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名前のない怪物  作者: 黒木京也
続章ノ三 強襲する悪夢
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52.贄の怪物犬

「全ては私の計算通り……否、期待通りだったのだよ」

 優香と共に怪物に囚われてはや三ヶ月。満足そうに頷く教授を、〝怪物化〟を果たしたエディは疲弊した身体を床に投げ出したまま、出来うる限りの非難を込めて睨み付けた。

 優香のようで優香に見えぬ何か。その正体にたどり着くのは、流石に犬であるエディには無理な話であり。曖昧なままに優香かもしれない存在を傷つけることも看過できなかった。結果エディは、無抵抗のまま贄として怪物の傍に在り続け、最期は優香に喰い殺され、その身体を作り替えられた。

「……教えてもらおうか。貴方は……何だ? 彼女は優香なのか?」

 エディの口から淀みなく、言葉が紡がれる。どのようなからくりか。エディは怪物化と同時に言語能力を獲得していた。

 これには流石の教授も驚いたらしく。それでいて未知の体験を喜ぶかのように、エディとの対話を楽しんでいた。

「そうだな……果たしてどこから話したらいいものか……」

 腕組みしたまま、教授は静かに語り始める。

 それは、壮大かつ非現実的。それでいて、正気とは思えない実験の記録だった。

 地球外生命体の存在。

 アモル・アラーネオースス。その生態。

 自身を起源とした新人類の遺伝子を地上に溢れさせるという。教授の目的。

 だが、その計画はほぼ頓挫し。残された二つの血族は滅びか生存かで対立している現状。

 そして、教授はつがいを既に失い、もはや死の運命は免れないこと。

 話を聞いたエディは、「ふざけるな!」と、激昂した。

 そんな下らぬ目的の為に、優香の未来を奪ったのか。倒れ伏したまま、眼光で射殺さんばかりに教授を睨むエディ。だが、当人たる教授は、心底不思議そうな顔でエディを見た。

「未来を? 何を言い出すかと思えば。あの娘の未来は無いようなものだったのだぞ? 母は彼女を殆ど放置。頼れる者は近くになし。お先真っ暗だ。生まれ変わり、こうして一人で生きる術が出来たのだ。感謝こそされても、恨まれる筋合いはない」

 その迷いなき声色にエディは思わず絶句する。恐ろしい事に教授は本心からそう思い、言葉を紡いでいた。

「子孫を託すのだ。慎重に。かつ綿密に調べあげてから行動するに決まっているだろう。〝今までもそうだった〟極力社会的に孤立しているか、何らかの問題を抱えている人間……。秘密裏に存在が消えても憂いない者を選んでいるよ」

 安心したまえ。そう言いながら、教授は話を続ける。

 その最中。背後にいる優香の小さな手が、エディの視界より外から伸びてきて、優しく背中を掻く。心地よい手つきは、悲しくなるくらいに生前の優香にそっくりだった。

「更に私の教授としての威光やコネが効くならばなお望ましい。その点、第一候補だった森島美智子は適任だったのだがね。不倫の果てに離縁などしたものだから、実家には寄り付けない。勤め先もパート社員。何らかの重要なポストにいるわけではない。突然消えても殆ど問題ない」

「……第一候補だと? はじめは優香が狙いではなかったのか?」

 聞き捨てならぬ言葉に、エディがようやく反応すると、教授は曖昧に頷いた。

「ああ。最初その少女は眼中になかったよ。だがね……。物心つき始めた私の孫娘は、あろうことか森島美智子の娘の方に興味を抱いた。当然、このまま怪物化すれば、つがいがどうなるか。私には予測がつかん。学校の適当な男子を想ってみろ。収集がつかなくなってしまう」

 だから性急に、未来を見据える必要があった。教授はそう言いながら、自身の懐に手を入れる。取り出されたのは、ペンダントのような形にした鍵束だった。

「君でなくてもよかったのだよ。エディ。あの山中には数ある私の隠れ家がある。優香……いや、名前はもはやない。個体Yとしよう。そのつがいを適当に連れてきて、あてがい依存させてから怪物化する。が……そこで私は君を見つけ、ちょっとした遊び心が沸いたのだ」

 指でバツ印を作りながら、教授は興奮ぎみに息を吐き――。


「かつて、個体の例で姉弟でつがいになったものがいた。未熟な精神構造から起きた弊害だと思ったが、同時にこうも思ったよ。幼いゆえに好きに操作できるのでは? 例えば人間と獣でも……つがいになりうるのでは? つまり、獣と怪物の混種という、素晴らしい実験結果が……」

「……ジュオォオォ!」


 瞬時に血が沸騰し、気がつけばエディは、悲鳴を上げる身体を奮い立たせ、教授に飛びかかっていた。殺意が肉体に応えるかのように前足が黒い鉤爪に変わり、まるでそれを本能が理解したかのように、エディは滑らかに教授の喉笛を切り裂いた。

 皺だらけの首から血が噴水のように吹き出す。教授は目を見開き、驚いた顔を張り付けたまま、ヒクヒクと身体を痙攣させながら、床へ仰向けに転がり、やがて、それっきり動かなくなった。

 絶命した教授を無感動に眺めながら、エディは静かに息を吐くと、そのまま優香の方へ向き直る。

 しばらく過ごしてわかったのは、彼女は自分についてくるということ。ならば、自分が外に出て人の目が届かぬ所まで逃げれば、彼女を隠しつつ、生きることが出来る。

 少なくとも、こんな所にいるよりは、何倍もマシの筈だ。

 キョトンとした顔で座りながら、こちらを無邪気に見つめる優香。エディはその裾を口にくわえ、優しく彼女を立たせた。

「行こう、優香。ここは危ない……」

「いやいや、それはならんよ」

 背後からそう呼びかけられた瞬間、エディの身体は恐怖に戦慄した。

 二度と聞けなくなった声。何より、感覚がより鋭敏になっている自分が気付けなかった。その事実に思考が麻痺したその一瞬で、エディは背中を無駄に優しく撫でられ、反射的にその場を飛び退いた。

「何故……」

「お前は死んだはずだ?」

「そうだ。確かに呼吸も心音も……」

「だろうな。私はこれでかつて、生き残った二人の怪物を出し抜いた。今頃彼と彼女の中では、私は死んだことになっているだろう」

 ゆっくりと再生していく首の傷を見る。浅かった? だが、それならば逆に死ぬはずはない。間違いなく教授は……。

「君は所詮犬だ。犬の常識の世界しか知らない。人の言葉だって長い間人間という種と共存してきたから太古の記憶により後押しされたもの。……だからね。そこが君の限界だ」

 再び飛びかからんと、エディは身体に力を込める。だが、教授はそれを慌てたように、手で制止した。

「待ちたまえ。話をしよう」

「ない。ここで死ね、狂人が」

「狂ってるのは君だ。怪物の知識もなしに、個体Yを外に連れ出すのか? それこそ自殺行為だとなぜ気づかない」

「…………っ」

 その言葉に、エディはぐっと言葉を詰まらせる。あまりにも的確過ぎる指摘だった。

「取引だ。私を殺すのは好きにしろ。だがそれは。君がその怪物の力を制御し、知識と常識を学んでからにしてもらいたい」

「常識を……お前が?」

「自分でも笑えるさ。だがね。狂気なんて生けるものは誰しもが持ち合わせている。誰もが狂人になりうるのだ。私はただ、自分の狂気と上手く付き合っているだけさ」

 酷い言い分だ。そうエディは鼻を鳴らす。足元では、未だに出したまま戻らなくなった鉤爪が、ネチャリと床との間に糸を引きながら、ギラついていた。

「お前にメリットが…………ああ、成る程」

「理解が早くて助かるよ。私は君たちに生き延びて欲しいからね。なに、心配はいらない。こうなることも予想済み。そして、この後の事もね。何のために個体Yが怪物化した後も用済みの二人の傍にいたと思う?」

 ニヤリと。意地の悪い笑みを浮かべる教授をエディはまっすぐ見つめていた。頭の中でいくつもの想定が砕け、繋がり。形を成していく。

 野生の獣らしい最も合理的かつ効率的な判断は……目の前の男を今は師とあおぎ、骨の髄まで絞り取ることだった。

「いずれ衰えると言ったな。……楽には殺さんぞ。そっちが再生するならば、爪先から細かく噛み砕いてやろう」

「文字通り、ドックフードの如くかな。よろしい。老い先は短いが、高級な飼料以上の働きをしてみせようか」

 握手のつもりらしく差し伸べられた手を、エディは容赦なく鉤爪で刺し潰しす。だが、教授は特に気を悪くした様子もなく、笑っていた。

 かくしてここに、師弟関係が生まれた。

 片や少女を守るために。

 もう一人はただ、自分の狂気と好奇心を満たすために。

 老人と犬の怪物が手を組んだのだ。


 ※


 本当に、犬の分際で数奇な人生を送ってきたものだ。

 森島の屋敷に向かう道すがら、エディは苦笑いを浮かべた。

 結局、あの教授は男の記憶から自分達を消去し、このままでは罪に問われるぞ。と、森島美智子をそそのかし、彼女の故郷に入り込む事に成功した。

 周囲を山林に囲まれた、狼が隠れ潜む村。そこは、エディの野生を損なうことなく、更に怪物として力を磨くのに最適な環境だった。

 教授のレッスンは、厳しくかつ無駄がなかった。自身の余命も自覚しているのか、戦闘はエディ任せでいいと判断したらしく。主に教わるのは人間社会に関する雑学、そして、教授が知りうる限りの怪物のことだった。

 自分達蜘蛛の怪物以外にも、地球外生命体は存在する。自分も過去に少しだけ接触した。という体験談から始まり。

 元の人間の自我が表出したこともある。アモル・アラーネオーススの中に封じられた人間は仮死状態あるいは夢をみているかのような感覚なのかもしれない。非科学的だが、魂が取り憑いている。という説も自分は最近思い付いた。という荒唐無稽な話。

 だが、そうなればこの世にはまだ解き明かされていないものは沢山ある事につながって……。と、脱線を繰り返した教授の希望的観測。

 そして……優香に取り憑いている怪物には、姉がいるという事実。今は生きているかどうかも分からないが、美しい、少女の姿をしているということ。

 それが、エディが知り得た非日常的な事柄の全てだった。

 彼は順調に力と知恵をつけた。全ては優香を守るために。少しでも、もう一度優香と会える可能性があるなら……。その一時のために。それがエディが定めた、生きる意味だったのだ。


 そして、ついに教授から教わる事が何もなくなった。もはや教授の命は尽きかけ。エディはその日、復讐よりもあの狂気を終息させる、安らぎの引導を渡そうか。そう思っていた矢先――。

 エディは、不思議な女に森の中で出会った。


 香山リカ。


 そう名乗る、妖艶なブロンドの美女は昆虫でも観察するようにエディを見てから、ニタリと。サファイアを思わせる蒼い目を細め笑った。

「はじめまして、〝エディ〟私も、貴方と〝同じ〟よ」

 エディは後にも先にも、あれほど緊迫し、身体が動かなかったのは初めてだった。名前を何故知っている。いや、そもそもどうして自分が普通の犬ではないとわかったのか。そんな疑問が浮かんでは消える中、女は静かに、滑るようにエディの傍に歩みよってきた。

 教授が言った、他の怪物の存在。恐らく彼女がそうだと確信すると同時に、勝てない。獣の勘がそう告げる。立ち尽くすエディを彼女は少しだけ残念そうに見て、すぐに踵を返した。「この子もダメそうね。蜘蛛にはやっぱり……蜂かしら?」そんな謎めいた言葉を残して。

 当初は全く意味がわからなかった。だが……数日後。リリカ達蜂の軍勢が村に舞い降りたことで、それは宣告だったのだと、エディは悟ることになる。

 最初の攻防は三日三晩続いた。蜂は最初、そこまで数が多くなく。更にエディには地の利もあった。だからこそ、対等に渡り合えたのだ。

 だが、蜂達はエディの実力を知るや、なんと営巣を始めたのだ。地に住居を根差し、血族を増やして他の生物を圧倒する。それが蜂の得意とする戦術だった。

 じわじわと蝕むような波状攻撃。それに最初に囚われたのは教授だった。

 彼は最期に。追い詰められかけたエディの盾となる形で連れ去られた。「生きろ……」相も変わらぬブレない意志だけをエディに示し、彼は囚われ、喰い殺された。

 後は……。

 勝ち目のない追いかけっこが始まった。

 鼻が効くエディは蜂の毒に感染した森島の家の者を発症する前に間引き。残りは家にて食料として軟禁した。

 人里で、発症した人間を処理し、山の中で犬の群れを従えて、蜂との暗闘を繰り返す。そうしてそれが、〝偶然〟逃げきった人間により外部へ漏らされ。銃持ち達を呼ぶ引き金になった。レイ達が〝偶然〟戦列に加わる形で。

 そうして紆余曲折を経て、今に至る。

「……優香」

 大切な少女の名前を呼ぶ。地下の洞窟から地上に出るまで、ほとんどの戦いはカオナシやあの女刑事。そしてレイが引き受けてくれた。

 途中かち合った蜂の狼達はその血を美味しく頂いて。今のエディは殆ど消耗もなく、ここまでたどり着いている。

『見えたぞ! エディ! 森島の屋敷だ!』

『だが……なんだ? 色んな匂いがするぜ』

『これ、一匹や二匹。一人や二人ではないわね』

『どうする、エディ? このまま突っ込むのかい?』

 義勇軍としてエディについてきた犬達が叫ぶ。わざわざ迂回して風下から進撃していた甲斐あり、敵はこちらに気付けはしないだろう。ならば……。

「……ムロイ! ネギシ!」

「ピピュ! ナンデスカイ? オイヌ様」

「オイヌ様」

「呼び方……は、今はいい。走りながら聞いてくれ。私がまず突っ込む。君達は風下に潜み、状況を伺いつつ……。乱入するか否かを判断してくれ」

「……ピュ?」

「ゴメン、オイヌ様。意味ガワカラン」

「状況が分からんのだ。こちらの味方が優勢か、強襲部隊とやらが優勢か。全くね。だからまず、私が頑丈さに身を任せ攪乱する。君らは第三波だ。二波は……」

『俺達だな。エディ』

『任せとけ』

 意図を察した犬達が小さく頷く。「スマナイ」それだけ言い、エディは夜空を仰ぐ。

 奇声をあげながら、空を飛ぶ黒い影が、森島の屋敷に急降下するのが視界に入ってきて、エディは無意識のうちに、フーッと、牙を剥き出しにした。

 時間がない。もう乱戦になっているかも。何より……優香が危ない。

「……優香」

 もう一度。もう一度でいいのだ。と、心の中で繰り返す。

 姉に当たる、美しいレイのつがいを思い出す。幸せそうに、レイと戯れるその姿。あの光景に、エディは一種の希望を見い出だしたのだ。

「優香……!」

 楽しかったあの時へ。

 ただそれだけを願い、怪物となった野生犬は戦地に目掛けて疾駆する。


「……気合い充分ねぇ。カッコいいじゃない」


 道中の樹上に隠れ潜んでいた、妖しく笑う女の存在には、最後まで気づかずに。 

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