58.結束と別れ
起こす順番は既に決めていた。まずはリリカと洋平だ。
二人は目を覚ました時は状況が読めず、戸惑っていたが、リカの事を簡単に説明すると、恐れていた未来が訪れたかのように息を飲んだ。
「あの女は……私達にこの土地や怪物の存在を教えた張本人よ」
少しだけ忌々しげな顔を見せながらリリカは「一ヶ月……いえ、くらい前だったかしら?」と、指を折る。洋平は「出来うる限り安全を確かめてからだったから、二ヶ月前だな」と、答えた。
「突然俺達の住居に入るなり、ビジネスの話をしましょう……等と言い出してな。俺達は侵入者に驚きつつも、奴を食用肉団子にすべく襲いかかった。が……」
結果はリリカを含めた全員が、理由も知らずに膝まづくという。屈辱的なものだったそうだ。
「流石に肝が冷えたわね。あまりの得体の知れなさに、全滅すら頭をよぎったのだけど……アイツはただ、頼みたいことがある。聞いてくれたら、極上の餌を有した豊かな土地を与えると言い出した」
「当時俺達は強襲部隊の追撃を受け続けていてな。食料危機。味方の疲弊等、様々な問題を抱えていた。そこに来ての美味い話……怪しさは凄まじかったが……」
「あの女は、強襲部隊を潰したい。その為に少しずつ戦力を増やし、各地に拠点を築いているとも言っていた。にわかには信じがたかったけど、案内された土地は、確かに隠れ潜むには絶好で、天然の要塞すら築けるかもしれない極上の場所だった。彼女が拠点を与えた他の怪物にも会ったから……私達は話に乗ったの」
で、このありさまね。と、自嘲するようにリリカは締めくくる。
リカは多分。強襲部隊にも、蜂にも通じていた。二重スパイのようなやり口に思わず頭を抱えたくなる。暗躍が大好きだと公言していたらしいが、これはあまりにもタチが悪すぎる。
「……他に、何か話したりとか、気づいたりしたことは?」
「ない、わね。私達は最後までアイツが掴みきれなかった。鳥の怪物だというのも、精神操作の能力を有しているのも、今知ったもの」
「仮に知った所で、どうこうは出来なかっただろうがな」
そう肩を竦める二人に僕は礼を言ってから、静かに深呼吸する。リカが黒幕だったのは完全なものとなった。やはり優先は彼女の撃退。これで、今僕らが置かれている悪い状況の大部分をひっくり返すことが出来る筈だ。
後は……。
「君らは、これからどうする?」
僕の問いに、二人は目を細める。予想はしていただろう。別段慌てる様子もなく。リリカは「どうするも何も……道はないの」と呟いた。
「蜂はね。女王がいてこそよ。だからあのお姫様に付き従うしかない。蜜が貰えず、飢え死にしか待ってないのだとしても」
「代替わりのチャンスは……狙えるだろう?」
「そりゃあ、今でもすぐに奪還したいわ。当然じゃない。でもね……。その王座そのものが歪められてしまった以上……きっと私にはもう、女王は務まらない。蜂に蟷螂に蜘蛛を同時に背負えだなんて……とてもではないけど、正気を保てる自信がないもの」
悲しげに。何処か畏怖を込めた顔でリリカは頭を振る。それを複雑そうな顔で見つめながら、洋平は唸るように息を吐く。
「俺のスタンスは変わらんよ。リリカの傍で生きる。生きるために、全力を尽くすさ。今は女王に頭を踏みつけられ、泥水を啜るような毎日になろうとも……」
黒い目が、僕を見つめる。彼は多分、僕がこれからやることも頼む事もわかっていたのかもしれない。
「……お前も今なら、俺の気持ちは分かるだろう。もはや俺達は一蓮托生も同じ。今の女王と、あの女。どっちも最悪だが、どちらが御しがたいかは子どもでもわかる。あの女が玉座につけば……俺とリリカにとっても絶望だ。だから……」
静かに二人は顔を見合わせて、小さく頷く。
そしてゆっくりと、胸に手を当てて、二人は僕に頭を垂れた。
「弱者にだってそれなりに意地はあるの。レイ。貴方が今から私達の王よ。勝つために必要ならば、私達を使いなさい」
「注文以上の働きはしてみせよう。素敵な采配を願うよ」
含みある二人の笑顔。それが意味するものは……。
「……お望みは?」
その言葉に、リリカと洋平の顔に希望の色が見える。二人は怪物に逆らえない。だが、僕が〝今からやる手段〟を決行する以上、怪物は多分無防備な状態になる。二人にかかれば、そこの寝首を掻くのは簡単だ。が、さっきも言った通り、怪物は今や完全に蜂の在り方を変えてしまった。
だからこそ、二人に残された道は……。
狂うのを覚悟で賭けにでるか。
僕に嘆願し、怪物からの理不尽を軽減しつつ、今は生き延びるか。
「俺達は、明日が欲しい。強襲部隊の追撃もある。仲間が必要だ」
「それ故、共に生きるために女王からの慈悲を。蜜を所望するわ」
リリカと洋平は、後者を選んだ。僕はそんな二人を見つめながら、実は内心で戸惑いながらもしっかりと頷いた。
正直、王と持て囃されるのは予想していなかったが、それでも僕は後顧の憂いを絶つことが出来たことで、一先ず胸を撫で下ろしていた。
「わかった。彼女は、僕が説得しよう」
「……っ!」
「ありがとう。レイ。……あ、蜜は何処から出しても構わないけど、出来ればグラスに欲しいわ。私はともかく、洋平が……ね?」
チラチラと複雑そうな顔で洋平を気にするリリカだが、当の洋平は何とかリリカの命を繋ぐ道が出来たのが嬉しいのか、ただ目を閉じ拳を握りしめ、喜びを噛み締めているようだった。
不思議な関係もあったものだ。こんな共通の危機がなければ、手をとることなんてあり得なかっただろう。そういう意味でも、香山リカは最強の敵であり、災厄と言って差し支えがない。僕が挑むのは……それほどの相手なのだ。
「僕が負けない限りは、あの子を……守ってくれ。言葉をかけて。無茶しそうなら止めて欲しい」
「……わかったわ。まかせて」
「全力を尽くそう。王よ。だから……」
負けてくれるなよ? 洋平の目がそう語る。
勿論負ける訳にはいかない。
僕が負けた瞬間に、多分彼らは賭けに出るだろうから。
危ういバランスと、奇妙な背中の預け具合だが、多分僕らには、これくらいが丁度いいのだろう。
※
次に話しかけたのはカイナだった。これはもう片方……熊の女性でもよかったのだが、先程の戦いで彼女の本質を直感した僕は、より確実な方を求めてカイナを交渉相手に選んだ。
結果は上々。カイナは僕との取引に応じてくれて。今は出番待ちだ。
そして……。
僕にとっては間違いなく。今この場において強敵ともなりうる。それでいて、誰よりも話していたい二人との対話が待っていた。
その一人。大輔叔父さんに、僕は事情を簡単に、一部は隠匿しながら説明した後、用意していた告げたくもない言葉をかけていた。
「今、何て言った……?」
起き抜けの叔父さんは唖然とし、次には厳しい目で此方を見つめてくる。僕はそれから目を逸らさずに、もう一度、一字一句も聞き漏らさぬように、その意思を示した。
「ここで、お別れ。そう言ったんだ」
最初は、単に叔父さんの手伝いが出来たら。そんな軽い気持ちだったのだ。だけれども、それが最悪の事態を引き起こす事を、もっと早く自覚するべきだったのだ。
叔父さんと暖かな鍋を囲んでつついていたから、そんな当たり前の事実から僕は目を背けてしまっていた。
僕は怪物。そして叔父さんは、その対策課に属しているのだ。強襲部隊という一枚岩とは思えぬ集団の存在が現れてから、どうしても、頭に過ってしまう事があった。このまま僕といたら、叔父さんは人間の社会に戻れなくなるかもしれない……と。下手したら、僕を誘き寄せる為の餌にされるかも。
だから全ての真意は告げず。僕は心を凍りつかせて、叔父さんにさよならだけを伝えることにしたのだ。
「叔父さん、僕は死にたくないけど、叔父さんが死ぬのも嫌だ。だから……今のうちに、互いの立場を明確にしないと、取り返しがつかなくなる」
「聞きたいのはそれじゃねぇ。唐沢達とは別方向へ。桜塚と……一緒にいた女の子を連れて逃げろ? 意味が……」
「叔父さん。嘘だ。わかってるでしょ?」
「…………俺に、お前の敵になれというのか?」
「今すぐに。じゃない。敵ってのも、どうなるかはわからないけどね。僕は最初のリリカ達と違って、世間を騒がせたり、意味なく人を殺そうとは思わないから」
これは、布石だ。叔父さんを僕らから遠ざけつつ。社会からも切り離させない。その為には、僕との喧嘩別れに見せかけるのが、一番いい。
カイナと桜塚さんを僕らから奪還した。その事実を手土産に、叔父さんは僕らと組んでいたかもしれない疑いを、完全に払拭する。勿論、全てを白には出来ないだろうけど。
「僕は……叔父さんの近くにはもう近寄らない。仮に叔父さんが餌にされても。だから、叔父さんも、僕について知りうる情報を、惜しげなく売ってくれて構わない。次に出会うことがあったら……躊躇なく僕を撃って」
「それで俺が納得すると思っているのか?」
「思わない。けど……なら僕らと来る? 今の生活も仕事も何もかも捨てて。必要ならば強襲部隊の人を、生きるために殺す。そんな世界に」
「…………無理だな」
「でしょう? というか。僕が嫌だよ。叔父さんはあくまで、怪物が人を脅かしたら動く。生きるために銃を取ってる訳じゃない……これからも、そうであって欲しい。だから……」
ここで別れよう。
もう一度。僕が言葉を発すれば、叔父さんは天を仰ぎながら胸ポケットに手を突っ込もうとして、すぐに舌打ちしながら腕を下ろした。取ろうとしたのは煙草……だろうか。そういえば、パンツ一丁だったから、今手元にある訳ないんだよなぁ。
「……刑事になりたいと思った切欠は、悪い奴を捕まえてやろう。そんなありふれた気持ちからだった」
ポツリポツリと、叔父さんは言葉を紡ぐ。
「……相手は、人間。その筈だったんだがなぁ。今はもう、訳がわからんよ。怪物は何処からが悪なのか」
開拓者を指でなぞりながら、叔父さんは続ける。
「聞くまでもないだろうが、レイ。お前は……人を殺める気はない。それは本当か?」
「誓うよ。誰かが彼女に悪意を向けない限りは。絶対に」
「……わかった。それだけは、俺が覚えておく。だからお前も覚えてろ。共存の道はあるかもしれん。強襲部隊を見ただろう? 今は歪だが、あれは手を取り合うことは出来るかもしれない一つの例だ。険しい道だが……俺はこれから、それを探してみる」
「……うん、ありがとう」
優しくて。涙が出そうになる。
きっとこれだと、いざという時に叔父さんは僕に銃は向けられまい。だから……もう一つ。予防線を張ろう。僕に対する気持ちが、少しは曖昧で、複雑になるように。
「じゃあ叔父さん。元気でね」
「ああ。……っと、待て。レイ。強襲部隊の面子。もう一組いただろう? そいつらは……」
「……駄目。あの二人は解放できない」
「………………おい、待て。何故だ」
叔父さんの顔色がめぐまるしく変わる。驚愕。戸惑い。思案。最後に訪れたのは、深い哀しみだった。
「……人を殺さないと言ったぞ。お前は」
「言ったでしょう? 悪意を向けない限りは。だよ、叔父さん。強襲部隊は僕らにとって脅威なんだ。カイナや桜塚さんも、僕は出来るなら殺したい。けどそれだと叔父さんが戻れない。これは苦肉の策なんだ」
「策、だと? 強襲部隊も考えは認めがたいが、市民だ。お前が引き下がるなら……」
「叔父さんは僕らを助けるために、彼らを撃っている。生かして戻せば、絶対に話がややこしくなる。だから……駄目だ」
「そんな気遣いはいらん! レイ。あの二人も俺に寄越せ。そうすれば……」
「駄目。叔父さん。駄目だよ。ルイはこれから……強襲部隊と戦うんだ。これ以上は、戻せない。叔父さんも死んでほしくない。ルイの最後の願いの為に、障害を取り除きたい。なら……これは譲れない」
「…………っ、そうか。お前は」
叔父さんは、何かを悟ったように、ギチリと歯軋りをする。その時僕は初めて、叔父さんの目に迷いを見た。葛藤の色を少し滲ませながら、叔父さんは憂いを隠さずに、震える銃口を僕に向けた。
「俺は……八方美人にはなれんらしい。だから今は、お前を……止めるぞ? レイ」
「リカとやりあわなきゃいけないんだ。出来れば遠慮して貰えないかな」
「察するに待ってくれる女なんだろう? なら、俺に脚を撃たれても……問題は、あるまい。無理して悪役を演じるな」
能面のような無表情で。だが、眉間に皺を寄せながら、叔父さんは銃を構える。だけど……。それは普段の彼からは想像もつかないほどに、隙だらけだった。それこそ……直感を使った白兵戦で、ねじ伏せられる程に。
対峙した僕と叔父さんの影。動いたのはほぼ同時で。
「……叔父さん。ごめんね」
決着は一瞬でついた。
脳天に殴打を受け、倒れた叔父さんの傍にしゃがみこみながら、僕はまだ意識が僅かにある彼に語りかける。
「止めてくれて、嬉しかった。やっぱり叔父さんは……僕のヒーローだよ」
「バカ、野郎……。お前、場が整ったら……必ずしょっぴい、て……」
手が、僕の服を掴もうと延びてくる。だが、それは途中で力を失い、ゆっくりと地に落ちた。それを見届けた僕は、涙を堪えながら立ち上がると、後ろを振り向いた。夜空から羽音を響かせながら、洋平が降りて来る所だった。さっそく最初の頼みをこなして来てくれたらしい。
「洋平、大丈夫だった?」
「ああ、問題ない。蜘蛛の操り……万能な能力だな。熊と男の記憶は、見事に〝殺されて〟いたよ。今はまた意識を失わせて、村のスーパーマーケットに放置してきた。念のため人間は脚を折り。熊は毒漬けにしてな。丸二日はまともに動けんだろう。君の義父上の戦いには参戦できまい」
「ん、ありがとう」
僕が礼を述べれば、洋平は少しだけ眉を潜めた。「俺ならば……殺しているがな」そう顔には書いていた。
「叔父さんの出方次第で、後々実行することも僕は考えたよ? けど、この人は……共存の道に可能性を見いだしてくれた。だから……彼が生きている限りは、僕もこれから極力は頑張るつもり」
一、二度くらいは追い返して。三度来たら……捩じ伏せる。甘いと思うかも知れないが、それが、僕に出来る叔父さんへの唯一のエールだった。
「王。貴方が他を寄せ付けない程に強くなければ、それは叶わぬ理想だぞ」
警告するような洋平の言葉に、僕はただ肩を竦める。正論だ。だけど、まさか忘れた訳ではないだろうか。これから僕がやろうとしていることを。
「何言ってるのさ。だからこれから倒すんじゃないか……最強の怪物を……ね」
洋平の目が見開かれる。暫く固まってから、彼はそのまま複雑な顔で再び一礼する。
いつにない強気な物言いには、僕の精一杯な虚勢や自分への鼓舞も入っていることを、きっと彼は察している。それでも僕はそれが本気だと示すように拳を握る。
怖くて堪らないけど、それが僕の決意表明だった。
※
もう少し時間がかかると思っていた一人一人への対話はあっさりと終了し、ついに最後の一人。僕にとって最も特別な相手との時間がやってきた。
他の皆を少し離れた所に待機させ。用意するものを揃えた僕は、怪物を抱え、二人きりで森の中を歩いていく。
草を踏み分ける度に肺を木々の匂いが満たしている。その中に混じった怪物の花を思わせる香りが、今の僕に久しぶりな安らぎを与えていた。
ふと、星が瞬く夜空を見上げる。今何時くらいだろうか。夜明けまでには決着を付けられたらいい。そんな事を思っていると、不意に腕の中で怪物が身動ぎした。どうやら目が……覚めたらしい。
美しい顔を覗き込む。長い睫毛に縁取られた瞼がゆっくりと開いていき。とろんとした闇の底を思わせる瞳が揺らめいて、軈てそれは僕の姿を捉えると、溢れんばかりな喜びの光を帯びた。
「レイ……レイだぁ……!」
物凄い早さで怪物の腕が僕に回されて、蕩けるような声と共に頬擦りが始まる。僕がされるがままになっていると、怪物はますますご機嫌な様子で僕に身を寄せて……。すぐさま、ハッとしたように身体を強ばらせた。
「――っ! あの変な女は!?」
キョロキョロ辺りを見渡しながら、威嚇するように鉤爪を出す怪物。よっぽど腹に据えかねていたのだろうか。見た存在を数秒で頭から追い出してしまう彼女には、珍しい反応だった。
「大丈夫。今はいないよ」と、僕が言えば彼女はキョトンとした顔で首を傾げた。
「……レイがやっつけたの?」
「う~ん、情けないことに必死に逃げてきたたんだ。やっつけるのは、これからだなぁ」
「……また、おじゃまむし。しかも私おぼえてない。……むぅ……」
ぷくりと頬を膨らませる怪物。多分、相手を理解していないのだろう。いっそ嘘で安心させて、彼女を先に帰すか。そんな考えがチラリと過るが、僕はそれをすぐに引っ込めた。
彼女に……嘘はつきたくなかった。
だから……。
「ねぇ、ちょっとお話しないかい? 大事な話とか。他にも色々。君に……聞いて欲しい」
身体よ震えるな。僕は何度も自分に言い聞かせながら、腕に抱いた怪物を見る。彼女は少しだけポカンとしていたが、すぐに無邪気な笑みを見せながら、「うん!」と、頷いた。
手頃な倒木を見つけて、僕らは並んで腰掛ける。
心は不思議と穏やかだった。今から辛いことも、恥ずかしいことも口にするというのにだ。もしかしなくても、分かっていたのかもしれない。
僕らはもう、今までのままではいられない。これがきっと……最後になるのだという事を。だから……。
「今更って思うかもしれないけどさ。僕と……本当の夫婦にならないかい?」
色々な勇気を振り絞り、僕はその言葉を口にする。
月の綺麗な夜だった。




