57.レイの決意
実のところ、考えると言っても僕しかリカの前に立てないとなったならば、その方法は自ずと決していた。
だから僕は〝今はリカの事を忘却し〟ルイを見る。彼の時間は残り少ない。そして、今は汐里も危ういという。それは一体どういう事なのか。それをまずは知る必要があった。
「君が長くないのは……衝撃だし、心が痛むけど驚かない」
「そうだろうね。元々僕は死んでるし、こうして現出したのは殆ど汐里の執念だ。だから……別れよりは還るべきとこへ還るが正しい」
「……うん。でも、汐里は? 汐里は……どうして……」
「レイ君。彼女は君と同じ欲求対象者。人間から桐原の力を経て怪物になった。結果生きるためにはつがいである桐原が必要だったけど……本人はこの世にいない。そうなれば、いずれ限界が来るのが道理だった。だけど……」
「汐里は、カオナシを食べた。〝彼女の力をコピーした〟カオナシを」
結果、汐里は生き延びる。他のカオナシ達にも自分の力をコピーさせ、栄養源とすることで。
「本来ならば有り得ないんだろうね。能力をコピーしたからといって、カオナシが汐里や桐原になった訳じゃない。多分僕ら怪物のもう一つのキーワード。食べることが関係しているんだ」
「食べたことで、汐里の身体に何らかの変化が起きた? それはまた…………あ」
凄い話だと言いそうになり、そこで僕は地下の宮殿で洋平が言っていた事を思い出した。
喰らい者。そう呼ばれる存在を。
曰く、全ての怪物にはその遺伝情報やらが詰まった特定の部位が存在し、そこを喰えば、力を取り込めるが……。多くは失敗し、廃人になるという。
前にカオナシが襲撃した夜は……汐里はカオナシを余すことなく喰っていた。つまり……汐里もまた、喰らい者になった。そう考えられないだろうか。
「成る程。確かにそれならば、汐里の身体が変化して、生きている事が出来たのも納得だ。既にアモル・アラーネオーススの枠組みから外れていたんだね」
「案外ルイが出てきたのだって、カオナシの力の延長か、発展だったのかも。汐里はその……。ルイも食べてたし」
「ああ、鮮明に覚えてるよ。眠るように逝こうとしたら、叩き起こされて。そしたら目の前に大蜘蛛になった汐里がいて、頭からバリバリ。ムシャムシャと……」
二人してブルリ。と身震いする。
喰らい者は気狂いになるとはいうが、汐里は元から結構頭のネジが外れていたことを、今更ながら思い出した。
怪物然り。京子然り。最近ではリリカにリカ。何で僕の周りって怖い女性ばかりいるんだろうか。
「生き延びた理由はわかった。けど、問題は次。香山リカが汐里の内的世界に関わった事で、僕は完全に目覚めて、力をつけてしまった。汐里の身体が、徐々に蝕まれるくらいにね。多分このまま僕がここにいたならば、汐里は……死んでしまう」
負担が大きい。そう汐里は言っていたが、それは文字通りの話だったのだ。
「勿論、そんなことは僕がさせない。思うに今の僕は、桐原と一体化していた、山城京子に近いんだ。だから、僕が彼女の身体から出れば汐里は助かるかもしれない」
かもしれないとは、今までは汐里。取り込んだカオナシ。半分寝ていたルイが絶妙なバランスを保っていたからという点を指しているのだろう。ルイが強くなり、バランスが崩れたが、かといって排除したらどうなるかは……もう誰にも分からない。
「汐里は……知っているの? ――はい」
「目を覚ましたら話すつもりさ。――ありがとう」
血の繭を作り出し、ルイに手渡す。これで多少ながら汐里も回復できるだろう。ルイがパクりと肉まんでも食べるようにそれを口にしているのを横目に、僕は未だに眠る怪物と、叔父さんを見る。
叔父さんは分からないが、怪物はそろそろ意識を取り戻すだろう。そうしたら……。
「さて、僕らの事に時間を掛けすぎたね。レイ君。今は……」
「いいや。これでいいんだ。ルイ。まだ話さなきゃいけないことがある」
話を戻そうとしたルイを遮る。〝リカは今はいい〟のだ。やるべき事はまだある。その為に、僕は聞かねばならない。
「ルイ。君は……どうしたいんだ?」
「……僕は」
「隠さないでくれ。君は僕に託してくれた。助けるにしても五回に一回くらいだろう。そう言った君が、こうして干渉してきた。死が近いから、汐里を助けるために。だけど……出た後は?」
「もしかして、気づいた?」
「何となくだけど。ねぇ、ルイ。僕は君に助けられてばかりだ。だから、最後くらい君の願いを叶える手伝いがしたいんだ。リカが控えてるから。なんてのはどうでもいいよ。あれについては、生きていく僕が何とかする。だから……」
君の心に従って。いつか言われた言葉をそのまま返す。すると、ルイは目を伏せてから、静かに顔を上げた。
「穏やかな死を、僕は望まない。それは、君とあの子に叶えてもらったから。けど……」
怪物を優しい眼差しで見つめてから、ルイは遠くを見つめ始める。その方角には……森島の屋敷があった。
「僕は……会いたかった。結局果たせぬまま、既に彼女は助からない。僕の言葉ももう聞こえないだろう。それでも……ああして孤独の中で死んでいくのは……周り全てが敵に回ったまま終わるのが……悲しい。だから……。死ぬなら、ちゃんと娘の味方の一人として死にたいんだ」
ルイはそう呟いた。
「残る強襲部隊全員と戦う気なんだね」
「ああ」
「あの子……エディのパートナーとも」
「それはあくまでも最後かな。パートナーがいなくなった以上、彼女は暴走の果てに力尽きる。だからそれまでは……呼び掛け続けるつもりだよ」
「……そこが、死に場所?」
死ぬ運命は確定したとはいえ、それは完全な自殺に等しい。他に選ぶ道があるのではないか。そう思ったが……きっとルイは止まらないのだろう。
「あの子もまた、僕とアリサの娘なんだ。だから……エゴかもしれないけど、あの子の傍にいてあげたい」
だってそれが、彼の願いだから。
ルイの顔を見る。絶対に忘れないと心に誓いながら。
「わかった。安心して。僕が誰にも、その邪魔はさせないから」
※
「で、私を説得する為に貴方は香山リカに対する策を放棄したと」
片足を再生させたお師匠様。もとい汐里は、まだ多少ふらつくのか適当な木を背にしたまま、僕の方に咎めるようなじっとりとした視線を向けていた。
「いや、ちゃんと方法はあるよ? 最初と予定は変わったけど……ルイと君の話を聞いたら、やっぱり優先はこっちなんだ」
「……相手は最強の怪物ですよ」
「……そんなのいい。あんな女より僕に重要なのは、友達を助けること。あの子が安全であること。それから……」
「…………私ですか」
「うん、汐里。お願いだ。ルイの好きに……」
「いいですよ」
「うぇ!?」
最難関とはいかずとも、かなり難航しそうと身構えていただけに、その返しは予想外過ぎた。
「え、あれ?」
「……勘違いしないで下さいな。痩せ我慢ですよこれは。本当は泣き叫んで止めたいに決まってます。嫌に決まってるじゃないですか。せっかく……せっかくルイとお話が出来たと思ったら、このまま行けば共倒れだなんて」
静かにうつむきながら、汐里は話を続ける。
「レイ君は、まだバカでドジでヘタレなとこはありますが、しっかり力の使い方を覚えました。私は……ちゃんとルイの願い通り、師匠の役目は果たしたのに……彼は、一緒に死ぬことも許してくれない。きっとわかっているんです。私は……ルイがあの戦場に行くのを一番に望んでいない事を。だから、連れてはいけない」
私も気持ちを曲げることは出来ませんし。と、付け加えながら、汐里はため息をついた。
思えば彼女にはお世話になりっぱなしで、まだ何も返せてないのが現状だった。
もっとも、多分僕から貰うものなんて、彼女はきっと興味ないのだろうけれど。
「彼は、私の中で力をつけてしまいました。それこそ、私の身体から、もういつでも自由に出られるんです。ならば、もう……こうするしかないでじゃないですか。せめて……邪魔にならない女になるしか……」
汐里の肩が、僅かに震えたが、それを彼女は強引に頭を振ることで、無理矢理振り払った。
「私が後から追いかけて行くのも、望まない。きっと、まだ支えろと。レイ君達を見守れと……」
「違うよ。ルイは……君に生きてほしいんだ。死んで……欲しくない。そう思うから、君から出るんだ。それに……僕だって、君が死ぬのは嫌だよ」
本心を伝える。汐里は、僕を一瞥してから、すぐに拳を握り締めたまま、再び顔を伏せた。
「……そんな言葉、なんの意味もありません」
「そう、だね。だからこれはお願いだ。死なないで欲しい。君は……僕を鍛えてくれた。叱ってくれた。助けてくれた。それがルイからの願いで、遺言だったとしても……僕は、もう一人の家族が出来たみたいで、嬉しかった。そう思うようになったんだ」
僕に大きな影響を与えた存在を挙げよ。
そう言われたら、確実に上げる人が五人はいる。
怪物。叔父さん。ルイ。汐里。そして……京子。
人間が二人で、しかもそのうち片方は途中で人間を止めてしまったので、影響を与えた怪物。となりかねないが、そうなると今度は叔父さんが怪物にカテゴライズされてしまうので、なんとも表現が難しい。が、とにかくこの五人は、僕には特別だった。
その中でも、ある意味で怪物以上に対話をした相手が、汐里だった。
きっといつか別れがくる。
事実、彼女自身も遠からず自分は死ぬだろうと受け入れていた。それに対して感慨はそこまでわかないし、多分いなくなった時は涙は流れないが「ああ、貴女は死んだのか」と、静かに悼む事になるのだろう。そう思ってはいた。だが……。断言は出来る。今は絶対に、そんなことにはならないだろう。
僕にとって、汐里は既にかけがえのない存在の一人になっていたから。
「まだ、君のお土産のコーヒー、淹れてない。教わりたいことだっていっぱいある。だから……」
「……また妙な約束をしたものですね。私も」
やれやれといったように頭を横に振り、少しだけ思案するような仕草をする汐里。そして……。
「どのみち、私には道は残されていない。ルイは引っ込んだまま沈黙と。何で私の周りにはロクな男がいないのか」
ダメ男キラーになったつもりも、ダメ男好きでもない筈なんですけど。そう自嘲するように笑いながら、汐里は僕にようやく顔を向けてくれた。
「ルイが出てくれば……また私は暫く動けなくなります。不本意ですが、見送ることを約束しましょう。状況的に余計な事はしない方が良さそうですし。あとは……正直、言おうと思ってましたが、レイ君。貴方、私より自分の心配をした方がいいのでは?」
複雑そうな顔で僕を見る汐里。否定できないので、僕は曖昧に肩を竦めるより他にない。
「彼女に関しては……物凄い綱渡りな方法がある。これが駄目なら、もうどうにもならないけど」
「……言わない方がいいでしょうね。でもこうして考えてしまえば……」
「大丈夫。現時点では問題ないよ。汐里はルイを見送ってくれたら……」
「あの子と一緒に、この場を離脱しろ。ですかね」
「……っ、なん、で……?」
「男ってバカで単純なので」
苦笑いをして誤魔化せば、スコン。と、チョップが飛んできた。それを甘んじて受けつつも、「こうするしかない」と、僕は言い聞かせるように呟いた。
「彼女は、リカは僕が欲しいと言った。ならば、怪物には危害は加えないのかもしれない。けど……彼女はどうにでもできるんだ。怪物の気持ちを消すことも。モノ同然に扱うことも。僕はそれから彼女を……守る術がない。ここで僕が何とかしないと……僕らは一生、彼女の奴隷だ。支配に怯えながら……生きていかねばならない」
そんなのはごめんだ。そう吐き捨てた時、首筋が一際強くざわめいた。聞こえているんだろう。ならば……敢えて感情を爆発させる。今から少ししたら、僕は君を屈服させる勝負を挑む。僕が負けたら……夫にでも何にでもなってやるさ。
そう思考した瞬間に、超直感が別の危機を受信する。
何処かで女が、喉を鳴らし舌舐めづりした姿を幻視したが、きっと気のせいではないのだろう。
「リカを下して、終わりではないでしょう。ルイが私から離れれば、急速に力は弱まります。木から切り離された宿り木と同じに。きっとボロ雑巾のように敗北する……そんなの分かりきっている」
「……っ、それは」
「ない。と、言い切れますか?」
沈黙せざるを得なかった。信じたくはない。けど……リカの支配が及ばぬ場所まで、皆が離れるということは、リカを何とかした後、もしルイが失敗していたならば。強襲部隊と暴走したエディのつがいも僕一人で相手にしなければならないという事になる。
更には、桜塚さんから聞き出した情報によれば、あの松井さんもここに来ているとのこと。桜塚さんの口から出てきた『プロジェクトBA』概要は分からないが、何かロクでもない事を考えているのは明白だ。それが牙を剥かない保証もない。だが……。
「そう、限りなく険しく、細い道です。それでも……」
「それでも、やるよ。あの子も、叔父さんも。君も……ここで終わらせない。終わらせてたまるか……!」
恐怖を打ち消すように拳を握る。
策というには、あまりにも酷いものは考え付いている。少し離れた場所で読み取っているだろうリカは、呆れているに違いない。だが……。だが、これならば、対策は出来ない筈だ。
夜風が吹きすさぶ中で、僕はゆっくりと立ち上がる。
話しくらいはいいだろう? 待っててくれ。
それを了承したのか。リカの気配が弱まり、最低限なものになる。
読心は殆ど無駄。そう悟ったのだろう。
「……他の方を、起こすのですか?」
「うん、それぞれ話したいことがある」
用があるのは大輔叔父さんにリリカと洋平。そしてカイナだ。それが終わったら……。最後にあの子と話をしよう。
※
「……いやいや。まさか。ねぇ……?」
レイ達がいる場所からそれなりに離れた木の上で、リカは顔をひきつらせる。
そんな方法、普通は選ばない。これはレイとリカだからこそ成立する奇策だ。本来ならば、さっさとリカがあの場に強襲するば事は足りるのだ。だが……。
「まぁ、いいかしら? 急ぐ訳じゃないし。それに……まだ楽しませてくれるみたいだし」
見事に乗せられている。それはわかっていても、そこへ足を踏み入れるのが彼女だ。レイ以外は興味ないし、二人きりが出来ればいいのだが、あの少女の怪物は彼が生きていく為のペットにしなければならない。レイをものにしたら、まずあれの精神を弄らねばならないと思っていた。が、当のレイ本人が、負けたら伴侶になる。と、了承してくれたのだ。
また自分にレイが挑んでくる。そうすれば少なくとも、レイは更に強くなる。さっき自分と対峙している時に、どんどん能力の精度が上がっていったように。
「……楽しみ、だわ。ああ。ようやく私にも理解者が、相棒が、伴侶が手に入るのね……!」
ならばもう、他は些末な問題だ。精神を能力で弄らずに捕らえた後は、心から夫婦と呼び合えるよう、じっくりお話をして。そうしたら……。
「待ってるわ……レイ。早く、来て。そうしたら……私の本当の名前を、貴方にだけ教えてあげる」
うっとりとした表情で、リカは想い人を待ちわびる少女のように、静かに目を閉じた。
そうして彼の策が発動し、〝レイの気配が消失する〟それに呼応するように、リカは祈りを捧げるが如く、胸の前で手を組んだ。
「……さぁ、私を捩じ伏せてみなさい。出来るものならね」
対決の時は、目前まで迫ってきていた。




