屋敷は今や見る影もないほどに蜘蛛の巣まみれだった。

 至るところに張り巡らされたそこには、瓦礫や角材。果ては根こそぎ引っこ抜かれた木が、空中に固定されていた。

 足場と、侵入者を阻む防壁なのか、あるいは彼女が暴れた結果、意図せずに出来上がってしまったのか。判断はつかない。

「糸に、気をつけて。触れたら多分……飛んで来るかもしれない」

「了解。と、言っても……全部避けて進むのは難しいなぁ」

 トクン……。トクンと、弱々しい鼓動が背中に伝わる。

 それを心の安定剤に、僕はルイを伴って進む。後ろからエリザがついてきているが、アレはいないものとする。ペチャクチャ煩く喋ろうとしたので、支配の力で黙れとだけ命じておいた。涙目になっていたが、知ったことか。

「こうしてレイ君の背中にいると……あの夜を思い出すなぁ」

「……桐原と、京子に挑みに行った時?」

「うん、同時に……僕が救われた瞬間でもあった。本当に、あの一晩は色んな事があったからね……」

 懐かしむように、思い出を噛み締めるようにルイは深呼吸する。一晩といえば、怪物を助けに行ってからも色々あった。今宵の濃さは、いつかの桐原達との戦いに匹敵するか、下手したらそれ以上かもしれない。

 そんな中をまたこうしてルイを背負って歩いているのは、何だか感慨深いというか、奇妙な心情だった。

「……あの時と違うのは……、レイ君がもう一人で戦えること。変わらないのは、あの娘が幸せそうなこと、かな」

「幸せに……出来てるのかな。僕は」

 少しだけ、自信がない。蜂に捕まって酷い目にあわせてしまったり、泣かせてしまったり。僕の為と信じて拾い食い癖がつき、正直危ない橋を何度も渡らせてしまっている。そう考えると、ルイに殴られてもおかしくないダメ夫っぷりだ。僕がそう言えば、ルイは吹き出しつつも心底楽しげに笑っていた。

「人とは違う存在として生きているんだ。困難の一つや二つ。あって然りだよ。それに君はあの娘が危ない時、一度たりとも放置した事はないだろう?」

 充分じゃないか。他ならぬお義父さんにそう肯定して貰い、僕はほんの少しだけ胸のつっかえが取れていくようだった。

 そのまま、暫く無言で進む。屋敷は静寂に包まれていた。

「……また、強くなったね。レイ君」

 ふと、ルイが今まで以上に優しく呟く。僕は、それに返事が出来なかった。身体が震えそうになる。怪物は寒さをそんなに感じないというのに、どうしてしまったのだろうか。

「嬉しかった。君がリカ……いや、エリザだったか。僕では敵わない敵を打ち破って、助けに来てくれた時。ほんの数分で、あの強者達を捩じ伏せた時……。ああ、こんなに頼もしい人が、僕の娘にはついていてくれる。そう再確認して……本当に嬉しかったんだ」

 あの娘の為に、頑張ってくれたんだね。そう言って、ルイは残された片手で、僕の肩をポンと、弱々しくも叩いてくれた。

 唇を、噛み締める。直感がざわめいていて、僕は無意識に早足になった。言葉を。何でもいい。

「君と、約束したから。彼女を守るって。大切な親友と……約束したからこそ、僕は強くなれたんだ」

「ああ、そうか……その大事な要素に、僕はなれたんだね」

 ならもう、思い残す事は……ないかな。

 その囁きに、僕はもう糸など気にせずに、走り出していた。

 後ろでエリザが慌てる気配がしたが、置いていく。まだだ! まだだろう? 君はまだ、やり残してる事がある筈だ!

「もう、すぐそこだ! 優香ちゃんとも話すんだろう? 僕が何とかするから! 五分……いや、一分でいい! 踏ん張って!」

 返事はない。鼓動が弱い。絞り出すように告げられたありがとうという言葉が、僕の胸を締め付けた。

 絡まる糸を手で払いながら、僕は敢えて存在を主張する。だが、暴走しているはずの怪物蜘蛛は一向に現れない。

 ならばと能力を強める。直感が指し示したのは……。いた。縁側だ。エディと日向ぼっこをしながら、姉妹で鞠つきやお手玉をしていた場所。そこの庭!

 屋敷の壁を蹴り砕き、襖をぶち壊し、無理やり直進する。

 やがて、目的地にたどり着いた。

 巨大な、像ほどの大きさの蜘蛛が、屋敷の庭に鎮座している。

 肥大化した腹を引きずったのか、彼女が進んだらしい地面が掘り返されていた。蜘蛛は僕らに気づいたのだろう。だが、何故だろう。襲ってくる気配もなく、事実うなじはざわめかない。ただカシャリと弱々しく鋏のような口を動かすのみだった。

「――、着いたよ。ルイ」

 背中にいる親友に声をかける。

 対話を望んでいた娘が、目の前にいる。無粋な輩は僕が排除しよう。これからは……親子水入らずの時間だ。

 だが、何故だろう。ルイは感極まっているのか、何の反応も返して来なかった。

「……なぁ、着いたってば。優香ちゃん。いるよ? 人間の姿に……戻そうか? ほら、君だって褒めてくれただろう? 僕、強くなったんだよ?」

 あの娘の狂気や暴走を取り除くのだって、朝飯前なのだ。

 そうだ、せっかくだから披露して見せようか。

「聞いてるの? なぁ、ルイ。無視なんて、酷い……じゃないか。何か言ってくれよ。今の僕、有り得ないくらい強気なんだぜ? 何だって出来るよ? だから……だから……」

 声が、震え始める。それでもルイからの返事はない。

 やがて、床を踏みしめるギシリという音が耳に入り……。振り向けば、エリザが少し後ろに立っていた。

 不思議な沈黙が流れる。僕は今、自分がどんな表情をしているのか分からなかった。

 視線が交差する。

 僕の顔を見たエリザは、ハッとしたように身体を一瞬だけ跳ね上げて。やがて悲しそうに目を伏せたまま、静かに首を横に振った。

「……ルイ。……っ、ルイ……」

 名前を呼ぶ。だが、いつもの飄々とした声はもう聞こえない。首に回された手に触れると、そこはまだ少しだけ暖かかった。

「ルイ……。なぁ、ルイ……!」

 気がつけば、僕はガクリと膝をついていて。身体は今までにない寒さが襲っていた。

 ルイに関して事実上、二度目。純也やエディ。兄さんを入れたらと考えかけて、そこで思考を閉じる。慣れなんてもの、存在しうる筈もない。そうなれば、僕はもう本当に取り返しのつかない怪物になってしまうだろうから。

 迷子になった子どものように、決して握り返されない友の手を掴む。

 背中に感じていた、優しく安心するような鼓動は、もう聞こえなくなっていた。

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