67.最期の選択
「明星くんってさ。ロリコンなの?」
「君はいきなり何を言い出すのさ」
不意に投げ掛けられた疑問に、ルイは思わず顔をひきつらせた。読みかけだった本に親指で栞をし、自分の膝を枕に寛いでいる女性に目を向ける。栗色のボブカットに、薄ピンクと白を基調にした、柔らかそうなルームウェアという出で立ちの女性がそこにいた。手にしたレトロチックな携帯ゲーム機を壁がわりに、こちらをチラチラと伺う霜崎有紗は、質問の意図がわからない様子のルイに対して、少しだけ不満げに頬を膨らませた。
「だってさー。私に全然手出ししてくれないじゃん」
「君は少し慎みを持とうか……あと、その台詞はおかしい」
「おかしい? なんでー?」
「こんな言い方はあれだけど……。あー、この間、その……」
「うん。やっちまいましたなー。でもあの時は、私がもの凄い頑張った結果な訳で……あれ以来明星くん変わらないし」
「……君が意外に肉食系というのはよくわかったよ」
「見た目地味でも、元キャバ嬢ですからー。人気は下から数えた方が早かったけどねー」
コテージは、優しい木の香りとココアの甘い匂いで満たされていた。ダイニングルームとリビングが融合したような室内は、生活する上で必要な家具が一通り揃った、簡素な内装となっている。その中で唯一の遊び心というべきソファーの上に寄り添いながら、二人は他愛ない話に花を咲かせていた。
「そもそも、君がドレス着てお酌してる姿が全く想像できないなぁ」
「今思い出しても笑えるよ? お酒溢すわ、トークは出来ないわ、そのくせボディタッチしてきたお客さんに言葉の刃振りかざすわ……。店長に真顔でソープに沈めるぞって言われた時は流石に焦ったよ~」
「笑えないよ」
からからと笑うアリサに、ルイは肩を竦める。今に至るまでの彼女の歩んだ道を知っている訳ではない。だが、決して穏やかな人生でなかった事だけは、言動の端々から読み取れた。
ただ、これに対して此方が沈んだ顔をするのをよしとしない女性であることも、ルイはよく知っている。教授の実験の為とはいえ、曲がりなりにも半年間寝食を共にした仲なのだ。
「てか、話戻そ。私の昔はどうでもいいの。明星くんってロリコンなの?」
「戻さなくていいよ。そのまま忘れようよ」
「ダメだ逃がさん~、さぁ吐けぇ~! 目の前にこんなに明星くんラブな子がいるのに、アプローチ全部無視とか、難攻不落過ぎなの。もう特殊な性癖疑うしかないじゃないか~」
「極端すぎるよ。そんな気はないってば」
「ほんとにぃ~?」
直後、「あ、ヤベ」という小さな声がして、コミカルかつプレイヤーの感情を逆撫でするようなメロディがスピーカーから流れてくる。
「撃墜?」
「されちゃった」
私もまだまだですな~と、呟きながら、アリサはゲーム機を横に置き、じっとルイの顔を見つめる。優しげな、のんびりとした印象を与えるタレ目が、今は明確な強い意志を持って、真っ直ぐ向けられる。それに気圧されたルイが思わず目を逸らそうとするが、それは下から伸びてきたアリサの手で阻止された。
「明星くん、前に言ってたよね。きっと僕は誰かを愛するように出来てないって」
「……思えばあれ聞いてから、君のアプローチが過激になったんだよね」
「あそこで引き下がったら、もう君の中に入るの無理かな~って思ったし。それに、嫌だったから」
「……嫌だった?」
何が? と、首を傾げるルイ。するとアリサは、静かに目を閉じた。大切な思い出を優しく抱き締めるように。
「君が、寂しいこと言うから。だから決めたの。絶対私が幸せにしてやる~って」
「男前だなぁ」
「茶化すなよぉ~」
いひひ……。と、笑いながら、アリサはルイの胸を指でつつく。その目を僅かに不安で揺らしながら。
やがて、細い指がルイの胸元を弱々しく捕らえ、アリサはそのまま身体を反転させ、ルイの腹部に顔を埋めた。
「……霜崎さん?」
「君は、変わらないよね」
絞り出すように、ポツリとアリサは同じ言葉を呟いた。さっきまでの明るさは何処にもない。その様子をルイは黙ってみつめたまま、彼女にわからぬよう短くため息をついた。
「……ごめんね。実はずっと謝りたくて。だってあの夜は、殆ど……」
「僕は誰かを愛するようになんて出来てない」
一字一句はっきりと、ルイがそう宣言すると、アリサの身体が分かりやすくピクリと跳ね上がり。やがて、小さく震え始める。それを肌で感じながら、ルイは深呼吸し……。
「そう……〝思ってた〟」
「…………え?」
そっと彼女の方に手を伸ばす。指通りのいい髪に触れながら、ルイはコテージの天井を見る。柄にもなく高鳴る心臓を感じつつ。下から強烈にくる視線から逃れるように。
「確かに色んな人を突き放してきたよ。けど、君は何度も諦めずに、僕に歩み寄ろうとしてくれたね」
距離を取ろうとすれば追いかけてくる。一人になんてさせないと言わんばかりに。止めてくれと言えないうちに、いつしか……。
「君は、僕を難攻不落とか言うけどさ。本当に嫌だったら、僕は君と口なんか聞かないし。ましてや、あんなことがあった後に、こうして寄り添って読書なんて……するわけないだろう?」
「……あ」
覚悟を決めて視線を下ろせば、そこには潤んだ瞳を此方に向けるアリサの顔。滲む涙は、先程感じた悲哀が半分。残り半分と、これから流す分は、きっと歓喜から来るものだった。
「……ねぇ、明星くん、それって……」
「こういうのは、口にした方がいいのかな?」
「――っ! いらないっ。普通はそうかもしれないけど、いいよ……。だって……!」
まだ言うの、難しいでしょう?
ルイの内面を見透かすようにそう言って、アリサは起き上がり、少しの躊躇いを見せてからルイに抱きついた。
「……っ、私が、明星くんの分もいっぱい伝えるから。いつか言える日が来るまで、沢山言葉にするから……、大丈夫」
「……不公平じゃないかな?」
「そんなことない。……けど、君は納得しないか。なら……あの時みたいに、名前で……アリサって呼んで」
それだけでいいよ。静かに、小さな手をルイの両頬に沿えて、アリサは祈るようにそう囁く。
潤んだ目に少しの期待が滲んでいるのを見た時、ルイは素直に彼女を愛しく思った。
「……あり、さ」
「もっと」
「……アリサ」
「……っ!」
唇が重なる。ただ押し付けるだけの、余裕も可愛らしさもないキスはルイの心をストレートに撃ち。アリサは幸福で思考は完全に舞い上がっていた。
「ルイ……、大好き。大好きだよ……」
「……うん」
僕も。と、伝えたくてもその時のルイはまだ言葉には出せない。それでもアリサは幸せそうに笑っていた。
僕も、言葉に。そうルイが心からそう思った頃に降りかかる、己の運命など。この時彼女は知るよしもなかったのである。
※
ルイは今一度拳を握る。
敵は残り三人。怪物のタフネスを考えれば、気絶させたスカラベの美優も、程無く復活するだろう。勝利の分かれ目は……それまでに敵を壊滅させられるか。
「戦う前に聞いておきたい。白い兄さん。あんたはエディの何だ?」
「匂いが、似ている気がするね」
「……義理の父。という事になる。彼のつがいの父親で……彼女を助けに来た」
アフガンハウンドと和犬の質問にルイが答えれば、他の犬達はほんの少しだけざわめいた。
「……成る程。義理の祖父が変な爺さんと聞いた時もビックリしたけど……お義父さんもいたのね」
「まぁ、俺達の状況を見ろ。今更この程度じゃ驚かないさ……ほら、あそこにいる奴もそうだ。……何だあれは?」
ハスキー犬が、鼻を鳴らしながら前を見る。さっきまで虎治がいた場所に、後足で立ち上がり、威嚇するように両腕を広げる、暗褐色の獣がいた。
長い口吻と、鉤状に伸びた凶悪な爪。ブラシのような粗い体毛。日本育ちの犬達が分からないのも無理はない存在がそこにいた。
「……オオアリクイか」
ルイがそう呟けば、虎治は長い舌を伸ばし、自身の頭部を舌先で器用に舐めながら、長く深く息を吐いた。
「ジョン、構わぬか?」
「ああ、いいよ。蜂はもう、サンプルがそこら辺に転がっている。犬はそろそろうんざりだから、さっさと片付けてくれ。私は……銀を殺ろう」
シニカルな笑顔を浮かべ、ジョンは首をコキリと鳴らす。それを合図にルイが爪を構えると、犬達全員が身を低くする。
「兄さん、名前は?」
「……ルイ」
「そうか。覚えておく。俺はダンデス。エディがいない今は、一応この群れのボスだ」
「シュバルツ。ロシアから主人とここに来た」
「スズナよ。宜しくね、お兄さん」
「僕はケビン。フリスビーが得意……って、今はいいか」
アフガンハウンド。ハスキー。シュナウザー。和犬の順に自己紹介が終わる。
それだけの言葉を交わし、その場にいた全員は、一斉に飛び退いた。
虎治の爪が、凄まじい勢いで地面に叩きつけられたのだ。
「名前なんざいらんだろう、犬っころ共。どうせ全員肉の塊になるんだからな」
挑発を無視した犬達は四方に散り、虎治の周りをぐるぐる回り始めた。それをルイは横目で見つつ、すぐにジョンの方へ目を向ける。緑色の蔦が鞭のようにルイへ振るわれたが、ルイはそれを身体を反らして回避すると、一気にジョンの懐に入りこむ。
鳩尾狙いのストレート。だが、ルイはこれをすぐに引っ込めて、顎下にジャブを放つ。
咄嗟に軌道変更したのは、ジョンの腹部に奇妙な盛り上がりを見て取ったからだ。
「いい勘をしている」
だが、フェイントを絡めた高速の打撃を、ジョンは最小限の動きでかわしてみせた。そのまま緑色の植物の拳が、ルイにカウンターパンチ。
が、ルイはこれを拳の側面でいなす。ネチャリとした粘性が一瞬ルイを捕らえかけるが、これを瞬時に鉤爪で切断した。
手応えは……なし。おそらくジョンの身体を構成する植物は、ルイの鉤爪のように人体そのものを変化させたものではない。あくまでも延長線。毛髪に近いものなのだろう。
故に、幾ら切り裂こうがダメージは皆無。有効なのは、本体へ直接響くような重い攻撃……だが。
「……近づけば捕らわれる」
「その通りだ」
牽制を加えながら、ルイは唇を噛み締める。予想以上に硬い敵に、焦りは加速する。更に……。
「――っと!」
慌て後方へ飛び退く。ジョンとは別に、割って入ってきたのは沙耶だった。
弾丸のようなミドルキックから、放ち終えた脚を地に付け、それを軸とした回転踵蹴り。
辛うじて全てから逃れたルイだったが、襲撃者はその勢いを殺さずに、地に手を付けた変則的な蹴りを繰り出してくる。一撃、二撃と回転は加速して、そこから再び勢いよく身体を跳ね上げた時、突き抜けるような地響きが轟いた。蹴りの勢いをそのまま震脚に込めた、全体重を乗せた正拳突き。その細腕からは想像も出来ない威力は、咄嗟に腕でガードしたルイの腕を鈍い音と共に粉砕した。
「ぐ……!」
「フゥ……――イイィヤッ!」
砕き、すぐに引かれた拳。残心から追撃に転じた沙耶のハイキックをルイは辛うじてバックステップで射程外まで逃れつつ、無事だった方の手を前に出す。
ここでこの女性を仕留める。その気概で撃ち出す蜘蛛糸の弾丸は……。
「おっと、それはダメだ」
ジョンの植物の盾に受け止められる。貫通し、腕までは達したのだろうか。僅かにジョンの顔が歪むが、大した痛手には届いていない。
舌打ちをしながらルイが飛び退けば、ジョンは沙耶を庇うように前に出て、沙耶はその後ろで独特の構えを取る。
「Miss竜崎のカポエラキックを見切るとはね。驚いた」
「……小規模な竜巻かと思ったよ。恐ろしい女性だ」
アルカイックスマイルを浮かべるルイ。だが、その背中はじっとりと汗で濡れていた。
砕けた腕は、未だに修復の兆しを見せず、だらりと垂れ下がっている。身体という身体が、ジョンや沙耶の攻撃を受け流す度に、悲鳴をあげていた。
能力使用の燃費の悪さだけではない。怪物としての再生力が、既に通常の何倍も遅いものになっていることに、ルイはただ愕然とした。
シュミレートを何度も繰り返す。
狙うべき優先順位。戦略。残された余力。それらを全て踏まえれば……。その時。ルイの心中を満たしたのは、明確な絶望だった。
勝てない。
諦感などではない、ただの事実がルイにのし掛かってくる。
娘の……優香の暴走に対する解答を、ルイは用意していた。それは、毒による暴走の停滞。量を調節すれば、彼女を僅かな間だけでも正気に戻せないだろうか。そんな賭けにも等しい手。
時間が残されていないルイには、それしか思い付かなかった。
せめて、狂気から解放されて、残る時間を穏やかに。自分の事は分からなくても、せめて大切な斑の戦士を思い出して欲しくて。
もしかしたら、ただのエゴになるかもしれない。そんな恐怖を抱きながらも、ルイはその道を選択した。
己の全ては、愛した女性との忘れ形見の為に。
救えないならば、せめて強襲部隊にその亡骸を奪われぬように。
今のルイを動かしているのは、そんな想いからだった。
だが、現実は無情。
目の前にいる敵達は、全てを投げうっても勝てない可能性が高く。よしんば勝ったとしても、娘の解放に使う毒は、確実に残らない。
「…………わかっては、いたんだ」
汐里から分離してみれば、予想以上に身体は重く。死がすぐ身近に感じられた。譲れないという意地だけでここまで来た。だが……もう自分に下せる選択は、これが最後だと確信した。
娘に与えたい穏やかな時間か。
娘を骨まで利用しつくし、その身を凌辱せんとする外敵の排除か。
『ねぇ、ルイ。最後に一つ、いいかな?』
その時だ。唐突に、ルイの脳裏を別れ際のレイの姿が過った。
絶対に誰にも邪魔はさせない。そう言ってくれた義息子であり、親友の青年は、姿を汐里に戻そうとした間際に彼を呼び止めた。
名残を惜しむような。微かに涙を堪えた表情で、友人はゆっくりと、ルイに握手を求める。
『……リカは過去最大の敵だ。勝てるかなんて、今は分からない。けど……それでも僕は、食らいつく』
本当は恐怖が勝るのだろう。握ったその手は震え、汗が滲んでいた。
『勝って、みせるよ。だからルイ、君も負けないで。諦めないで。必ず会いに行く。見届けにいくから……。だから。君は最後まで、心に従って。君の後ろには、僕がいる。それを……忘れないで』
今まで、本当にありがとう。そう言って精一杯の笑顔を浮かべたレイ。その顔を思い出した時。ルイは心を支配しかけた絶望の中で、一筋の光を見た。
ああ、そうだ。自分はもう死を待つのみ。だけど、何も持っていないわけではないのだ。
後を託せる人が、自分にはいる。だからこそ……選ぶものは決まった。
ルイの背中が盛り上がる。現れたのは、翼を思わせる六本の節足。それを蠢かしながら、ルイはジョンと沙耶を見た。
「いくよ……!」
地を蹴り、白い青年が夜空を翔る。銀色の糸が四方八方に奔り、森が。世界が塗りつぶされていく。
さっきまでの大人しい攻勢から一転した大盤振る舞いに、ジョンは目を細めた。
「やはり、つがいがいないのか。死ぬ気かな?」
同じように植物を群生させ、蜘蛛糸の進行を抑えながらも、ジョンは空を動くルイから目を離さない。
あの六本足は攻撃と移動手段。張り巡らせた糸のなかならば、どんなに無理な体勢であろうが自由に動き、不規則かつ予想だにしない角度からでも攻撃が出来る、凶悪なもの。
「だが、消耗もバカにならない筈だ。私一人ならばともかく、Miss竜崎と背中を預け合う今なら……む?」
迎撃の体勢を取るジョン。だが……次の瞬間、その顔は怪訝なものになる。ルイは今……此方を見ていなかった。
この状況でよそ見? 植物の位置取りを確認しているのか? 確かに間に滑り込ませるように生やした以上、ルイの想定通りに巣を作れなかったのかもしれない。だが、彼は蜘蛛だ。巣に自分を乗せた時、糸の反発で構造を理解するなど容易い筈。
別の目的が……ある?
「――っ!」
そこまでで、ジョンは己の失策を悟った。後ろの沙耶を守るためのバリケードが、今はもう一人の仲間の姿を完全に覆い隠すどころか、彼の元へ助けに行くルートを阻害している。
闇雲に張ったように見えた糸は、身を投げうっている訳ではない。これは、自分達を釘付けにするための檻だったのである。
戦場を整え、自身に有利な環境を作り……。そして、孤立している敵を確実に囲い込み、殺すためのもの。
怒声とうなり声が飛び交う一角へ、ルイは目を向ける。弱い犬の怪物四体。それならば虎治一人で問題ないと思っていた。だからルイを引き受けた。だが……抑え込んだと見せかけて、彼は最初から、これを狙っていたのか。
「っ――、虎!」
ジョンが叫んだ時には、もう遅かった。ルイが蜘蛛脚を動かし、音もなくもう一方の戦いの渦中へ降りていく。と同時に、その場所が一際騒がしくなった。
「ぐ、ぬっ?」
「――っ! 動きが止まったぞ! かかれ!」
「毒をぶち込むんだ!」
「爪、気をつけて!」
「構うかよ! 引き裂け!」
怒声が悲鳴に変わり、肉が引きちぎれ、獣の顎で撹拌される異音が森に響く。
ジョンが思わず走り出そうとした時、沙耶はそれを押し止める。仲間が貪り喰われるすぐそばで、彼女は無表情のまま、ジョンに指示を下した。
「今、向こうにもこっちは見えません。……チャンスです。〝アレ〟をやりましょう」
最後の足掻きを食らう前に、銀は確実に殺します。
冷徹にそう言い放つ沙耶。ジョンはその顔を畏怖を交えた表情で見て、ぶるりと身震いした。
「……君がたまに怖くなる」
「あら、どうしてです?」
「まるで感情が抜け落ちているかのような……。敵味方が倒れても取り乱すこともなく、淡々と動けるなんて……」
ジョンが低い声でそう呟けば、沙耶は心底不思議そうな顔で首を傾げた。
「……変な事を言うんですね。杉山さんは燃えるごみの日が来る度に取り乱すんですか?」
※
「やった……ぞ」
「危なかった……」
ついに動かなくなったアリクイだったものの肉塊を睨みながら、ダンデス達は大きく息を吐いた。
力は拮抗。いや、僅かに向こうが押していた。ルイの毒を受けて尚、あれだけ動ける獣の馬力には、怪物になりたてな犬達からすれば、恐怖以外の何者でもなかった。
「ルイお兄さん、大丈夫?」
「ありがとう。助かったよ」
そう言いながら駆け寄るスズナとケビンに、ダンデスとシュバルツも続く。
突如飛来したルイが、戦いの均衡を崩し。そこをついた犬達の猛攻が、勝利の分かれ目だった。だが、その戦果における最大の功労者は今、地面に手をつき、荒い息を吐いていた。
「こちらこそ、ありがとう。正直、君らがいなかったら、こうも上手くいかなかった」
そう言って微笑むルイを見た時、ダンデスは顔をしかめた。
死の、匂いがする。
「……おい、ルイ殿。大丈夫か?」
「あまり、良くないかな。それよりも聞いてくれ。まだ向こうにいた二人は……」
よろけながらも立ち上がるルイ。その腹に……。
突如、大輪の薔薇が咲き誇った。
「――が……!」
その場にいた誰もが動けなかった。否。反応が出来なかった。
犬と蜂という、たぐいまれない嗅覚を誇るダンデス達誰もが、突然すぎる攻撃を予測すら出来ず。
だが、彼らの目は確かに、ルイを後ろから貫いた黒い影を視認して。またすぐに見失った。
「敵……か!?」
「何処から? 見えなかったわ!」
「匂いもしない! 何だ今の?」
慌てる他の仲間たち。ルイの身体はまるでスローモーションで動かした映像のように、その中へと倒れ伏した。
「ルイ殿!」
「おい、白いの!」
「しっかり!」
必死にルイを取り囲む。
急所は辛うじて避けている。だが、これでは……。
「……っ、ルイ、殿」
悔しさを圧し殺し、ダンデスは牙を鳴らす。
また、守れなかった。
主人。
友人達。
そして今、友人の家族というべき存在と、その大切な少女が奪われようとしていた。
「ダンデス! どうする!?」
「――ダメだわ! 敵が、全然見当たらない!」
「近くにいるのは……確かなのに……!」
シュバルツとスズナが、警戒の為に周囲を走り、ルイの傍に駆け寄ったダンデスの背を守るようにケビンが配置につく。
一旦引くか? また奇襲の為に力を温存する? それで勝てるのか? めぐまるしく回る思考を落ち着けるようにダンデスは唸る。決断は……。
「レイ……君」
まるでうわ言のように、意識があるか怪しいルイが呟く。血が溢れる口から漏れたのは、誰かも分からぬ名前だった。
「君が……来る、まで……」
消え入りそうな声と共に痙攣するように、鉤爪が動く。それを見ていたダンデスは目を閉じた。
「俺達は……生ける屍だ」
小さく自嘲が漏れる。背中で、ギウッ! という短い悲鳴と、シュバルツの怒声が聞こえる。姿見えぬ襲撃者は、次は仲間の誰かを狙いだしたのだろう。
血の匂い。スズナか。だが、彼女はまだ死んでいない。軽傷ですんだらしい。
今、自分達が出来る事。それは……。
「シュバルツ! 来てくれ! ルイ殿を運ぶ! スズナ! 走れるな? 退却する! ――ッ、ケビン!」
間を置いて、感情を圧し殺してダンデスは戦友の一人を見る。
「……殿を」
「…………ああ、わかった。任された」
心優しき雑種の和犬は、それだけで全てを察したように微笑んだ。
「ダンデス! 正気か!? それは……」
「シュバルツ! いいから行ってくれ。無策で退却する訳じゃない。そうだろう?」
不服そうに吠えるシュバルツを、他ならぬケビンが諌めた。その隣で泣き出しそうな表情をするスズナの視線から逃れるように、ダンデスは目を閉じたまま頷いた。
「――っ、クソが!」
悪態を付きながら、シュバルツはぐったりとしたルイを背中に担ぐ。その隣へ、スズナは震えながら付き添った。
「ケビン……」
「僕らの目的は、勝つことでも生きることでもない。誇りを守ることだ」
そう言って、仲間たちに和犬は背を向ける。
「主人の為に。友達の為に。大事なものはどんどんなくなるけど……それでも残されたものを守り。誇り高く生きて死ぬ。……負けるなよ。ダンデス。みんな」
「……ありがとう」
それが、最後だった。ケビンが闘争のうなり声を上げる。
骨格が変質する怪音と、黒い影が闇の中から飛び出して来るのは殆ど同時だった。
獣人と化したケビンが襲撃者とがっしり組み合うのを尻目に。
遺志を継いだ戦士達は走り出した。
第五回ネット小説大賞にて、受賞いたしました!
応援してくださりました全ての皆様に感謝を!
今後とも宜しくお願いします!
2017.5月27日 黒椋鳥




