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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ三 強襲する悪夢
171/221

53.屋敷での乱戦

 次に動くべき手を、小野大輔は決めあぐねていた。

 現状武器はなし。蜂は屋敷裏にいる幹部女以外ほぼ全滅。生きてはいる昏倒させた幹部の少年は、床に未だ転がったまま。

 そして……。

「聞こえなかったかな? Mr小野。アモル・アラーネオーススの居場所を吐けと言っている。何も難しい事は言っていない。標的コード、R・遠坂黎真。Y・米原侑子。S・唐沢汐里。このいずれか。ないし全員が、この近くにいることはわかっている」

 屋敷の空に張り巡らされた蜘蛛網を眺めながら、現在大輔の動きを封じる男。ジョン・杉山と名乗る強襲部隊の統率者を大輔は再び観察する。

 強襲部隊の詳細は分からない。だがさっきの不意討ち。屋敷の屋根へ突撃していった黒い影を見れば、自ずとその構成は見えてくる。飛んできたアレは、明らかに、生物のフォルムをしていた。つまり……。強襲部隊とは、怪物を戦力として取り込んでいることが容易に想像できた。

「……いつからだ?」

「……ん?」

「いつから……お前ら強襲部隊なんてもんがいる?」

 大輔がそう問いかければ、ジョンは明らかに失望したように息を吐いた。

「質問に質問で返すなよ。Mr小野。だが、せっかくだ。お答えするなら、君が真実を知るずっと前から。意外とね。非日常なんてものは日常の裏にいくらでも潜んでいる。我々は、それらが万が一暴走や不利益を引き起こした時、秘密裏に処理する掃除屋だ」

「掃除屋……」

「ああ。もっとも、ここ数年の連続発見で、目を見張るほどに発展したのだけどね。元は掃除屋というよりは、ただの人体実験の生け贄だったり。荒ぶる神様を封じ込める巫女さんと言った方が正しいか」

 そう言いながら、上は半歩後ろ。影のように立つ、竜崎と呼ばれた女性へ意味深な目配せを送る。が、当の彼女はポーカーフェイスを保ったまま。じっと感情が見えぬ表情で大輔を見ていた。

 二人とも、手練れだ。

 大輔はそう直感する。武の心得があるのか立ち振舞いに隙がなく、やりにくそうな相手。それに加えて背後にはさっきの化け物。更には部下が二人いるという。

 何人だ。何人が怪物だ? 大輔の背中を冷たい汗が伝う。

 この場は大輔と汐里。顔無しのサトウに、怪物の幼女。正直な話、向こうに開拓者(パイオニア)による支援と怪物という前衛がいる時点でほぼ詰みの盤面だ。

 武装解除された今、汐里が一人で相手取るなど、無謀もいいところ。かくなる上は……。

「悪いな。何処にいる。と言われても、知らないとしか答えられん」

「ネタは上がっている。隠せば未来はないぞ」

「本当だよ。隠しようがない。俺から情報を引き出そうとしても無駄だ。奴等は神出鬼没。今だって利害が一致して協力してるんだ。連絡手段はないし、何処を拠点にしているかも知らん」

「ここに連れてきたと聞いたが?」

「休日中にズカズカと家に押し入られたんだよ。飯なんざ意味ないのに酔狂な奴等だ。そんな中、今回の仕事が入り、奴等はついてきた。そのままドンパチして、片方が拐われ、もう片方が助けに飛び出して……それっきりだ」

「…………ここに留まったのは?」

「強襲部隊は、あんたらなんだろ? 仕事を引き継げ。そう言われて待っていたらこの様だ。犬と聞いたら狼で、正体は蜂。もう何が来ても驚かん」

「蜘蛛がここにいるだろう。三びきのうち一匹だ」

「いるにはいるが、アイツだって俺には手に負えん。一番自由な奴だ案外……」

 大輔は沈黙し、耳を立てる。喧騒は止み、屋敷は静まり返っていた。

「逃げたかもな。あんたらの存在を、奴は知っていた節がある。俺を前に配置したのも、そんな思惑からかもしれん」

 所々ブラフを立てつつ。大輔は大丈夫な情報を与えていく。

 松井英明……。かつての友人の顔が浮かぶ。自分とレイの関係は、向こうに知られているだろう。ならば、少なくとも曖昧かつ一方的な協力関係だと悟らせれば……。

「成る程。よくわかった」

 すると、話を打ち切るようにしてジョンは大輔に向けて手をかざす。それ以上の発言はいらない。そう表明した上で、ジョンは冷徹に笑った。

「ではものは試しだ。Mr大輔。ご同行願おうか。今からこう表明しよう。遠坂黎真。出てこなければ、君の叔父を殺すぞ……とな」

「――なっ!」

 予想などしていなかった蛮行に、大輔は目を見開いた。

「バカな。それは警察のやる方法じゃ……」

「ん? 何だい、頭は固いのかな? ダーティな方法で事件を解決だなんて、君ら警察だってたまにやるだろう? 犯罪者を捕まえるために家族を人質に。私はね。たまにどうしてそれをやらないのか、不思議でたまらない」

「不思議なのはテメェの頭だバカ野郎が! そんな手で捕らえるのは……」

「正義じゃないと? ならば、その間に犯罪者の犠牲が増えるのは罪ではないのか? 警察として……」

「警察がモラル捨てた時点で終わりだろうが!」

 叫ぶ大輔に、ジョンはおろか竜崎すら目を見開き、彼を見つめる。空気を震わす大輔の絶叫の中、ジョンは静かに手を叩いた。

「……ご立派な事だ。ならば尚更、怪物である甥を君は引き渡すべきではないのか? 市民の安全を考えるなら」

「……なん、だと?」

 その返しに、大輔の眼光がジョンに突き刺さる。だが、ジョンは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「人を襲わない? バカな。そんな保証が何処にある? 君がやっているのは、立派な犯罪者の隠匿だぞ」

 そう主張するジョンを、大輔は黙って見つめる。その目は次第に、醒めたようなものに変わっていく。

「怪物は不利益しか生まない。不幸な人を増やすだけだ。ならば、それを捕らえ、統制し、必要あらば間引くのが……」

「……今わかったよ。お前は違うんだ」

「……何?」

 大輔の言葉に、ジョンの言葉が止まる。不思議そうな顔をするジョンを、大輔は小馬鹿にするように。あるいは仕方のない相手を見たかのように頭を降り。静かに口を開いた。

「ジョン……杉山さんよ。アンタ……刑事じゃないな」

 恐らく強襲部隊はそういうもの。あるいは、警察の上が秘密裏に雇った、協力者の方が近いかもしれない。故にそういったらしくない発言が出る。

 たまにいるのだ。世間を騒がせる犯罪者が出た時、その家族を拘束しろ。そう本気で警察に依頼してくる輩が。ジョンの発言は、それに似通った響きを孕んでいた。

「だったらどうした」

「上の人間だという保証はない。従う理由もないね」

「おいおい。我々に従えと言われたのでは?」

「生憎、特殊すぎて表沙汰に出来ないのが今の対策課(おれたち)でね。そんな魔女狩りみたいな連中は信用できん。疑わしければ罰せよ? 違う。疑わしいなら追いかけろ。無実だと信じたいなら証明する為に駆けずり回れ。それが刑事だ。怪物にだって同じ理屈が適用出来る筈」

「……今まで沢山の怪物を屠り、実験場に引き渡してきた男の言葉とは思えない」

「勘違いするな。俺達が罰したのは、あくまで市民を無為に傷つけた奴等だけだ。今回の村で、思っている以上に怪物が身近になりつつある事も知った。今にきっと現れるぞ。望んでもいないのに運命に弄ばれ、怪物にならざるを得なかった人間が。怪物でも、平穏を望み静かに暮らそうとする輩が。……そういう奴を、俺は知っている……!」

 力強く断言する大輔に、今までニヒルに余裕たっぷりな様子を見せていたジョンの顔が、瞬時に硬質な無表情に変わる。

 何らかの地雷を踏みぬいた。大輔はそう感じたが、今はどうでもよかった。

「だからこそ今俺達みたいな知った人間がやるべきは統制じゃない。未知への開拓だ。今この場で、村を襲った蜂は捕らえよう。だが、他の怪物の捕獲に関しては、俺はお前らと足並みを揃えることは出来ん」

 そう宣言する大輔を、ジョンは静かに眺め。やがて、背中を静かに丸めるようにして、身を屈め始めた。

 獣が飛びかかってくる前触れを思わせるその行動に、大輔が身構えかけたその瞬間。

 静かに。ジョンの後ろにいた竜崎と呼ばれた女が、彼の腕に手をかけた。

「……杉山さん。その辺で」

「Miss竜崎。離したまえ。言うだろう? バレなきゃ犯罪じゃあない。どんなことも知られなければ……」

「アモル・アラーネオーススの重要なキーパーソンです。失えば、その損失は計り知れない。かの種程隠密に優れた怪物はない。だからこそ、手に入れたい。ならダメでしょう? 貴方が暴れちゃあ。ただ痛め付けるつもりが、本気で殺してしまった。なんて、笑えません」

 そう言って、女は改めて大輔の方に向き直る。

「初めまして。強襲部隊所属。竜崎(りゅうざき)()()と申します。申し訳ないのですが、ご同行頂けないならば、収穫者(リーパー)による強制昏倒から、護送させて頂きます」

「……方針は変わらんか」

「はい。ただ、理念に共感して頂けるならば話が早いだけでしたので。無理ならば、ただの釣り餌になってもらいます」

 揺さぶりも通用しなそうな、ある意味でジョン以上に冷たい、枯れ果てたような目。それに戦慄しながら、半ば諦めたかのように両手を上げる大輔に、沙耶は静かに頷いた。

「……服を脱いでください。下に何か仕込まれていたら、たまったものではないので」

「……なんもないぜ、お嬢さん。おっさんの肉体があるだけだ」

「口答えは要りません。直ちに」

「……へいへい」

 仕方なく、大輔は上着を脱ぐ。沙耶との会話中にいつの間にか換装作業を終えたのか、収穫者(リーパー)に切り替えられたジョンの開拓者(パイオニア)の銃口は、しっかりと大輔に向けられていた。

 ボタンを外しながら、大輔は思考を止めない。

 汐里は上手く逃げたか。

 サトウは、屋敷の中にいたが、どうなっただろうか。

 レイは……レイは無事だろうか。

 こうして考えれば、不確定要素ばかり。ただ、一応市民を脅かす蜂は、ほぼ鎮圧出来たと言っていい。ならば、大輔の仕事はここまでだ。

 そうなれば……。

 上着を片手に、敢えてシャツは破り捨てる。上半身が半裸の状態になると同時に、大輔は素早く上着を前方に放り投げた。勘に従った行動だった。狙撃手の視界を覆いつつ、半ば博打も同然な横っ飛び。

 銃声が響いたのは、その直後だった。

「――チッ!」

「見え見えなんだよ! 素人が!」

 叫びながら、大輔は飛び飛びに距離を取る。収穫者(リーパー)は麻酔銃と言うだけあり、弾速も飛距離もなく、速射性もそこまで高くない。目眩ましがわりの、上着から、弾道の直線からズレてみせれば、大輔にとって回避はそこまで難しくはない。

 上着を脱ぐ間、大輔は相手から目をそらさなかった。相手を確実に無力化したい。防弾の類いも完全に削いだ上にだ。大輔ならば、服を脱ぐ瞬間を狙う。だからこそ大輔はシャツを破く。普通に脱げば、その瞬間に視界が塞がれる。それを嫌ったのだ。

 予定と違う動き。ジョンは内心で舌打ちしていただろう。だが、攻撃は間違いなく実行してくる腹づもりだったに違いない。

 今すぐにか。ズボンに手をかけた時か。どのみち、そこに僅かな虚が生まれた事を見て取った大輔は行動に移った。

 上着をクッションにした、更なる隙の形成。これにより大輔は収穫者(リーパー)の空振りを狙った。

 目論みは成功。寧ろ、この距離で普通の拳銃か、抹殺者(ニゲイター)によって脚を狙われた方が大輔には致命的だった。前者ならば、完全に戦闘不能。後者ならば絶命もあり得た。

 一番速くて強く。小回りが効くのが、対怪物を殺害する抹殺者(ニゲイター)だ。結局、開拓者(パイオニア)もまだ実験段階である事は否定できない。怪物を鎮圧し、捕獲するのがいかに難題かを象徴するようである。

 素早く走る大輔は、敢えて後方に投げた開拓者(パイオニア)を拾いつつ、転がるように屋敷に入る。今手持ち……ズボンに忍ばせてある可変弾頭は二つ。怪物殺しの六発入りの弾倉と、信号変わりに使用する伝令者(メッセンジャー)の煙弾が二発。縁側から座敷の奥へ走りながら、大輔は素早く抹殺者(ニゲイター)に切り替える。目眩ましは意味がない。少なくとも強襲部隊の怪物がどんな存在か把握しきれていない。ならば極力殺害は避け、腕や足の先端を狙う。

 それだけでも充分だ。

「サトウ! いるか! いるなら返事を……!」

 屋敷の内部は把握している。意外と外へ繋がる裏口が多いことも。四方にある入り口を張るのに限界がある。敵もまた、背後から追って来るより他にない。室内ならばまだこちらに少しながら地の利がある。大輔はそう確信し、内部にいる共闘者を呼ぶ。

 逃げたか? まさか捕まった? その真実は、意外と早くに明らかとなった。

「パンツ刑事(デカ)、……逃ゲ、テ」

 引き戸を開けながら、座敷をこえ、仏壇がある部屋を通り抜け居間へ行こうとした瞬間。苦しげなうめき声を聞く。連続した和室と居間を挟む広めな廊下。そこは……血の臭いで満たされていた。

「サト……ッ!」

 声に従い振り向いた瞬間。黒い何かが此方へ猛烈な勢いで飛び込んでくる。縦や横の回避が間に合わないと悟った大輔は、そのまま反射的に軸足を踏ん張り、限りなく床へ水平に倒れ込む。

 ぎゃるぎゃるりぃ! と、奇声を上げるそれがすぐ上に覆い被さってくる。ブーンという羽音。平べったい黒のボディと長い触覚。うねる六本脚。虫の類いだと看破すると同時に、とっさの判断とはいえ、この体勢を選択した運に大輔は感謝した。

 相手が虫ならば、真下からの攻撃は避けられない。

「――っ、らぁ!」

 気合い一閃、六本の黒光りする脚が大輔を捕らえるより早く、飛んだ軸足とは逆の脚を跳ねあげる。硬さと柔らかさが絶妙な虫の腹部を靴が強打し、相手の突進力。自身が倒れる推進力も利用して、大輔は背を丸め、両手で相手の脚の付け根を掴み、付けた脚と腹筋に力を込める。

「ぎびっ!?」

 大輔が反応するとは思わなかったのか、相手の虫は短く身体を震わせる。だが、反撃を受けたと気づいた時は全てが遅く。虫の身体は引っくり返されるように宙を舞い、広げた羽も手伝って、出来の悪い手裏剣のように出鱈目な軌道を描く。

 鮮やかに決まった巴投げにより、叩きつけるような音が轟き、その僅かな間で大輔は両手で打ちながら、素早く起き上がり、距離を取る。

 相手を見つつ、背後へ注意を向けると、そこには血を流しながら倒れたサトウと、キョトンとした顔でその場に座る幼女の怪物がいた。サトウの片腕は無惨にも千切り取られていた。断続的に噴き出す赤が床と。座る幼女の足元やスカートを赤く染め上げていた。

「おい、大丈夫か?」

「命ニ別状ハ……ナイケド痛ェ……」

 ねーのか。ならいい。そう思いつつ、顔無しへの配慮を切る。次に見るは幼女の怪物。彼女は戸惑い、何かを探すようにして周りを見渡していた。求めているのはあの、ダルメシアンだろうか。だが、生憎大輔はその所在を知らない。

 それどころか……。

「ギギ……ガァ……!」

 ノイズの入ったラジオのような声を立てて、吹き飛ばした虫が体勢を立て直す。そこで大輔は、初めて相手の恐ろしい顔を見た。

「……気持ち悪い顔しやがって」

 長い触覚を鞭のようにしならせ、ギロチンを思わせる大顎がカシャン。カシャンと金属が擦れるのに似た音を出す。そこにいたのは、子牛程の大きさはあろうかという、巨大なカミキリムシだった。

「……チッ」

 静かに開拓者(パイオニア)を構える。虫の身体では、致命傷を避けるのは難しい。やるしかないのか。心の中で覚悟を決めかけたその時、カミキリムシが此方へ飛んでくる。

 高めの跳躍。大輔が反射的に銃口を上に向けたその瞬間。カミキリムシの身体がグニャリと歪んで、瞬時に裸の女の姿を象った。

「イヤァアア! 撃たないでぇ!」

 堰を切りったかのような悲哀の声が耳を侵食する。それに対して、大輔の身体は無意識のうちに急ブレーキをかけてしまった。

 刑事の性。それによる一瞬の致命的な間。勿論怪物が人間になれるという事実は当然知っている。その変化に本来の大輔ならばついていけただろう。事実、大輔はコンマ二秒で身体を切り替えた。だが……人間と怪物という、圧倒的なスペック差の前では、その刹那が勝敗を分けた。

 女の顎だけが、暴力的なそれに変わる。鋏を連想する大顎が、大輔の喉笛に迫り……。

「ピュアアァア!」

 視界が暗転する。何か太いもので足元を崩されたのがかろうじて分かり。頭上で炸裂したガチャンという音が大輔の肝を冷やす。サトウが機転を効かせたのだろう。よろめきながら大輔が体勢を整えようとすると、利き腕に痛みが走る。指先を再び離れた硬い感触に、大輔は歯噛みする。

 開拓者(パイオニア)を弾かれた――!

「こ、の――!」

 悪態をつきながら大輔がバックステップで距離を取ると、視界の隅で、サトウがサッカーボールのように蹴り飛ばされ、べチャリと床に伸びるのが見えた。目で追いきれぬ程の戦況の中で大輔が顔を上げた時。

「動かないで」

 というハスキーボイスが、大輔の身体をビタリと止めた。

「……この子がどうなってもいいの? こんな小さな子、簡単に壊せるのよ?」

 幼女の襟首を猫のように掴み、こちらに掲げるようにして、女は勝ち誇った顔で大輔を見下す。拳を握り締めたまま、大輔は女を睨む。

「その子を離せ。一応〝一般人〟だぞ?」

「関係ないわ。てか、凄い子ね。私のあんな姿を見ても。目を覚ましたらお守りかしら? そこのオラウータンちゃんが目の前で血祭りに上げられても、悲鳴一つ上げないなんて」

 相手の反応に大輔は内心で安心する。気づいてない。

 当然だ。その子は一度たりとも、怪物として何かをしていた訳ではない。あくまで蜂から一般人を守る為に、サトウが彼女を連れていたと思っている。

 考えてみたら、あのダルメシアンの正体にすら、強襲部隊は気づいてない。

 当然だ。アモル・アラーネオーススだと汐里が看破した時は、近くには対策課の面々はいなかった。

 これは、大輔達にしか知り得ない情報だ。

 だが……。この状況では……。

「焦ってる? 素敵なオジサマ? そうよねそうよねぇ。逃げてきたってことは、ジョンちゃんやボスが追って来るって事だもん。時間は無駄にしたくないよねぇ。で・も……残念ね。ここが袋小路……」

「あー」

「よぇ?」

 どうにもならない。大輔がそう思いかけたその時だ。不意に幼女が幸せそうに……。笑った。

 大輔も、カミキリムシの女も、その場違いな行動に暫し硬直し。


「――エディだ!」


 嬉しそうに幼女がその名を読んだとき、白黒斑模様の閃光がカミキリムシの女の前を通り抜けた。

「あ……げぇ……?」

 何が起きたか分からない。そんな顔になる女は、呆けたように先のなくなった腕を見る。

 ポテンと、幼女が尻餅をついた時、その首に切り取られた自分の手を見て取った時。女の顔が憤怒に染まりかけ……。

「誰……」

「悪いが、名乗る時間も惜しいのだ」

「だひゅ?」

 言葉がしっかりと紡がれることもなく、女の首が宙を舞い。その裸体が引き倒された。

 数秒も掛けずにゴリッ、ボチュン。と、湿った音が廊下に響き渡る。

 硬い肋骨が砕かれて、その先の柔らかな何かが潰される……そんな幻視を大輔が見た時には、女は噴水のように血を撒き散らし、絶命していた。

「なっ……」

「エディだー。エディー」

 開いた口が塞がらぬ大輔の目の前で、幼女はキャッキャと声を上げ、両手を伸ばす。そこれに応えるかのように、現れた血まみれのダルメシアンは、「ケヘヘ……」と、不思議な唸りを上げながら、幼女に寄り添った。

「遅くなった。怪我は……ないようだな」

「エディだー。エディ!」

「――そうか、喋れるようになったのか。ああ、懐かしい声だ」

 痛みに耐えるような。だが、それでいて嬉しそうにダルメシアンは鼻を鳴らし、尻尾を振る。

 喋れたのかコイツ。と、大輔が戦慄していると、その蒼い目が大輔に向けられる。

「貴方が大輔叔父さんか。私はエディ。レイから話は聞いている」

「――っ、お前!」

「待て。話したいことは山程あるが、逃げながらにしよう。ここは敵意がプンプンと……ッ!」

 ギシリと床板が軋むのと、エディがそれに反応するのは同時だった。

 叫びと共にエディが口から蜘蛛糸の弾丸を吐き出すと同時に「ウッ!」と、低い呻き声が聞こえた。

 飛ばされた開拓者が宙を舞い。片手を抑えながらジョンが膝を付く。

「……喋るダルメシアンか。外国のアニメーションのようだ」

 よろめきながら悪態をつくジョンを、エディは身を屈めて冷静に見据える。

「銃持ちか。人間とはいえ容赦はしない」

 爪を閃かせ、一気に走りだすエディ。殺す気だ。そう察した大輔は、声を上げてその場を抑えようとした。だが、既にそれが発せられる前に、エディはジョンに肉薄し、鉤爪を振り下ろしていた。

 糠漬けに手を突っ込んだような粘着音がして……。

「な、に……?」

「銃を持つのは人間だけだと思ったかい? それは考えが甘いというものだ」

 その光景に、大輔は絶句した。鉤爪は、ジョンの腕によって受け止められていた。それどころか、エディの体には細かい毛を思わせる何かが、粘液を滴らせて絡み付いていた。

「が……ぬっ!」

「おっと、それは禁止だよ」

 手が動かせぬと悟ったエディは口を開け、再び糸を吐き出そうとするが、それは突如現れた、緑色の肉が、顔を挟み込むような形で封じ込める。

 ブチュリ。ブチュリという、気味の悪い異音が鳴る中で、ジョンは軽薄にせせら笑う。

「恥じることはない。気づかれないのが私の本質だ。こうして生身の人間だと錯覚して飛んできた虫を捕らえるのが、私の得意とすることでね。今までこれを初見で看破出来たのは、一人だけだ」

 音もなく、ジョンの身体から蔦が延びる。怪物。それも……。

「食虫……植物だと……!?」

 唸るように大輔が声を絞り出すと、ジョンは正解だ。と、歯を見せる。すると、狩りの成功に歓喜するかのように、ハエトリグサやモウセンゴケ。ウツボカズラといった禍々しいアクセサリーを思わせる植物が、ジョンの身体を彩っていく。

「正確には、食〝肉〟植物。好き嫌いはないよ。まぁ、個人的には若々しく美しい女性のエキスと肉を溶かして啜るのが好みだが……今はいい」

 そう言って、ジョンはもがくエディをゆっくりと掲げた。

「走馬灯は見えたか? 101匹ワンちゃん。では……サヨナラだ。〝ボス〟処理を。生きたまま消化は骨が折れそうだ」

 呼び掛けと同時に、ユラリと。影のように女が現れる。竜崎沙耶だった。白魚のような手が腰の後ろに回されて、もう一丁の開拓者(パイオニア)が取り出される。銃口は、逃れられぬ程の至近距離で、エディに向けられていた。

「…………エディ?」

 銃の脅威も、外敵の恐怖もまだ理解してないのだろう。幼女が不安げな声で、かの勇士の名前を読んだ時。捕らわれたエディの身体が一際強くもがいたのが、大輔が見た斑の怪物の最期だった。咄嗟に幼女を引き寄せ、その視界を覆い隠すことしか、今の大輔には出来ず。


 銃声が轟いた。

 血肉がベチャンと床に堕ち、赤い水飛沫が廊下を汚す。

 それと同時に、大輔は腕に抱いた幼女がドクン! と脈動するのを間近で感じた。

「……エディ?」

 か細い声と同時に、有り得ない大きさの心音が、大輔に伝わる。

 思わず身体を離し、幼女の顔を見ると、幼女は虚ろな表情のまま、「エディ……」と、もう一度呟いて。

「エディ……エディ……エディ……エディエディエディ……エディ……?」

 身体が震えだす。ギチリ。ギチリと骨が変形するような怪しげな軋みがし、幼女の目が血で塗り潰したかのように赤くなっていく。

 それを見た時、大輔はいつかの実験場での攻防と、聞き齧っていた知識を唐突に思い出していた。


 アモル・アラーネオースス。そのつがいの片割れが死んだとき。残されたのが原種だった場合。それは……。


「エディ? エェエディィュゥヴ!」


 災厄に等しい、手に負えない規模で暴走し……。生あるものへ無差別に襲いかかる、真の怪物に成り果てる……と。

 視界を奪う勢いで黒い鉤爪が広がっていく。

 音もなく掲げられたそれは死神の鎌のように……。逃げ場のない大輔目掛けて振り下ろされた。




 

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